ある翻訳ミステリ書誌

 もともとは、<デイリースポーツ>(大阪本社版)だった。
 社史を眺めていて、連載小説として、翻訳ミステリを載せていた時期があることを知ったのだ。それを知って、「新聞小説で翻訳ぅ? 毎日の分量をどうやってあわせていたのだろう」とか、「動きの殆どない回もあったろうに、どうやって読者を惹きつけていたのだろう」とか、いろいろと気を回してしまうのは、書誌マニアの性だろうか。ちょっと気になって、調べてみたことがある。その結果、どうやら3編で終了してしまったことを確認した。案外と少ない。面白そうだからやってみたけれど、定着はしなかった、という風に見えてしまう。やはりどこかに無理があったのだろう。
 さすがに、完訳なのかどうか、まで調べるのは私の管轄外である。それは、翻訳ミステリのマニアに任せることにしよう。

 とはいえ、そのラインナップは、ちょっと面白かった。順に、あげて行こう。

 *昭和34年12月5日〜昭和35年4月5日
 『秘密情報部〇〇七号』 (イアン・フレミング/井上一夫)
   余りにも、それらしい選択だろう。
   というか、この作品を載せるために、翻訳ミステリの新聞連載が企画された可能性が高いと思われる。
   タイトルは違うが、連載時期を考えると、『ダイヤモンドは永遠に』(35年7月22日初版)として刊行されたものだろうか。

 *昭和35年4月6日〜昭和35年7月20日
 『拳銃の掟』 (リチャード・マースティン/中田耕治)
   余り記憶にない作家だな、と思って調べたら、エド・マクベインの別名だった。
   なるほど、と思いながらネットを眺めていて、『ビッグ・マン』(リチャード・マーステン/中田耕治 35年10月21日初版)という本に突き当たった。
   刊行時期も合うし、作家と翻訳者が一致しているので、改題の上で刊行された可能性が高そうだ。(←確認はしていない)
   しかし、改題はともかく、何でわざわざ作家名表記を変えたのだろうか。

 *昭和36年1月10日〜昭和36年5月29日
 『ギデオンの一カ月』  (J・J・マリック/般若敏郎)
   間隔が開いた、3作め。
   これまでの2篇と比べると渋い選択に見えるが、一ヶ月を追う構成を考えれば、新聞連載には向いただろうな、とは思う。
   これは、37年8月31日に、同題で刊行された。刊行までの時間の空き方は、何故なのか不明だ。


 とはいえ、これは例外だと思っていた。そうそう翻訳ミステリが新聞連載されていたとは思えない、と思っていたのは私だけではないだろう。――しかし、その後、他の新聞でも同じような連載がされていたことを知る。しかも、今度はスポーツ新聞ではなく、一般紙だった。<北日本新聞(夕刊)>だ。


 *昭和35年11月15日〜昭和36年3月22日
 『蘭と殺し屋』 (ハドリー・チェイス/井上一夫)
   原点帰りのような、王道(?)ハードボイルドに戻っている。やはり、この方が新聞連載には馴染むのだろう。
   例によって、同題の本はないが、普通に考えると、『蘭の肉体』(38年3月1日初版)ではなかろうか。例によって、刊行までの時間が半端だが。

 *昭和36年3月23日〜昭和36年7月15日
 『秘密情報部〇〇七号』 (イアン・フレミング/井上一夫)
   4篇からなる連作である。順に、「バラの目」「読後焼却すべし」「ヘロイン」「珍魚の殺人」となっている。
   さすがにこれは、特定が容易で、『007号の冒険』に間違いなかろう。4篇めで終了しているのは、長すぎる……と思ったからだろうか。とはいえ、39年5月21日刊行、というのは、さすがに間隔が空き過ぎだとは思うが。

 北日本新聞に連載されたのは、以上2篇である。さすがにこれで終わったのは、読者層の違い、といったことがあったのだろうか。
 とはいえ、こんな例があるのなら、他の新聞にも掲載されていた可能性もありそうだ。前途多難である。(私は、積極的に確認する気はないが)


 しかし、このように5篇並べてみると、ハッキリと一つの特徴に気付く。――いずれも、その後、東京創元社から刊行されているのだ。
 実際、小説欄の最後に、「創元推理文庫 今月の新刊」という囲みがほぼ毎日載っていたようだがら、新聞連載の時点で、東京創元社が関わっていたのは間違いないだろう。編集協力――というよりは、東京創元社から刊行する予定で準備していた翻訳を、一旦両新聞社に回したもの、というあたりが正解にも見えてくる。とはいえ、後半になると、連載終了から刊行までかなり間が開いてくるので、やや不自然にも見えてくるが……。まぁ、翻訳者に不満がなければ、問題はないのか。

 実際に、どんな経緯があったのか、知っている人はいるのだろうか。
 さすがに、50年前の出来事なので、東京創元社にも知っている人は残っていないかも知れない。

 ともあれ、その後も定着していたら、もう暫く不思議な選択が続いていたかも知れない。それも興味はあったかも、とは思ったり。


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戸田和光