黒澤哲二のページ


1.私の描いた絵


 岡田有希子(佐藤佳代)さんを知るために絵を描きました。佐藤佳代さんは中学校のときに芸能の道に進むべきか、画家の道に進むべきか、真剣に悩むほど一生懸命それまで絵に取り組んでいました。中学2年の時に描いた河合奈保子さんの油絵は生前に歌番組のテレビで紹介されていたのでご存知の方も多いことと思います。

10年前に乗っていたカローラレビンを描きました。  富士山を描きました。
   

岡田有希子さんを描きました。              高3の時に年賀ハガキに書いた藤井フミヤさんのイラスト。
   



2.中学校の卒業文集に載せた私の文章。


 他のクラスメートが、ほとんど中学校生活の思い出を書いているのに、私は何故か「小論文」を書いてしまいました。友達は結構いましたが、私はちょっと変わっていたのかもしれませんね。私が中学校を卒業したのは、1986年の3月です。


 「希望と絶望」   春日部市立豊野中学校 3年7組  黒澤哲二



 希望と絶望は180度違っているが実際は少しも違っていない。希望が失敗すると絶望であり、希望が誇大であるともはや希望ではなく無謀である。つまり希望と絶望の共通点は、終わり(end)によりつながっている。

 ここで私は三島由紀夫さんの終わりの美学という書物を思いだすのである。人生の終わり(肉体の死)について、彼はそれを絶望にとらえずに希望にとらえていたのである。人が老いて死んだ場合は何の意味もなく、自殺することによって彼はこうして死んだと言い伝えられ忘れられることはない、これが美学なのである。

 女性の死は二回あると彼は言っていた。女性は誰でも美しくなりたいという希望(願望)を持っている。しかしそれは時間とともに絶望に変わっていく。例えば顔に1つの皺が出切る。まず昨日の寝ぶそくのせいと思う。しかしいつまで絶っても消えない。ここで女性は化粧などで隠そうとそれと葛藤を始める。この時点で女性は美貌の死を迎えることになる。これは肉体の死よりも女性にとっては絶望なのである。

 このように人間は希望を抱いた瞬間から絶望を逃れることはできない。それを止めるには時間を止めるしかないだろう。しかし人間の文明ではそれは不可能である。「私は絶望なんかしないわ。」などと言う人がいるが、それはどこかで嘘をついている。そこから人間は嘘を重ね始めるのである。それによっていんけんになったりずうずうしくなったりするかもしれない。そこでもし絶望というものを真剣にとらえると人間はみがかれていくのである。この点で人間にとって絶望は大事なのである。また終わり(end)は、明日への出発(start)なのである。



3.イベントの同人誌に載せた岡田有希子さんに関する文章。


 2006年12月の福祉のイベントで売られた同人誌のために私が書いた岡田有希子さんに関する文章です。


 「永遠のアイドル岡田有希子」     黒澤哲二


1986年4月8日に惜しまれつつ亡くなった岡田有希子のことを語ろう。岡田有希子の本名は、佐藤佳代といい、1967年(昭和42年)8月22日に愛知県一宮市の助産院で生まれた。2歳の時に名古屋市へ引越し、高校1年生の2学期に東京のサンミュージックの社長宅に下宿するまでは名古屋市で過ごした。岡田有希子は、幼少の頃から絵がうまく小学校4年生の時に本格的に習い始め、中学の頃には、あこがれの芸能界に進むか、絵の方に進むか、悩んでいたようだ。

岡田有希子の芸能界への道は、中学3年生の時の「スター誕生」の地区予選から始まる。地区予選を無事通過し、その次はテレビ予選に進んだ。名古屋のテレビ局で北原佐和子の「マイ・ボーイフレンド」を歌ったそうである。テレビ予選も通過し、そして決戦大会に進む。

 しかし、すんなりと事が運ばなかった。親と担任の先生が、大反対したからだ。両親は、何を言っても承知しなかった。反対された日から両親と口を聞かなくなった。本人いわく「私の抵抗でした」と言っている。母親との会話を再現する。「佳代ちゃん、ごはんヨ」「・・・・・」「そんなに何日も食べないと身体を悪くするから」「・・・・・」。数日間こんな状態が続き、もう1度両親を説得するために、手紙を書くことにし、自分の気持ちをすべて書きつくした。

 そんなある日、母親が決戦大会に行きたければ、3つの条件をすべてクリアーしたら出してあげると言ってきた。その条件は、①学校のテストで学年1番をとること。②中部統一試験で、校内で5番以内をとること。③第1志望の向陽高校に合格すること。結局、これらの条件を全部満たして、決戦大会に出場する。その条件を満たすために、朝・昼・夜となく勉強し、好きな歌番組も見ず、マンガも描かなかった。必死だったそうである。

1983年3月30日、東京・後楽園ホールで決戦大会が行われた。中森明菜の「スローモーション」を歌い、見事にチャンピオンになった。4月にサンミュージックプロダクションに所属が決まった。松田聖子と同じ事務所である。1984年4月21日に「ファースト・デイト」でデビューを飾り、あとは、みなさんの知っているとおりである。

私なりに岡田有希子を語らせてもらうと、やはり彼女は、責任感が人一倍強く、あの当時のアイドルの中で、いちばん光っていた。非業の死を迎えたことで、岡田有希子に変なイメージや偏見を持っている人がいるが、私から言わせてもらえば、岡田有希子ほど純粋で一生懸命なアイドルは、未だかつていないように思えてならない。逸材としては、松田聖子に肩を並べると言える。本当に、いつまでも忘れたくないアイドルである。


4.私が高校2年生の時に書いた原子力に関する作文。


 この文章は、私が高校2年生の時(1987年)に物理の先生に頼まれて書いた「原子力」に関する投稿作文です。原子力の政府機関か何かが主催したものだったと思います。1987年に書いた物ですから、データは古いです。でも、この作文を読んでみると、大分経った今でも、それほど進んでいないねって感じです。プルサーマル発電計画も、進んでいるとは思えないしね。確かに、CO2の削減には、原子力発電はやっぱり良いと思いますけどね。ところで、この作文に出てくる使用済核燃料の再処理問題は、現在解決されたのでしょうかねえ。


  「原子力の明日」        埼玉栄東高等学校 二年四組 黒澤哲二


 広島型原爆の約30個分に相当する放射能をまき散らしたソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故は、記憶にまだ新しい。当時、その影響で奇形のウサギが生まれたとか、いろいろなことで騒がれた。だから、人々は原子力というと、とかく敬遠しがちである。しかし、このような事故が、極たまに起こるからといって原子力を避けてばかりいてもいいものだろうか?

  原発のメリットは、石油や石炭に比べて単位エネルギーあたりの燃料が少なくてすむことである。ウラン1グラムが核分裂すると、石炭1グラムの発熱量の百万倍も熱が出るそうである。どう考えても非常に経済的で有効的なエネルギーだと思う。

  ある新聞に原子力発電所の問題について非常に興味深いことが載っていた。それは、現在建設されている標準サイズの原子力発電所で百万kw級のものは、1年間にどのくらいの死の灰が生ずるかというと1基あたりおよそ200億キュリーで広島型原爆が発生させた死の灰に換算して大体千個分に相当するそうである。

  ところが、その再処理工場は、計画の10数パーセントしか処理していない。ところで、その処理はどうやるかというと、まず原子力発電所から送られてきた使用済核燃料をプールで冷却保管して放射能を減らす。その減少量は、200億キュリーの放射能では、2億キュリーまで減りあとはほとんど減らない。次に燃料を切断し、酸の中で溶かしてウラン・プルトニウムと死の灰に分離する。そして、死の灰をとり出しガラスの中に封じ込め、それを金属容器に入れて地底にうめる。その中で問題なのは、ガラスに封じ込める技術がまだ完成していない点である。また、どのように貯蔵したら安全なのかも結論が出ていないそうである。これには非常に驚いた。

  ところで、石油はあと50年または百年たったらなくなるだろう。そうなると、どうしてもそれをカバーするエネルギーが必要になる。水力発電・太陽発電・地熱発電などといろいろある。その中の水力発電は、建設する場所が限られているのでこれ以上格段にエネルギー供給量を伸ばしていくのは無理だと思う。太陽エネルギーや地熱だって石油に変わるほどたよりになるとは思えない。となると、やはり原子力エネルギーしかないと思う。しかし、さっきの再処理問題を解決していかないと原子力だってあてにはならない。この問題を解決し、さらに原子力発電所の安全性を確立したならば、原子力はすばらしいエネルギー供給源になると思う。

  さて、ここで未来の原子力時代について少し考えてみたいと思う。これから先、地上に人が住めないほど人口が増えていくと思う。そうなると、海に海上都市を作らなければならなくなるかもしれない。その都市のエネルギー源は当然原子力である。それは、その都市の中心に位置していて、その都市の機能のすべてを動かしている。車にはタイヤなどなく、その道路自体が磁気を帯びていて、まるでリニアモーターカーのように宙を浮いて走る。他の海上都市は、まわりに点々としていて、その間を全部橋でつないでいる。また、小型原子力エンジンが開発されていて、飛行機やロケットに使われている。このような未来は、そう遠くないうちに来るだろう。

  このように原子力について考えてみると、確かに問題もあるけれど、その問題を解決すれば、石油よりも有効な新エネルギーになると思う。だから、世界中の人々が原子力利用の問題を避けないで理解していかなければならないと思う。そうすれば、原子力利用は安全になっていき、結局は生活に役に立っていくと思う。だから、今は原子力の事故が少しあったからといって原子力の開発にむやみに反対しないで全世界の人々が積極的に協力し、参加していけばいいと思う。そうすれば、原子力の開発は飛躍的に発展していくだろうと思う。

  最後に原子力発電と原爆のことについて考えてみようと思う。

  原子炉でエネルギーが発生するのは、ウランが中性子を吸収して核分裂するからである。さらに、核分裂の際に中性子が二個か三個放出され、この中性子が他のウランに衝突するとまた核分裂が起きる。つまり、時間とともに出力が増大していく。そして、短時間のうちに莫大なエネルギーを発生する。だから、爆弾になるのである。それ故に、これから原子力の開発をするのにあたって決して間違った方向に進んではいけないと思う。そのためには、世界中の人々が協力してこれを阻止していかなければならないと思う。だからといって決して原子力開発のすべてを阻止してはいけない。つまり、これからは原子力開発に積極的に協力していき、それの悪用を阻止していくべきであると思う。そうすれば、きっと原子力は人間の生活を豊かにし、幸福の方向へ導いてくれると思う。


5.高校3年生の時の文化祭英語弁論大会の暗唱テキスト原稿。


 私が通った埼玉栄東(現:栄東)高校の在学当時の文化祭で行われた英語弁論大会の暗唱テキスト原稿を紹介しようと思います。この原稿は3年生の時のものです。2年生の時にも出場しています。この3年生の原稿の時に最優秀賞を頂きました。


Let Freedom Ring! Rev.Martin Luther King,Jr.

I say to you today, my friends, even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. It Is a dream deeply rooted in the American Dream. I have a dream that one day this nation will rise up, and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal...."

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of farmer slaves and the sons of famer slave-owners, will be able to sit down together at the table of brotherhood. I have a dream that one day even the State of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice,sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice. I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by color of there skin but by the content of their character. I have a dream today.

I have a dream that one day down in Alabama, with its vicions racists, with its governor having his lips dripping with the words of interpositior and nullification, one day right down in Alabama our little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers. I have a dream today.


6.私が写経していた時の般若心経の原稿。

 私が大学生くらいの時、三年程、毎日、般若心経を写経していました。その時の原稿をアップしようと思います。良かったら、使ってください。


 摩訶般若波羅密多心経


観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是、舎利子、是諸法空相、不生不滅不垢不浄、不増不減、是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界、無無明亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故菩提薩埵、依般若波羅密多故、心無罫礙、無罫礙故、無有恐怖遠離一切顚倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅密多故、得阿耨多羅三藐三菩提、故知般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚、故説般若波羅蜜多咒、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦。菩提薩婆訶、般若心経


7.私がデモテープを作った時に、レコード会社に一緒に送った小論文。


 これは、2001年だったか、私がデモテープをレコード会社に送った時に何故か一緒に送った小論文です。批判的な内容も含まれています。読まれて気分を悪くなさらないようにして下さい。それを承知で、特別にその小論文をアップします。


小論文 テーマ(援助交際発生のメカニズムと昨今の芸能人との関係)    黒澤哲二

    
序章(おニャン子クラブの発生からバブル景気まで)

 おニャン子クラブの発生をひもとくと1984年にスタートした現役女子大生出演のオールナイトフジの女子高生バージョンを作ろうとしたのがきっかけらしい。そして、番組テーマソングとして作られた「セーラー服を脱がさないで」が爆発的にヒットしてしまい、女子高生ブームの火付け役となってしまった。

 その時、なぜか1986年頃からバブル景気が始まり、日本の風潮が軽薄になり、金回りがよくなって遊びを覚えてしまった。

本編(バブル崩壊から援助交際まで)

 まず、ミニスカートの制服が流行ってくる背景について考えてみると、写真グラビアから判断すると、1985年頃から発生したおニャン子クラブと1991年に現れた桜っ子クラブがミニスカートブームを作ってしまったと思われる。

 そして、桜っ子クラブの番組に出演していたスマップなどのジャニーズや1994年にデビューした安室奈美恵を筆頭とした軽薄なのりをかっこいいと勘違いしてしまった変な若者が発生しだした。既に若者の風潮は軽くなっていたがさらに軽薄になってしまった。

 この時、ミニスカートの制服は既に流行っており、軽薄なのりの女子高生が制服を使って遊び始めてしまった。そして、そういう女子高生をナンパしようとする勘違いした軽薄男がはびこってしまったため、遊びすぎた女子高生がすれからしになってしまった。

 また、既にバブルは崩壊しており、バブル崩壊で業績の悪くなって疲れた例えば中間管理職のサラリーマンなどが癒しを求め始めた。ところが、奥さんでは癒せなかったサラリーマンがそのはけ口として軽くて中身のない女子高生に走ってしまった。つまり、癒し目的のサラリーマンを金目当ての女子高生が利用しちゃったのだろう。それが、いわゆる援助交際のメカニズムだと思われる。

 まとめると、援助交際のきっかけはおニャン子クラブであり、その後バブルを経験したサラリーマンと軽薄な若者たちで軍備を拡大するごとく援助交際に突き進んでいったのがからくりだと思う。

参考文献

20世紀アイドルスター大全集Part3
20世紀アイドルスター大全集Part4
この一冊で経済がわかる!


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