たくあのページ T
拓和(たくあ) 誕生! 1997.3.24 朝、撮影 1997年 3月7日(金) AM 4時17分 体重 ・ 2776g 身長 ・ 48.0cm 胸囲 ・ 30.0cm 頭囲 ・ 32.5cm |
拓和の病気など 1998年12月20日現在 * ダウン症候群(21トリソミー) * 完全型心内膜床欠損症 手術済み 1回目手術(肺動脈絞扼)の後、感染症に苦しみ 危ないところまでいく。 2回目手術(根治手術)の後、感染症。 急性腎不全でおしっこが出なくなり腹膜透析をする。 厳しい状況続く。 * 動脈管開存 手術済み * 難聴 補聴器を使う可能性あり * 浸出性中耳炎 チューブを入れる手術の可能性あり * 新生児期に先天性の白血病 血小板数減少(今でも血小板は少ない) * 口蓋裂 手術の可能性あり * 軽い水腎症 * もしかしたら・・・停留睾丸 小陰茎(または埋没)手術の可能性あり * 余分な血管がある手術の可能性あり (足の方から戻ってくる静脈は一度肝臓に入って心臓の方へ帰っていくが 拓和はその血管の他に肝臓には行かずダイレクトに心臓に戻る血管が一本ある) * 静脈の血管が詰まってしまう(カテーテルなど入れられなくなる) 首の血管が両側詰まってしまった為、頭(脳・神経)への障害が心配されたが 多分バイパスができているだろうと予測できる為ほっとする。 * 気管軟化症 * 発育の遅れ 1才4〜5ヶ月の頃やっと首が据わりました (ちょっと危なっかしいけど・・・) でも根治手術で寝たきりが続きまた元に戻るかも・・・。 * 経口でミルクを飲んだ事が無いに等しい 離乳食はもちろん食べた事が無い 摂食の指導を受けながら 訓練しなくてはならない などなど・・・ |
それは たっくが生まれるず〜っと前・・・1年以上も前の12月の事でした。
当時 2歳だった長女優季がある日突然 「あのね ゆうきの赤ちゃん くあちゃんって言うの!」と 言い出したのでした。 「そうなの」と流して聞いていた私達夫婦でしたが、それからずっと「くあちゃん」と 言い続け、 妊娠した時には さすがに夫は反対しましたが それでも それでも言い続けた優季に ついに大人は根負けし くあちゃん と名付けることにしたのでした。 女の子だったら くあ(久和) 男の子だったら たくあ 。 色々考えた結果そうなりました。 たくあの”拓”の字は 夫が選びました。 ”あ”の字は・・・? 亜?バツ!! なかなか決まりませんでしたが・・・ある日ふっと 「そうだ!ほうれん草の胡麻和えだ!!!」 ・・・と まあそう言うわけで名前が決定しました。 決まってみると そして 平和を愛しみんなと和合していける子に、 みんなを和ませてあげられる子に・・・。 そして 彼が生まれ・・・ますますピッタリだったと思いました。 |
多くのご両親は、ダウン症の子供が生まれてからしばらくの間 ”泣き暮らした”とか ”絶望した” とかいう経験をされている様ですが、私にはそういう経験がありません。 もちろんショックは受けましたが、 生まれてすぐに手元から離され一年以上もの長い間入院生活をおくり
一時期は危篤に近い状態まで悪くなってしまった事もあったため ダウン症を悲しんでいる暇がありませんでした。それは今も進行形です。 入院してすぐ ダウン症かどうかの検査をし、約3週間後にその結果が出ました。 21トリソミー・・・ダウン症。 でもその時は既に 私達には判っていました。だから・・・”そう やっぱり”と言う感じでした 。 それよりも 心臓は? 白血球は? 血小板は?・・・。心配な事だらけでした。 心配な症状が一つ増えるたびに 先生は説明をした後に 必ずこう付け加えました。 「これは ダウン症の子によく見られる症状の一つではあります。」 ダウン症かどうかは 結果を待たないとなんとも言えない とは言われましたが それがいくつか重なれば ・・・自然と そうなんだろうなぁ と感じます・・・よね。 ダウン症ということを 意外に早く すんなりと受け入れた様にも思うし、逆にまだまだで 心臓のほうが落ちついてから じっくり悩むのでは・・・なんて気もしています。 そんな精神状態の私が考えている事なので いつ コロッと考えが変わるかわかりませんが 今現在の私は ダウン症の拓和を 特別には思っていないのです。 育てるのが大変といっても 優季だってアレルギーはあるし 色々と悩みは尽きないわけで どんな子供だって やっぱり親は大変だと思うのです。 まわりの子を見て比べてしまうから 背負わなくてもいい悩みもつい背負ってしまう・・・ ひとりひとりみんな違うのだから 障害者だとかなんとかあまり関係無いような気がします。 その子は その子でしかないのだから・・・。 |
拓和に対する気持ちやダウン症児に対する気持ちは全く変わりません。 拓和は 拓和でしかない。 ダウン症ということ 悲観もしないし、美化もしない。 優季と同じ ・・・ 私たちの子供。大切な子。障害などという言葉は関係ない。 ただの一人の人としてみていたい。 健康な子が生まれてくると思っていたのに、ダウン症という障害児が生まれ 誰もがガーン!!と頭を殴られた気持ちになることでしょう。 私が ダウン症という事に対して泣かなかった事・気落ちしなかったのは、 ほんの少しですがダウン症に対しての知識があったからではないかと思います。 ホンノ 蟻の涙くらいの知識でも パニックにならずに済み、すぐにいろんな本を買いあさり ダウン症に関してのことを学びました。 知らないということは怖い事です。 だから 気落ちして泣き暮らしてしまう・・・。先が全く見えないから。 生まれたその子がダウン症と告知された時、 ニコニコとよく笑い ちゃんと自立して社会生活をおくっているダウン症の青年たちを知っていたら きっと生まれたその子の未来が想像できそんなに 落ち込まなくても済むかもしれない ・・・そんな気がします。 生まれた我が子がダウン症と告知され、悲しくて 誰でもいいから助けて・・・と いろんなホームページを読んでいる人がもしいたら・・・ 私は聞いてみたい。 何を落ち込んでいるの? 育て方が解からない? 合併症の事? もしそうでなくて、障害児が生まれたということで落ち込んでいるのなら・・・ もう一度 よく見て!! あなたの赤ちゃんを!! 障害という色眼鏡をかけて あなたの赤ちゃんを見ないで!! ただの あなたの赤ちゃん・・・ほら こんなにかわいいよ!!!!! 他の子と何にも変わらないよ。 ちょっと成長が遅いから 気長に見守ってあげてね。 体が弱いから 特に小さいうちは健康に気を付けて育ててね! お話が上手く出来ない事もあるから ゆっくり話を聞いてあげて。 ちゃんと自分の気持ちを持っていて、伝えようとしているよ。 心の声に耳を傾けて・・・ほら お話してるでしょ! ゆっくりだけど ちゃんと成長しているよ。 普通の人みたいに 企業戦士にはなれないかもしれないけれど その子に合った仕事に付けば 一生懸命 一人前に仕事だって出来るはず。 人生を楽しむ事は もしかしたら健常者といわれている人よりも上手かもしれない。 何が障害なの?障害という言葉が一人歩きしない様に気を付けて!! 障害=不幸 じゃないよ! 優季には優季の、拓和には拓和の育て方がある。 10人いれば 10通りの育て方がある。 みんなそれぞれ違うんだもの。 だから・・・障害者なんて言葉は要らない と私は思う。 そんな社会になるといいね。 |
2004.2.29 たくあホームページをアップしてから 多くの方々からメールなどのお便りを頂きました 特にこの「ダウン症児が生まれ、気落ちしているあなたへ!!」を読んで のお便りが多いです 多くの方々を元気づけることができていること、うれしく思っています たくあ、頑張ってるじゃん・・・って 彼を褒めてあげたいです たくあが逝ってしまったことに 『意味があって逝ってしまった』 とは思いませんが、 彼が生まれてきて頑張って生きた人生・・・そして終わりを告げてしまったことに対し 彼の生きてきた証を、意味を、作っていってあげたいと思います お便りを拝見し 少し気になったりする時があります それは「今まで 私はこの子の何を見てきたんだろう」とか 悲しんでいた自分を否定してしまうことがあるからです 障害という色眼鏡をはずし 自分の子を見ることができ、 今まで以上にいとおしく感じられるようになったことはすばらしいことですが それまで悩んでいたり 障害を受け入れられなかった自分を否定する必要はないと、私は思います 誰しもが 健康な我が子を疑わず 対面を待っていたのに、現実は違っていた そんな時 悲しむことはごく自然なことだと思います 障害を持って生まれてきてしまった我が子への 不憫だという悲しみ 我が子が障害児だったという悲しみ なかなか受け入れられないj現状や悩み苦しむ日々・・・・ そんな期間があったとしてもそれは当たり前なことだと思います そんな期間があったからこそ 余計に余分なものが取り除かれたとき ますます愛しく我が子を抱けることができるのではないでしょうか お腹の中にいた10ヶ月という歳月 その期間に我が子をいっぱい愛したから そんな葛藤の日々もあったのではないのでしょうか 苦しんだ日々は人によってそれぞれ違います 早く抜けたからいいのではない いっぱい苦しんで そこから抜け出られたときからが大事なのです かわいい我が子をぎゅっと抱きしめると共に いっぱい苦しんだ自分にも「がんばったね!」って・・・ いっぱい褒めてあげてください!! |
かたつむり 劉御 作 |