酒を飲むのは初めてだ。
一口飲んで思ったのは、苦い。
二口飲んで、むせるような匂いに、閉口した。
「どう、おいしい?」
「うーん。なんか、お腹のあたりが、カッカしてきたってばよ」
ウマくはないが、案外飲める。
「こんなのが、大人はみんな好きなのかァ」
さっそく徳利を一本カラにして、
「イケるね、ナルトくん」
と、向かいの女の子は笑った。
「日本酒を追加で」
彼女が店員に告げ、オレは店の奥へ目をやった。
互いに気付いている。
けれど、あえて声をかけないのは、違う相手を連れて来たからだ。
ヒナタは、オレの知らない男と一緒だった。
オレは、アカデミーで同じクラスになったことがある、医療班の女の子とで、恐らくは、ヒナタも彼女を知っている。
「日本酒にタコわさ、まぐろ納豆、お待ち!」
店員の声と、ヒナタがコチラを向いたのは、ほぼ同時だった。
オレは目の前に視線を戻し、運ばれて来た料理に箸をつけた。
女の子は良くしゃべった。
他愛もない冗談をいい、コロコロと笑う。
そして、自分のと、オレのと、両方の杯に酒を注ぎ入れ、どんどん飲み干す。
「オレ、ちょっと便所行ってくる」
席を立って、気が付いた。
足下が覚束ない。
目の前がチカチカする。
駆け込んだ便所で吐き、これが酔うっていうコトなのかと、頭をかいた。
「気持ちワリィ……」
洗面台で口をすすぎ、顔を洗う。
料理は美味しかったハズだ。
それに、彼女の話も面白かった。
「ゴメン。オレもう、帰っていい?」
席へ戻り、切り出すと、彼女は
「ええーっ、もお?!」
と、脇を見た。
四人組の女の子が、テーブルをひとつ挟んだ向こう側に座っている。
さかんに目配せをしており、どうやら彼女と知り合いらしい。
面白半分に観察されていたというワケだ。
「ここの分はオレが払っとくからさ。気にせず、友達と楽しんでくれってばよ!」
「そう? ありがとう」
ごちそう様、と彼女はいい、勘定を済ませたオレを外まで見送ると、あっけなく店の中へ引き返して行った。
とぼとぼと歩き出し、雑踏に紛れて、声がした。
「ナルトくん!」
追いかけてくる声の主へ振り返り、
「ヒナタ、どうしたんだってばよ」
と、つい声を荒げる。
「オマエまで、店を出るコトねえだろ」
だって、と彼女は追い付き、
「気になったんだもの」
と、珍しく真っ直ぐにオレを見上げた。
「洗面所から出てきた時、顔色悪かったよ。店を出る時も、少し足がふらついてたし……」
ため息が出た。
オレってば、カッコ悪い。
出来れば、見て見ぬフリをして欲しかった。
「デートだったんじゃねえの? 相手の男、今頃ガッカリしてるってばよ」
「えっ? デ、デート?」
違うよ! と首を振り、ヒナタは並んで歩き出す。
「あの人とは任務で知り合ったの。要人の護衛で今日いちにち行動を共にしたあと、お疲れ様って、夕飯に誘われただけで……」
「ふうん。でもさ、その気がなきゃ、誘ったりしねーだろ」
「その気って、なに?」
下心、と投げやりに答え、口を閉じる。
ヒナタは何もいわなかった。
ただ黙ったまま、オレに付いてくる。
夜の繁華街は人が多かった。
何かと騒がしく、道の両側に並ぶ、店の明かりが目にまぶしい。
それを避けようと、通りを外れ、静かな川べりの道に出た。
「オレってば、今月に入って、女の子と食事に行ったの、今日で三度目なんだ」
土手を下り、川を前にして腰を下ろすと、とりとめもなく打ち明けた。
「一度目は、二週間ほど前。綱手のバアちゃんと打ち合わせをしたあと、通りかかった廊下で、いきなり夕飯に誘われたんだ」
ヒナタも隣に座り、膝を抱えながら、そっと耳を傾けている。
「全然知らねぇヤツで、ビックリしたんだケド、ちょうどラーメン食いに行こうとしてたからさ。いいよって、軽く返事して、一楽に連れてったんだ」
少し頭が痛い。
水の流れる音や、虫の鳴く声が、暗い川辺にガンガン響く。
「その翌日、上忍待機所で、みんなにからかわれたんだってばよ。勇気を出して、憧れの人に声をかけた女の子を、ラーメン屋なんかに連れて行った挙げ句、おごってもやらなかったってさ」
あぐらを掻いた膝の上で頬杖を突き、ぶすっとなる。
「……相手の女の子はきっと、デートのつもりだったんだね」
ヒナタにいわれ、渋々とうなずき、
「それで、二度目は?」
と続きをうながされた。
「……先週だってばよ。部屋に手紙が届いてさ」
いわゆる、ラブレターというヤツだ。
真面目な文面で、えらく真剣な想いがつづられていた。
ほっとけなくて、週末の夜に会おうと、返事を書いた。
文章を書くのが何よりも苦手な、このオレが、だ。
「映画と食事。ベタなデートコースだけど、前もって、いちおー何が上映されてっか、調べたし、ちょっと女の子に人気のあるメシ屋とか、いのに聞いたし」
手紙に書いておいた待ち合わせ場所へ、時間どおりに、女の子は現れた。
甘い恋愛映画を観た。
流行りの店で凝った、しかも高価な、料理を食べた。
全部オレのオゴリだ。
女の子はとても喜んだ。
「でもさ、アレなんだってばよ。会話がなァ……」
語尾が濁る。
川面に映る、街灯のキラキラとした明かりが、幾重にも重なって見える。
頭の中も、ぼんやりしている。
正真正銘の、酔っ払いだ。
「今日の相手も、そうだった。サクラちゃんを夕飯に誘おうと思って、医療班の作業場へ寄ったんだ。でも、サクラちゃんは忙しくて出られないっつー話になったから、一人でメシ喰いに行こうとしたら、呼び止められてさ」
あ、わかる、とヒナタは笑った。
「彼女、アカデミーにいた頃から、積極的だったもの」
「積極的っつーか、一方的に仕切られちゃってさ」
長い息をつく。
酒臭い。
「居酒屋に連れてかれて、正直参った。イルカ先生とか、カカシ先生も、よく顔を出す店だとは知ってたケド、ああいう酒とか出すトコを、オレは全然知らねーから、すげえ戸惑った」
里の重要人物となったオレを見る、まわりの目は、いつも期待に満ちている。
「オレってば、ガキだよなァ。大人らしくしようとカッコつけても、様にならねーんだ」
ガッカリさせたくなくて、それらしく無理に振る舞い、疲れることも多い。
「……ナルトくん、優しいね」
え、とヒナタの顔を、まじまじと見つめる。
気が滅入るばかりのオレに、思いがけないことをいう。
「さっきからナルトくん、相手の女の子の外見について、何もいわないもん。そういうコトが話題になると、大抵の男の人は、相手が美人かどうか、そこから話を始めるよ」
拍子抜けした。
ヒナタは本当に人が好い。
「それに、相手の気持ちにも、一生懸命、応えようとしたんだよね。あまり親しくもない、よくは知らない人を相手に、それだけ親切な男の人って、なかなかいないよ」
でも、わかってない。
さっきいっただろ、下心って。
それをわからせるために、
「さっき、ヒナタが一緒にメシを喰ってたヤツ……」
と、釘を刺す。
「ヒナタの胸ばっか、見てたってばよ」
男なんて、そんなモンだ。
オレも例外じゃない。
ヒナタはきょとんとしていた。
ゆっくりと瞬きを繰り返し、抱えていた膝から腕を離すと、自分の胸に手の平を当てる。
「男の人って、女の子の胸が好きだよね。丸くて、ふんわりとふくらんでて、柔らかいからかな」
月が雲に隠れた。
それとわかるくらい、周囲も暗くなる。
「ナルトくんも、触ってみたいって思う?」
ヒナタのわずかに震える声だけが、はっきりと耳を打つ。
やがて再び月が姿を現し、オレは首を左右に振った。
ホッとしたように、ヒナタはニッコリと笑い、立ち上がった。
「そろそろ帰ろっか。家まで、送ってくね」
「逆だろ。オレがヒナタを送るってばよ」
「それこそ、逆。酔ってるのに、無理しないで」
二人して土手をのぼる。
よろけるオレの手を取り、ヒナタはぎゅっと握り締めてくれた。
弱音を吐こうが、カッコ悪い姿をさらそうが、こうして側にいる。
会話が続かなくても、気負う必要なんてない。
オレ達は当たり前のように、月明かりの下を、手を繋いだまま歩いた。
今はそれだけで、十分だった。