たくあのページ U




   


  やっぱり陣痛だった                           

                                    
   3月5日。 前夜から軽い陣痛らしきものがあったものの、
  きっと陣痛の練習(前陣痛)だろうと思い 
  大好きな山梨鐐平氏のライブに夫と二人で出かけて行ったのでした。

 


  ライブ中も時々痛くて顔をしかめたりしましたが、3月22日が出産予定日だったため
  気にもしていませんでした。

           


           でも本当の陣痛だったんですね〜。

   ゆうき
  上の優季の時と比べると あまり痛くなく <と言ったって痛いけど>
  結局微弱陣痛が丸二日続いたのでした。






   ロケット発射?いやいや出産だよ!


   陣痛の軽いのを取り戻そうとでもしているかの様に、最後になって一気にものすごい
   痛みといきみが襲ってきました。だめー! がまんできないー!
   そして・・・お父さんと優季ねえちゃんが見守る中   スッポーン!  
   ロケットの様に   ほんとにロケットの様に たっくは飛び出してきました。
     水の中に・・・。(私は二人とも  水中出産 しました)


   あまりの勢いに臍の緒は彼のお臍のところでプツンと切れてしまい、
   プールが血で染まっていきました。後から出てきた胎盤も半分ボロボロでした。
   プールから出た たっくは気を失っていたのか すぐには泣かず、
   数秒してから産声をあげました。
 




   やっと涙のご対面ですッ・・・? 



   気が動転し、心配が先で 生まれた たっくをよく見ないまま
   豊島先生(杉並区豊島産婦人科)に渡してしまい
ました。                       
                          


   落ちついてから ちょっと離れた所で先生にお臍を縫ってもらっている彼を何気なく
   見ていたら、夫がたくあの あるもの を見つけました。
   そして 男の子であることが判明しました。
   そう 顔はもちろん 男か女かすら見ていない、それすら気がまわらない私達でした。
   たっくが産湯につかっている間 私は後産のためベットに横になっていました。



    そんな私の耳に夫と先生の話が聞こえてきました。エッ!? なに
   手の指が6本!? 障害児 という言葉は 優季の時はとても意識した
   けれど 拓和は全く頭に無かった。 
   もちろん この時ですら一瞬ドキッとしたけれど、先生の「指が退化したようなもので
   縛ればすぐ取れるよ」の言葉にすぐ忘れていました。
             それどころか、先生が 「念の為一度検査を受けたほうがいいよ
           もしかしたら 内臓に疾患があるかもしれないから」
           という言葉も人事の様に「ハイ」と返事はしたものの聞き流していた私です。



  産着を着た たっくを、寝ている私の元に看護婦さんが連れてきてくれました。
  う〜ん やっと涙のご対面だ!  我が子を受け取り・・・    
        
  「先生、この子ダウン症の顔に似てませんか!?・・・と私。
  急に焦った先生。 「それも含めて、一度検査を受けたほうがいいよ」
    あの時の 慌てた先生の顔が 今でも脳裏に焼き付いています。 
         


        涙はどこにも無かった。うれしい涙も 悲しい涙も。        
        あの時の私は とても冷静で、何の感情も持っていませんでした。
 




    最初で最後のおっぱいとなってしまいました 


    部屋に戻って、早速 おっぱいを口に含ませてみました。
   一番幸せなひとときですよね〜。
   ちっちゃな口で一生懸命に吸いつこうとしているけれど、口に入った乳首はすぐに
   ポロッと出てしまいます。その一生懸命さが何とも言えずかわいい!!
  吸いたいのになかなか吸えずとうとう たっくは泣いてしまいました。

   それでもめげずに吸いつづけ 
   飲めたかどうかはわからないけれど そのうち眠ってしまいました。       



   私は眠れないまま 眠っているたくあをいろんな角度から見ていました。
  「見ようによっては・・・違うかもしれない」 「違っていて欲しい」 「もしそうならたくあなりの
  育て方をすればいいさ」 etc etc ・・・いろんな思いでいっぱいでした。
  
   ショックはもちろんあったけれど、でもそれ以上に 生まれてきた拓和はやっぱりかわいい
  いとおしい。 自分の腕の中にしっかりと抱いて 私も眠りにつきました。



   1〜2時間して目を覚ましました。夫や優季と話をしたり、朝食を摂ったりしましたが
  その間 たっくはず〜っと眠りっぱなし。もう一度授乳にチャレンジしようとしても
  ぜんぜん起きてくれません。

  そのうちに 先生が 「やはり早いほうが良いから」と、 
 国立小児病院(世田谷)
  連絡をとってくださり その日のお昼には夫が付き添って 救急車で運ばれていきました。
  拓和を抱っこして出て行く夫の後姿に 「わーッ!!」と泣き出したのは娘の優季でした。
  私は そんな優季を抱きしめてあげるのが精一杯でした。私も ボロボロと涙が止まり
  ませんでした。

   そしてたっくは その日から1年と3ヶ月ちょっとの間、ず〜っと入院していて
  帰ってきませんでした。
   もちろん授乳は、今に至っても口からではなく 鼻から胃に通した管で注入しています。
  母乳は ある時期まで搾乳して持っていきましたが、直接 口で私のおっぱいに吸いついて
  くれたのは 産後のあの時が 最初で最後でした。
    何か 今でもそれは寂しく思います。