Zenyatta Mondatta」への熱い思いを語る


 Zenyatta Mondatta

 1980年発表 3rd アルバム (全英一位、全米五位)






トホホな管理人が語る『Zenyatta Mondatta』

ンドを長いこと続けていると分岐点、過渡期と呼ばれる時期が必ず訪れる。
ポリスに訪れた最初の分岐点が『Zenyatta Mondatta』ではないだろうか?
当時、大手の音楽誌がこぞって『Zenyatta Mondatta』はスチュワート主導によるエスニック・アルバムと称していた。
楽曲に耳を通していくと確かにインド、南東アジア、および中東の音楽や地域情勢の影響を、
Bombs Away」「Voices inside My Head」「Shadows In The Rain」などの中に容易に認めることが出来る。
これは低予算(最小機材)で世界ツアーを繰り返している中で培われた新しい音楽性であろう。
またスチュワートの変名バンドであるKlark Kentの影響も見逃せないだろう。
Canary In A Coalmine」「Man In A Suitcase」「The Other Way Of Stopping」
などに見られる濃厚なレゲエ、スカなどのリズムは、

スチュワートがKlark Kentでやっていたルード・ミュウージックを洗練させてホワイト・レゲエ風に仕上げた趣を持っている。
そういった視点で言えば総じてポリスのワールド・ミュージック盤と言ってもよいだろう。
レゲエを基調としたサウンドで注目を集めてきたが、
多種多様な音楽に触れて、それを吸収し、新たなサウンド・スタイルを作り続けたと言うことか?


そして何よりも、このアルバムの最大の特徴は、

ポリスがスリーピースとしての音楽性のベクトルをリズムに向けている点と、
3人の演奏能力が高い次元で拮抗している点であろう。
これまでのスチュワートは、スネア、ハットのハードヒッターとして独自色を現していた。
表裏を打ち分けてメロディーまでも感じさせる演奏がポリス・サウンドの中核と言っても過言ではなかった。
今作に於いてはそれに加えてバス・ドラム、タムタムなどを中心に据えた演奏に重きを置いており、より骨太のリズムを紡ぎだしている。
スネア、ハットでメロディーを、バス・ドラム、タムタムでタイトなリズムを叩き出す多芸を見せている。
ドラマーの世界にスチュワート派なる一派を生み出したのも、このアルバムでのスチュワートの演奏を聴くと納得が出来る。

そして特筆すべきはアンディーのギターが全面に出てきた事であろう。
スチュワートが叩き出しているリズムの空間をより濃厚に満たすべく、
カッティング・スタイルを基調としたエフェクト効果(エコー、リバーブ)を用いて、
楽曲の随所に秀逸で濃厚なコラージュをちりばめている。
「Driven To Tears」後半部でのギター・ソロは圧巻としか言い様が無い!

二人の演奏にスティングの歌心のあるベースのリズムが加わり、
お互いの演奏を伸張し合う感覚で絶妙のアンサンブルを奏でている。

ここで断言しよう!

このアルバムの最大の魅力は、
スチュワート、アンディーそしてスティングの織りなすリズム&メロディーのタペストリーである。
取り分けリズムに突出したこだわりを感じる。リズムだぁ!リズム!!

彼らが交互に、時に同時にレゲエ、スカの表裏を打ち分けている緻密でリズミックな演奏は、
これまでのポリスのアルバムの中でも最も高い技術レベルにある。
このアルバムを聴くと彼らが音楽至上主義者の集団と呼ばれるのも合点がいく。
そしてサウンドの変化と同時にスティングの詩の世界にも変化が認められる。
これまで俺が、俺が、俺がの一人称で個人的な心の負の部分にスポットを当てた作風が多かったが、
Driven To Tears」「When The World 〜」といった作品では、

外の世界に目を向け始めたスティングの視点の変化を顕著に見て取れる。メッセージ性が出てきた事は見逃せない点である。

シングルになった「Don
t Stand So Close To Me」「DE DO DO DO , DE DA DA DA」は、
初期ポリスのエッジの効いたハングリーさは影も形もなく、
とてもリズミックな楽曲でありポップな感じに仕上げられている。
このアルバムがポップスに接近し賛否両論を巻き起こしたのもシングルの影響が大か?

総論。

世界ツアーで会得したエスニック感覚のリズムをロック・ビートに洗練させた名作である。
なお且つ最もレゲエ、スカ色が強いアルバムであり、
全体としてポップ・サウンドへの傾倒したポリスの出世作である。
さぁ〜みんなで聴いてみよう!(爆)

私は『ZENYATTA MONDATTA』が大好きです!断言!!


Klark Kent氏が語る『Zenyatta Mondatta』

Zenyatta Mondatta 』を再検証する

日本では1980年の1021日にリリースされたこのサードアルバムは、ポリスの歴史上1つの分岐点となった作品である。
サードアルバムともなると、バンドにとってはマンネリの道(言い方悪いが)に入ってしまうか、
あるいは変化して新たな方向に突き進むか(勿論これらにはリスクも伴う)、
真価を問われる時期であり、前
2作で成功を収めたポリスとて例外ではなかった。彼等はあえて後者の道を選んだ。
しかし、極度のプレッシャーとワールドツアー真っ只中という超ハードスケジュールの狭間にあった
彼等は、ビートルズで例えると「Beatles For Sale」の頃の環境に近かったのかもしれない。
そういった中、このアルバムはオランダでレコーディングされ(一部日本でもされたらしい)、予定通りリリースされた。
結果は全世界で大ヒットを記録、特に本国イギリスにおいては、アルバム及びシングル「高校教師」共一位を獲得し、
更にこの年の年間チャートにおいても両者は一位を獲得するという(レコード・ミラー誌)まさにこの年はポリスの年であったと言える。

日本においても、2度目の来日公演が行われ、記念盤として「ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダダダ」の日本語ヴァージョンがリリースされるなど、
人気はピークに達した感があった。

しかし、評論家の間では発売当初から意見は賛否両論真っ二つに分かれ、
後に本人達でさえも(特にスティング)このアルバムの出来にはやや不満足のような意味合いの発言をしており、
現在ではポリスの歴史上においては過渡期の作品として、一般的には捉えられている現状である。

果たして本当にそうなのだろうか?

リアルタイムで当アルバムを体験した立場から振り返ってみたい。

賛否両論の内否定的な意見は、だいたい以下のようなものであったと認識している。

@
曲が良くない(これが圧倒的に多かった意見)、つまり単調な曲ばかりである。
A ヴォーカルが無機質で、前2作にあったほとばしる熱さのようなものは微塵も無い。
B 歌詞の内容が変わった。
C インストが2曲も入っている。ようするにネタ切れということか?           等々

これを見て気付くのは、演奏そのものに関しての否定的な意見は、殆ど聞かれないという事である。

実際、当時私の周りでもこのアルバムを境にポリスから離れていった友人がいたが、彼も「演奏は悪くないんだがなぁ〜。」と言い残し、
去って行ったのを思い出す。ちなみに奴はポリスのファンを辞めたあと、マイケル・シェンカーに走っていった。
()
では、本当に曲は良くないのか? 答えはNOである。
ソングリストを見ていると、現在のスティングにおいても重要な位置を占める曲が実に多い事に驚く。
というより捨て曲が殆ど無いではないか!!
昔のライナーノーツのように1曲づつ検証してみよう。

1.「高校教師」
1弾シングル曲。はっきり言って私はこの曲には衝撃を受けた。
暗〜い
Aメロから入り、突如明るいんだか、なんだか良く分からんサビに差し掛かる。
そしてまた暗〜い
Aメロに戻り、そして再びサビの訳が分からんメロディ。
どれが主旋律なの?と言いたくなる感じ。とにかくフルコーラス聞き終わった後も何がなんだか分からん感じがしたのが第一印象であった。

しかし、恐ろしいのはこの後である。そのサビのメロディが頭の中でずっと繰り返し鳴り続くのである。
2回目に聞く段階で私は既にハマってしまっていた。() 
それは何百回か聞いた今でも同じ。ポリスの楽曲の素晴らしい理由の一つに、
飽きが来ないことが挙げられるが、この曲は、正にその代表格であろう。名曲です、名曲。

A
メロのメロディはその後、「シンクロニシティU」のイントロで、
また「
Money For Nothing」等でも聞かれるように、スティングの有名なリフともなった。
86年の再録ヴァージョンは、キー、メロディ、アレンジ等大幅に変えられ、実にロマンチックに歌い上げる仕上がりになっているが、
この曲の本来の魅力はこんなもんじゃない。あの、訳分からんところが良いのです。
()

2.「世界は悲しすぎる」
初めてスティングが現代社会をシリアスに捉えた歌詞として話題になったが、
英語がよく分からん私にとってそんなことはあまり興味なかった。
(失礼) 
スティングがソロになってからでも、この曲を取り上げる程、彼のお気に入りの曲でもある。
この曲の魅力はスティングのうねるようなベースラインと(当時よくコピーしたなぁ)、アンディの透明感溢れるギターの音色に尽きる。
この音色こそ代表的なアンディの音であるが、
その後このスタイルはこぞって色んなギタリスト達にパクられ、結果、
80年代を象徴するサウンドとなった。
また、冒頭のスチュワートのドラムプレイはそっくりそのまま、
82年のツアー以降の「孤独のメッセージ」の冒頭に流用されるなど、スチュにとってもお気に入りだったのだろう。
そして特筆すべきは間奏のアンディの短いギターソロである。 これは彼の生涯のプレイの中でも12を争う名演だと思う。
今聞くと彼のソロ作品でも見られるアバンギャルドな面とも繋がり、納得出来るのだが、
当時は
2年後にあのロバート・フリップ氏と共演するなんて夢にも思わなかった。
(かたや70年代プログレの中心人物、かたや80年代ニューウェーブのブライテストホープだったからねぇ。)
ま、要するにこの曲も名曲だと私は言いたいのです。()

3.
「君がなすべきこと」
前曲の「世界は悲しすぎる」からメドレーのような形でこの曲が始まる。
この辺りの展開が、単調という印象を持たせたのであろう。
何故なら前の曲と全く同じギターの音色、ベースに至っては最初から最後まで、ず〜っと同じリフの繰返しだからである。
しかし、この曲はスティングがソロがなってから「ブリング・オン・ザ・ナイト」とのメドレーでコンサートのハイライト部分に使用し、
それ以後評価が変わったようだ。

実にファンキーである。当時私はこの曲のベースラインもコピーしようと試みたが、どうしてもこのグルーブ感まではコピー出来なかった。
尚、この曲はカナダでのみ第2弾シングルとしてカットされた。(B面は「果てなき妄想」)
そして20年経った今年、それも今月の17日にイギリスでこの曲のリミックスがリリースされるという。

これはもともとクラブシーンで大ヒットしてたらしいが、ハーフオフィシャルのような怪しい発売形態だったので、
改めてマイルスのArk
21系列から出す事になったらしい。ひょっとすると、これがまた大ヒットしたりして。
結論、これも名曲である。()
それと、この曲のカバーヴァージョンについて触れておくと、ウェンディ・モートン(I.R.S.所属の女性シンガー)によるものがお勧めです。

4. 「カナリアの悲劇」
暗いトーンの曲が続いた後に突如明るい(というより能天気な?)曲が登場する。
しかし歌詞はシリアス。当初は「炭坑のカナリア」という邦題が予定されていた。

日本では何かのバーゲンのテレビCMに使われていた記憶がある。(ちょっとエッチだったよ。)
個人的には大好きな小品。16分割のギター・カッティング(もしかしたらディレイを使ってる?)が実に心地良い。
ビデオ「アラウンド・ザ・ワールド」の中のリハーサルシーンを見るとこの曲のベースラインは既に完成していた事が確認でき、興味深い。

名曲ではないかもしれないが、こういう曲もあってこのアルバムはバランスがとれているのであろう。
尚、この曲も当初シングルカットの予定があったらしい。
88年にイギリスで出たポリスの限定マキシCDCompact Hits」にこの曲が収録されてるのは、その辺りの名残かと思われる。
その後、95年にアメリカでベスト盤「Every Breath You Take The Classics」が出た際、
「孤独のメッセージ」とのカップリングで遂にシングル発売された。
但し7インチのみ)

5. 「果てなき妄想」
さて問題の曲である。ある意味、この曲が当アルバムのカラーを象徴しているかもしれない。
とにかくこの曲こそ、最初から最後まで同じ繰返し、ヴォーカルも遥か彼方で反復しているのである。
しかし、しかし、これもどんどん引込まれていくのです。スチュのリズムも、一聴単にリズムを刻んでるだけのようだが、
よく聴くと徐々に盛上っていくように微妙にパターンを変えているのが分かる。

そして、例のスティングのシャウト「チョッ! チョッ!」で完全にヤられる。
加えてこの曲は、2度目の来日公演に言った人達にとっては忘れることの出来ない曲でもある。
このアルバムのツアー以降、彼等はこの曲をコンサートのオープニングに使用した。
コンサートで使用されたのは、テクノポップのようなアレンジを施した別ヴァージョンであるが、
私が行った大阪公演(
at大阪フェスティヴァルホール)ではレコードと同じヴァージョンを使っていた。
ライトが落ち、この曲のテープが流れる。暗闇に3人の人影が現れ、会場は沸く。
そこにスチュのドラムが、テープで鳴ってるこの曲にオーバーラップしてゆくのである!!

うおおおおおおぉぉぉぉ〜〜〜 !!

もう一度見たいよぉ〜〜 !!
この曲はビートルズ世代の人に例えるなら、「ミスター・ムーンライト」のような存在だと思う。
(ビートルズの武道館ライブの特別番組で真夜中の首都高速を抜ける
パトカーのシーンにこの曲冒頭のジョンのシャウトが流れた、あの感じ。)

よってこの曲も絶対外す事の出来ない重要な曲です。
95年にポリスのライブ盤がリリースされ、
そこからシングルカットされた「キャント・スタンド・ルージング・ユー」のカップリングにこの曲のリミックスが数種収録されたが、
この中では
やはり元の音源を最大限に引き出した「Classic Mix」がお勧めです。

6. 「ボムズ・アウェイ」
アナログで言うA面のラストを締めくくるのは、スチュワートによる作品。
当初予定だった邦題は「ボンベイの爆発」だった憶えがある。(だっさー)
最初聴いた時は、このアルバムの中では比較的前の2作の路線に近い印象を持った。Aメロ、サビもハッキリしているし...
しかし聴いてるうちに凄さを感じたのはスティングのベースだった。
あのグルーブ感は何なのだろう? これを聴くとスチュとスティングはホント最高のリズム・セクションだなぁ、とつくづく思う。
間奏のアンディのギターソロも良い。ポリス加入直後の時期にメンバー全員で参加した、
ドイツの前衛音楽家エバハルト・シェーナー
(蛇足だが彼は
1970年の万博でドイツ館というパビリオンで演奏する為
日本に来てたらしい)のアルバムに入っている「
Code Word Elvis(名曲です)
でのソロにも通じるプレイである。エバハルトの話が出たのでついでに言っておくと、
アルバム「創世記」にはスチュワートは参加してません。理由は次の通り。

「創世記」はドイツでのオリジナルアルバム「Flashback」と「Video Magic」の2枚からピックアップされ、
リミックスされた編集盤であるが、この内スチュ坊が参加したのは「
Flashback」の方のみ。
「創世記」に収録されている「
Flashback」からの曲は「ライン・ボウ」1曲だけで、しかもこの曲にはドラムが無い。以上。

7. 「ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダダダ」
アナログではB面トップを飾るこの曲は、発売当時の時点で彼等の最高傑作と評する人も少なくなかった。
それ程この曲はアレンジ、メロディ共申し分ない出来で、スティングのソングライターとしての力量をまざまざと知らしめたのである。
当時初めてこの曲を聞いた印象は逆にポリスの中では異質な感じがした。こんなに
POPで良いのか?てな感じ。
しかし今思うとスティングの現在の作風の布石とも感じられる。
言葉について歌われた曲というのは有名で、〜
Do Do Do...〜 のくだりについては色々な所で語られているが、
スティング曰く、「ダ・ドゥー・ロン・ロン」
(クリスタルズ)や「トゥッティ・フルッティ」(リトル・リチャード)で聴かれるフレーズ等の、
言わばポリス版ということらしい。
この曲で印象に残るのは、日本語ヴァージョンも勿論だが、なんと言っても、
「夜のヒットスタジオ」への出演〜口パク事件に尽きる。詳しくはムーランさんのコラムを参照されたし。

結論、この曲も名曲でしょう。(笑)

8.
「ビハインド・マイ・キャメル」
アンディによるインストゥルメンタル作品。グラミー賞で最優秀ロック・インストゥルメンタル部門を受賞。
日本でのみ例の「ドゥ・ドゥ・ドゥ...」日本語ヴァージョンのシングルのカップリング曲として、収録された。
シングルカットされた理由はおそらく、当時サントリー・ウイスキーのテレビ
CM曲に使用されていたからだと思われる。
(「笑点」を見てたら必ず見れたよ。あまり話題にならなかったが...)
これも第一印象は奇妙な感じがしたが、今聴くと実にアンディらしい作品だねぇ。大好きです。
尚、プライマスによる同曲のカバーも必聴、完コピです。しかし彼等がこの曲をカバーする動機として深い意味は無かったようだ。
最初ポリスの別の曲を試みたそうだが、
思ったよりスティングのヴォーカルパートが難しかったので、断念しインスト曲を選んだ、ということらしい。
()

9. 「スーツケースの流れもの」
これはPOPな作品。この曲の前後に入ってる曲が重い雰囲気なので、余計にそう感じる。
全体的に暗いトーンを占める(アナログの)B面の中で、この曲でバランスを保っている。
間奏のスティングのベースラインは「Peanuts」のベースリフを思い出した。
これも好きな曲です。ライブにおいては曲が進むにつれ、どんどんテンポアップしてゆく危うさがたまらなかった。

10.「シャドウズ・イン・ザ・レイン」

さてさて、このアルバムの評価を低くしてる最大の原因はこの曲ではないだろうか?
本アルバム中、最もレゲエ色が強い曲であるが、本家のレゲエと違ってとにかく無表情。
アレンジも延々と繰り返しのパターンで、しかも5分を越える長い曲なので、初めて聴いた時は正直退屈極まりなかった。
2
度目の来日公演の後、武道館でのライブがNHKでオンエアされ、今も大事に持っているが、
この曲についてはやはり同じ印象で、よく早送りをして次の曲にとばしたものだ。
(またまた失礼)

ところがスティングはソロデビュー盤「ブルータートルの夢」でもこの曲を取り上げる。

本人としては重要な曲だったのであろう。
そこで聴かれたアレンジは、オリジナルヴァージョンの欠片もなく、見事にアグレッシヴな仕上りに生まれ変わったのである。
(ブルータートル・ツアーでのオープニング・ナンバーにもなった。)
メロディも悪くない。後で知った事だが(前にも書いたが)、
当初からスティングはこのアレンジで演りたかったらしいが、他の
2人により却下され、
あの延々と続くリズムの反復アレンジが採用された訳である。つまり、意図的にリズムを強調した無機質なアレンジにしたという事である。

そう、このアルバムの狙いはリズムの追求か?と、ここで初めて気付いたのである。
まあ、それでもこの曲については、圧倒的にスティングのソロの方のヴァージョンの人気が高いようである。
私もどちらか言うと同意見かな?
むしろ、エンディングのアンディの中途半端なギターリフから、
次の曲への流れが好きだったんだよなぁ〜...(これも以前言ったか?)


11.
「もう一つの終止符」
ということで、前の曲から流れ込むようにこの曲が始まる。アルバムの最後を締めるのは、
やはりスチュワートの曲だった。しかも今度はインストである。
アンディの「ビハインド・マイ・キャメル」とはまたガラリと変わり、こちらは完全なスチュ坊ワールドである。
本アルバムがスチュワート色が強いと言われる所以はこのソングオーダーにもあるかもしれない。
当時の日本盤の発売はアルファレコードで、
宣伝帯やシングル盤のキャッチコピーにはよく「ポリス・ビート」という言葉が使用されていたが、
この曲は正にその典型であろう。私は
1回目に聴いた時から気に入ってしまった。
日本で同時発売されたスチュの変名プロジェクト、
クラーク・カントのアルバム「ミステリアス・デビュー」に収録されている「オフィス・トーク」とも対を成す素晴らしいロック・インストである。

以上がアルバムに収められた曲についての私の意見だが、楽曲が悪くないということは、これを見てもお分かりであろう。
後に入った情報で、このセッションから「アイ・バーン・フォー・ユー(君に夢中)」がボツになった事、
更には後年リリースされた「ロウ・ライフ」もこのセッションからボツになった作品である事が分かった。
(「ロウ・ライフ」については、共同プロデューサーがH・パジャムではなく、N・グレイであることからの推察) 
共に、現在のスティングの音楽性に近い楽曲があえて外されている点から考えても、
本アルバムではあえて意図的にメロディアスなものを排除し、様々な要素のリズムの追求がコンセプトになっているものと思われる。


当時のロックシーンを振り返ってみると...

本アルバムとほぼ同時期に、トーキング・ヘッズは名盤「リメイン・イン・ライト」を発表している。
こちらも、アフロ・ビート等アプローチの内容の違いはあれど、リズムを追及したサウンドが聴かれた。
デイヴィッド・バーン同様、鋭い音楽アンテナを持つポリスの面々も次に求められるべき事をしっかり把握していたのであろう。

この後、リリースされる同世代のライバルバンドの新譜はこぞってこのリズムアプローチを支持した。
「ジャパン/孤独な影」しかり「ブームタウン・ラッツ/モンド・ボンゴ」、「クラッシュ/サンディニスタ!」しかり...
音楽性がそれぞれ違う上、クラッシュ等はポリスの批判もしていたが、この現象は単なる偶然とは思えないのである。
この時代、ポリスはまさにロックシーンのイノヴェーターだったように思う。(そう言えば、次作「ゴースト・イン・ザ・マシーン」が出た後も、
他のアーティスト達の新譜にやたらホーンセクションを導入したものが多く、笑ってしまった記憶がある。)

「リメイン・イン・ライト」が未だにロック史上に残る名盤として君臨しているのに対し、
この「ゼニヤッタ・モンダッタ」の評価が今イチなのは何故か?


私の考える理由として...
一つは 後年、それ以上のモンスター・アルバム「シンクロニシティ」を出してしまったこと、
そしてもう一つは、やはりスティングを始め当人達が気に入っていないような発言が方々で聞かれるからだと思われる。
これらがなければ、今頃評価はもっと違ったものになっていたかもしれない。

具体的にスティングが気に入らなかったのはアレンジ面だと言われている。
86
年の再レコーディングに選んだ曲が「高校教師」と「ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダダダ」といずれも本アルバムからの楽曲だった、
という事でも裏付けられる。

スティングは当時の雑誌のインタビューで、「ゼニヤッタ・モンダッタ」はややオーバー・プロデュース気味だった、と回想しているが、
このオーバープロデュースというのは、やはりリズムへの執着を強調した点であろうか?

(ひいては、スチュ坊色が強すぎた、ということになるのかな?)
しかし、そう考えるとこれは個人的な問題であり、スティングはこの時期、
既に将来来るべき自分の音楽に目覚めかけていたのかもしれない。
その辺のギリギリのバランスがアレンジ面では「世界は悲しすぎる」、
ポップ面では「ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダダダ」辺りだったのではないだろうか?
しかし、それらの中でも突出して「高校教師」は見事だねぇ〜。
と言う訳で、結局何がなんだかよく分からん文章になってしまったが、言いたかった事はただ一つ。

「ゼニヤッタ・モンダッタ」はやはり名盤である、もっと再評価すべきだ!! ということである。