読書感想 芦沢 央「ミイラ」

 芦沢央『神の悪手』の感想を書いておこうと思う。
 基本的には、面白かったと思う。何より、“将棋ミステリ”の多くが“棋士ミステリ”になりがちなことを思うと、確かに本書の収録作品は将棋ミステリになっていることを評価したい。題材のバラエティを含めて、楽しめたのは否定しない。
 ――ただ、個人的にいくつか気になる個所があったため、絶賛する気にはなれないかな、という思いは残ってしまった。

 特に、違和感が残ったのが、「ミイラ」になる。『現代の小説2021 短編ベストコレクション』に選ばれるなど、作品の中でも評判はいいみたいだし、確かにストーリーに大きな瑕疵もなかったかも知れない。
 ただ、私は、三つほど大きな違和感を感じてしまい、スッキリと読み終えることが出来なかった。ミステリとしての欠陥という訳ではなく、あくまでも構成する中で不自然に見えてしまった、という程度のものだけれど、それなりに将棋(詰将棋)が好きなミステリ読みとして、どうしても気になってしまったのだ。私の誤読もあるかも知れないが、せっかくなので、整理しておきたい。

 一つめ。順番は逆だが、一番明快なので、最初に書いておこう。
 最後の一文は、やはり筆の走り過ぎだろう。詰将棋はルール自体を自由に作ってもいい*では決してない。その直前に主人公自身が述べている通り、詰将棋の一つのジャンルとして、ルールを自由に作ってもいい「フェアリー詰将棋」というものがあるのは間違いないが、それを単に「詰将棋」とされてしまうと、それは間違いになるだろう(実際、「詰将棋」は極めて厳格なルールから成り立っていて、誰かがルールを変えて良いものではない)。
 確かに、物語をこの言葉でまとめたかった気持ちはわからないではない(それこそ、フェアリー詰将棋ではルール自体を自由に作ってもいい≠ニしてしまうと、間の抜けたものになってしまいそうだ)が、だからといってこう書かれてしまうと、印象が大きく変わってしまうと思うのだ。フェアリー詰将棋を形容するつもりが、狭義の「詰将棋」を対象にしたことになってしまっては、間違いと言わざるを得ないし、実際にルールを変えたものを詰将棋として出されても、(それこそ、この作品のように)それは違う、と言われるだけだろう。

 二つめ。
 110ページにある、少年の手紙に書かれた内容が、どうもしっくりしない。何故少年が、こんな文章を書いたのか、私には分からなかったのだ。
 ――この手紙は、主人公による余詰指摘に対するものとして書かれたものとなっている(編集長は「反論」と表現している)。であるなら、前半(1二飛は打てません。まで)は、指摘に対する反論なので、当然書かれるべきものだ。しかし、後半(“▲1二金”以降。特に、最後の1一飛に対しては1三玉で逃れ、のくだり)を、少年が(この段階で)書く必要があったとは思えないのだ。
 主人公が書いた余詰指摘は、その数ページ前にあり、必要最小限のことしか書いていない。であれば尚更、この後半の部分は、余詰指摘とは全く関係がないものにしか見えない。そもそも、少年は、自分の認識しているルールが他の人とは違うことを知らなかった訳だから、指摘されてもいないのに、わざわざ自分のルールを知らせるためだけの文章を自分から書く必要はないはずだ。つまり、少年自身がわざわざここまで書き添える理由はないとしか思えない。
 もちろん、この後半の文章は、小説としては極めて重要な情報であり、この文章があったから、主人公が少年のルールに気付くきっかけになったのは間違いない。であれば尚更、物語を成り立たせるために、手紙としての整合性を無視してしまったように感じてしまったのだ。
(もちろん、この種のムシの良い構成は、ミステリではよくあることで、私も毎回気にしたりはしない。あくまで、多少は詰将棋投稿を知っている人間として、処理のしかたが気になったということである。まあ、今回のケースだと、無理なく進めるのは難しいかも知れないけれど。手紙のやりとりを増やすくらいしかないか?)

 三つめ。
 少年の父は、なぜこのようなルールを創始して、我が子にこれが「詰将棋だ」と言って教えたのだろう? 理由が分からなかった。
 (犯した犯罪とは関係なしに、)少年が詰将棋を知った(父から教えてもらった)時点で、このミイラルールだった。実際、そのあとで、父親はルールを変えた詰将棋を少年に教えた、とも書かれている。いずれにしても、この点については、少年よりもその父親が、大きな役割を持っていると思われる。それなのに、その辺りの説明が余りされていないように感じてしまったのだ。
 ルール自体が教団の教えに近い気もするので、教団の中で暮らす中で父親がルールを作った可能性が高いようにも感じたけれど、一方で、最後には教団の教えに背こうとしているので、このような形で少年に教団の教えを知らせる意味があったのかは極めて曖昧な気がする。結局、どのタイミングで、ルールを変えた詰将棋を教えたのかによって、この変則詰将棋の果たす役割まで変わってくるようにも思えるのだ。そうであるなら、それは小説の中で書いておく方が親切ではないか。物語の中心に少年がいて、その影に父親がいたことになっているから仕方ないのかも知れないけれど、このルールに限れば、父親側の記述があって良かったのでは、と思って仕方ないのだ……。
 特殊設定ミステリであれば、こういったルールが存在することが前提で、誰が何故そんなルールを作ったのか、などは必要ないだろう。だからといって、この点を曖昧にすることで、この小説が特殊設定ミステリに見えてしまうのはもったいないと思ってしまったのだ。
(途中まで、教えに影響された少年が、無意識のうちにルールを改変した――といった展開を私が考えたりもしていたせいかも知れないが)

 ――後半の二つは、なかなか他の人には理解してはもらえないかも知れない。ただ、言われれば、私が気にした点を分かってもらえる人はそれなりにいると信じたいものである。


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戸田和光