その6.国木田独歩「忘れえぬ人々」
独歩は、明治4年(1871年)、千葉県銚子の母の生家で生まれました。彼の代表作は「武蔵野」。作品は読まなくても作品名だけは知っている人が多いのではないかと思います。
「忘れえぬ人は必ずしも忘れて叶うまじき人にあらず」。独歩はこの小作品の中でこのように述べています。
彼の言う「忘れえぬ人」とは、両親・世話になった教師・先輩・友人のような絶対に忘れてはならない人のことではなく、まったくの他人であり忘れてしまったところでなんの義理も欠かない人でありながらどうしても忘れることのできない人のことであり、彼は主人公にこれらの人々との出会いを語らせています。
私は解説者ほどの知力もないので、彼の心理を端的に描写するだけの能力は持ち合わせていませんが、読むたびにこの小作品に何か引きずり込まれる魅力を感じていることは事実です。きっと、独歩がこの小作品の最後に述べるこの言葉に共感を覚えるからに違いありません。
「我と他人と何の相違があるのか、皆な是れ此生を天の一方地の一角に享けて悠々たる行路を辿り、相携へて無窮の天に帰る者ではないか、というような感が心の底から起こって来て我知らず涙が頬をつたうことがある。其時は実に我もなければ他もない。ただ誰も彼も懐かしくって忍ばれて来る。」
「僕は其時ほど心の平穏を感ずることはない、其時ほど自由を感ずることはない、其時ほど名利競争の俗念消えて総ての物に対する同情の念の深い時はない。」(明治31年作)
(平成16年2月19日)