その17.警視庁創立100周年の年に起こった一警察官の小さな事件
私の記憶に間違いがなければ、私がE警察署に在任中の昭和49年(1974年)が警視庁創立100周年にあたる年だったと思います。
警視庁では毎年年頭に当たり、組織として取り組むべき今年度の重点目標などを掲げた警視総監の年頭訓示がありましたが、これを聞いた警部補以下の全職員が「警視総監の年頭訓示を聞いて」という題名で作文を書き組織に提出することになっていました。
私は、その記念すべき年、次のような作文を提出しました。
警視庁の100周年にあたって警視総監は常に警察は国民の味方であったかなような「国民とともに歩んできた警察」という表現をなさっているが、現実の過去はそうではなかった時代もあったのではないのか。
「特高」(特別高等警察の略。旧制で、思想犯罪に対処するための警察。内務省直轄で、社会運動などの弾圧に当たった。第二次大戦後廃止。「広辞苑」より)に代表される国民を弾圧するような過去の歴史的事実もあったではないか。このことを率直に認めて、この反省のもとに今後の100年の展望を語るべきではないのか。
確かこのような内容のものだったと記憶しています。
この波紋は私の予想もしなかった大きなものだったようです。一警察官の組織への批判と捉えられたのではないでしょうか。警察はなぜか思想に対しては非常に敏感です(特に、共産党に代表される左翼思想)。担当課の課長に呼び出され、これはどういう意図で書いたのか、と質問されました。
どう答えたかは、はっきりとは覚えていませんが、警察が本当に国民とともに歩むのであれば過去の反省は重要であり、触れたくない汚点として避けるべきではないのではないか、といった内容のことを答えたように思います。
そのときはこれで終わり、なんのこともありませんでした。この作文提出の本当の波紋を知ったのは、それから5年近くもたったころでした。
当時署長車の運転担当をしていたN巡査長から、酒の席での話しでしたが、長期にわたり私の行動追跡調査がなされていたということを聞き及んだのでした。それが事実であるかどうか確かめるすべはなく、また組織のどの部署が担当したのかは聞き及びませんでしたが…。(平成16年4月1日)