昭和50年代半ばから暫くの間、《婦人公論》が小説特集号を盛んに編集・発行していた。その中心となるのが《別冊婦人公論》で、昭和55年7月に創刊し、季刊誌のペースを守りながら、平成4年4月まで発行している。ちょうど12年、48冊が発行された。
ミステリとして見ると、この雑誌で真っ先に挙げるべきなのは、和久峻三だろう。定期的に執筆を続けていたのが、拙サイトに上げたリストでも分かるはずだ。他にも、山村美紗や皆川博子の作品リストを作ろうとすると、同誌のチェックは必須だし、西村京太郎なども数編書いている。
タイトルだけを見ると誤解しそうだが、同誌は完全に小説雑誌そのものなのである。
ただ、ここでややこしいのが、《婦人公論》は、この定期発行していた別冊≠フほかにも、小説雑誌を発行していたことだろう。《婦人公論》本誌の臨時増刊という形で、やはり小説雑誌を作っていたのだ。こちらは、年に1〜2回の発行だった。
こちらの増刊については、やはりまず触れておくべきなのは、皆川博子だろう。そのリストを追えば、この増刊の刊行ペースもほぼ推定ができるくらいの頻度で執筆していたからだ。毎年11月か12月の刊行で、83年から90年にかけて刊行されており(厳密にいえば、89年に刊行されたかどうかは、分からないのだが――)、このほかに、86年から88年にかけては8月にも刊行されていたことが分かるだろう。ほかに山村美紗なども書いていたから、執筆作家は別冊とかなり重なっているのだが、どのような編集体制だったのだろう……。
それこそ、これらの作家のリストを見ると、同誌の別冊や増刊がゴチャゴチャと並んでいるが、実際、それだけの雑誌が出ていたのである。
――とまあ、ここまでは私も承知していて、確認もしていたのだけれど、この前哨企画とでもいうのか、《別冊婦人公論》が刊行される前年となる78年と79年にも、12月に増刊(小説特集号)が出ていたのを見落としていたのだった。確かに、皆川博子の作品リストを追うと、ポツンと79年の増刊にも執筆していたことが分かるのだが、完全にエアポケットになっていたらしい。……情けない。
この号にホームミステリー≠ニいう特集があって、4編の作品が並んでいるのだが、その顔ぶれが、戸川のほか、平岩弓枝、夏樹静子、南部樹未子――というものだった。書誌情報を調べようとしたときに、ひっかかりがなさそうな顔ぶれ(関連でより深い調査をする気にはなれない顔ぶれ)なのは否定しにくいけれど、大した弁解にはなっていないだろう。とりあえず、リストを修正することで、お許しいただければ、と思う。
戸田和光