区間 |
砂川−下鶉−鶉−東鶉−上砂川 |
営業キロ |
7.3km |
開業 |
大正15年8月1日 |
廃止 |
平成6年5月16日 |
1.上砂川支線の概要
上砂川支線はもともと三井鑛山合名会社(現在の三井鉱山)が、石炭積み出しのために
建設した路線。まず専用線として大正7年11月に開業し、大正15年8月より旅客営業を
開始した。この時に「上砂川線」とならず、函館本線の支線扱いになっている。ちなみに上
砂川の隣、歌志内一帯の石炭輸送用には「歌志内線」という独立路線がつくられている。
最盛期の上砂川支線は、年間160万トンの石炭輸送があり、また旅客輸送も1日19往復
が運転され、約2400人/日を運んでいた。
しかし、石炭産業の斜陽化により昭和62年3月に上砂川支線の貨物輸送廃止、7月には
三井上砂川炭鉱が閉山されてしまった。炭鉱の町だった上砂川は閉山後、人口が著しく
減少し旅客輸送も激減してしまった。
JR発足時には約80人/日の利用客があったが、廃止直前には約20人/日にまで落ち
込んで、空気輸送に近い列車が1日6往復していた。
国鉄時代より赤字路線に転落してしまった上砂川支線は、昭和55年に成立した国鉄再建
法による廃止対象に該当するほどの状況だった。
ところが当時の廃止路線選定は、本線・支線を含めての旅客輸送密度をみていたため、
旅客密度が高かった函館本線に助けられ、上砂川支線は廃止対象からのがれた。
ちなみに、同じ砂川から延びていた路線、砂川〜歌志内間の「歌志内線」は独立路線だった
ため第二次廃止対象線区として、昭和63年4月25日に廃止されている。
運の良かった上砂川支線だったが、国鉄からJRへと民営化され、不採算路線の見直しで
とうとう廃止対象となってしまった。国鉄再建法によるローカル線整理が終了後、初の廃止
路線になった。
余談だが、途中駅には 下鶉(しもうずら)・鶉(うずら)・東鶉(ひがしうずら) と3駅あり、
すべての駅に「鶉」が付いているが、これは明治31年に福井県鶉村出身者が入植し、出身
地である鶉村の名前を付けたためである。
2.昨日、悲別で
上砂川駅は別名「悲別駅(かなしべつ)」と呼ばれていた。これは昭和59年に、倉本聰脚本の
テレビドラマ「昨日、悲別で」の悲別駅として使用されたためで、その後ブームになりそのまま
駅名表などが残され、上砂川駅舎内には、ドラマの撮影シーン等のスナップ写真が飾られていた。
(写真参照)
この駅はそのほかにも、同じ倉本聰脚本の映画「駅」でも登場している。また、倉本氏の代表作
「北の国から」でも鉄道は出てこないが、上砂川が登場している。
3.在りし日の函館本線上砂川支線
4.さよなら列車乗車証明書