この事故形態は日常的によく発生するものの一つですね。
さて、この事故形態において、保険会社は、業界マニュアル本「判例タイムズ」事故類型【45図】を示談交渉の出発点として適用してきます。それによると基本過失割合は、10(優先道路進行車)対90(一時停止規制車)ということになります。



ご覧のように、このタイムズ45図のB車側には一時停止の標識図がありません。
この図を見るかぎり、タイムズは、徐行違反による進入行為と一時停止違反侵入行為による事故過失責任は、同一のものと評価しているのではないかということです。

事実、保険会社は、B車側に一時停止の交通規制があるなしにかかわらずこの図を適用してくるということです。つまり、B車が、一時停止規制のない状態で交差点内に進入し事故が発生した場合と、一時停止規制を無視して進入した結果事故が発生した場合とでも、基本過失割合は同じという見解をとるわけです。

保険会社がそのような受け止め方をする根拠はどこにあるのでしょうか。この【45図】のB車側の過失責任修正要素として明記し加算される項目は、次の三つです。

@「B車が大型車」→5%上乗せとなり、修正過失割合は95対5となる。
A「B車に著しい過失有り」→10%上乗せとなり、修正過失割合は100対0となる。
B「B車に重過失有り」→15%の上乗せとなり、修正過失割合は100対0となる。

保険会社は、こういう論法をとるのです。B車側の一時停止違反が基本過失割合に予測済みでないとするならば、当然に修正要素として明記したはずだ。にもかかわらず明記しなかったということは、一時停止規制違反をあらためて修正要素として評価しないということにほかならない。

この考え方を、道路交通法の条文に照らして分析をするとどういうことになるのか。
Bには、いずれにしても、直接的には、道交法36条2項・3項・4項違反が成立し、この違反行為によって事故が発生したことは明らかである。
そして、これらの違反行為によって事故が発生したという点に注目すれば、その前段階である交差点進入以前のB側の規制関係は問題とならない。究極的には、これが保険会社側の考えということになるのではないか。

徐行義務違反・一時停止義務違反。いずれの違反行為によっても、交差点内に進入し優先道路進行中の車両の進行妨害をしたという事実は同一。この同一部分をとらえて過失責任割合は同程度と評価。これがタイムズの考えとするのが保険会社の見解ではないのか。


◆<道交法36条2項>
車両等は、交通整理の行われていない交差点においては、その通行している道路が優先道路(…当該交差点において…道路標識等による中央線…が設けられている道路をいう。…)である場合を除き、交差道路が優先道路であるとき、…は、当該交差道路を通行する車両等の進行妨害をしてはならない。


◆<道交法36条3項>
車両等(優先道路を進行している車両等を除く)は、交通整理の行われていない交差点に入ろうとする場合において、交差道路が優先道路であるとき、…は、徐行しなければならない。

◆<道交法36条4項>

車両等は、交差点に入ろうとし、及び交差点内を通行するときは、当該交差点の状況に応じ、交差道路を通行する車両等、…に特に注意し、かつ、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない。」


ですから、Bが一時停止を無視して交差点内に侵入したとしても、Bの違反行為は基本過失割合の予測する過失の範囲内であるとの考えを、保険会社は基本姿勢とするわけです。

では、この基本的見解を切り崩すことは、果たして可能なのか。この点が問題となるわけですね。
まず、Bは一時停止違反をして交差点内に侵入した結果の事故なんだから、この点を修正要素として考慮しろという主張は、まず相手にされません。修正要素としての項目自体に一時停止違反はないわけですからね。

そうすると、修正要素として明記されている「Bの著しい過失」に絡めての論法を駆使するしか方法はないということになります。どういうことかというと、まず、「著しい過失」とはどのような内容のものを指すのか、タイムズの筆者は、次のように説明しています。

(車同士の事故における)著しい過失としては、前方不注視、操作違反等の著しいもの。相当程度以上(おおむね時速1km以上30km未満)の速度違反、酒気帯び運転等があげられ」る(別冊タイムズNO15・101頁)

ですから、どういう論法をとるかというと、次のようなものになります。

そもそもBは、前方優先道路交差点内に侵入するに際し、一時停止規制のあるわき道から進入する場合と、規制のない状態で進入する場合とで、進入に際しての左右の安全確認義務は同等のものであっていいのか。規制がある場合には、ない場合と比べてより高度の注意義務が課せられるべきではないのか。

交差点進入に際しての注意義務が、規制の有無にかかわらず同程度のものであっていいという法的評価は、はたして正当なものといえるのか。徐行義務で交差点内に進入する場合と、一時停止義務履行の上で交差点内に進入するのとでは、左右の安全確認注意義務に程度の差はないのか、後者により高度の安全確認注意義務が課せられると考えるのが妥当な結論ではないのか。

であるならば、Bの一時停止を無視して進入し交差道路の右前方の安全確認を怠った不注意は、前方不注視の著しいものとして、基本的過失割合が予測ずみの過失を超える「著しい過失」と評価すべきではないのか。

ですから、事故現場において、Bの「衝突直前まで右前方から進行してくる車両には全く気づかなかった」などという供述内容は、前方不注視を裏付ける補強資料としてきわめて重要ということになります。

この問題については、過去に、保険会社事故担当者と議論をしたことがあるのですが、最後まで議論がかみ合わなかったという経験があります。
B車の優先道路進入形態(特に進入速度)を一切考慮することなく、優先交差点内に進入した結果の事故という事実のみをもって、事故類型【45図】で画一的に処理することの是非をめぐっての議論でしたが…。
みなさんは、どう考えるのでしょうか。お考えがあれば、ぜひ聞かせてほしいものです。

あくまでも、この問題は、交渉現場においての駆け引きの問題としてとらえるべきだと考えるならば、一時停止を無視して交差点内侵入した行為であっても、徐行に近い速度での進入と減速なしでの突然での進入とでは、相手優先道路進行車両にとって事故回避対応は異なることを考えたとき、ある程度減速した上での進入は基本過失割合予測済みの過失、
減速なしでの突然の進入(この状況があれば、交差優先道路左右の安全確認を全くしないまま進入したことが明らかといえる)は予測を超えた過失として加算される。この考えが私はいまのところいちばん妥当な結論ではないのかと思っています。

ところで、優先道路進行中の車両の道交法上の規制関係はどうなっているのでしょうか。この場合、優先道路進行車両には、たとえ見通しのきかない交差点通過するさいにも徐行義務は存在しませんが(道交法42条1号)、上記道交法36条4項の注意義務は依然として要求されているということです。

問題は、この規定を結果主義的に解釈適用するとするならば、一体どういうことになるのかということです。
現実に事故が発生した。事故が発生したということは、優先道路進行中の車両にも道交法36条4項の違反が存在したからに他ならない。こう解釈すると、優先道路進行中の車両は、ひとたび事故が発生したときには、すべて賠償義務の発生する反社会的行為(不法行為)としてマイナス評価されるという結論が導きだされるということです。

この結論が車不可欠の現代社会においては、いかに矛盾したものであるか、少し考えてみれば分かることです。タイムズの筆者も、このことを十分に意識して、優先道路進行中の車両にも、法36条4項を根拠として、基本的に過失責任ありとするのは、「具体的事故の場面では優先道路通行車にも前方不注視や若干の速度違反等何らかの過失が肯定されることが多い。ここでは(筆者注:「一方が優先道路の場合」)右のような通常の過失を前提として、基本割合を設定している。」と述べている(タイムズ114頁)。

つまり、
反対解釈として、「通常の過失」が認められない場合には、この法36条4項を適用して、優先道路進行中の車両の過失責任を肯定すべきではないということを、明らかにしているわけです。

結果が発生すれば、すべて反社会的行為となる。この矛盾を解決したのが、昭和41年に最高裁が刑事過失責任否定の理論として採り入れた
「信頼の原則」であったわけですが、事故発生時の現実的矛盾を解決するために、民事過失責任(不法行為責任)否定の理論としても、現在において多くの判例が採り入れているのは当然の流れといえます。

道路交通法の諸規定は、責任追及の前提として、これを守ることが可能であった人たちのみが対象となるのですね。守ることが可能であったにもかかわらず、これを守らなかった。だから結果(事故)を発生させた不注意責任を追及する、こういう流れになるわけです。事故回避可能性があったドライバ-だけが対象となる。事故という結果発生に関与した全てのドライバ-が対象となるのでは決してないわけです。


「法は不可能を強いるものではない」

この当たり前の法格言を真正面から真摯に受け止めて、事故当てはめマニュアル本「判例タイムズ」の適用に当たっては、すこしでも現実の具体的個性ある事故との齟齬を少なくし、より妥当な結論を導き出そうとする姿勢がみられる業界人のなんと少ないことか。

「はじめに結論ありき」の交渉姿勢をかたくなに崩そうとしない保険会社事故担当に接するたびに、毎度そのことを痛感させられるのです。
                       (平成16・12・9)


◆追記

同様の事故態様において、明らかに広い交差道路通行中の車両運転者の刑事過失責任を、「信頼の原則」理論を用いて否定した判例はすでに存在しています。昭和41年8月9日東京高裁判決がそれです。

この裁判で問題となった事故態様は次のようなものでした。
被害者の進行道路は幅員4.4メ-トルで一時停止標識あり。被告人の進行道路は幅員8.9メ-トル。交差道路における左右の見通しは両者とも悪いという状況下で、被告人が時速約40キロで、徐行することもなく交差道路を直進した際、一時停止をすることもなく時速約20キロで交差点に進入してきた被害者と衝突したという事案でした。

原判決(地裁)は、被告人には、本件衝突事故を未然に防止すべき義務、すなわち一時停止ないし減速徐行によって左右の安全を確認する義務があるとして、被告人の刑事過失責任を肯定しました。

これに対して、控訴審である東京高裁は、次のような論法を用いたのです。

事故現場は、互いに交差点内まで多少でも出ないと交差道上の見通しが完全にはできないという状況下にあるから、被告人としては、被害者が優先順位を無視し、かつ、一時停止の標示に違背して交差直進してくることを予見して、予め速力を減じ至近距離に被害者の車を発見しても、これと抵触することなく停止し得る程度まで適宜その速力を加減しながらこの交差点に近寄らない限り、被告人としては本件事故を未然に防止し得なかった訳である。
したがって、被告人にもその程度の徐行義務があるか否かが、その過失の有無を決定する唯一の問題点である。と判示し、

本件交差点の車両交通の実情を実地検証した上で、次のような結論を下したのです。
被告人の進行道路を走行する車両は、交差道路の存在することをまったく意識することなく、一時停止はもとより徐行することもなく走行している実情にあり、その一方で被害者側の道路進行車両は、交差道路に出る際必ず一時停止をして左右の安全を確認して発進している。
このような状況下においては、被告人に対して、一時停止の標識を無視して交差点内に進入してくる車両を予め警戒予測して、これとの接触を回避するために必要な減速措置を構ずべきことを要求すべきではない。故に無過失。

このような判例が存在することを考えたとき、何の落ち度もなく、優先道路を進行中、不意に脇道交差道路から飛び出してきた車両との衝突被害事故。マニュアル本「判例タイムズ」に機械的に当てはめられて、1割の過失責任ありとされる現実的矛盾。

確かに、刑事過失責任と民事過失責任とは、その責任追及の目的がまったく異なるものである以上、その過失概念を同意義に解すべきではないという現在の通説的見解は正しいと思います。
したがって、刑事過失責任が否定されたからといって、当然に民事過失責任が否定されるということにはならない。これもよく分かります。

しかし、発生した損害に対する公平な責任分担を目的とする民事過失責任(不法行為責任)においても、まず検討されなければならないことは、賠償責任の発生する過失が存在するかしないかということであって、この判断において、「信頼の原則」論は不可欠のものと理解されるべきで、事実判例もその方向にいっています。
相手方の道路交通法規を守った運転行為を信頼しなければ、片時も自動車運転は成り立ちませんからね。

もしかりに、刑事過失責任を否定したこの判例を根拠として、保険会社に対して優先道路進行中の当方には過失責任はない、と主張したらどういう回答がくるでしょうか。
おそらく、民事責任における過失は、刑事責任における過失とは異なるということだけは主張しえても、どのように異なるのか、という実質面において回答しうるだけの能力は持ち合わせていないと思われます。

ちょっと専門的な話になりますが、刑法上の犯罪とは、故意犯・過失犯を問わず、構成要件(予め定めた犯罪の型)に該当する違法・有責な行為と定義づけられています。

したがって、刑事責任としての過失は、まず、一般人を基準として考えたとき事故回避注意義務を守ることが可能であったかという判断に加えて
(これによって、犯罪構成要件該当の違法な行為であったことが認定される)、行為者本人を直接の基準として考えたとき事故回避注意義務を守ることが可能であったか(これによって、行為者の有責性が肯定される)という二重のチェックをしなければならないのに対して、民事上の過失責任の存在の有無は、あくまでも一般人を基準にして考えたとき、注意義務(事故回避義務)を守ることが可能であったか、という判断のみで足りるという違いがあるということです。

ですから、より厳格な刑事過失責任の存在が肯定されたとき、民事責任が否定されるということはまず考えられませんが、その逆、つまり、刑事責任が否定されても民事責任が肯定されるということはありうるというこになります。

理論上は、そうなるのですが、問題は、この一般人を基準にしての客観的注意義務の存在。
刑事責任としての過失と民事責任としての過失認定において、その客観的注意義務(事故回避注意義務)の内容が異なるのか、この最も重要な点について明らかにした学者の存在を私はいまだ知りません。
つまり、刑事・民事両者の過失概念は異なる、という結論のみは一人歩きしていますが、その実質的違いについて論及した学者は私の知る限り存在していないんですね。

いずれにしても、「法は不可能を強いるものではない」という法格言を無視し、ひとたび事故が発生すれば、事故回避不可抗力であった一方の当事者への無原則な過失責任の押し付け強要。
この矛盾した現実になんらの素朴な疑問をもつこともなく、機械的に事故大量処理をしている業界。これはやっぱりおかしいんです。
                                        (平成17・2・6)


       ◆参照文献「交通事故と信頼の原則」(西原春夫著・成文堂)






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