復刻叢書についてのひとりごと


 復刻叢書をまとめるにあたって前提にしていることは、雑誌や新聞に載ったまま、短編集にまとめられることがなかった作品だけで短編集を作る、ということだった。作家の短編集には収められていなくても、入手が比較的容易なアンソロジーに収録されていれば対象外とする(入手がちょっと面倒なものであれば、入れることも考える)というのも、この延長線上といえるだろう。
 雑誌や新聞に載ったままだからといって、入手が大変だとは限らない。書誌情報さえあれば、欲しい本を探すよりも簡単なことも多い。とはいえ、手間だけはかかるのは間違いないから、一般的に手間がかかることはしない人も多いし、そう珍しくはなくても、単行本にまとめられたことさえなければ一定の需要はあるかも、と思いながら作業を進めている。

 ただ、よく言われるように、『ミステリーの世界には、埋もれた名作などない』から、短編集(もちろん、アンソロジーは含む)に収録されたことがない作品が面白いかどうかは分からない。最低限のラインに届いていない場合もあるかも知れないが、本叢書では、その点は無視して復刻することを優先している。だから、面白い作品を読みたい――という方は、手を出さない方が無難かも知れない。今さらだが、予めおことわりしておきたい。

 とはいえ、そうしてまとめてみて、もう一つ誤解されそうな要素に気づいた。島久平にしても、飛鳥高にしても、河出文庫から出た“本格ミステリ コレクション”に入っていたため、これらの作家を本格ミステリ作家と思っている方もいるかも知れない。その作家の本であれば、面白くはなくても本格ミステリではある、と判断される可能性までは考えていなかったのだ。――個人的には、このシリーズは「本格ミステリも数多く執筆した作家の、面白い本格ミステリを集成した」ものだと思っており、本格作家と呼べるのは、むしろこの6冊の中では最も本格味が薄い鮎川哲也だけだろう、と思っている。
 一方、笠原卓については逆のケースで、笠原自身は間違いなく本格作家だと私は思っているが、その作品すべてが本格である訳では決してない。特に典型的なジュヴナイルで、『女学生の友』(『ジュニア文芸』)という媒体の要請だろうが、本格から離れたロマン・ミステリーに徹したものが大半なのだ。

 本叢書に入っている作品の中に、殆んど本格ミステリはない。そういった意味では、本格ミステリは、むしろ本として刊行されることが多かった恵まれたジャンルだ、と解釈できるのかも知れない。そんな訳で、本叢書に本格ミステリは期待しないでください。これも今さらだが、飛鳥作品の内容紹介文で“非本格”と強調したり、笠原作品の内容紹介文で“サスペンス・ロマン”と強調したりしているのには、そんな事情があります。


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戸田和光