区 間 | 新旭川〜上川〜遠軽〜北見〜美幌〜網走 |
営業キロ | 234.0km |
旭川と北見、網走などの都市を結ぶのが、石北本線である。この線の建設は大雪山系につながる北見峠
の険路を越える難工事であり、この工事のために数々の悲劇を生みだした。(下記参照)
石北本線は札幌発の特急「オホーツク」が5往復走る幹線である。しかし、普通列車に関して言えば、こま
ぎれ状態で、特に上川〜白滝間の各駅停車は1日1往復しかない。青春18切符で乗りつぶす場合など気
をつけないといけない区間である。この区間でおすすめしたいのは旭川〜北見間の快速「きたみ」である。
並行して走るバスに対抗して登場した列車だが、特急なみの停車駅で、1往復をキハ54で走る。
沿線は山深く、北海道の深い針葉樹林帯を見ることが出来る。遠軽で進行方向が変わるが、これは廃止
された「名寄本線」のルートへ「石北本線」が逆に接続したためである。ちなみに、流氷で有名な「紋別」へは
この駅でバスに乗り換えである。
沿線最大の都市「北見」では、北海道唯一の第三セクター「北海道ちほく鉄道」が、美幌では摩周湖・阿寒
湖行きのバスに連絡する。
終点「網走」は刑務所で有名。旧網走監獄へバスで行くこともできる。また、網走より「原生花園(臨時駅)」
や「知床斜里」、「釧路湿原」「釧路」方面に行く釧網本線とも乗り換えられる。
かつてSLの重連を撮るポイントで有名な「常紋信号所」の側に、「常紋トンネル」がある。大正3年に開通
した煉瓦巻きの古いトンネルだが、幽霊が出ると有名なトンネルである。(金華〜生田原間)
このトンネル工事には、「金が稼げる」とだまされた者、借金で首が回らなくなった者などが集められた。
「タコ部屋」と呼ばれる監獄よりひどい場所に閉じこめられ貧弱な食事、わずかな賃金で一日15〜16時
間働かされた。この様な環境のため病気になる者が出てくる。しかし、医者などいないし診せる気もない。
もう回復見込みがない者は、食事も与えず野垂れ死にさせたり、そのまま生き埋め・トンネルの人柱にし
たりと、悲惨なものだった。事実、昭和43年の十勝沖地震でトンネルにひびがはいり、その改修工事中
にトンネルの壁から立ったままの人骨や、トンネル入り口付近では大量の人骨が発見されている。
借金を返せば帰れると思うかもしれないが、貧弱な食事に対し法外な食費をとり、軍手などの道具を高
く買わせる。それでも余っているお金は「ばくち」で巻き上げる。絶対にトンネル工事が終わるまで帰れな
い仕組みになっていた。もし、帰ろうと思えば「逃走」しかなかったが、成功した者はほとんどいないという。
捕まれば、凄惨なリンチが待っていた。
こんなことから、トンネルの中や常紋信号所の官舎に幽霊が出るとか、信号所や保線区の職員に病気が
絶えないなどの話が伝えられている。昭和34年に慰霊のために地蔵像が建てられた。
このトンネルに限らず、北海道の鉄道はこうした労働力を使って敷設され、どんどん廃止されていった・・・