第2回 ダッカからバリ島へ
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崖の上にある玄関がビーチから15階の高さにあるホテルからの眺め。 |
昼ころ、睡眠不足気味と時差2時間のために、ちょっとぼんやりした頭でNというバリ島の南端にあるヌサドゥアの、海に面したリゾートホテルに着いた。
そこは空港から車で25分のところの海岸の切り立った崖の上にあり、ビーチから15階のレベルに玄関がある。車から降り立ってホール越しに、空と区別できないインド洋の海が見えたとき、両肩から腕にかけて鳥肌が立つほど感動した。来る途中、車から眺める雑木林の緑の多い風景に加えて、その背景にいつも海があるところは故郷の志摩の風景と変わらない。そして日射しの明るさはダッカにはないものである。このようなまぶしいほどの明るさは、フランス南部のコートダジュールの海に面した崖っぷちを車で走ったときや、北イタリアのサボナから西地中海にヨットで繰り出してあまりのすばらしさに同行の者の中から素っ裸になって海に飛び込む男女も出たときの30年も前の歓喜の記憶を呼び覚ませてくれる。ジェームズ・ワトソンの『二重らせん』の前付きに献辞されているナオミ・ミチソン教授もパンツ1枚になって飛び込んだほどである。デッキでとなりに座っていたドイツ人のポスドクが黙ったままパンツを脱ぎ始めたのでびっくりした。英虞湾の込み入った入り江を望む、初夏の日射しのもとの風景もそれに似た明るさがある。「とくにバングラデシュに馴染んだ目から見ると天国のようやね」と、この日、続いてバンコクから到着したSに話したら、そうだろう、そうだろう、と同情まじりに言っていた。バングラデシュの暮らしは厳しいというのが通念なのである。
チェックインには早すぎて部屋がまだ準備できていないというので、ここのスパを試してみた。玄関のあるフロアーから、エレベータで下りられる海岸のプール脇に並んだ石の塀で囲われた茅葺き屋根で、よしず張りの離れ家にある。部屋代と同じくらいする値だが、すだれ越しに風通しがよく気持ちのいいところで、活力のでるという能書きのハーモニーというのをやってもらった。バラの花びらを浮かべたバスもあり、夜間飛行の旅の疲れもすっかりとれた。空きがあるというので、エコノミークラスからビジネスに追加料金なしで移れたが、前晩は深夜の1時40分にダッカを発ったのである。ちっとも眠れなかった。現地の時間で7時過ぎ、進行方向の左に日の出が見えた。しかし眠れなかった分、機内ビデオでリチャード・ギア主演の『ハチ』が見られたのは良かった。主人が亡くなってからも10年以上、駅に迎えに行きながら年を重ねるハチの姿が現われる前からすでに涙があふれて止まらなかった。ちなみに、このモデルとなったハチから終生慕われた幸せな飼い主は三重県の久居出身で、東京帝国大学において初代教授として農業土木学農業工学を教えていた上野英三郎氏である。もしかしたら、高校の先輩かもしれない。映画のなかでは音楽の教授という設定だったが。
このホテルは日系だが、五つ星の名に恥じず、部屋の調度もすばらしい。カーテン代わりの自然木を彫った鎧戸の引き戸を開けるとテラスから薄紫のブーゲンビリアの植え込み越しに海か空か境の定かでない空間が広々とひろがっている。空気といい、高級感といい、バングラデシュにはないもので、癒しのための休暇にはうってつけのところである。今度は休暇で来ようと、空港でただで入手できるので小脇に抱えるほど貰ってきたガイドのパンフなどをベッドの上に拡げてみたらいっぱいになった。
日系のホテルだけあって、日本語をしゃべるスタッフがかなりいる。ある朝、朝食のテーブルでいきなり、「コーヒー?紅茶?」と聞くものだから、「コーチー」と言ってしまった。黙って引き下がった給仕が、何を持って来るか自己嫌悪に苛まれながら興味をもって待っていたところ、コーヒーと紅茶の両方が来た。
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日本語のバリ島案内もある。 |
浜茶屋の入り口で迎えてくれた案内嬢。 |
到着の日の晩は、会議の始まる30日より2日前ということもあり、ここインドネシアに勤務しているFAOのアイルランド人のJという年配の獣医師、昔、ケニアで勤務していて今はエジプトのFAOにいるYというエチオピア人獣医師、ほかにイラン人のFAO職員と旧知のSらと連れ立って、いっしょに車をチャーターしてJが知っているクドゥンガナンビーチという砂浜にある海鮮炉端焼きといったところの屋外レストランBに、30分かけて車で行った。10時すぎくらいまでイセエビ、カニ、イカ、ハマグリ、などをたらふく食べた。右の写真はこのレストランの入り口玄関で撮った。
浜茶屋風の仮設の小屋が何軒もつながって並ぶうちのひとつを通り抜けると遠浅ではない砂浜にテーブルといすがいくつもあり、二三十秒おきごとに打ち寄せる爆音のような音をたてる怒濤がすぐ近くまで迫っている。潮の引いたあと渚まで駆け寄って、次の波が追いかけて来ると必死で喚声を挙げて逃げ返ってくる親子連れなどがいる。音楽の生演奏やインドネシアの踊りも見られるし、舞台から遠ざかれば話もできる。砂浜の上のテーブルは百以上置かれて、海外からの観光客らしい客がいっぱいいるところだ。
この堅苦しくない屋外レストランBは皆が気にいったので、この日は下見ということで、次の晩もローマからの2人の参加者を誘ってまた繰り出すことにした。1人は昨年、FAOの獣医局長に就任したスペイン人のL氏、もう1人は、バンコクの地域事務所代表からローマのFAO本部の次長になったH氏の上級顧問に就任することになっているベルギー人のB氏である。2人とは、メールのやり取りをしたりローマとダッカ間のテレコンファレンスで話した事はあるが、実際に会うのははじめてである。2人とも、ずっと以前からの知り合いのごとく「会いたかったんだよ」というのが挨拶だった。わたしを採用してくれたのは、L氏の前任のD氏である。ローマと日本とバンコクのテレフォンインタビューだった。
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0の字は”One World One Health”の意味。 |
Dがローマから持って来てくれたボルドーの赤ワイン2本のうちの1本。 | 会議が無事終了して、主催者と国際機関からの参加者がデブリーフィングをしたあと、気の合うものたちが集まって、寛いでいるところ。 |
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クタのビーチにあるレストランRで最後の打ち上げをした。 |
ネパールのポカラといい、インドネシアのバリといい、なぜリゾート地の高級ホテルで会議を開催するかというと、町の中心の高級ホテルなどというと高級ブティックなどの並ぶ繁華街などがすぐそばにあったりして、会議から抜け出し、土産物を買いに行くものがいたりする。また、途上国からの参加者などの中には安いホテルに移り、ホテル代を浮かせようとする者もでてくる。そうすると連絡などにも支障をきたす。だから、人里離れて、しかも風光明媚なリゾートホテルだと、参加者が会議にいっそう集中できるし、しかも治安が良い。
このあと、クタのビーチにあるレストランRに2台の車で繰り出し、久しぶりに旨いステーキを食べた。バリでの4泊5日で、ホテルの外へ出たのは、この食事の時だけだった。
クドゥンガナンビーチの浜茶屋で勘定をはらう時、給仕をしてくれたさほど若くもないKという若者が「若いカップルがビールを2つ注文したりするとき、大瓶で注文をすることを勧めるんです、ボスは喜ばないですけどね。しかし、お客さまにはそちらの方がお得ですから」という。それから話が始まって、結局は、最近、余所の男と結婚してしまったガールフレンドがいまでもときどき連絡してくるので会っていると釣り銭を払いながら言う。そうしたら、エジプト勤務のYが、「その女性はきっとまだあんたのことを愛していると思うよ。取り戻したいと思わないのか」とおせっかいな突っ込みを入れた。「そうは思うけれども、彼女の幸せを考えると、しゃしゃり出て彼女の安定した暮らしを壊さない方がいいのだ」と言う。「そうは思わないね、彼女はおそらく、今、幸せではないのだよ」とさらに突っ込む。そのとき、「ひとは本当に愛したひとのことを死ぬまで忘れないものなんだ」と『ハチ』のビデオの終わりに出て来たことばを受け売りで言ったら、全員の賛同を得て、一同、そうだ、そうだと頷いてくれた。なにしろ、夜間飛行の機上でむせび泣きながら、前の晩寝ずに見たビデオだったから重みがある(2010年3月31日)。