先日、ちょっと調べものをしていて、《別冊小説現代》という雑誌について確認していたところ、これまで意識したことのなかったケースにぶちあたってしまった。
そのことに触れた文章を、これまで見たことがなかったから、一般研究者には常識だったのだろうが、個人的には初めて触れた内容になる。
今後、同じような疑問を持つ人がどれだけいるか分からないけれど、せっかくだから、一度整理してみようかと思ったのが、この文章になる。万が一、興味を持たれた方がいれば、参考にしてみていただければ幸いである。
なお、今回の問題は、図書館等で雑誌を調べようとした場合に表面化する問題である。古書店(ネット古書店や、オークションを含む)で雑誌を購入しようとする場合は、気にする必要は(たぶん)ない。ただ、この場合でも、巻号について確認する場合には、多少は関係するかも知れない。
まず、基本的な考え方を整理しておきたい(といいながら、これは私の認識である。この前提が間違っていた、というのが今回のケースになるのだが、私と同じような認識をしていた人は、きっといる――と思う)。
一般的に、《〇〇》と《別冊〇〇》は、雑誌としては別なものである。当然、同じ出版社が刊行しているし、編集者も共通しているケースが多いだろうが、雑誌としてはあくまでも別であり、雑誌コードも違えば、巻号もそれぞれの中での続き番号になる。あくまでも、知名度を共有するための一つの手段として別冊≠加えて、ほぼ同じ雑誌であることを示している、と考えている。
逆に、同じ雑誌の中で、刊行ペースを増やしたい場合等に使われるものが、増刊≠ノなるだろう(もちろん、単に増刊≠ニすることもあるし、臨時増刊%凵A様々な表現がある。書誌的にも、《増刊〇〇》と書くこともあれば、《〇〇》×月増刊号、などと書くこともあり、私自身、決まった使い方をしていない……)。こちらは、新たな雑誌コードを必要としないので、比較的刊行しやすい印象があるが、それは同時に、雑誌コードさえ共有してしまえば、内容は関係ない――本誌に近いものも多いが、全く違っていても構わない――ことを意味する。実際、奥付等で小さく《増刊〇〇》と書いて、雑誌コードの問題をクリアしておいて、表紙等には全く違うものを雑誌名称として大書することもよくある(実際、雑誌コードを入手するまでは全く別な雑誌の増刊として発行しておき、雑誌コードを得て、新たな巻号をスタートさせた雑誌をいくつか知っている)。その場合、雑誌名称としてどちらを使うべきか、とても迷うことにもなるのだが、この点に触れだすと長くなるので、ここでは触れないでおく。
国会図書館などで、《別冊小説現代》を検索してみると、基本的に以下の情報が得られるだろう。(逆に言えば、この情報しか得られないはずだ)
昭和41年10月に創刊され、昭和51年10月まで、年4冊の季刊として刊行された雑誌のこと。翌昭和52年6月に、《Gen》と改題して再創刊されるが、こちらも翌年3月まで4冊刊行して休刊となった。
――ところが、オークションなどを眺めると、昭和60年頃にも《別冊小説現代》という雑誌が出ていたことが確認できるだろう。これらは、明らかに先の発行時期からははずれている。普通に考えれば、この時期にも再び《別冊小説現代》という雑誌が発刊されていたように思われるのだが、やはり、国会図書館などでは検索できない。――これは、いったいどういうことなのか?
とりいそぎ調べてみた結果は、以下のような内容になる。
昭和57年から昭和61年にかけて、不定期で《別冊小説現代》という雑誌が、間違いなく発行されている。このうち、昭和60年までは、ほぼ毎号推理小説特別号≠ニ銘打たれており、ミステリの長編一挙掲載などを軸にしていた。従って、内容から見る限り、まさに別冊≠轤オい別冊≠ニ云えるかも知れない(一方、昭和61年に季刊で刊行された別冊は、短篇&コラム特集号≠ニ題されて、一般文芸中心のものに変わっている)。
――ただ、これらの別冊≠ヘ、巻号を本誌である《小説現代》と共有しており、形式上は、《小説現代》の増刊という扱いだった。このため、国会図書館などで調べても出て来なかったのである(国会図書館では、《小説現代》の検索結果の中に、別冊≠ニ付記されて出て来る)。
なんだ、では、この時期の《小説現代》は、増刊≠ニする代わりに別冊≠ニしていたのか、わかりにくいが、仕方ないな――と思ってしまいそうだが、話はそこまで単純ではなさそうだ。更にややこしさを増しているのが、上述した昭和61年の増刊なのである。先に書いたように、この年には別冊=i一般文芸中心のもの)が4冊あるが、その他に臨時増刊≠ニ題された増刊も2冊発行されているのだ。しかも、そのうちの一冊は、それまでの《別冊小説現代》の推理小説特別号≠引き継いだかのような江戸川乱歩賞作家大全集≠ネのである(もう一冊は菊地秀行スペシャル≠ナ、こちらは本当に臨時増刊という扱いが相応しい気がする)。結果として、これらはすべて《小説現代》の増刊であるため、この年は計6冊の増刊が発行されたことになる。ただ、見た目上の別冊≠含んでいるため、直観的にはとても紛らわしい。
では、意図して別冊≠ニ臨時増刊≠刊行しようとしたのかというと、そうでもなさそうだ。翌年の昭和62年からは、基本的に別冊≠フ刊行はなくなり(短篇&コラム特集号≠ェ終わったとともに、別冊≠烽ネくなったと解せるだろう)、不定期での臨時増刊≠セけが発行されるようになった(その内容に応じて、江戸川乱歩賞作家大全集=A超伝奇&バイオレンス特集号=Aミステリ&伝奇特集号≠ネど、様々なサブタイトルが付されている)。数年にわたって、年2冊から6冊まで、不規則なペースで刊行されていたが、《メフィスト》創刊と前後して、臨時増刊≠フ刊行も終わることとなった(つまり、《小説現代臨時増刊》が発展解消したのが《メフィスト》と考えて良いだろう)。
つまり、最初から《小説現代臨時増刊》という形を想定していたが(実際、この名前では、昭和56年6月に新探偵小説三人集≠ェポツンと発行されている。連城、栗本、井沢がそれぞれ長編を書き下ろした一冊だ。これが好評だったため、翌年から別冊≠ェ再開されたのかも知れない)、当初は以前のものを真似て別冊≠ニしてしまったのかも知れない。実際、編集部は全くこだわりがなかったようで、昭和63年に一冊だけ《別冊小説現代》が発行されたりもしている。既に最後の別冊≠ゥら2年近く経っていたし、内容も江戸川乱歩賞作家大全集≠セから、本来は臨時増刊≠ナあるべきものを、うっかりミスか何かで《別冊小説現代》としたとしか思えない(実際、裏表紙には小説現代臨時増刊≠ニ書かれている……)。他にも、ヤフオクでは、平成4年にも同様なミスがされているようだから、編集部は最初から全く気にしていなかったのかも知れないけれど(どちらにしても巻次としては《小説現代》の増刊なのは確かなのだから)。
いずれにしても、この頃の《別冊小説現代》は、別冊≠ナはなかったことが分かるだろう。
おまけで、《メフィスト》についても触れておこう。
これも、国会図書館で検索すると、平成21年4月からしか出て来ない。独自の雑誌となるのは、この号からなのだ。一方、Wikipedia 等にもある通り、この雑誌の創刊は、もっとずっと古い。――そう、先の《別冊小説現代》と同じ事情を有するのだ。
整理してみよう。
《メフィスト》は、平成6年4月に創刊され、平成18年9月から1年弱の休刊をはさみ、平成28年4月まで年3冊の頻度で刊行される(刊行月が変わる際に、結果として刊行冊数が変わることもあったが……)。その後、電子版に移るも、令和2年12月をもって休刊。その後、会員向けの同人誌のような形に移行した。
当初は、《小説現代》の臨時増刊の形で、巻号は同誌と共有していた。平成21年4月から、独自の巻号を有するように変わっている。
で、もう少しだけ調べてみると――
当時の《メフィスト》は、不規則な刊行月が特徴となっていたが、この特徴は、この巻号の共有が生み出したものと思われることが分かってくる。
当初、《メフィスト》は、4,8、11月刊行というペースだった。この年の増刊≠フ刊行を見てみると、同じ平成6年の9月に、講談社は《歴史ピープル》という時代小説専門の雑誌を刊行しており、しかも、この雑誌も《小説現在》の増刊≠ニして、巻号を共有していたことが分かる(こちらは季刊。最初の2年間は3,6,9,12月発行)。つまり、《メフィスト》を4月おきに刊行しようとすると、12月に増刊が2冊出ることになってしまうのだ。これを避けるために、ひと月ずらしたと考えることは、さほど無理はないと思う。ちなみに、《歴史ピープル》は、平成8年の秋から、1、4、7、10月発行にシフトした。これを受けてかどうか、《メフィスト》も、5、9,12月の刊行にシフトしていることに気付くはずだ。ここでも、同じ月に2冊刊行とはならないようになっていたのだ。(つまり、この頃は、本紙と巻次を共有する増刊が毎年7冊出ていたことになる)
さて、《歴史ピープル》は平成11年1月に休刊となった。このためかどうか、この年から、《メフィスト》の刊行は、1,5,9月の刊行と、4月おきという標準的なサイクルに変わっている。この点も、《メフィスト》はあくまでも《小説現代》の増刊、ということが前提だったと考えられるのではないか。
(なお、どうでもいいことだが、《ファウスト》も、最初の2冊は《小説現代》の増刊として刊行されている)
戸田和光