「くにのサムライ阿波探訪」
2006年2月4日(土)AM6:30徳島駅到着。
3回目ともなると、慣れたものである。(2018年28度目の訪問無事終了)
転勤先から実家へ帰る感覚に似ている。
決してその逆では無い。
阿波おどりを始めてから(正確には、本場の本物を見たときから)、
「心ここにあらず」といった感じで、【ぞめき】が頭から離れない。
何がそうさせているのか自分でも理解できない。
少年の頃の「切ない恋心」とでも例えるか。
ストレッチをしながら本日の勉強に備える。30分。
体感気温マイナス℃。
行き交う人は皆、阿波弁である。
(・・・ほんま阿波っちゅう感じやな。夏にはみぃんな踊りよるんやろな。)
と、なぜか自分も阿波弁を真似ている。
ジュース自販機の前でも
(あったかいのは無いんかい。おっと!ここにアルデナイデ。)
と使い方もようわからんクセに多用してニヤつく。
AM7:10。
☆のんき連
☆けいすけサンが迎えに来てくれる事になっているが、朝が弱いらしい。
そもそも一年前にネットで偶然知り合い、頻繁にメールはしているものの、
会って会話したのは、ただの一度きりという関係。
しかも「本場のおどりを教えて欲しい」などと、こちらからお願いして押しかけている。
絶対に無い事だが、もし来てくれない様な事になっても文句は無い。
早朝からメールも迷惑かと思い、夏には歩く機会のない西側ルートを選んで歩き出す。
迂回するようにして、おどり会館へ到着。
この建物は提灯をイメージしてつくられた、と聞いた。
この変わったデザインと眉山、背の高いヤシの木みたいなヤツ
(道路に立っている木。何の木であるかは知らん)を見ると、
「遠くへ来たんだな」と実感する。
(後にワシントン椰子である事が判明)
そういえば、たしか会館の隣に鳥居があった。暇だから、行ってみることにする。
長々と書かれた神社の歴史や由来を全部読む。ご丁寧に参拝の仕方まで書いてある。
神社、仏閣に興味は無いが、マニア(?)として、やっておかんと気がすまん。
と、そこへ散歩の人がやってきて何か落とした。「財布!?」…手袋である。
自己嫌悪しながら拾って声をかける。
「ありがとう↑」
この発音の違いが心地よく、旅行気分にさせてくれる。
祀られた大岩などをひととおり見ていると、先程から数人の散歩人が神社の横から出てくる。
興味本位の軽い気持ちで、ブラブラとその道を歩き出したものの、途中の看板で
眉山頂上へつづく道だと知り、考え込んでしまった。
前回の時は山頂へ車で行った。
その道のりを思い出すと、この先どうなっているかは想像に難くない。
引き返したい気持ちとは裏腹に、知らない道を歩く楽しさだけが足を止まらせない。
(しょうがねーな、付き合うよ)と、過去7回の引越し経験時に感じた
「知らない土地は楽しい」を改めて足から感じ、歩を進める。
急な階段に入り、すれ違う人達は「おはようございます」と挨拶をする。
皆スポーティーな軽装であるが、こちらはコートにジーンズ、おまけに6、7キロあるバッグを背負っている。
違和感を覚えながら挨拶を返していたが、だんだんと不安に駆られ、たまらず質問してみた。
「この先はどうなっているのですか?」
「はぁ?」という表情を浮かべたものの、すぐ笑顔になり、
「山頂ですよ。途中ガタガタの山道になりますが、
慣れていれば25分位でいけますよ。
どちらから来られたんですか?」
「群馬です。慣れて25分てことは…大変なんですね」
「大丈夫ですよ。みんな登ってますから」
(それが基準かい!)
とツッコミながら、笑顔でまた登り出す。階段が終わり車道を横切る。
(あれ?道が無い?)と見上げると、草が周りよりも少ない部分がある。
(これ登るのぉ〜!?)という感じが全て。
でも行く。行くって決めたから。
その先は岩、イワ、いわ。完全に登山である。
そんな中、頭に浮かんでくるのは「よしこの
」の♪石山(大谷)通れば石ばかり〜♪である。
汗びっしょりだが、楽しい!僕は今、徳島の眉山にいる!!
車では味わえない感覚に酔いしれる。
標識【山頂まで10分】
さすがにいっぱいイッパイで、
「誰の基準でだよ!!」
と大声を出し、標識にアチョー!とチョップを食らわし、あわてて周りを確認する。
よかった。誰もおらん。
電話が鳴った。けいすけサンからだ。
「寒いでしょう?」との質問に「汗びっしょりです」と、
木々の間から眼下に広がる徳島市街と吉野川、
そして山頂へと続く岩だらけの道を交互に見ながら状況説明し、
結局、山頂で待ち合わせる事にした。
運動(山登り)後のストレッチを済ませ汗も乾いた頃、その車は現れた。
電話が鳴る。山頂駐車場に怪しげな観光客は一人だけだが、一応の確認だ。
すぐ判り、誰かが降りてくる。
!?知っている!初対面だが、僕は知っている!
☆のんき連☆南條連長だ!!
PCやビデオを観たおしているので間違い無い!えらいことになった!
慌ててサングラスを外し、きちんとご挨拶。名刺を戴く。
連長がおいでになるとは!
続いて【けいすけサン】。車に乗ると【けいたサン】が!
(南越谷阿波おどり
で最初に話しかけたのが、けいたサンだから二度めまして)
(すぅげぇー!有名芸能人と一緒にいるぅ〜!!)
僕の中では完全に「テレビの人」である。
嬉しいのと緊張で、会話の記憶が飛んでいる×××
連長がおいでになるなんて思ってもいなかったので、手土産だって大した物を用意していない。
まいった。
豪華キャストと朝食をしながら自己紹介をし、
幼稚ではあるが僕の阿波おどりに対する姿勢や考え
* 簡単に言うと“阿波”と名がつくのだから本場の徳島を学びたい。
* 400年といわれる歴史と伝統を学んでいかなければ、
* 本当の意味で“阿波”踊りを受け継いだ事にならない。
* 日本の歴史と、その中で脈々と受け継がれる精神に基づいた
* “伝統芸能『阿波おどり』”を、僕はやっていきたいのであって、
* ただの“おどり”では無い。という考え。
* ごく当たり前だと思うのだが。
を聞いてもらい、また、連長から色々な話を聞かせて戴いた。
その後、僕の希望で【岡忠】
へ。
(何で?って?ステータスの為ですよ!岡忠は。知らなかったら話にならん!…って完全にミーハーな僕)
外観も店内もネットで見たままだ!
すげっ!阿波おどり関連が全てあるですぅ〜(悶絶)
引き出しを全部開けて見あさり各有名連の使用しているオリジナル帯を見せて貰いながら、
【鳴り物】【踊り】で分かれてはいるが、それぞれがお揃いである事に気付く。
なにぶん初心者なモノで、1年間もその事に気付かなかった。
無料の【あわだま】
を二部ずつゲットし(一部は保存用。マニア間では当然の行為?)
最終的にとりあえず巾着1ヶだけ(だけ!)買った。
【岡忠】社長とも会って、専務には名刺を戴き
「買い忘れの無いように」
との忠告には
「大丈夫です。忘れたらまた来ますから〜!」
と明るくのたまうのであった。
吉野川を渡った住宅街に【のんき連事務所】はあった。
せっかくなので看板を撮影。
内部に潜入し、
けいすけサンの【おかん】(僕の年齢から見るとオネエって感じだけど)とご挨拶。
山のような出演ビデオにヨダレしつつ
団扇を発見!
すぅげぇ〜!ふつーに置いてあるぅ!!(あたりまえ)
うおおお!印籠だ!!ふつーに掛けてあるぅ!!(疲れる?いちいち)
そこへ大太鼓の【たかしサン】が仕事の時間を割いて来てくれた。
(あっ!この人も知ってる人だ!)
南條三兄弟の三男も起きてきた、が…すぐ寝た。
さらに男踊りの人も来るそうで、
ヤバイでぇ!かなり大変なことになってきた!
…(チラッ)それにしても(チラッ)…団扇…(チラッ)置いてある…
う〜ん…欲しい(チラッ)…見過ぎである。
物をねだりに来たのでは無い!!学びに来ている(チラッ)…の…だ…。
いかん!絶対に欲しいなどと言ってはいかんのだ!
と、そんな葛藤を知ってか知らずか、
「団扇、持って帰ります?」
だなんて!!
たぶんその時の僕は、相当だらしない笑顔だったに違いない。
ビデオを観ながら、阿波おどりに関するレクチャー(アツイ!熱いです、連長!)
を受け、昼時刻。
徳島ラーメン【やまきょう】へ向かう農道、ハンドルを握るたかしサンが、
「徳島は、なんにも無い所でしょう?」
と言う。
「いえ、僕の求めているものが全て揃っています」
と、反射的に答えていた。
【やまきょう】は【横浜ラーメン博物館】に出店していたそうだ。
横浜で3年も仕事をしていたくせに、まともに観光した覚えが無い。
よって存在とおよその場所だけは知っている、という程度。
食べたことが無い味、とんこつ醤油+バラ肉。
ダイエット中だが、うまいモンはうまい!
帰り道、けいすけサンが電話をかける。
「練習!!やるでぇ」
いきなりである。でも来ちゃうらしい。
理想である。
常に阿波おどりをしていたい僕も、
こんな感じの呼び出しに喜んで応じるだろう。
電話を切ると唐突に
「くにさんにとって、【阿波おどり】とはなんですか?」
と訊ねられた。
(…【人生】と答えるには、まだ経験が浅すぎる。
たったの1年だ。踊り歴12年目の先輩は、
この初心者にどんな答えを求めているのだろうか?)
すぐには答えられなかった。
小3の時から高校まで野球一筋だった。
弱小チームではあったが、
高校時代【4番】【キャッチャー】【キャプテン】を務め、
頭の中の9割はそれだった。
最後の大会が終わる頃、ヴォーカリストに目覚めバンドに熱中した。
親の心配をよそに3年位は、その為だけに日々の生活を送った。
やがて皆、ちゃんとした大人になる為それぞれの考えで進路を決めていく。
取り残された僕には、クソみたいな一人暮らしがやってきた。
仕事にも行かずパチンコ攻略の日々。
(そこからやがて【本物】になっていくのが、親友のパチプロ)
見かねた親の勧めで、家業関連のメーカーへ勤務し、
それからは何の迷いもなく仕事に没頭した。
会社に泊まる事もしばしばだった。
20Kgも太り、健康面での心配はあったが、
多忙な勉強の日々が修行を充実させてくれた。
やがて兄、弟と共に、家業を継ぐことになる。
趣味としてやってきた大好きな草野球は、
仕事よりも優先する程の理由が見つからず、2年前に辞めた。
そうなると、家では仕事の話ばかり。
出掛けても、見る物さわる物全てを仕事とつなげて考える。
そこへ平成不況のどん底がやって来た。
失望の日々から少しの間でも逃れようと、
夜8時から11時まで毎日のようにパチンコ屋へと足を運び、
10ヶ月で100万円勝った事もあった。
しかし心に生じた隙間は埋まらない。何かが足りない。
そんな時出会ったのが「阿波おどり」。
見るのも聞くのも、全てが新しい未知なるモノ。
興味津々半年間の勉強。
その中で知り合ったけいすけサンに本場徳島見学を勧められた。
去年8月15日。
実際に本物を見た時には夏の暑さにもかかわらず鳥肌が波のように何度となく押し寄せた。
「スッゲー!カッケー!」
僕のボキャブラリー内で最高の表現である2言を連発した。
それからというもの
【野球】【バンド】【パチンコ】【仕事】に出会った頃と同じ様な、努力の日々が始まった。
残念な事に僕には天才と呼ばれる才能は無く、どれをとっても人一倍劣っている。
ただ一つ人に負けていない、と思えるのは努力をする事くらいである。
昔から親父に【兄】【弟】と比べられ言われ続けてきた。
「お前はノロマだ。他人の3倍努力しても、やっと人並みだ」
ならば、ノロマが人並み以上になりたければ5倍の努力をすればいい…
…と、ここまで考えて【生き方】という言葉が口をついて出る。
「僕にとって阿波おどりは【自分の生き方を表現できるもの】です」
こんなにハッキリ言い切れなかったと思うが、
それを聞いたけいすけサンは
「バカですね」
と、笑っていた。
事務所に戻って、しばしビデオ鑑賞。
見た事が無い映像が次から次へと、もう楽しくて仕方が無い。
≪うぅるらぁああ!!≫
と演舞中に「叫んだ」「叫んでない」でモメて巻き戻しての検証や、
「このオッサン、『アチョー!』って叫びよるでぇ」
等々、面白いやりとりの数々。
また、おどりに関する技術的な雑談。
…この時間が永遠に続いて欲しい…
しかし連長が口を開くと話が止まる。
画面を見ながら
「なんでココ、こんな動きを入れんのやろ?本来の阿波おどりとは違うで」
…【本来のおどり】…この言葉は僕にとってかなり重かった。
そうだった。そこを学びたくて本日ここに居るのである。
間もなく男踊りの【きよサン】到着。
(ちなみにこの人も僕が撮ったビデオに映っていたと思う)
ふつーに冷蔵庫を開けて巻き寿司を食べながら、遠慮していた。
腹ごしらえは済んだ。
それじゃあ、ということで、いよいよ訪問の本題である【ご指導】に突入する!
道具を積んで、川原へ…と言っていたが、
【川】とは昔から数々の水害をもたらしてきた暴れん坊、四国三郎こと【吉野川】である。
僕の感覚からするとこのスケールは【海】だ。
行く途中、道を間違え【四国三郎橋】上の交差点で
無理な、というか、ありえない方向からUターン。
この方法でのUターンは見た事も経験も、更には考えた事すら無い。
(たかしサン、ナイスハンドリング☆)
まるで【ギャング】である。
後ろからついて来て一緒に道を間違えたけいたサンが、
道行く車をふさぐ形で立ち往生しながら叫ぶ。
「なにをしとんじゃー!!」(ゲラゲラゲラ)
…盛り上がるなぁ〜。
先程暴走した橋のたもとに着くと、既に車が止まっている。
「紹介します、副連長です」
いやいやいや、勘弁して…
当初は個人的にけいすけサンの元を訪れ、踊りの基礎を教えて戴く、
という程度の話だったのに…本当に【えらいやっちゃ】である。
まず副連長に旧大太鼓ストラップの改造方法を教わる。
僕がいつも使用しているのは旧タイプである事を、その時に知る。
(はっはぁ〜そうやれば良かったのかぁ。
今までの我慢はなんだったんだ?)
続いて、たかしサンに締大鼓の上げ方を教わる。
これは各連で求める【音】により多少違うらしい。
でも縄のまわし方が奇麗だとカッコいいので、大変参考になる。
さらに研究していく必要がありそうだ。
「じゃ、まず大太鼓やりますか?」
けいすけサンも大太鼓を装着。
これなんだ。踊りだけでなく鳴り物も出来る。
【二兎追うもの一兎も得ず】は低いレベルでのお話。
一流ギタリストはドラムやベースも常人以上に出来てしまうのだ。
大太鼓3丁、締太鼓2丁、鉦、三味線、笛のオールキャスト。
誠に恐縮の極みである。
ついでならまだしも、こんな押しかけ初心者たった一人の為だけに、ここまでしてくれる。
…これが“阿波の天水”と呼ばれる人達なんだ!
大太鼓をやってみたらビデオから読み取っていたリズムと違っていた。
近くで撮影できれば気付いたかもしれないが、そうそう機会に恵まれるものではない。
この“昔からあるリズム”というのを叩いてみて解った。
シンプル且つ力強く、どこかで聞き覚えのある太鼓の代表の様な音【ドドンガドン】。
音に【間(ま)】があり、感性次第で様々な変化をさせることが可能である。
たくさんの連を見てきて何種類もあると思っていたリズムが、今、一つにまとまった。
続いて【おどり】のご指導となる。
踊りの基本練習はどうしたら良いのか。
【ミスターのんき連】の連長から手ほどきを受けながら思った。
色々と自分なりに研究をしていたことが、それほど間違いではなかった。
まず腰を低く落とした姿勢になる。
足は動かさず手も上げないで膝を使いリズムをとる。
出来るようになったら足を前後に動かす。
それも出来るようになったら、ようやく手を上げる。
あとは指先にリズムが伝わるようになってくれば、自然と手は動いてゆく。
団扇、提灯などはその段階で持つべきでない。
手に物を持ち、それを振るという事は、そこに神経を使うという事である。
無意識の状態でも確実に全身でリズムを刻めていなければ、
いくら物を振り回したところで格好良くは見えないのである。
阿波おどりを初めて見た時には、手の動きと団扇のさばきに目がいった。
しかし、自分で色々真似ていくうちに上半身よりも下半身が凄く重要だ、ということに気付き、その時点で団扇を持つのをやめた。
けいすけサンの言っていた、
「団扇は、自分で持とうと思って持つ物では無く、持たされる物」
という言葉に集約される。
しかし今日は寒い。
天気は最高に良いのだが気温が一向に上がらず風がもの凄い。
砂埃も舞い立ち、三味線、笛は撤収。
やっと少しずつ動き始めた指先も、かじかんで感覚が無い。
さすがにこれ以上は無理かなと思っていると、けいすけサンとけいたサンが締太鼓で遊び始めた。
う〜ん、楽しそう。僕も帰ったら練習して遊ぼうっと。
“輪おどり”の時はいつもあんな事して遊んでいる、と連長が言っていた。
また、この天水達は、“おどり”を語り始めると何時間でもしゃべり続ける、とも。
そんな中から新しい発想が生まれて来るのだろう。
楽しげな天水達の笑い声が、橋にこだましていた。
夕刻も近づき、時おり風に乗った雪が肌を突き刺す。
連長が言った。
「寒いから鍋でも食べに行って、その後おどり会館へ行こう」
完璧だ。
たった15時間という滞在にも関わらず、以前から狂おしい程に
(徳島へ行って、コレをしてみたい!)
と、思っていた事の半分以上が、本日、一気に出来てしまう。
“おどり”について悩んでいた事もそうだ。
何ヶ月も解からないでいた事など、一瞬で答えが返ってくる。
しかも質問の倍以上の情報量で。
やはり徳島へ来た事は大きい。
それにも増して、これ程の人情溢れるひと達に出会えた事はもっと大きい。
街が青黒い粒子に包まれる頃、徳島駅へ戻ってきた。
たった12時間前に降り立ったのが遥か昔の事の様に感じられる。
【楽しい“時”は早く過ぎる】は、嘘である。
過ぎ去った時間を惜しむ感情が、そう思わせているだけだ。
子供の頃は出会うもの全てが新鮮で、脳に流れ込む多くの情報が全て記憶される。
だから1日が長かった、と思い出される。
大人になると経験が豊富になり、受ける刺激も少ない。
今日一日の事を思い出せ、と言われても、ところどころの記憶が抜け落ちてしまっている分、短くなって思い出される。
僕にとっての【今日】は、まさに子供の時の一日だ。
しかも、まだ終わっていない。
路地を入ったところに似顔絵の看板がある。
それを指差し連長がおどける。
「これと同じ顔が出てきよるで」
連長に続き店に入ると、誰もいない予約席で鍋が煮立っていた。
「すぐ食べられるように用意しておいたで」
と、奥から出てきた看板が似顔絵そっくりに笑う。
本当だった。
この人は店の名前の通り【徳さん】といって、連長の元同僚だそうだ。
脱サラでアイデアを駆使し、大成功しているらしい。
看板と同じ絵柄の携帯ストラップも販売している。
なるほど、土曜日ということもあって店内は満席だ。
にもかかわらず、ひっきりなしにお客が入って来ては残念そうに僕らの鍋を横目で見ていく。
…少しだけ申し訳ない気分。
だが酒が入れば話は別だ。
皆は車の運転があるのでコーラを飲んでいるのに、
図々しくも僕は“スイッチ”が入ったかの様に徳利を転がした。
連長やけいすけサンにお酌までして頂いて…
…とても正気の沙汰ではない…
「パチスロ好きなんすよ〜」
「じゃ、【パチスロ阿波おどり】出たら打ちます?」
「いや、その金あったらぁ徳島へ来ますぅ〜」
「のんき連監修でも?」
「そりゃ打ちますよ!設定1でも、演出を全部見るまでやめないっすぅ〜!」
(後日【新機種案】としてサミーにメールしてみたが、
相手にしてもらえなかった。でも、いずれお願いしますよ!サミーさん!!)
基本的に僕は人見知りだが毎晩ビデオに出てくる人達なので、リラックスしきりだ。
けいたサンやきよサンに向かって、
「いやぁ〜次男はツラいっすよねぇ〜。わかりますよぉ、次男どうしですからぁ〜」
ほぼ初対面の癖に馴れ馴れし過ぎる話題のふり方。
(くによ!いいのか?もっと“おどり”について聞く事があったんじゃないのか?)
と、思う矢先にオチョコに手が伸びる。
繰り返しているうちに【おどり会館】開演30分前。
お会計。
おかんが立ち上がる。
慌てて自分もレジへ向かう。
教えて戴きに押しかけたクセに今朝から1円も出していない。
せめてココだけは!と、ずっと思っていたのに…
すっかりご馳走になってしまった。
【おどり会館】へは、ここから歩いて10分くらいである。
今更ながら恐縮し、せめて酔っているのがバレぬよう、しっかりと歩く。
途中の信号待ちで、
「歩道橋の方が早いで!」
と、けいたサンがダッシュ。
その瞬間に信号が変わり慌てて猛ダッシュ、という微笑ましいイベント。
コンビニ前ではしゃかりきにアクセルを吹かす若者を見て、
「ああいうの見ると思うんですよ。
目立ちたい?ほんならナンボでも目立たせてやる!
ハチマキ?ナンボでも巻かせてやる!
でかい音?ナンボでも出させてやる!って。」
と、けいすけサン。
いえてる。
せっかく徳島に住んでいるのに、
あんな事にエネルギーを使うなんてもったいない。
と、距離を気にする間もなく、暗闇に光で浮かび上がる【会館】に到着。
2階が観覧席への入口になっている。
受付ホールでは有名連の写真がパネルになって壁を覆っている。
連長がパネルの前で各連のエピソードを話してくれた。
(が、裏話なのでココには書けない。)
関係者用の招待券をもらい(本当にお世話になりっぱなし)
受付で引き換えに団扇を受け取り、感無量。
さらにみんなの分も貰い、大はしゃぎで扉をくぐると、そこはネットで見たままの舞台だ。
テレビの中に入った気分である。
キョロキョロと落ち着きを無くしながらも、最前列を陣取る。
出来れば舞台の真ん中で“おどり”の“渦”に沈みたい気分だ。
見覚えのある舞台を眺めながら、そうだ!と思い立ち振り返ると、やっぱり在った。
いつも観ている中継のカメラアングルからして、そこにあると思ったのだ。
高い位置の中央に吊り下げられた“そいつ”はじっとこちらを見ていた。
(いつもいつも解像度の低い映像を流しやがって。
ようし。今日という今日はこっちがお前を撮影してやる!)
とワケの解からない言いがかりをつけ、カメラをカメラで撮影。
少しスッとした。
ブザーが鳴り演舞が始まる。
本日は「黒はっぴ」が有名な【葉月連】だ。
この連の男踊りは、テンポが上がると2拍子を足裏全体で捉えるように1でとる。
他連ではみられない特徴的な踊りだ。
賛否はあるのかもしれないが踊りを見ただけで何連と判る特徴があるのは、とても素晴らしいと思う。
目の前1m程で繰広げられる素晴らしい演舞にうっとりしていると、
恒例である「お客様参加」の時間がやってきた。
(待ってました!)
とばかりに舞台へ進み出る。本日は2名だけだ。
横目で見たところ経験者では無さそうだ。笑顔が止まらない。
(よしっ!旗はもらうぜ!)
この「お客様参加」では、まず踊り方の指導をしてくれる。
そのあと鳴り物に合わせて踊り、一番上手だった人には栄誉ある旗が授与されるのだ。
ネット中継では、いつも指をくわえて授与シーンを見ていた。
この日を心待ちに、日々の練習をしてきたと言っても過言では…ある。
でも欲しい!どうしてもアレが欲しいのだ。
いよいよ審査の時間がやってきた。気合を入れて腰を下げる。
昼間のご指導を一つ一つ思い出しながらお囃子に体を預ける。
(うん!いいぞ!いい感じだ!)
と自分で自分を褒めながら周りを確認。
すると参加人数は増えているし、完全に経験者と思われる上手な人もいる。
仲間の筈の【のんき連】の方々も参加している。
(ダメでしょ!上手に踊っちゃ!初心者っぽく踊る約束でしょ!)
焦ってしまったが、一つしかない赤いレイを掛けてもらって一安心。
無事、念願の旗と賞状を手に入れたのである。
出口では踊り子さんがお見送り。記念撮影をしてもらう。
会館の出口では天○連と新○し連の有名連カップルが仲良く腕を組んで連長に挨拶していた。
同じ連では無い、という所がとても徳島っぽいと思った。
帰りのバスの前。皆さんが見送りをしてくれる。
今日のことが頭の中をぐるぐる回り、なんと言って良いか解らない。
本当に感謝の気持ちでいっぱいになると「ありがとう」という言葉でも足りない気がする。
でも他に思いつかない。
出発の時間。
バスに乗り込み、今居た場所を見るとみんなが手を振っている。
こんな事されたのは初めてだから、かなり照れる。
手を振り返すのは、なんだか偉そうな気がしたので、代わりに何度も頭を下げた。
別れ際、寂しくなるかな?と思っていたが、そうでも無かった。
だって、
『また、すぐ来ますからぁ〜!!』
「くにのサムライ阿波探訪」完
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