岡田有希子さんのページ

1.岡田有希子さんのプロフィール

(岡田有希子特集号 近代映画増刊より)

本名:佐藤佳代
生年月日:昭和42年(1967年)8月22日『生きていたら48歳』
血液型:O型
逝去:昭和61年(1986年)4月8日・・・享年18歳
出身地:愛知県一宮市

デビュー曲:「ファーストデイト」1984年4月21日発売
所属プロ:サンミュージック・プロダクション

身長:155cm 体重:44kg バスト:86cm 
ウェスト:58cm ヒップ:84cm 足のサイズ:23cm
服のサイズ:9号 視力:右0.1 左0.1
おへその形:マル

得意なスポーツ:スケート 
趣味:イラストを書くこと。お菓子を作ること。
特技:より目。さか立ちしてジュースを飲むこと。英検3級。

好きな食べ物
:フルーツ・パフェ。グラタン。お好み焼き。煮物。
嫌いな食べ物:納豆
好きな色:白。レモン白。赤。エメラルドグリーン。
嫌いな色:紫

くせ:話をする時すぐに手振りがはいる。髪の毛をさわること。

自分の顔で好きな所
:目。エクボ。
         嫌いな所:おでこ。耳。

16歳当時、今一番こわいもの:これ以上太ること。
         今一番会いたい人:お姉ちゃん。
         今やってみたいスポーツ:テニス。

自分の性格の長所:?
          短所:のんびりしすぎている。

ファンからの贈り物でうれしいもの:贈ってくれる気持ちがうれしいから何でもうれしいです。

好みの洋服:カワイイ感じのもの。
行きつけの店:原宿「CAN」。
好きな季節:春

小さいころ憧れた職業:歌手。
コレクション:お星様のアクセサリー。
いちばんの宝物:名古屋の高校の友達がくれた色紙。

好きな歌手:松任谷由美。河合奈保子。来生たかお。岩崎宏美。
好きな俳優:三田村邦彦。中村敦夫。
尊敬する人:父母。
好きな言葉:夢。感謝。

2.岡田有希子さんと私

 岡田有希子(本名:佐藤佳代)さんが、「ファースト・デート」でデビューした1984年4月21日は、私は13歳の中学2年生でした。

 私が初めてユッコを見たのは、テレビ東京でやっていた「ヤンヤン歌うスタジオ」の短いドラマでスナック菓子をかわいく摘まんでいたのを見た時です。かわいい子が出て来たなと思いましたが、その当時私はユッコはアイドルの1人くらいにしか思っていなかったんです。友達の中には熱烈なユッコファンもいましたけど。私が本格的に好きになったのはユッコが死んでからですね。

 岡田有希子さんが亡くなった1986年4月8日は私の高校の入学式でした。本当にびっくりしたのを今でも覚えています。私が知ったのは夕方のニュースでした。「恋はじめまして」の曲をバックにアナウンサーが死んだことを伝えていました。

 私が高校生の時は、飛び降りたユッコをお姫様抱っこみたいにして四谷四丁目の元サンミュージックのところで助けることが出来ていたらユッコとお付き合い出来たのだろうかと本気で考えていました。

 時は経ち、2007年4月8日に初めてユッコの墓参りをした時、残りの私の人生をユッコに捧げて生きて行こうと決めました。2007年5月14日に「岡田有希子に捧げる 挑戦36歳からサンミュージック」というタイトルでブログを始め、元サンミュージックそばの会社に入ったり、サンミュージックの相澤会長にオーディションをして欲しいと手紙を書いたりした模様を書いてきました。

 結局2007年10月に放映新社という芸能事務所に所属し、今に至っています。放映新社に所属して、ブログのタイトルを「岡田有希子に捧げる 目指すぞ36歳から芸能界」に変えました。私のホームページ「岡田有希子に捧げる 黒澤哲二の目指すぞ芸能界&政界」も始めました。

 「Yahoo JAPAN」、「Google」、「goo」、「BIGLOBE」などの検索サイトの皆さんには、たいへん感謝しています。それで思うことは、いくらユッコファンとはいえ、岡田有希子さんの知名度を私が使ってしまって本当にごめんなさい。岡田有希子こと佐藤佳代さん許してくださいね。私が死んだら佳代さん逢いましょう。その時、プロポーズしても決して驚かないでくださいね。

 でも今は本当にいいですね、パソコンがあればユッコの情報をすぐに知ることが出来るし、YouTubeで昔の映像が見れたり、Amazonやオークションでユッコの古い雑誌やCDなどを手に入れることが出来ます。まるで岡田有希子さんが生きているようですね。

 岡田有希子さんは、芸能人になるまでに非常に頑張りました。私は、そんなユッコを尊敬しています。自殺したことでイメージが、かなり悪くなってしまいましたね。本当に残念なことです。私は、そんなユッコのイメージを少しづつでも良くして行きたいと思います。


3.岡田有希子さんの死んだ当日の行動と経緯

(「岡田有希子 愛をください」より)

1986年4月8日


AM 9:00 
南青山マンションの6階の住人が管理人の部屋(3階)を訪れ「4階がガス臭い」と報告する。

AM10:09
 警視庁通信指令センター(110番)から赤坂消防署に救急車の出動要請が入る。

AM10:16
 救急隊がマンションに到着。「ユッコが鋭利なナイフで左手を切っており、周辺でかなりのガスの匂いがした」(救急隊員)

AM10:20
 ロータリーマンション管理委員からサンミュージック総務部に電話が入る。「岡田さんが自殺を図り救急車で病院に運ばれた」

AM10:33
 東京・北青山の北青山病院に運ばれる。直ちに縫合手術で左手首を4針縫い、傷口の手当て、投薬。この間15分。同病院側は「入院の必要なし」と判断。

AM11:15
 サンミュージック福田時雄専務。溝口、山崎結美マネージャーが北青山病院に到着。

AM11:50
 「自殺未遂事件」がマスコミ関係者に伝わり、大混乱となる。

PM12:00
 ユッコが、サンミュージックに運ばれる。福田専務と社長室に入り、「ストロベリー・ジュースでも飲んで気を落ち着けなさい」となだめられる。

PM12:15
 サンミュージック相澤社長から福田専務に電話が入り、福田専務が「本人の前では」と席を外したスキに、ユッコが山崎マネージャーに「ちょっとティッシュを・・・」と言って、屋上にかけ上り、飛び降り自殺。

PM12:40 
四谷署に遺体到着。

PM 1:30 
サンミュージック6階会議室で、相澤秀禎社長らが記者会見。

PM 7:30 
名古屋から上京してきた両親の一彦さん、孝子さんがサンミュージックに到着。

PM 8:08 
両親が事務所関係者とともに四谷署到着。遺体と涙の対面。

PM 8:41 
遺体とともに関係者が四谷霊園(東京・新宿区)に移動、仮通夜が営まれる。

PM 9:00 
サンミュージックで相澤社長、福田専務、溝口マネージャーが2度目の会見。

PM10:20 峰岸徹がTBS別館(東京・赤坂)前で記者会見。


4.岡田有希子さんの1986年2月24日から4月23日のスケジュール

雑誌「平凡」の1986年4月号、5月号に岡田有希子さんの1986年2月24日から4月23日までのスケジュールが書いてありました。スケジュールはあくまで予定だったので途中で変更になった可能性もあります。あと岡田有希子さんは1986年4月8日に亡くなっています。


1986年2月

2月24日(月) LF「夜遊びしナイト」録音

2月25日(火) キャンペーン・大阪

2月26日(水) TV東京「レッツGOアイドル」

2月27日(木) NTV「カックラキン大放送」

2月28日(金) 朝日「歌謡ドッキリ大放送」

3月 1日(土) キャンペーン・名古屋

3月 2日(日) キャンペーン・福岡

3月 3日(月) 学校(卒業式)

3月 4日(火) TV東京「ヤンヤン歌うスタジオ」

3月 5日(水) 朝日

3月 6日(木) ↓

3月 7日(金) ↓

3月 8日(土) 新潟放送

3月 9日(日) コンサート(岩手県一関市)

3月10日(月) 取材日

3月11日(火) TBS「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」

3月12日(水) 朝日

3月13日(木) コンサートリハーサル

3月14日(金) ABC「シャボン玉プレゼント」

3月15日(土) LF「夜遊びしナイト」録音

3月16日(日) 未定

3月17日(月) NHK岡山

3月18日(火) TV東京「ヤンヤン歌うスタジオ」

3月19日(水) TV東京「レッツGOアイドル」

3月20日(木) 朝日

3月21日(金) 東海ラジオ公録

3月22日(土) (仮)大阪

3月23日(日) 大分放送公録

3月24日(月) キャンペーン・福岡

3月25日(火) NHK・R「昼の散歩道」

3月26日(水) コンサートリハーサル

3月27日(木) ↓

3月28日(金) ↓

3月29日(土) ↓

3月30日(日) コンサート(長野県民文化会館)

3月31日(月) コンサートリハーサル

4月 1日(火) ↓

4月 2日(水) ↓

4月 3日(木) ↓

4月 4日(金) 朝日「歌謡ドッキリ大放送」

4月 5日(土) コンサート(渋谷公会堂)

4月 6日(日) コンサート(名古屋市民会館)

4月 7日(月) 未定

4月 8日(火) 朝日 ドラマ撮り(予)

4月 9日(水) ↓

4月10日(木) ↓

4月11日(金) ↓

4月12日(土) ↓

4月13日(日) コンサート(鶴岡市民文化会館)

4月14日(月) 朝日 ドラマ撮り(予)

4月15日(火) ↓

4月16日(水) ↓

4月17日(木) ↓

4月18日(金) ↓

4月19日(土) ↓

4月20日(日) ↓

4月21日(月) 未定

4月22日(火) ↓

4月23日(水) ↓


ここまでです。 ニッポン放送→LF 日本テレビ→NTV TV朝日→朝日 大阪朝日→ABC NHKラジオ→NHK・R


5.岡田有希子さんのスケジュール 1984年4月 デビューの頃

このスケジュールは、1984年4月の岡田有希子さんのデビューの頃のものです。1984年4月21日がデビュー曲「ファーストデイト」の発売日でした。データは「ボム 1984年5月号」からです。スケジュールが、変更になった可能性もあります。


1984年4月

4月 9日(月) RF 朝からどんと歌謡曲

4月10日(火) TV東京 ヤンヤン歌うスタジオ

4月11日(水) ティーパーティ(新高輪プリンス)

4月12日(木) キャンペーン

4月13日(金) 取材 サイパン

4月14日(土) ↓

4月15日(日) ↓

4月16日(月) TV東京 おはようスタジオ

4月17日(火) ↓

4月18日(水) ↓

4月19日(木) ↓

4月20日(金) ↓

4月21日(土) 都内レコード店挨拶まわり

4月22日(日) TBC サンデー電話リクエスト

4月23日(月) 取材

4月24日(火) TV東京 ヤンヤン歌うスタジオ

4月25日(水) TV東京 レッツGOアイドル

4月26日(木) NHKラジオ 昼の散歩道

4月27日(金) FM東京 オーディション

4月28日(土) キャンペーン名古屋

4月29日(日) ↓

4月30日(月) NHK レッツゴーヤング

5月 1日(火) キャンペーン(大阪)

5月 2日(水) ↓       (福岡)

5月 3日(木) RKB 博多どんたく

5月 4日(金) ↓

5月 5日(土) キャンペーン(広島)

5月 6日(日) ↓       (東京)

5月 7日(月) 未定

5月 8日(火) TV東京 ヤンヤン歌うスタジオ

ここまで

RF:ラジオ日本 TBC:東北放送 RKB:九州(福岡)の放送局


4月21日のデビューの日は、都内のレコード店に挨拶まわりに行ったんですね


6.岡田有希子さんの死の理由の分析

 私は、岡田有希子さんの本・雑誌・写真集までYahooオークションで手に入れ、自分なりに岡田有希子(佐藤佳代)さんの死の真相を探ってみました。
 
 まず、言えることは、岡田有希子さんは男性関係の恋愛のもつれで死ぬような人ではないということです。確かに小さい頃からお嫁さんになる夢はありました。しかし、その夢の相手は噂されている人とではないのは確かです。芸能界なんてきっと孤独なとこなんでしょう。1986年4月4日から1人暮らしを始めて淋しかったんじゃないか。

 それと死ぬ前日の4月7日に試写会でみた「ロッキー4」が死を匂わすような過激な内容で死を誘引したんじゃないか。

 また岡田有希子さんは「理想の芸能人は」と言う質問に「岡田有希子です」と答えています。きっと理想で完璧であるアイドル「岡田有希子」と、18歳で等身大の「佐藤佳代」が乖離してしまった。修正出来ないほどに。

 私の想像では、岡田有希子さんはプライベートよりも、むしろ仕事関係の不安で自殺をしたんだと思います。演技が苦手だったんじゃないでしょうか。


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