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終末はいつくるのか?

クリスチャンにとって今世紀の最大の関心事といえば、表題の通り「イエスキリストの再臨」及び終末はいつ来るのかということでしょう。
聖書に書かれている終末の印である、自然災害やテロが世界規模で起こっていることを見ても、その時が迫ってきていることは、ほぼ確実です。
では、具体的にはどうなんでしょう。誰でもそれが分かればそれなりの備えをすることができます。
ここでは、ごく大雑把に、聖書を通して分かる範囲でそれを求めてみました。
まず、神がこの世界を造られたとき、どういうタイムスケジュールを組んだのかを知る必要があります。
旧約聖書の創世記2章1節から3節に、神は7日で世界を造られた、とあります。
これが世界を造られた時の時間軸の基本ですから、ここから考察してみたいと思います。
新約聖書の第二ペテロの手紙3章4節に「キリストの再臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
という兄弟たちからの問いに対して、8節ではペテロが答えて言います。
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。
すなわち、主の前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

この一日を千年という考えでいくと、神が造られた世界のタイムスケジュールを7千年と見る事ができます。
このことを前提にして、今現在の位置を考察してみたいと思います。
では、何を手がかりにするのか。これはもう、旧約聖書を書いたユダヤ教に頼るしか手立てはありません。
Wikpedeiaではユダヤ歴は紀元前3761年を神が世界を創造した年として紀元とする、とあります。
しかし、聖書ではイスラエルの建国はアダムとエバではなくて、イサクの子供であるヤコブが、神に勝った後にイスラエルと名乗ったとあるので、私は個人的にこの考えを取ることにしました。
そうすると、アブラハムの子であるイサクの前には、ルカの福音書によれば20代の歴史があります。
これが何年になるか計算すれば、創世記から現在までの年が分かる筈です。
私は至って簡単な方法を取りました。即ち、一代を世継ぎの子が生まれるまでの長さとしたわけです。
子を産むには親が成人していなければなりません。ユダヤにおける成人式は私の記憶違いでなければ確か14歳だったので(女子は13歳)この年に結婚し、子供が生まれるのが10か月後として、 一代の長さを14,8年としました。
よって、ヤコブからアダムまでの年は14.8X20=296年ということになります。
これを今年のユダヤ歴にプラスします。
3761(ユダヤ歴紀元)+2016(今年の西暦)+296(アダムからイスラエル建国までの期間)=6073
この6073年が神がこの世を造られてから今年までの年数ということになります。
全体が7000年ですから、まだ1000年ちかく残っていると安心してはいけません。
何故なら最後の1000年は神の年で、聖書でも神が全てを支配する千年王国と書かれています。
ですから人とサタンが共存している現世の実質は6000年なのです。
そうすると、計算上はすでに、最後の千年王国に入っていることになります。
ではいつ千年王国に入ったかを見てみます。
2016年から超過した73年を引くと現世である六千年の終わりは1943年ということになります。
この年には特別なことはありませんでしたが、5年後の1948年にイスラエルが建国されました。
20世紀の奇蹟と言われました。何故なら紀元70年、ローマ帝国によるエルサレムの神殿破壊による、ユダヤ民族に離散(デアスポラ)がこの時始まり、以来二千年近くユダヤの民は祖国を持たない流浪の民となり、 聖書に記載されているように、世の終わりに再び彼らを集めるとある預言が成就したからです。
このことは、ほぼ神のタイムスケジュールと一致します。
ですから、時はすでに多くのクリスチャンが言うように、いつ再臨が来てもおかしくない時なのです。
といっても、明日、再臨があるわけではありません。
何故ならその印がまだ来ていないからです。
マタイの福音書24章32節のイエスの言葉としてこうあります。
いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏が近いことがわかります。
いちじくはイスラエルを表しますから、これはイスラエルにある種の変化が現れることを示しています。
枝が柔らかになって、とあるので、イスラエル国家を支えている基本構造に変化が現れることを示唆していると思われます。
イスラエルは現在は知っての通りユダヤ教が国教です。これに大きな変化が現れ、そこから新しい葉、すなわち新たな一派が現れると思われます。
具体的にはマタイの福音書23章39節にイエスの言葉としてこうあります。
あなたがたに告げます。「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。
これは当時のパリサイ派やユダヤ最高会議(サドカイ派)に対していった言葉ですから、要約すれば、現在のユダヤ教の人々の民族的な回心なしに、イエスの地上再臨はないと言えます。
イスラエルは神が特別に祝福した国ですから、今後さらにクリスチャンはこの国の動向に注目していく必要があります。
ただ、この前にクリスチャンが迫害される患難時代が7年あって、その中間に多くのクリスチャンが天に引き上げられる携挙(けいきょ)があります。
これが、殆どのクリスチャンにとって当座の目標でしょう。
何故なら、ここで天に引き揚げられなかったクリスチャンは、その後3年半の大患難時代に入ってしまうからです。
この時代、聖書では反キリストが全ての聖徒に打ち勝つ、とあるので、クリスチャンは全て殉教してしまいます。
昨年ニコラス、ケイジ主演の「レフト、ビハインド」という映画が日本でも封切られました。私もDVDで見ましたが、非常に違和感の強い映画でした。
何故かと言えば、映画の方は、患難前携挙を前提として造られているからです。
これは聖書的な根拠がなく、何の前触れもなく、いきなり天に多くの人々が挙げられるというのは、世界規模のパニックを引き起こすので、まずないでしょう。
何故なら、携挙の目的はクリスチャンを患難から救うのが目的ですから、それによって多くの罪の無い人々が死んだり傷つくことは神の御心ではないからです。
では、神の御心に叶った携挙とは、どいう状況で起こるのでしょうか?
新約聖書第一コリント15章51節にパウロの言葉としてこう書かれています。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
とあります。ここでいう眠ることを、死ぬことと見ることもできますが、携挙の直前に死ぬというのは不自然ですので、当然、言葉通りに眠ること、と取るのが自然です。
つまり、携挙のタイミングは、皆が仕事を終えて就寝する時、ということになります。
変えられる、というのは、現在の我々の体から霊の体に変えられるということです。
天に引き上げられる訳ですから、血肉の体では天井を通りぬけることができないため、一瞬にして霊の体に変えられる訳です。
気が付いたら、朝、多くの人々が町中から消えていたということが、地球規模で24時間以内に起こるわけです。
願わくば、地上に残りたくないものですが、不幸にして、残されたとしても、天国に入れる可能性はあります。
最後まで、主の言葉を守り、殉教すれば、かえって、携挙された者達より祝福されます。
黙示録20章4節には、彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった、とあります。
最後の最後まで、救いの道を残されている主に感謝ですが、ここまで、たどり着けるクリスチャンはほんの僅かでしょう。
(2016年10月11日加筆)

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