感想 中町 信『死の湖畔 Murder by The Lake 三部作#1 追憶 田沢湖からの手紙』

 時刻表ミステリの観点から、『死の湖畔 Murder by The Lake 三部作#1 追憶 田沢湖からの手紙』の感想を書いておきたい。
 中町信『田沢湖殺人事件』には、鉄道アリバイに関して、看過しにくいミスがある(気がする。私の勘違いである可能性もあるが、鉄道好きであればまず真っ先に目を止める個所なので、ミスではなかったとしても、作中で触れておいて欲しい個所だとは思っている)。作品にとって致命的なものではなく、実際、この作品の根幹と云えるだろう叙述トリックの面白さを損なうものではないけれど、鉄道を使ったアリバイとしては極めて単純な誤りなので、勿体ないとは思っている。
 今回、『死の湖畔 Murder by The Lake 三部作#1 追憶 田沢湖からの手紙』と改題されて再文庫化されたが、この部分には全く修正がされていない(作者が故人なので、当然かも知れないけれど)。せっかくなので、改めて、疑念を感じている個所を書いておきたい。

 アリバイに触れる関係上、犯人も分かってしまうため、以下は、同書を読了後にお読みいただきたい。





 鉄道アリバイについては、第三部第三章で謎解きが示されている。
 要約すると、東北本線・村崎野駅から盛岡を経由して田沢湖線・羽後四ツ屋駅に向かった被害者を、村崎野駅で見送った犯人が、羽後四ツ屋駅に先回りして凶行に及ぶことは可能である、ということになる。
 村崎野駅を数分後に発車する、(盛岡とは逆方向の)仙台方面に向かう列車に乗れば、北上駅で下車後、北上線・奥羽本線を乗り継いで大曲駅に着く時間には、まだ被害者は下車する羽後四ツ屋駅の数駅手前にいるので、タクシーで急行すれば被害者に先着できる、というのである。時刻表トリックとしては極めて初歩的な迂回であり、これ自体に意外性はないが、問題もない。
 また、羽後四ツ屋駅に19時48分に着く被害者に対し、大曲駅に19時24分に着いた犯人は、羽後四ツ屋駅への先回りを企図する。先に駅に着いておいて不意をつく形でないと、村崎野駅で見送られた相手が着駅にいて、声をかけたりしては被害者に警戒されるから、というのも首肯できるだろう。
 問題は、このあとである。
 大曲に19時24分に着いた犯人が(逆方向から)羽後四ツ屋駅に向かう場合に、絶妙な接続列車がある。19時36分発の列車だ。だが、これには犯人は乗らなかったはずだ、と探偵役は言うのだ。
――この列車の羽後四ツ屋到着は、19時49分なんだよ。盛岡からの列車の羽後四ツ屋到着は19時48分だ。
――一分違いか。だったら、急いであとを追いかければ間に合わないことはないだろう。
――かも知れない。だが、あとを追いかけ、声をかけたら、警戒するはずだよ。……
 といった会話があって、犯人は、大曲からタクシーを使った、と推理するのである。――
 私がミス、と感じたのは、この個所だ。確かに、大曲からタクシーを使うことは可能だし、大曲駅から羽後四ツ屋駅までは車を使えば10分余りで着くので、被害者に先着することも出来るだろう。ただ、タクシーを使うことは、証拠を残すことにもなるから、犯人として決して好ましいことではない。実際、この推理をもとにした捜査で、大曲駅から犯人を乗せた運転手が見つかってしまう。決定的な証言こそ得られなかったが、犯行の一端は示されてしまったのだ。
 だが、先の探偵役の推理には、明らかにおかしな点がある。その前後に、四ページに渡って時刻表が抜粋されていて、被害者と犯人の行動を辿りやすくなっているのだが、それ故に推理の不自然な点も明示されてしまったのである。
 “この列車の羽後四ツ屋到着は、19時49分なんだ”は、誤りである。時刻表を見れば分かるが、19時49分は、この列車の羽後四ツ屋発車の時間に過ぎない。もちろん、一般には到着と発車は同じ時刻とすることが多いが、この列車の場合、19時49分を到着時刻とするには大いに疑問が残る。
 時刻表を見ると、隣駅の北大曲から羽後四ツ屋まで、19時36分発の列車以外は3ないし4分しかかかっていない。唯一、この列車だけが8分かかっているのだ。このような場合、一番自然な解釈は、この列車は19時45分に到着するが、何らかの理由で19時49分まで停車していた、というものだろう。そして、数分間停車する最も自然な理由は、「この路線は単線で、列車行き違いのため」という展開が最も自然だ。そして、よくよく見れば、確かにこの列車は羽後四ツ屋で下り列車と行き違っている。19時48分発の、被害者が乗って来る列車とだ!
(可能性としては、北大曲と羽後四ツ屋の間に列車行き違い用の信号所があり、羽後四ツ屋駅の到着は間違いなく19時49分、ということも考えられる。ただ、羽後四ツ屋駅で特急と行き違いをしているとしか見えない列車の存在が時刻表から分かるし、何より、同じ発車時刻の下り列車があるのだから、この可能性が高いことは、時刻表を見慣れた人には分かってもらえると思う。現代なら、ネットで田沢湖線が単線であることも、羽後四ツ屋駅に列車行き違い設備があることもすぐに確認できるからこの推測の裏付けが取りやすいが、当時でも時刻表から十分に推測可能な内容だと思っている)
 要するに、大曲からタクシーに乗る、という危険なことをすることなく、大曲から列車に乗るだけで、犯人は被害者に先着できたはずなのである。それを何故犯人は行なわなかったのか、何も触れられていないのは、不自然ではないか――ということだ。

 繰り返すが、このミスは致命的なものではない。
 一つの方法として、理論上は列車に乗っても被害者に先着できたが、犯人が時刻表を読み切れず、先着できないと思い込んで大曲からタクシーに乗った可能性もあるのではないか(もともとこのトリックは、北上駅で急拵えした――ということになっているので、旅慣れない人なら見落としてもおかしくはない)、と探偵に語らせるくらいでも問題は回避できるはずだ。先の会話は手直しが必要だし、タクシー運転手についても一縷の可能性で捜してみたところ見つかった――くらいの表現に変えるべきだとは思うが、論理を根本から組み立て直す必要はない。

 あくまでも、このままだと“中町信が時刻表を読めなかった”ように見えてしまうので、“犯人が時刻表を読めなかった”ようにすべきではないか、と思っている次第である。


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戸田和光