バングラデシュより
 (山家又祐)  
第9回 ダッカより愛を込めて

春眠暁を覚えず、まどろむ朝方、夢を見た。耳をすませば、鹿おどしの音がときどき静けさを破って聞こえてくる。侘びた山荘の温泉で湯浴みをしていると霞む湯気のなかから、吉永小百合さんがあらわれてびっくりした。相手もすこし驚いている。

「これ夢だと思うのですけれど、いったいどういうわけなのでしょうね。ほんとうにわたしの夢になんのことわりもなくお呼びだてしてしまって申し訳ありません。まったく夢の奴ときたら、困ったもんだ。時と場所をわきまえないから油断もすきもあったものじゃない」

「いえ、わたしの方こそ、かってに押しかけてきたみたいですみません。なにがなんだかよくわからないのですけれど」

「しかし、こんなふうに夢のなかで巡り会えるというのもきっとなにかのご縁でしょう。せっかくだから背中でも流しますよ。おわびのしるしに」

「そうですか、それじゃお言葉に甘えて」

石鹸をいっぱい泡立てた手ぬぐいで背中をうなじから腰のあたりまでゴシゴシとこする。

「きれいな肌だ。テレビで観るだけではここまではわかりませんでした」
(つい「玉の肌でげすな」という三助のことば遣いでしゃべってしまいそうである)

楽しんでいると目が覚めた。朝の5時である。
このところ野党によるストライキ(ハルタル)が連日で、家籠もりの日々が多い。朝寝をしてもいいという安心感から、一晩中、本を読んで朝を迎えることがしばしばである。前晩も故多田富雄先生の『残夢整理』を読んで、巻措くあたわず朝方にまでなった。ダッカに赴任する前、日本で読んだ前著『寡黙なる巨人』に引き続き、著者が脳梗塞で倒れられてから闘病の生活のなかで,すでに死んで今は亡きおさな友達や親戚、親友たちとの記憶を辿って一字一字をワープロに刻み込むように綴られた重い内容の凄みのある本である。

なんでそれがこんな能天気な夢につながるのか。春暁の寝心地の良さのなせる業か。

3,323マイル以上離れて日本にいる家内にスカイプで知らせると、
「ただでいい夢を見られて良かったわね。いくらでも見ていいからね」
と言っていた。

ことしになってから、頻度も激しさもエスカレートの一途をたどり、のべ15回にもなるゼネスト(ハルタル)である。先週の水曜日3月20日、シンガポールの入院先で死去した大統領ジルル・ラーマン氏の喪中のためにいったんは下火になりはしたものの、これからも今年の末までに実施予定の総選挙に向けてますます過激の度合いを増してゆくのだろう。大統領はこの国では名目上のみの象徴的代表にすぎず、すべての執行権は首相に与えられている議院内閣制であるが、ジルル・ラーマン氏は与野党の両陣営から信を置かれる希有な人格だった。またバングラデシュの大学の実質的な経営は副学長(バイスチャンセラー)が担うが、名目上の学長(チャンセラー)は大統領であるので幅広く尊敬されていた。

大統領ジルル・ラーマン氏の死去の翌日の新聞記事。予定されていたハルタルは中止になった。

今回の争点はなにか?パキスタンから独立のための戦争のさなかと1971年バングラデシュ独立のあとの混乱期に、パキスタン側による蛮行の数々に加担したものたちを戦犯として裁いた特別法廷による死刑判決に反対する「ジャマティ・イスラミ党(イスラム協会)(JI)」を主とする勢力とそれを抑える現政権与党の「アワミ連盟(AL)」のあいだの確執である。最大野党の「バングラデシュ民族主義党(BNP)」は「ジャマティ・イスラミ党(イスラム協会)」を支援している。英領だったインドが1947年に独立したとき同時にイスラム教徒が多い2地区はインドを挟んで1600km離れた飛び地国家パキスタンとして分離独立をはたしたが、さらにパキスタンのうちウルドゥー語を用いる西パキスタンからベンガル語を母語とする東パキスタンが分かれることになった内乱がイスラム教徒(ムスリム)同士で戦われた苛烈なバングラデシュ独立戦争だった。

東パキスタンはパキスタンに属する一地域でありながら、政治の中心は首都のある西パキスタンにあり、西の言葉であるウルドゥ語だけが国語と定められたため、反発を強めたのだった。西パキスタンは宗教を共有するひとつの国家が二分され、イスラム性が弱体化することをおそれてそれに対抗した。したがって、他宗教への寛容性はパキスタンにおいては相対的に低いだろう。いまバングラデシュで頻発しているハルタルのさなかで、バングラデシュの独立戦争の際に独立に反対した勢力を擁護するイスラム原理主義的なハルタル賛同者たちから、少数人口を占めるヒンドゥー教徒が迫害をうけているのはこのためである。

先月から今月にかけてバンコクに連続して3つの会議のために出張中のときバングラデシュで3日連続のハルタルが起こり暴動にまで発展した。ダッカに帰れなくなり滞在を1日延長しバンコクに足止めを食うことを余儀なくされた。

週末もはさんで合計11泊した旧市街にあるチャオプラヤー河畔のSホテルは周辺には繁華街がなく、京都の町家の連なりのような殺風景なシー・ プラヤ通りから小路をはいったところにあるバンコク一老舗の日本料理店『花屋』にほとんど毎日、夕食を摂りに通った。旨いのに値は張らない気取りのない店内の壁に掛けてある古い写真には日本人オーナーとともに安倍晋太郎元外相と中曽根康弘元首相らが写っている。岸信介元首相がひいきにしていたという噂は本当らしい。

旅先で生じた想定外の余暇で有り余る時間を半ズボンに革サンダル姿で町中を歩き回って過ごした。栄養過多による脂肪肝の傾向があるので、運動をして痩せることを医者からすすめられているのだ。

バンコクの宝石専門店街に場違いのようにあった化石屋。「恐竜のふんの化石」。隕石もたくさん売られていた。買うか買うまいかかなり迷った。

ハルタルは日本のゼネストにあたるものだが、仔細に観察してみると似て非なるものである。野党主導によりハルタルが宣言されると市民の日常生活はいちじるしく影響をこうむる。政府与党に反対するハルタル賛同者は、賛同者でないものに対しても罷業を強いるからだ。したがって全国規模でハルタルが起こっても、それはかならずしも民意を反映しているとはかぎらない。ハルタルのあいだは、バスなど公共交通機関は運休し、商店も臨時休業する。そうしないとハルタル賛同者からなにをされるかしれないからである。

操業しているバスがあると放火されることもあるし、一般車両に対しても投石がなされて車が大破することがある。3月3日から3日間続いたハルタルの最初の2日間のあいだに19の地域で活動家とその同調者と警官隊との衝突で警官もふくむ合計81人の死者をだした。BNPの党首はその後、メディアに対して、今後もさらなる犠牲がつづくだろうがやむを得ないだろうとコメントした。国民から支持されると思っていたところ「自分だけ安全なところにいて御託を並べていないでお前もデモ隊の先頭に立って一度殺されてみろ」と大変な不興を買っていた。

政府に反対するものも支持するものも区別なく市民生活は大いに影響を受けるのみならず、このためにバングラデシュの発展はいちじるしく蝕まれていると言ってよい。出勤は妨げられ、海外からの訪問者は入国に二の足を踏む。事務処理は滞る。約束も責任もハルタルという「大義名分」のもとに反古にされる。怠業、罷業、職場放棄、職務放棄が日常的茶飯事になると、目的達成のための手段であるはずのものが自己目的化する事態を招く。

いつもどおり5時に目覚めたが、「玉の肌」の夢の続きを観るためにまた眠ることにした。

「バングラデシュのダッカから飛んでらっしゃったって?」

「ええ、梅の香りに誘われましてね。桜にはまだ早いですし」

「まあ、日本の梅の香りがダッカまでとどくんですの?犬の嗅覚を上回ってらっしゃるわけ?奈良の都から太宰府にまで漂ったというのは菅原道真の歌にありますけど」

「いや、いくら東風(こち)が吹いたからってダッカまで3,323マイルも花の香りが飛んで行けるはずがありません。この季節、吹くのは東風ではなくて季節風(モンスーン)や偏西風ですから西から東の方向です。湯島の白梅が咲き始めたという風のたよりを聞いたから、そろそろこのあたりにもと見当をつけてわたしのほうが飛んできたんです。年明けころに歌われる囃し歌に唐土の鳥が渡ってくるまえに七種粥を食べて無病息災を願うという春の七草の歌があるでしょう?渡り鳥ではないけれど、わたしも春なので風に乗って帰って来たというわけです。バンコク経由、全日空のエコノミーでしたけど。このごろは大陸から飛んでくるものは鳥インフルエンザウィルスに罹っているかもしれない野鴨か微小粒子状物質M2・5や黄砂ということになっているようですがね。大気は北京もひどいそうだけど、ダッカのスモッグもかなりのもんです。埃っぽくて外を歩くときはマスク着用が欠かせません。ここの山の空気はすばらしいですね。来た甲斐があったというものだ。梅の花でつくった石鹸というのもあるらしいですよ。ところで、このシャボン、バンコクの空港免税品店で手に入れたラベンダーの香りの天然石鹸なんですけど、お気に召します?」

「あわむらさきいろのラベンダー畑にいるみたい。富良野を思い出すわ」

あまりにいっしょうけんめいこすったので小百合さんはからだ中泡だらけになってしまった。

ここでまた目が覚めた。

バンコクの街を歩き回って、サイアム・スクェアーで偶然見つけた映画館『L』で『わが母の記』という邦画が上映されていたので、迷わず入った。原作者の井上靖さんが60も過ぎてから、90近くになった実母とのことを描いた自伝的小説をもとにして、主人公を役所広司さん、母親役を樹木希林さんが演じていた。映画館に入って映画を観たのは何年ぶりか、もう三十年以上は行っていなかったろう。

小学校の低学年のころ、本人だけを残して一家が台湾へ移住してしまい、伊豆の天城湯ヶ島の祖父の家に預けられ、祖父のお妾さんに育てられた主人公は、実母には捨てられたものとずっと思い込んでいた。明治の時代、海を渡って国外へゆくというのはいつ海難に見舞われるかしれない危険と隣り合わせの旅だったことから、家を継ぐべき長男は国内に残しておこうという熟慮のうえでの決断だったことはあとでわかった。そうとも知らず、なついていたのは、母屋とは別に倉に住んでいたお妾さんだったが、実母は自分の長男を取られてしまったお妾さんに対しては根強い不信と不満をいだいていた。主人公は高校生になる娘を自分の出た小学校へ連れていったとき、遊動円木のそばで、「お父さんは子供の頃作文を書いて評判になったそうだけど、どんなことを書いてたの」と聞かれて、思い出せないのか思い出したくないのか、「忘れちゃったよ」と答える。年老いた母を預かっておざなりに面倒を見ていたところ、どこまで惚けているのかわからない老母がある日、自分の子供のころに書いた作文の載ったすり切れた紙切れをお守り袋から出して、そらんじるのだが、その中の最後の一文「僕は大きくなったらこの海を渡って世界を巡ってみたい。しかし、一番したいことはお母さんといっしょにこの海を渡ることです」というところを本当にうれしそうに語ったところで、突然、主人公とおなじく涙があふれ出し、故障したテレビ画面のように視界がさえぎられてしまった。

リド・マルティプレックスという映画館で上映されていた。

007シリーズの最新作『007スカイフォール』のDVDが露天で売られていたので、買ってダッカに帰ってきてから観た。初代のジェームズ・ボンドをショーン・コネリーが演じてから昨年50周年をむかえた007シリーズの23作目という。そもそも東西冷戦を背景にしたスパイ物語が1991年12月大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任にともない、その一方の当事者であったソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)が自壊のようなかたちで解体されたあともまだ映画として人気をたもっているというのが愉快である。フアンはかなり高齢化しているからか、定年、引退といったことにも触れられている。名誉ある引退をすすめられるが拒否して職務に殉じて死んだMのデスクにあったブルドック人形がMの死後に贈られてくる。これはフィールドからそろそろデスクワークに移行してはどうかというMのメッセージではないかと問われてボンドは、逆だね、死ぬまでブルドッグのように番犬でいよ、ということさ、と答える。

U.S.S.R.という名前は、いまでは、ビートルズの『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』でのみ健在である。これは、永くアメリカでおそらくはスパイをしていたロシア人が、夜行の乗り心地の悪い飛行機でマイアミから、ゲロ袋を膝に故国に負け惜しみを言いながら帰る悲哀をむちゃくちゃコミカルに歌ったものである。やっぱり、西洋女はダメだ。女はウクライナにかぎる。モスクワの女もグルジアの女もイカスぜ、といった内容の歌詞である。最後は、ソ、ソ、ソ連に帰れてうれしいぜという。驚いたことに、これはソ連でも大ヒットしたし、ロシア連邦になったいまでもかわらぬ人気を博している。そのロシアを去年、バングラデシュの首相が訪問し、ロシア製武器と軍事技術装備購入に用いる総額10億米ドルのを貸し付けを受ける話をとりつけてきた。このお金が、保健とか医療、食品衛生,公衆衛生の改善に使われれば、この国は病気も減ってもっとよくなるのにというのが、よく聞く意見である。

バンコクのシーロム・サラデーン駅のちかくにあるアイリッシュ・パブ「O」では毎週金曜日バンコクのビートルズの生演奏をやっている。 1月から2月にかけてバンコクで開催されたプリンス・マヒドン賞会議の終わったあとの金曜日の晩、上司のS氏夫妻とロンドンの英国王立獣医科大学のB教授と「O」をおとずれたときは、おおいに盛り上がってみんなで、ビートルズの曲で踊った。全員。十代二十代のころの血がよみがえったのである。
これは、1月26日開催した狂犬病ワクチンと避妊手術によるポピュレーション・マネージメントのキャンペーンのために開いたコンサートである。彼女は、バングラデシュでは誰もが知っているといわれるほどの国民歌手らしい。 バングラデシュから狂犬病を根絶しようとする試みに賛同してくれるひとは多い
事務所のキャンパス内に住みついている犬の親子。 つくばで野良だったのが、「通い」、になり、やがて「住み込み」に出世し、いまは福岡で家の子同然として育てられているノラとトラはとても仲が良く寝るときはいつもこうである。
仲良きことは美しき哉ー実篤』

今日はバングラデシュの独立記念日、明日とあさってはまた、36時間のハルタル、その後、金曜日と土曜日の週末が続くので、5連休ということである。夢の続きを見れるのが楽しみである。

(2013年3月26日)