個人的な弁解など (あるサイトの記載を読んで……)


 ちょっとした目的で、ネットの検索をしている中で、あるサイトの記述に目がとまった。「ると」氏が読んだ本の感想を書いたページである。
 某書に書かれた表現に疑義を呈した内容だったのだが、その対象となっているのがすべて、私が執筆した文章だったためだ。

 読んでみた感想としては、「そのように読まれたのであれば、私の文章力の拙さが原因だと思います。申し訳ありませんでした」――という感じになる。私自身、本に掲載されるまでにも何回となく読んでみたけれど、全く疑問を持たなかった個所であり、まさかそう解釈されるとは思ってなかったけれど、そう読む人がいる限り、反省するしかないだろう。

 ただ、申し訳ないとするだけでは、書いた内容に責任を持ってないと思われてしまう可能性もあり、それはそれで、私としては不本意である。
 そのため、ここに、個人的な反応をまとめておこうと思った次第である。(執筆した人がこの文章を読むことは、多分ないだろうとは思うけれど)

<追記>
 その後、「ると」氏がこの文を読まれて、その感想も含めた文書もUPされた。
 従って、こちらも、当該ページにリンクしておこう。こちらである。


<1> 小峰元の作家紹介について

 同氏は、以下のように書いている(引用の関係で、多少編集している。趣旨は変えていないつもりですが)。

 ・「ギリシアの偉人」以外も少し混じっている。「クレオパトラ」はもちろんエジプト、「ポセイドン」は人ではない。
 ・年齢に関して、だんだんとあがっていく感じはするが、全体的に高校3年生(ほとんど受験生)がいちばん多い。

 これは、小峰の作家紹介にある、以下の(私の)文章に対する意見になる。

<翌年の『ピタゴラス豆畑に死す』以降も、ギリシャの偉人名をタイトルに含んだ青春ミステリを次々と発表し、独自の世界を築いていく。高校生から浪人生、大学生、社会人一年生と次第に主人公の年齢を上げながら、事件に巻き込まれることで成長していく主人公たちを、(以下略)>

 ――これは、指摘者は間違っていない。間違っていないけれど、私が小峰の作家紹介をする限り、やはりこの表現を今後もすると思うし、指摘を受けて直すこともたぶんしないだろう。これは、ある種、確信的にそう思っている。(もちろん、許された文章の量によって違うから、後半の指摘に沿ったことを書く可能性は否定しないが)

 多分、この違いは、小峰作品を読んで来た経歴の差だと思われる。同氏の年齢は分からないが、小峰の(再デビュー後の)全作品を読んでいないことは本人も書いているから、若い人なのだろう。入手した順に何作品か読んでみた感想を書いた中で、気づいた点を指摘したように見えるからだ。
 私は、『アルキメデス』以降の全作品をすべて読んでいる。それも、いずれも出版から間もない時期に読んでおり(厳密にいえば、初期の数作については“文庫化後間もなく”という補記が入るが……)、言いかえれば、刊行された順に読んできた。その私の認識としては、小峰作品の特長を書こうとすると、どうしたって上記の文章になってしまう。
 ギリシャの偉人以外が混じっていることも気付いていたけれど、小峰が世界を築いていく初期については、その特長として“ギリシャの偉人”タイトルを挙げるべきだと思ったし、今でもそう思っている。(そもそも、『ポセイドンの青春抒情死抄』は、私にとっては単なる『青春抒情死抄』なのだ。言っては何だが、一度この時点で偉人タイトルシリーズは途切れている、と思ってしまう気持もある)
 また、圧倒的に受験生(高校三年生や浪人生)が多いことも知っているけれど、最初に読んだ『アルキメデスは手を汚さない』は受験生ものではない(確か高校二年生ではなかったか?)訳で、最初から小峰の特長が受験生にある意識は私にはなかったのだ。それに、個人的な小峰の裏ベストである『ソロンの鬼っ子たち』(ある意味、小峰が本当に書きたかったのはこの世界ではないか、とさえ私は思っている)までの道のりを考えるなら、どうしたって“次第に主人公の年齢を上げ”という表現をするしかない。

 もっと言えば、“ギリシャの偉人名をタイトルに含んだ青春ミステリを次々と発表し、独自の世界を築いていく。高校生から浪人生、大学生、社会人一年生と次第に主人公の年齢を上げながら――”という表現からは、“ギリシアの偉人以外はいない”とか“作品数的には受験生(浪人生)の作品数が多い”という指摘を受けるとは全く考えていなかったんだけどな……と思うのは、筆者の甘えですね、すみません。

<2> 学習雑誌へのミステリ掲載について

 同氏は、以下のように書いている(やはり、引用の関係で多少編集している)。

 ・「70年代後半」というのは「1975年〜1979年」のことだろうか? 小峰元『ヒポクラテスの初恋処方箋』(『螢雪時代』1976年4月号〜1977年3月号)や、天藤真「推理クラブ殺人事件」(『高2コース』1976年7月号・8月号)。という、例外の例外が簡単に見つかってしまうが。これは、1970年代後半ではなく、1970年代の終わり頃のことか?

 これは、赤川次郎の作家紹介にある、以下の(私の)文章に対する意見になる。

<赤川のもう一つの特徴として欠かせないことに、中高生向けの作品を積極的に手がけていることがある。七〇年代後半には、学習雑誌へのミステリの掲載が殆どされなくなっていたが、赤川作品は唯一の例外だった。中高生からの人気の高さが伺える。>

 これは、私のミスだ。間違いと言ってしまうとやや不本意だが、“赤川作品は唯一の例外”の「唯一の」が強力すぎる表現だと言われれば、それはその通りである。
(と思う一方で、赤川次郎の特長に一つにジュヴナイルがあり、それを強調しようとすると、つい「唯一の」と表現したくなるよね――くらいの自己弁護はしてしまうのですが。とはいえ、唯一じゃないのは私自身がよく承知しているので、おかしいと言われれば、ハイその通りです、と答えるしかない)

 同氏は、続けて“これは「学習雑誌」をちゃんと調べたうえでの発言なのか?”と書いているが、この問いについては、「はい、調べて書いています」と答えよう。というか、そうでなくて“七〇年代後半には、学習雑誌へのミステリの掲載が殆どされなくなっていたが、赤川作品は例外だった”なんて、私にはとても書けない。

 こちらについては、調べた上での記述であることの弁解も兼ねて、上記のように書くまでの自分なりの思いを振り返ってみよう。
 昭和40年代(まで)は、学習雑誌に多くのミステリ作家が(連載、読切を問わず、)いくつもの作品を執筆していた――というのが大前提になる。それと比べて、昭和50年代以降は、作品執筆する作家がかなり減っていて、その大きな理由の一つに小説の掲載自体が減っていることがあることも、前提と考えて良い。とはいえ、その上で昭和50年代のミステリ執筆事情を見れば、昭和51年まではそれなりのミステリが掲載されている。(それこそ、同氏が挙げている作品もそうだし、佐野洋や大谷羊太郎の連載長編や、皆川博子などの中編連載、西村京太郎や海渡英祐らによる読切連載などがあった)――だから、“昭和50年代には”といった表現はしたくなかったのだ。
 それと比べれば、昭和52年代以降は数えるほどしかない。藤木靖子が「中学二年コース」に約6年に渡って代わる代わる小説連載をしているが当然ジュニア小説色が強いものだし、比較的ミステリ作品数が多い宮敏彦やせき・らん(石津嵐)もジュニア小説畑の人と思われているだろうから、ここではミステリ作家に含めなくれも構わないだろう。池田雄一なども同じだ。
 それ以外の、昭和52年以降のミステリ作家による作品を数えると……(SFと分類できる、都筑道夫「ロボットDとぼくの冒険」を除けば、)
     辻 真先「伝説『鬼姫村伝説』」  「高1コース」昭和54年4月〜9月
     斎藤 栄「悪魔の玉手箱」     「中二時代」 昭和52年4月〜53年3月
 以外は、赤川次郎と大谷羊太郎しかいないじゃないか。しかも、大谷の作品は、昭和52年〜53年の作品が多いや(「加世子の冒険」=「中一時代」昭和52年10月〜53年3月。「呪いのペンダント」=「中一時代」昭和53年4月〜9月。「林の中の家」=「高一時代」昭和52年12月。「奇妙なアルバイト」=「高一時代」昭和53年4月〜5月)。――これなら、“七〇年代後半には、赤川作品は唯一の例外だった”のように、多少期間を曖昧にすれば、これくらいまでなら表現しても大丈夫だろう……という流れだったと思う。赤川作品が学習雑誌に載り始めるのは、昭和54年以降だからだ。
 ……とはいえ、これにも例外があることも知っていた(昭和54年以降も、大谷が――それまでよりも作品は減っているが――小説を書いている。「虹色の夢と罠」=「高一時代」昭和54年3月〜「高二時代」昭和54年5月。「死の指サイン」=「中一時代」昭和57年8月)から、明らかに“唯一”ではないし、昭和55年以降の作品も含めて“70年代後半には”と書くのもアンフェアだったかも知れない。ただ、昭和50年代半ば以降に学習雑誌に載るのは赤川次郎作品が殆どでしたよ、と強調したかったのである。

 そもそもが、“学習雑誌”という書き方自体、危険な意味もあったのだ。“中高生向けの作品”と書いているから理解してくれるつもりではいたが、小学生向けの学習雑誌(「小学×年生」や「×年の学習」など)には、それこそ昭和50年代以降も、山村正夫や加納一朗の両巨頭を筆頭に、梶龍雄らが数多くの小学生向けミステリを書いているからである。学習雑誌ではなく、「コース」と「時代」と特定してしまうべきだった気もするが、それはそれで美しくないから余り考えなかった。その結果のミスといえるかも知れない。
 こちらについては、それこそ再版等の機会があれば、修正することを考えたい。


戻る

戸田和光