5.私がどのように関わってきたか

  1. オーボエは中学校の吹奏楽部にいた1972年頃に、自分のパートであるサクソフォンの楽譜にときどきオプションとして出てくる小さい音符がいいメロディーばかりで羨ましく思い、貧乏家庭を顧みず「買ってくれー」と、とりあえずねだってみたら、その値段の高さに呆れてしまい、あっさり物欲リストから消えた。もちろん教えてくれる人もいなかっただろう。
  2. ウィーン式オーボエというものの存在を始めて知ったのは1990年頃にヤマハ銀座店管楽器売り場を訪れたときにもらった別刷冊子によってである。パイパーズに連載されたものを集めて、ヤマハがその優良企業ぶりを示すのに作ったものであろう。もともとエンジニア指向であった私はそのヤマハの音響研究やら、サクソフォンのカスタムシリーズなどの成果に興味を持っていた。カラヤンが認知したアイーダトランペットなどは、ジンガーらの勇気も心を打つエピソードである。ウィーン式トランペット、ホルンと続いて、そしてオーボエがトレチェクによって製作が要請されたというくだりは、もう「技術立国日本万歳」という感じだ。清水恵士さんというすごい才能を持った人がいることも知った。
  3. しかしこの冊子にはとんでもない誤解が記されていた。「リードが柔らかく、吹きやすい上、運指もリコーダーに似ているので、小学生にも使わせたいくらいだ」というものだ。プロが使えばそうかもしれない。とにかくこの記述を真に受けて、当時参加していたサクソフォンラージアンサンブルがつまらなくなってきていたこと、ニューイヤーコンサートに5年位連続で行ったこと、オペレッタの面白さに魅されたことが重なって、どうしてもオーボエが吹きたくなってはいた。
  4. ヤマハ銀座店管楽器売り場を訪れ女性店員に訊いてみたところ、「ウィーン専用なので国内では販売できない」との旨。正確には覚えていないが、下記18.で書いている通りのニュアンスだ。つまり、ウィーンの伝統を守るためであって、関係ない人の私的興味を満たすためではないのだ。だからと言って今更フランス式楽器を欲しいかと自問すると、それならいらないと思った。
  5. 一年近く思案した。仕事でほぼ毎年ドイツに行き、休日にはウィーンにも行けるだろうから、向こうから発注すればいいのかなあと思い、ふたたびヤマハ銀座店管楽器売り場を訪れ、そういう作戦を別の美人女性店員に話した。銀座本店で例外的に売ってくれることになった。清水恵士さんに電話をかけてくれて、「時価で、10ヶ月待って、それから清水先生のレッスンを受けられる」旨。すぐその場で注文した。
  6. 約1年後、ついにYOB-804Hを入手。サクソフォンやフランス式オーボエの充実したメカに比べて、あまりにキーが少ないこと、連結キーがほとんどないことなどに、何か不満。何でも鑑定団に出てくるセリフ「こんなのなら自分でも作れるんでは?」みたいな感想だ。でもこれが「ウィーンフィル御用達」なのだ。
  7. 清水先生のレッスン:音が作れない。梅原美男著「オーボー教則本」に基づく音型練習。誰だリコーダーが吹ければ、吹けるなんて言ったのは?!全く音程がとれないし、すぐにリードがへたってしまう。
  8. 来日したウィーンフィルのトレチェクのホテルの部屋に清水先生と行き、指導を受けた。トレチェクがユニゾンで簡単なフレーズを吹いてくれた。すると不思議に音程もとれるし、何か急に上達したような錯覚を得た。おそらくこれがウィーン流の伝授法なのだろう。生徒はとっても楽しいし、嬉しい。
  9. 清水先生にお願いして、お持ちのウィーンの教則本を、ハダモフスキーの教則本を借用した。
  10. マックとページメーカとキャンバスとオーヴァチュアを使ってDTP+DTMをめざしてこの教則本を自分用にバイリンガルで作り出した。「ロングトーンの練習にもピアノ伴奏が付く」はずだが、清水先生はお持ちでなかった。
  11. 清水先生がウィーンフィルのマーティン・ガブリエル氏を紹介してくれて、以後、彼からレッスンを受けることになった。ハダモフスキーの教則本について彼は「もう古い(ニュアンスとしては『古臭い』)」と述べていた。確かにもう200年前のヨーゼフ・ゼルナーの12/8拍子の8小節の練習曲ばかりでは、ウィーンフィル首席としてはつまらないかもしれない。でも、ガブリエル氏の先輩奏者のローレンツ教授に私の編纂中の教則本のことを伝えてくれた。
  12. ローレンツ教授夫妻にコーヒーを御馳走になりながら、ハダモフスキーの教則本にまつわることを伺い、「スミオ・アシノを知っているか、電話番号はこれだ」と教えていただいた。
  13. 芦野純夫さん宅を訪問し、彼の正統ウィーン式オーボエの何たるかを1から教わった。ロングトーンの練習のピアノ伴奏譜もここにあった。それに第3巻と5巻があった。
  14. 日本ヨハンシュトラウス協会管弦楽団、レハール・カールマン・サロンオーケストラなどを経て、上野浅草フィルハーモニーに入団。自分が上達しないことには、ウィーン式が良いだの主張しても決して受け入れられないことを実感。
  15. 無期限休止。
  16. 長男のヴァイオリンの腕が上がって音楽教室のオーケストラ などに参加するのを機に、オーボエを取り出してみたものの、リードも古いし、うまくなっているはずもなく、無為に過ごしていた。楽器は単に保管していても生きていて変化する。伊藤徹さんという木管楽器修理エキスパートに楽器を点検してもらったところ、ほとんど壊れている状態だった。それにしても情けない。修理は完璧以上。
  17. 東日本大震災2011年、たくさんの人々がたくさんのものを失った。大切な人々、大切にしてきた所有物。楽器。使わない楽器を所有していることは罪か、多くの人の無念さを考えれば。 2014年長男が東京藝術大学付属音楽高校に入ったことで、手をかける必要がなくなり、日本ヨハンシュトラウス協会管弦楽団に復団。オーボエの柏田晃夫さんにリード作りのヒントを一つ一つ伺いながら、茂木大輔著「うまくなろうオーボエ」やインターネット画像を参考にしながらリード自作を試すようになった。
  18. 2018年5月日本ヨハンシュトラウス協会主催喜歌劇「こうもり」全3幕に参加。
  19. 2019年4月29日フィルハーモニカー・ウィーン・名古屋(PWN)の定期演奏会でマーラー「復活」、6月29日30日同オペラオーケストラに相当するTuttiYでラヴェル「子供と魔法」プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」全曲公演(韮崎オペラ)に参加し、借用しているウィーン式イングリッシュホルンも担当。5月25日と11月3日レオン・シンフォニー・ジャズオーケストラ参加。このように活動範囲が一気に広がり、これまでの活動や経緯をドイツ語のエッセイにし、ウィーン・オーボエ協会ジャーナルに投稿し10月83号と12月84号に掲載された(非メンバーは2020年10月と12月以降にオリジナル号をダウンロード可になる)。とりあえず著作権で問題にならないと思われる自分の書いたページを対訳形式にしてみた。