区 間 | 池田〜足寄〜置戸〜北見 |
営業キロ | 140.0km |
開 業 | 平成元年6月4日 第3セクター「北海道ちほく高原鉄道」 としてJR北海道池北線より転換開業 |
使用車両 | CR70、CR75 |
URL | http://www.ohotuku26.or.jp/organization/chihoku/ |
北海道で唯一の第3セクターである「北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線」は平成元年6月にJR北海道池北線から転換開業された。
池北線は、もともと池田〜網走間「網走本線」と呼ばれていた幹線だった。しかし、新旭川からの石北本線の開通(この時、池田〜北見間を「池北線」に改められた)のため、沿線に広大な過疎地域が広がる池田〜北見間は、赤字ローカル線になってしまった。
国鉄時代の昭和59年6月に、赤字ローカル線を切り捨てる法律、「国鉄再建法」により第2次特定地方交通線に指定され、廃止されようとした。しかしながら、「池北・天北・標津・名寄」各線は、100キロを越える長大路線であるため、「調査が必要」と判断され約1年間廃止を保留された。最終的に「天北・標津・名寄」の3線区は鉄道廃止・バス転換、池北線のみ第3セクターで鉄道を残すことになった。
「北見」を出た列車は、一直線の線路を軽快に進む。国鉄時代の姿のまま残る「訓子府」(くんねっぷ)をすぎ、木材の街として有名でな「置戸」(おけと)に到着する。ここから「陸別」までは、釧北峠を越える。トンネルはなく、文字通り「高原鉄道」にふさわしい景色の中、峠を越していく。ちなみに置戸〜陸別間は、列車本数が減るので旅行時は注意が必要。
釧北峠を下ってくると、日本一寒い町「陸別」に着く。陸別駅舎の2階は宿泊施設になっている。「大誉地」(およち)、「上利別」をすぎ、「足寄」(あしょろ)に到着する。足寄は歌手の松山千春の出身地として有名だ。駅の2階には衣装やギターを展示してあるギャラリーがあったり、駅舎の最上部(約35m)には展望台もある。
足寄を出発し「本別」。本別の駅舎は北斗七星をイメージして造られ、「ステラプラザ」と呼ばれており、郵便局・レストラン・観光案内などがある。
本別の次は「岡女堂」(おかめどう)。この駅は、神戸に本社を置く日本一の甘納豆メーカー「岡女堂」が、約四千万の建築費を出し、平成7年9月に開業させた。もともと、神戸から移転した工場が同所にあり、ちほく鉄道側から「駅をつくらないか」と、話を持ちかけられたことから誕生した駅である。
ここから先は、カーブのない直線を坦々と走っていく。しばらくすると右からJRの根室本線が現れ、終点「池田」に到着する。一部の列車はここから帯広までJR線に乗り入れる。
車両は、CR70とCR75が計12両在籍しており、全車ワンマン運転。CR75には「カラオケ」が付いており、団体貸し切りにも使用できる。また、車内には「コカコーラ」の自動販売機(それも街に置いてある物と同じような、でかいやつ)が設置してある。ちなみに、一本120円標準価格で販売している。
形や内装はJRのキハ130とそっくりで、窓もキハ130と同じく一枚窓である。比較的暖かい日高本線ならまだしも、日本一寒い町を通る同線ではいかがなものか?12月の終わりに乗車したときは、寒さは感じなかったが・・・ただ、列車が山間部にかかってくると、窓が凍って外が全然見えなくなり、一番景色のいい高原部分で外がわからなくなってしまう。勝手な意見だが、冬といえども「高原鉄道」と名乗っている以上、これだけは何とかしてもらいたい。私も乗車したとき窓が曇ってしまい、「ちり紙」で拭きながら外を見ていたのだが、窓に付いた露が凍ってしまい拭き取れなくなる。結局、景色がほとんど見られないまま池田に着いてしまった。
一部の列車は帯広まで乗り入れる。池田に到着すると車掌が乗ってきて、そのまま乗車して帯広方面に向かう人の「ちほく高原鉄道」部分の精算を始める。同駅で下車する人は料金箱に料金を入れると運転士から「精算済み証明書」をもらえる。それを駅改札に見せると改札を出ることが出来る。(JRの改札しかなく、ちほく鉄道の精算は車内で終わっているため)
乗り入れ車両は、客を乗せたまま引き上げ線に入っていき、併結するJRの車両を待つ。JR車が駅に到着すると、ちほく車が引き上げ線からやってきて連結する。