製造秘話 作者 阿部行雄
発明秘話 1 きっかけ
昭和30年頃、行雄少年はまだ小学生でしたが初夏になると母が風呂敷にいっぱ
い竹の子やわらび、うど、ぜんまいなどの山菜を採って来るのでした。当時は車
などたまにしか見かけないし、道路は砂利どころか土でした。砂利を敷くのはま
だ先のことです。
山に行くにはもっぱらバスで近くのバス停まで行き、そこから山の上り口まで歩
き、さらに山坂を上り、目当ての場所に行くだけでどれほどの時間がかかったの
でしょうか。後日考えるにたぶん2時間ぐらいかなと思います。着くまでに普通
の人はあごが出てしまうでしょう。
今でも、福島県の迷い沢では竹の子採りの人が駐車場から1時間歩いて現場に着
くという話でしたが、竹の子採りはこんなハードなことをいとわないのです。帰
りは30k以上しょってくるのですから。
夕食に間に合わせるため子供心で手伝おうとするのですが、皮を1枚づつはがし
ていくのは手間のかかる仕事でした。その頃にはもうあった顔そりかみそりで縦
に切込みを入れると早くむけるというので、やってみたのでした。結果、指から
血を出したのは言うまでもありません。
ネマガリダケは細くて押さえつけてもしっかり固定しづらいのです。さらに
曲がっているからもうやりにくいこと、大変だったのです。その母は84歳まで
山に行き
続けていましたが、悪性腫瘍のため帰らぬ人になりました。死の直前まで一緒に
山菜採りをしていた行雄はもう少年ではなく50歳半ばになっていました。
その頃の行雄は生活に追われ厳しい暮らしが10年以上続いていたのでしたが
、母の死でしばらく山に足が向かわなくなってしまいました。死後、2年ほど経
った1995年ころ、いつも仕事に使っていたテレビの丸い通信線(同軸ケーブ
ル)の工具で変わったものが売っていました。
これは丸い線の薄皮を縦にも横にも決まった厚さにむくための工具で
す。1年以上も使っていたのですが、これで竹の子の皮がむけるぞ、工夫次第だ
と、ある日思ったのです。これがヒントになり、ひらめきというものだったので
す。
こうなれば材料も工具も豊富にあるので使える物で一冬の内に試作品を完成し
ました。初夏になるのを待って、初物を早速試してみれば、なんとあの手を切る
ような剛皮が赤子の手をひねるようにシャープに処理できるのでした。
20世紀がもうすぐ終わる1995年に竹の子の皮むき用にこんな有効な道具が
無かったということに、いまさらながらあきれ、母が生きている間に見せてやり
お前いい物を作ったと、ほめてもらいたかったと悔やまれます。
下図 ヒントになった 三条市3PEAKS社製 同軸ストリッパー
続く 平成25年3月23日
その2
実験
試作品を作って、さあ試そうか今は冬で竹の子はない。似たものということで選
ばれたのが「ごぼう」です。これを縦に切り込んで1cmごとに輪切りにして切込
み深さを測ります。このくらいの刃高だろうという所で接着剤で固定します。
春が近づくと少し高いがアスパラを使いました。試作品を5個ぐらい製造した
ので、知人に何個かあげて具合を聞かせてくれるよう頼みました。しかし、良かっ
たと言う人はいなかったのです。やがて竹の子は盛りになり採れる量も1回で30
0本ぐらいになり、皮むき試験を何度もやりました。皮がどう付いているのか1本
づつむきながら測定し、データを集めて表に記入しました。当時はまだパソコンを
使えなかったので、データの収集のみをしていました。データのひとつを書くとこ
んな具合です。
竹の子のかわはぎデータ
00、5/14 |
竹の子の数 |
むきおわるまでの時間(秒) |
一本当り何秒掛かるか |
|
実験 |
本 |
分 、 秒( ) |
秒/本 |
|
1回目 |
20本 |
8 、15 ( 495) |
24、75 |
|
2回目 |
32本 |
11 、48 ( 708) |
22、12 |
|
3回目 |
27本 |
10 、20 ( 620) |
22、96 |
|
4回目 |
40本 |
14 、07 (847) |
21、17 |
|
5回目 |
34本 |
12、 00 ( 720) |
21、17 |
|
6回目 |
30本 |
10 、44 ( 644) |
21、46 |
|
7回目 |
36本 |
14 、42 (882) |
24、50 |
|
8回目 |
60本 |
24 、18 (1458) |
24、30 |
|
9回目 |
60本 |
23、 01 (1381) |
23、01 |
|
10回目 |
60本 |
21、 45 (1305) |
21、75 |
|
平均 |
399本 |
147分240秒 (9、060秒) |
22、70 秒/本 |
158、6 本/時 |
竹の子の皮処理具使用 特許申請中
実験者 阿部行雄
小実験を何回も繰り返し、途中トイレの行ったり、休憩をしたりしてこんな表を
作りました。これは2000年の記録です。この頃は1本むくのに20秒以上か
かっていました。
今では1本15秒が標準といっていいと思います。
さて前に試作品の評価が良くないことにふれました。これは現実に今でもある評
価のひとつです。こういう器具に興味を持ってくれる人ばかりではありません。
どう使うか説明書をよく読んだり、ある程度は努力してくれないと開発者の工夫
が汲み取れないのです。
こういう道具は不利なのです。どこにもないということはどう使うかわからな
い。教わるのは面倒だ、と思えばこんなもの使わなくても良いということになり
ます。
人生の先輩ともなれば、自分にはこんな方法が別にあると自信をもっています
。そういうことは当然です。だから、ベテランほど気に入ってもらえないのです。
すべてがそうということではないので、気に入ってもらえる人を増やす必要があ
ります。
続く 平成25年3月24日
発明秘話 3マーケテング
発明が儲けが生むには何千個は必ず売れなければならない。支払った経費を取り
戻して、そのほかに自分への報酬と次の投資の資金を確保しなければならない。
退職金をたたいて発明品を作ったが売れ残って大損をしたと言う話を聞くが、売れ
ないとこうなる。マーケテング、この商品がはたしてどれだけ売れるだろうかとい
う調査のことだ。
竹の子カッターはどうか、これが重要な問題で、新潟県十日町市には2000年
には6万5千人の人口がいた。所帯数は大体2万としてこのうち何所帯が買って
くれるだろうか。
この辺りでは竹の子を常食にしているのだから1万個は売れるだろう、と考えた。
これがマーケテングである。次に県人口が何々だからこれくらい、長野県がどう
、群馬県がどうと来て東北が、北海道が、全国が、ということで結果30万個が
売れる、ということにした。
でたらめだと思うだろうが、マーケット調査会社に依頼して調べれば30万とか
50万という費用がかかるとWEBで知ったし、おまけに調査がそのまま正確であ
るとは限らない。当時はそんなことは解かっていたわけでもなく、ただ金が無か
っただけだがもちろん頼みはしなかった。
マーケテングに自身を無理やり納得させたことをみても、自分は楽観主義だと反省
させられる。実際はそんなもんじゃない。大幅に間違っていたのだが、それじゃ
正式に調べたら正しい数字が出たかどうか誰も保証はしてくれない。
1999年初夏、突然、中小企業大学校三条校から無料の新規事業起業の講習の案内
が届いた。53才になっていた私は先々も設備工事が続けられない、年をとっても出来る軽い
仕事に変えなければならないと言う意識を常に持っていた。当時考えていたのはエアコンのク
リーニングだ。
前日から宿泊した三条校は部屋はビジネスホテルのようで、大浴場はもう温泉気分でビックリ
したものだった。長野県からの参加者も数人居り、全部で30人程度の講習会だった。夜には、
懇親会が開かれ、一人仕事しか知らない私は気分が高揚した。がんばるぞ何かやってみよう
と一生懸命話を聞いた。そこで何人かの知り合いができ、その縁で最年長で参加した人に20
10年には仕事を依頼した。
同年初夏、三条校で経営の考え方を勉強しようと2度目の講習に出かけ、これが最後と帰って
きた。参加メンバーで最年長になっていた。三条校に行ったことが近代的な分析など有効な知
識が知らずに付いたのかもしれない。
特に最初の講習は起業の意気盛んなメンバーが集まっていて2013年の今とは違い、全員
大いに希望にあふれていたように思う。
続く 平成25年4月13日
発明秘話4 どう製造すればいいか1
発明し特許を取り、さあ次だ。作って世の中に披露しようと取り掛かることにした。販売に耐える物作りまで
にはいろいろの曲折があったが自然と形が定まっていくものである。金属製にしたのは採算の問題からで、いわゆる
100円ショップ向けではだめであり、500円でもダメ。1000円以上、できるだけ商品力を付けて高額を
狙うことにした。それでも1980円が適当であろうという結論に至った。その後、材料費の高騰の波を受けて
2300円に値上げする事態になっている。
とにかく金属、それもステンレス製ということになり、原理が出来ているから次は設計でありデザインである。
覚えているうちに秘話として書き残そうというのは手間隙かかることであるが楽しいことでもある。
このように理論通りではなかったのではあるが、大まかに汲み取ってもらえれば幸いである。
先ず困ったことは円筒の内側に向けて切り込みの刃が付いているといった物が身近にはなかった。浅はかな私は
DIYショッピングセンターで類似の構造をした物からヒントを得ようと出かけたが、円筒の内側に向けて刃が突出して
いるものなど何もなかった。
工場の機械などにはその機能を持つ部品が使われていそうなはずであるが、身近にそんなところは知らない。
ということは無から始めよ、ということである。これって発明が又必要? が待てよ、発明は完成したのじゃなかったか。
ここが肝心なところです。物の原理の発明は入り口であって全てではない。製造とは作れるものでなくてはならない。
それに設計の発明はすでに物の発明に含まれていたのだ。
物の発明と設計の発明が一緒である証拠には、円筒の内部に刃を内側に向けて取り付ける実例が無いので
設計しなければ物が作れないのである。どうしたらよいか。頭を使うのは只だ。資本の無い者はただ考えろ。
寝入る前布団の中で、目覚めては布団の中でただボーと整理してみる。何かが浮かび、何かが消えて大海を漂うような
薄暗いがかすかに明るい思考の海。自分以外には誰もいない静かで安らぎがある海。
この環境を与えてくれた家族に感謝したい。当時は今までの人生のなかでも、くつろげていた時代であった。
ヒントは近くにあった。昔から使われている女性用の顔そり用「安全かみそり」である。よく見れば刃がしっかり固定されている。
構造を調べると挟む板が鉄棒によってより強く折り曲げられるのだ。なるほど。板で挟むだけで危険な刃がうまく扱われている。
ペンチではさんで引っ張れば抜けるけど、これでも良いんだ?!
挟んだ板を延長して円筒状にすれば問題が解決する。これで一歩前進した。
続く 平成25年6月16日