このページはパラダイス&ランチに迷い込んだ熱烈なポリス・ファン達が
バンドへの愛情、お気に入りのアルバム、お気に入りの一曲、について投稿してくれた記事を掲載していきます
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・ 『...all this time』一考@、A、B ・ 「ロクサーヌ」一考 ・ 私は『GOLDEN WIRE』と『WORLD GONE STRENGE』がお勧めです ・ GEMINI(初期ポリスの考察) ・ 昔ばなしの花(ポリスが出演した夜ヒットを回想する) ・ 「Does Everyone Stare」の考察 ・ 盗賊編(初期ポリスの考察) |
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投稿者 U&MYさん 投稿タイトル 「...all this time@AB」 投稿日 2001/12/14 | |||||
トスカーナ・ライブでは久しぶりにジャズ・ベーシストを起用していますが、これが『...all this time』を決定づける一つのポイントの様に思います。と言うのも青亀バンドでのダリル・ジョーンズ起用とは多少その意味合いが異なる様に感じるからです。スティングのベースプレイの特徴はゴムボールが弾む様な小気味良いミュートによるグルーブ感ですが、本質はどちらかというとメロディー&ハーモニー重視でしょう。あくまで曲全体のアンサンブルを考えた上で一番効果的なベースラインを選択している筈です。ポリス時代にオスティナートを多用していたのもリズム的な理由ではなく、主旋律を際立たせる為の方法論だったと思います。対して青亀バンドではリズムのアクセントをより強調したかったのではないでしょうか?リズムを強調する為にはアクセント部分にベースをユニゾンさせる必要があります、特にオマー・ハキムの様な2拍、4拍をビシビシ決める様なタイプのドラマーには“点”でベースを合わせざるをえません。これはさすがに卓越したベース奏者でもあるスティングにとっても(ボーカルをとりながら)至難の技だったのでしょう。その為にダリル・ジョーンズを起用しブラック・ミュージック特有のビシバシ・ビートを造りだしただったのでしょう。つまり青亀バンドはスティングから黒人音楽に歩み寄った(ソング・ライティング面ではありません。)バンドだったと言って良いと考えます。 では、トスカーナ・ライブでのクリスチャン・マクブライドの起用はどうでしょうか? アコースティックな雰囲気を創り出す為だけだったのならスティングがMTVアンプラグドのようにウッド・ベースを弾きながら歌っても問題はなかった筈です。にも拘わらず当代随一のテクニシャンを起用したのはこのバンドの目的が卓越した技量の持ち主のミュージシャンによる即興演奏ではなくスティングの“歌”だからでしょう。その為スティングは完璧な音程を誇るクリスチャン・マクブライドを起用し自身は“歌”を歌う事に専念したと推測します。スティングの“歌”の為の演奏。それはクリスチャン・マクブライドがギミックはおろか高音部への動きも殆どなく基本プレーに徹している事から感じ取れます。青亀バンドの方法論でいくと派手なインター・プレイ等が飛び出して当然の筈です。しかし、このライブではクリスチャンだけでなくクリスもドミニクもジェイソンも自己主張のソロはとっていません。あきらかにスティングの歌を際立たせる為の演奏です。陳腐な表現を使うとスティングとそのバック・バンドという事になりますが、巷のその類の演奏形態と比べて白眉なのはスティングの“歌”を頂点に総てが完全に一体化している事です。 先に青亀バンドはスティングが歩み寄ったと言いましたが、『...all this time』ではスティングの“歌”に総ての演奏家が、あらゆる音楽要素モータウン、ブルーズ、タンゴ・・・いやスティング自身の音楽さえもが一つのパーツとして歩み寄った作品だと思います。そしてこれこそがハイブリット・ミュージックなのではないでしょうか。 最後に何度も何度も繰り返し聴いて感じた事を記しておきます。 いかにハイブリット・ミュージックとはいえプライベート・ライブの色彩が強い以上スティングの本質、趣味的要素が強く反映されている筈です。やはり『...all this time』の筋骨を形成しているのはスティング自身の音楽であり大動脈として流れているのはジャズだなと感じました。私はこのアルバムを聴く為に今まで何百というジャズCDを聴いていたのだなとまで思っています。 ...all this time @ 『…all this time』このアルバム・タイトルの持つ意味は、 シングル曲<ALL THIS TIME>をそのままタイトルにしたのでは無く、 同時多発テロで亡くなった人々と彼らを愛した人々に捧げる為に、 父の死に捧げたシングル曲<ALL THIS TIME>から “…all this time”という一節を引用したものだと思っていました。 (“…”と小文字表記がキーワードかな?) 故にこのライブ・アルバムはスティングの、 テロ事件で亡くなった人々への追悼であり平和への祈りであると信じていたのです。 しかし、BS2のライブ映像とインタビューを見た今は、それはちょっと違うなと思い始めました。 あまりにも生々しいライブ映像に対して純粋に音楽部分だけを取りだし編集したCD音源。 もしかしたら、亡くなった人々に捧げた平和への祈りは<Fragile>1曲だけだったのではないだろうか? スティングは、 音楽が政治問題や社会問題を解決する物理的手段に成り得ない事は百も承知だったのでしょう。 (過去においても環境問題等は自身の音楽表現の題材にはせず社会活動家として具体的に取組んだ。) だからこそMC部分をCDではカットしテロ事件の影響を削ぎ落とした。 ただただ、その後のチャリティーでこの曲を歌い続けるだけ。 今後もスティングはテロ事件に対して自身の音楽表現には使わず、 具体的な行動に出ようとするのではないでしょうか。 音楽を創造し演奏する事はスティングにとって(あらゆる音楽家)にとって最良の時間の筈です。 殊にこのアルバム(ライブ)はeijiさんがご指摘の様に、 スパースター=スティングというより生身のゴードン・サムナー氏よりの作品である筈でした。 気心しれた仲間たちと何度も何度も繰り返し歌った楽曲に新たな血、 新たな解釈を加える事をスティング自身が楽しむ。 だからこそ、それを喜んでくれるであろう人達だけを招待したのでしょう。 つまり同時多発テロ事件は、 このアルバム(ライブ)の単なる背景であると考えるべきではないでしょうか。 とは言え、 テロ事件の影響がこの日の演奏に恐ろしいまでの緊張感と感動を与えているのも事実でしょうが・・・。 ...all this time A このライブを聴くと、随分ポリスと遠い所に来てしまったなぁと感じます。 そして、よく今のスティングには「ポリス時代のような曲はもう書けない。」という意見も聞きます。 私もその通りだと思いますし、今後もポリス時代のような楽曲を発表する事はないと思いますが、 それはポリス時代のような楽曲を書けなくなったのでも、 書かなくなったのでもないというのが私の見解です。 言い方を変えれば、ポリス時代もスティングは現代のような楽曲を書いていた。 しかしそれはポリス・サウンドとしては採用されなかっただけだという事です。 ポリスのヒット曲、人気曲の殆どはスティングのペンによるものですが、 ポリス・サウンドを形成したのは、 スティングの書いた楽曲でもアンディーのギターでもスチュのドラミングでもなく3人の融合。 そう化学反応によるものなのです。 では、「『SYNCHRNICITY』のB面は?スティングのソロ色が強いのでは?」という事になります。 確かに一理ありますが、各メンバーが別々の方向性を示し始め一歩間違えれば混沌、 散漫に陥るところをギリギリのところで踏みとどまり繋がっている『SYNCHRNICITY』は、 ビートルズでいうと『ABBEY ROAD』で部類の完成度を誇るやはり典型的なポリス・サウンドなのです。 それは“アンディの名リフがあるから・・・”とかいった表面上の事だけでなく、 まさに不思議なSYNCHRNICITY(同時性)なのです。 故に、ポリス時代の楽曲と『...all this time』のニュー・アレンジを含めた最近の楽曲との違いは、 ポリスという存在に因する部分が大きく、決して歳月による成熟だけが理由ではないと思います。 したがって、 このライブは現代の(最新の)スティング・サウンドであると同時に、 原点であると考えて良いのではないでしょうか。 例えば<Roxanne>におけるタンゴ〜ジャズへと繋ぐアレンジは、 幼少から青年期におけるスティングの音楽体験の縮図なのではないかなと思います。 (実際は4拍子の方がアドリブをやり易いという理由からの変拍子でしょうが・・・。 それにしても、クリスチャンが4ビートを刻みだしてからのグルーブは格好良いですよね。) 私には<この曲はポリスの頃に書いた曲だけど、ポリスの曲じゃない。僕の曲なんだ。> そう言っている様に感じますね。 一方、<Every Breath You Take>。これは今までと殆どアレンジが変わっておりません。 それは、もはやこの曲はポリスの曲でもスティングの曲でもなく、 ファンの曲なのだと考えていてくれているからかなと思っておりますが、皆さんはどうでしょうか? |
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投稿者 @KIさん 投稿タイトル 「ロクサーヌ一考」 投稿日 2000/7/24 | |||||
「椿姫」と「ロクサーヌ」 デュマ・フィスの代表小説『椿姫』へのアンサー・ソング風に解釈した 「ロクサーヌ」のライナー・ノーツのつもりです(笑) 解説・・・ 「椿姫」で描かれているのは主人公青年アルマンの”ひたむきで純粋な愛情” その実、自分の思いが強すぎ、相手の事情などお構いなしのいわゆる自己中男です。 そんな理想化された恋愛小説(戯曲)を、スティングの感性がシニカルに批判しています。 対訳(自分語で訳してます) ロクサーヌ ウリなんてやるんじゃない そんなのは昨日までの過ちだ 今日は夜になって身体を売らなくていいんだ ロクサーヌ 今夜はもう、その服を着ることはないんだ 金のために通りを歩くなんて でも、間違っているのか正しいのかなんて気にもしないんだね ロクサーヌ ウリなんてやるんじゃない ロクサーヌ ウリなんてやるんじゃない ロクサーヌ、ウリなんてやめてくれ 知り合って以来ずっと好きだった 偉そうに説教するつもりは無いけど どう思っているのか話しておくよ 別の男と寝るところを想像するのは耐えられない そんな状況から救ってあげる事を心に決めたんだ だから、化粧を落とせよ 二度とは言わないから良く聞くんだ 「君のしていることは悪いことだ・・・」 ポリス時代のラブソングの根底にあるのは、描かれている主人公の傲慢でナルシストな側面、 プライドだけが高いくせに、気が弱くて面と向かって話も出来ない優柔不断さ、 ラブソングと言うには、あまりにも情けない情景。 しかし世の中、快活でさわやか系の男ばかりではないそんなリアルさも持ち合わせている、 そんな曲が多かったと思います スティングとしてソロ一発目の「セット・ゼム・フリー」は、 「見つめていたい」への回答だったという事ですが、 その実「ポリス」というバンドへの決別だった、という見方はうがち過ぎかな? (しかしポリスの曲もいまだに演っているし、バンドとは別れたけど曲は手放さない・・・なんちて) |
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投稿者 Klark Kentさん 投稿日 2000/05/01 投稿タイトル 「私は『GOLDEN WIRE』と『WORLD GONE STRENGE』がお勧めです」 |
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Andy父さんの作品の中では「Golden Wire」が最も彼独特のカラーが良く表現された佳作だと私は思います。Fripp先生との2つのデュオ作品のあと、86年のポリスリユニオンに失敗し、ここでポリスとは見切りを付けてソロで勝負しようと決死の思いで送り出したのが「XYZ」(1987)だったと思います。しかしこのアルバムはセールス的には大失敗に終ります。ヴォーカルが良くないとか、サウンドがポリスの影を引きずったフェイクの域を越えてないからだとか、理由は色々語られました。でもヴォーカルは決してうまいとは言えませんが、「Someone To Talk To」にも通じる実に味わい深いものだと私は思います。サウンドに関しても、ポリス的だというのは当然ギターの事を言ってるのでしょうが、ポリス・サウンドの重要なカラーを担ってたAndyが造るのでそんなのは当然の事でしょうし,大体「Every Breath You Take」のギターリフは誰が造ったと思ってんでしょうね?( Revolber誌 のインタビューでスチュ坊が、Puff Daddyのサンプリングに関してはむしろAndyに印税が支払われるべきだ、てなような事を言ってます。)でもそのサウンドも良く良く聞いてみると実は全然ポリス的でない事に気付く筈です。あの分厚いシンセといい、「Next To You」他でしかポリスではめったに見せないスライドギター(昔はしょっちゅうやってる)といい、やはりプログレ出身というかブリティッシュロックの裏(?)街道を25年以上も歩んできた彼の姿がそこには見られます。あと、シングル「Love Is The Strangest Way]のヴィデオ・クリップもAndyらしくて、とぼけた感じが良かったなぁ。では何故失敗したのか? 私なりに考えた理由として... @ POP アルバムとして捉えるとやや中途半端 A リズムの組立が甘い B 単純にスティングに比べてAndyは地味 @に関してですが、この間も触れたスチュ坊のAnimal Logic同様、この時期のAndyは、ポップシーン(いわゆるヒットチャート路線)にまだ未練が残ってたのではないでしょうか?(なみさんは"迷い"という言葉を使われてましたね)この時期のAndyは「ヴォーカルこそ最強の楽器である」というような今では考えられない発言をして、ヴォーカリスト&ギタリストとしてやっていく事を声高らかに宣言しています。しかし、ヴォーカルに関してはレコードはともかくライブでは酷かった!! この時期のツアーでは「XYZ」からの曲に加え、「Truth Hits Everybody」「Omega Man」「So Lonely」「Tea In The Sahara」等も彼のヴォーカルで披露しています。しかしヴォーカルに関してはスティングに及ぶべくもなく、不評を買い、それどころか、ヴォーカルの負担でギターワークも本来の力が発揮されてないように思われました。結果ツアーは途中でキャンセル、本人は「2度と歌わん」(笑)と相当懲りたようです。そういった中途半端さが認められなかったのでしょう。次にAですが、90年の「Charming Snakes」までは、Andyはドラマーを起用していません。打込みとそれらを補うパーカッションでリズムは構成されていて、それがポリスに慣れ親しんでリズムにはうるさくなった我々ポリス・ファンには特に物足りなく感じられました。んで、Bですが、これが案外本当の原因だったりして... しかし、この失敗がAndyをギタリスト一筋で行く事を決心させたようで、そういう意味ではこの失敗は良かったのかもしれません。んで、XYZ大失敗のショックを自ら癒すようにリリースされたのが「Mysterrious Barricades」(1988)です。当時ニューエイジミュージックという言葉が、ちまたに はびこってた頃で、この作品もそれらの内の1つだと捉えられています。レーベルがタンジェリンドリームのメンバーが設立したというのもあったのでしょうが、この時期Andyは彼等の前座としてツアーにまわっていました。(ヴォーカル、バックバンド一切無しで1人だけでアンビエント風なステージを展開していた)聞けば本当に眠りに陥りそうな環境音楽のような趣ですが、このアルバムでAndyは完全にポップシーンと縁を切ったと言って良いでしょう。スティングが自らをリハビリするのに「The Soul Cages」が必要だったように、Andyにとってはこのアルバムが必要だったと思います。 で、やっと本題に戻りますが、そういったリハビリを経てリリースされたのが「Golden Wire」(1989)です。ここで聞けるAndyは本来の自分のカラーを取り戻したようで実に生き生きしています。生き生きといってもアルバムは暗いじゃないか?と言われそうですが、あのジメジメした暗さと奇妙なコードワークこそがAndyたる所と私は思う訳です、うん。アルバムの中では、「A Piece Of Time」「Blues For Snake」辺りがベストテイクかな?これらは現在も彼のライブでは定番となっています。特に「Blues For Snake」の中盤のSaxと掛け合いのソロは素晴らしい!彼のヘタウマギター(私はそう呼んでいます。但しこれはソロに限ってです。カッティングは超絶品)の中では異彩を放った感がありますね。あと、eijiさんのようなプログレ狂の人達は、ラストのPink Floyd風の曲にニヤリとさせられるかも...また1曲Najima(彼女もこのアルバム後日本のCMにも出たりしてそこそこ話題になりました。)による「Piya Tose」には我々も癒される。でも、難を言えば、このアルバムもまだリズムの組立が甘いんですよねぇ〜。 クァ〜〜〜ッ、惜しい !! しかしここでAndyはこの反省(?)を生かしてドラマー、Chad Wakkerman(ex Zappaバンド、スチュ坊の影響大)をバンドに引き入れ、次作の「Charming Snakes」(1990)で完全復活するのである。 |
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投稿者 airheadさん 投稿タイトル 「GEMINI」 投稿日 2000/04/26 | |||||
□ "OUTLANDOS D'AMORE" それぞれ音楽的資質を備えていたものの、成功に飢えていた3人が集まり結成。THE POLICE名義で発表した最初のアルバム。当初の目的は世界制覇だった。援助交際、ストーカーの独白、生身の人間を愛せない男の話、孤独感、虚無感といったテーマが扱われている。当時流行していたPunk Rock的サウンドが聴かれるが、社会に対する強烈な批判などよりも、現代社会の中での個人的な負の感情に焦点をあてたものが多い。また、演奏技術の高さからか無難な印象を与える曲もあり、すぐに成功には至らなかった。 "SO LONELY" "NO WOMAN NO CRY"/BOB MARLEYの盗作ではないかと話題になる。コード進行は確かに同じだがPop Musicではよく登場するものであり、他の共通点はReggaeにアレンジされているということのみである。ところで、この曲ではTHE POLICEで珍しくANDYの長いGt.Soloが聴くことができる。派手ではないが雄弁なその内容に注目してみると、なにかANDYの人柄が伝わってくるようだ。それまでのRock Gt.における快感は多くの場合、拡大の快感だった。喩えが筆者の好みで申し訳ないが、それはホームランの快感であったり、盗塁の快感であったり、クロスプレーの快感であったと言い換えることもできるだろう。また、泣きのGt.Soloは交代を告げられた投手の背中であったり、こぼれ落ちた一球であったり、肉体的頂点を越えてなお再起を誓う選手の呟きかもしれない。しかし筆者がこの曲のGt.Soloに感じたものは、そのどちらにも分類できるものではなかった。全ての野球人がそれを「会話」と喩えて尊び、最後にそこに帰ってゆく行為がある。筆者はこのGt.Soloから、「キャッチボール」という言葉を連想した。余談だが、"UNDER THE BRIDGE"/RED HOT CHILI PEPPERS、"FOOK"/BLUES TRAVELERSともあわせて聴き比べてみると、四者四様で面白い。 "MASOKO TANGA" 強力なDr.Ba.は、THE POLICEのルーツとしてよく指摘されるReggae/Jazz/Funkといった英語圏でよく聴かれるものよりも、Latin/African Beatを感じさせる。Gt.は終始バックビートを鋭く刻み、呪文のようなVo.、コード感を排したKb.、逆回転効果音…など、Rockがそれまで音楽的拡大の過程において光を当てなかった、または目をそらしてきた部分に正面から向き合うような内容である。聴き手に対し、邪教の儀式に紛れ込ませたような、聴き手自身の死体写真をつきつけるような、奇妙な錯覚/トリップ感を与えている。この曲がフェードアウトする少し前、一瞬だが次作2曲目"REGATTA..."を匂わせるようなコーラス/コードが顔を出す。"REGATTA..."の意味を考えさせるような演出だ。そこへの伏線とも取れるし、このアルバムに収録できなかったことへの3人の気持ちを代弁しているようにも思える。なぜTHE POLICEはこの曲を演奏しなければならなかったのだろうか。次作の意味を探る上でも触れておきたい。それはPunk Rockの衣を借りながら社会に対して否定の声を上げず、敗者の言葉を紡ぎ続けたTHE POLICEが最後の最後に放った、Punk Rockを含めた西欧文化/社会への強烈な否定であり、そこからの脱却を宣言/祝福するものだからである。この1曲があるからこそ、このアルバムは価値があるのではないか。 □ "REGATTA DE BLANC" 前作で商業的成功を得られなかった彼らはすぐに次の行動を開始した。STEWARTの実兄であるMILESが3人に与えた戦略は「最小で最大」。最初の全米ツアーは1日20ドルの経費で1回200ドルのギャラを稼ぎ、みすぼらしいワゴンでの移動というものだった。しかしこのツアーから火が付き、遅ればせながら1作目のアルバムからヒット曲が生まれた。そんな時期に録音されたこのアルバムは、"SYNCHRONICITY"とならんで彼らの最高傑作にあげられることが多い。とりあげられている題材は前作と変わらないがいくぶん寓話的表現になっており、さながら小気味良い短編小説集のようだ。また、後述するがもう一つの1st Albumといえるだろう。 "REGATTA DE BLANC" 前作収録"CAN'T STAND LOSING YOU"の間奏部分を発展させたインストゥルメンタル、とされている。言葉にする無意味さは承知しているが、あえて冒頭部分から再現してみた。Dr.ハイハットの導入部分に続いてGt.のささやくようなトーンのアルペジオが、僕がついているよと目配せをする。よし、とばかりに駆け回るリムショット。再びGt.が登場し今度はBa.に呼びかける。たくましく後押しするBa.と、ぴたりと息をあわせてしっかりとした足取りのバスドラムがGt.に答えて登場する。つぶやくようだったVo.が、ついに感極まって雄叫びをあげる。充分な加速をした後、今度はBa.の合図で次のパートに点火される。Dr.とBa.は一転して基本的なパターンで、今度はGt.が天を駆け巡る。その広がりを強調するのは鋭く空気を切り刻むVo.だ。Gt.は充分に遊んだあと優雅に翼をとじて、最小音符のざわめきを響かせながらDr.とBa.の列に加わる。替ってCho.が登場しドライブ感あふれるクライマックスを予感させる。聴き手が自身を初めて意識するのはこの後だ。Dr.Ba.Gt.Cho.がさまざまなパターンを披露し五感を挑発する。さあ、次は聴いている君だといわんばかりだ。聴覚の渇望感が頂点に達したのを見計らってクライマックスが訪れる…… "DEATHWISH" 月と太陽。破壊と創造。"CAN'T STAND LOSING YOU"と"THE END"/THE DOORS。水と火。過去と未来。外と内。愛と憎しみ。ChordとRhythm。白と黒。グッドトリップとバッドトリップ。法と混沌。UとI。現実と空想。砂漠と森。戦争と平和。空間と時間。男と女。WordとMusic。悪魔と天使。光と影。賛成と反対。眠りと目覚め。王様と奴隷。左と右。喜びと悲しみ…そんなことを考えながら、主人公は死の誘惑に酔う。 "NO TIME THIS TIME" ライブでは好んで演奏しながら、ここまで2作のアルバムに未収録だった"LANDLORD","FALL OUT"という曲がある。それらと同じくストレートなPunk RockナンバーでTHE POLICEの初期のライブの空気を伝える好演奏の一つである。Dr.は余裕を感じさせながら、なおかつ押さえ切れないパワーを爆発させる。Gt.はワイルドでありながらもヴァイオリン・トーンが美しい。Ba.はそれらをしっかり支えVo.に嘘はない。一体、誰が文句を言える?1,2作目のアルバムの締めくくりとして、あえて3人はこの曲を選んだ。 彼らの視線の先には、すでに次のアルバムがあったのだろう。 □ GEMINI - splitted 1st album of the imitated Punks ここでもう一度彼らが登場した頃の状況にふれてみる。当時流行していたPunk Rock/movementは50年代のシンプルなRock'N'Rollへの回帰/復権ともいわれるが、本当にそうだったのだろうか。 Rock'N'Rollにはもともと決りごとはなかった。CHUCK BERRYはBe Bop以前のSaxのようなリードを交えたC&Wスタイルのギタープレイを披露し、大きな眼鏡をかけた知的な風貌のBUDDY HOLYは恋の歌で荒々しくギターをかき鳴らした。ELVIS PRESLYは一流のミュージシャンを従え卑猥な腰の動きを披露していた...それがどうだ、いつのまにか髪は長髪でなくてはならない、ギターは59'Les Paulでなくてはならない、チューニングは正確に、ピッキングは正しくアップダウンでBluesへの目配りも忘れずに...いつのまにかできてしまったそんな決りごとを吹き飛ばしたのがPunk Rockではなかったのか。 現在振り返ってみるとRock'n'Rollの黄金期は意外と短く、ほんの数年で甘ったるいPop Songに王座を開け渡してしまっている。しかしPunk Rockはそれよりはるかに短い期間でマニュアル化が進み、当初の目的を見失ってしまった−ボサボサの短髪を染めて黒の皮の上下に安全ピン、唾を吐きながら社会への不満をがなりたてろ、演奏の方もPunk Rock登場以前と違うだけで大同小異−決りごとを破るやり方に決りごとを作って、観客の不満をエネルギーをえさに食いつなぐ方法を見つけてしまった。多くのバンドが無法者のように振る舞うことで安定した生活を送っていたのである。THE POLICEはそんな時期になってやっと登場する。 彼らのアプローチは周りとはまったく違ったものだった。Rockかくあるべしという決りごとにとらわれずさまざまな音楽に(当然その時流行していたPunk Rockからも)素材を求め、ライブでは過剰なエネルギーと演奏能力でそれらを吐き出した。そこにはそれぞれに対する敬意と批判精神があり、彼ら流のRock'n'Rollともいえるだろう。しかし多くのバンドと観客がすでに作ってしまっていた決りごとからは外れることになる。彼らは演奏能力が高いのは不純であるという迷信に取憑かれてさえいた... THE POLICEはえせPunkでも何でもなかった。えせPunkがこんなのPunkじゃないと言っただけの話だ。まして"ROXANNE"でのVo.Gt.のトーンだけでReggaeと言ってしまう連中に指摘される筋合いはない。三人は1st album"OUTLANDOS D'AMORE"に収録されている曲に関し一片の後悔も無いに違いない。これはその後のライブでも、それらをほとんどアレンジせずに好んで演奏していたことからも推測できる。一方でアルバム収録に際し、ライブでの演奏のエネルギーを再現するのには失敗している。唯一それに成功したのがPunk Rockから最も遠い曲の一つ、"MASOKO TANGA"だったというのは皮肉としか言いようが無い。それを受けて作られたのが2nd album"REGATTA DE BLANC"ではないだろうか。 このアルバムでは数曲に前作との関連が見られ、さらに多くの曲に音楽的技巧が遠慮なく発揮されている。それを前作でやり残したことを取り戻そうとしているようにも取れるが、むしろ前作である程度意識していた「決りごと」に見切りをつけた開放感から来るものと考えられる。最も象徴的なのは2曲のインストゥルメンタル、"MASOKO TANGA"と"REGATTA DE BLANC"ではないだろうか。ひたすら既存の音楽を否定し混沌に向かう前者と、しっかりとした構成で音楽を奏でる喜びを賛美する後者。しかしここで後者は前者を否定するものと考えてはいけない。両者があってやっとTHE POLICEは出発点に立つことができたのではないだろうか。 "IT'S ALRIGHT FOR YOU"のPunk RockのフォーマットにのっとりながらもPunk Rock的でない冷めたトーン、"NO TIME THIS TIME"の押しつぶされたようなサウンドメイキングを、私は彼らなりのPunk Rockへの皮肉/決別/勝利宣言と受け取った。遠回りになったが、"NEXT TO YOU"のやや背伸びしたような演奏(これはこれで嫌いではないのだが)から、やっと自分たちの音を見つけることができた。"OUTLANDOS D'AMORE"、"REGATTA DE BLANC"はともに彼らが自らの原点を確立した瞬間であり、彼らの1st albumといえるのではないか。 |
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投稿者 ムーランさん 投稿タイトル 「昔ばなしの花」 投稿日 2000/04/26 | |||||
・・・さあ、咲かせましょ。 その昔、「夜のヒットスタジオ」にPoliceが生出演したよねえ。(これもゼニヤッタ・モンダッタが出た直後の2度目の来日の時だった)司会が井上 順と芳村真理の頃で、その時一緒に出演したのが千 昌夫にざ・ぼんちなどというとんでもないメンツ。井上 順の「ポリスです!」というコ−ルとともに、大騒ぎしながら3人が登場。スティングはなぜか持参してきたサックスをブヒブヒ吹きまくっておどけてばかり。スチュワ−トは、インタビュ−など何処吹く風で、「ゼンブデ・イクラデスカ?」など憶えたての日本語を披露するばかり。時間いっぱい続けられる悪ふざけの数々。しまいにゃ、千 昌夫に「イギリスのぼんちだよ−」などと言われる始末! ・・・その後、いよいよポリスの出番。しかし、相変わらず悪ふざけを続ける3人に、遂に芳村真理の「演奏がどの程度か、とっても楽しみです!」などという、この世のものとは思えぬ暴言が飛び出すに至る。「この大馬鹿ものが!」と芳村真理に怒りをカンジつつ、「さあ、この馬鹿どもに、オマエらの凄さを見せつけるがいい!」と、演奏が始まるのを心底期待していた・・・ら!始まった「De Do Do Do・・・」はなんだよ!口パクでやんの!レコ−ド流してるだけ!で、メンバ−はと見ると・・・スティングはベ−スも持たず、相変わらずサックス握ってるし、(しかもところどころで吹いてやがる!音は当然流れず)スチュワ−トはドラムセットに座らず、立ったままでスティック振り回してる。唯一、アンディだけがお馴染みのテレキャス抱えていかにも弾いてる風な演技を・・・(ただし、ギタ−からはコ−ドが伸びていない・・・)最後はスティングの悪意に満ちたニヤケ顔のアップの画面をバックに曲はフェ−ドアウトしていった・・・結局、最後の最後まで、ヤツら悪ふざけしてるだけだった。 俺は・・・笑った!「わはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」かなり落胆したヤツらもいたようだったけど、俺にはかなり痛快にカンジられたんだよなあ。もう、口パクだってんで、それを逆手にとったあの態度!いかにもヤツららしいなあと・・・ただ、そのあと出番だった千 昌夫がその時歌った”味噌汁の歌”のセリフのところで、「にゅ−うぇ−ぶ?なんだそりゃ?」みたいな事をアドリブかましてたのにはかなりあきれました・・・で、当時ホ−ムビデオなんちゅうもんがまだなかったんで、ム−ランはこの模様をカセットテ−プに録音し、それを今だに所有してるんだとさ!・・・おしまひ |
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投稿者 なみさん 投稿タイトル 「Does Everyone Stare の考察 」 投稿日 2000/04/22 | |||||
“リフレイン”は、スチュワートがよく使う手段で、Darknessなどはその顕著な例だと思うが、Does Everyone Stareでの最大の特徴は、周囲との温度差をうまく利用していることである。つまり、冷静さが逆に際立つ、と言うことだ。際立つ故に曲を成す重要部分となり、しかしながらその構造は極めて単純、という、まさに彼らしい逆説的な哲学がここに明示されているのである。また、カデンツにこだわらないコード進行も、この曲を印象的なものにしている。スチュワートが手がけたPOLICEの曲としては最も完成度の高い作品。2rdアルバムに収録。 |
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投稿者 Airheadさん 投稿タイトル 「盗賊編」 投稿日 2000/04/12 | |||||
"OUTLANDOS D'AMOUR" それぞれ音楽的資質を備えていたものの、成功に飢えていた3人が集まり結成。THE POLICE名義で発表した最初のアルバム。 当初の目的は世界制覇だった。援助交際、ストーカーの独白、生身の人間を愛せない男の話、孤独感、虚無感といったテーマが扱われている。当時流行していたPUNK ROCK的サウンドが聴かれるが、社会に対する強烈な批判などよりも、 現代社会の中での個人的な負の感情を扱っている。また演奏技術の高さからか無難な印象を与える曲もあり、すぐに成功には至らなかった。 "SO LONELY" "NO WOMAN NO CRY"/BOB MARLEYの盗作ではないかと話題になる。コード進行は確かに同じだがPOP MUSICではよく登場するものであり、他の共通点はREGGAE MUSICであるということのみ。この曲ではTHE POLICEで珍しくANDYの長いGt.SOLOが聴くことができる。派手ではないが落ち着いてかつ雄弁な内容に注目したい。ここにも既存のROCKとは1歩距離を置いたTHE POLICEの個性が見られる。余談だが、"UNDER THEBRIDGE"/RED HOT CHILI PEPPERS、"FOOK"/BLUES TRAVELERSとも比べてみると四者四様で面白い。 "MASOKO TANGA" 強力なDr.,Ba.はTHE POLICEのルーツとしてよく指摘されるREGGAE/JAZZ/FUNKといった英語圏でよく聴かれるものよりも、 LATIN/AFRICAN BEATを感じさせる。Gt.は終始バックビートを鋭く刻み、呪文のようなVo.、コード感を排したKb.、逆回転効果音…など、後期の音楽的広がりを予感させる演奏。この1曲だけでもこのアルバムを聴く価値がある。 |