CB中国の

新石器時代〜 三国時代

 

(C) サロン 竹森

 updated on 07/18/2007

2007.07.18.新規作品7点掲載(計4点掲載)2022.01.21.作品2点追加


 

A,新石器〜戦国時代の 中国陶磁(前8,000年〜前200年)

今日の研究段階において、

日本の土器は約1万2千年前に出現したとされている。

しかし、中国の土器は8,000年前とされているにも関わらず、

その後の中国の陶芸の発展は急速であり、

技術の上では、

1.窯(かま)の出現。

 

6,500年前

(酸素の不足する還元炎焼成による灰陶の創始)

2.彩色の出現。

 

6,000年前

(アンダーソン土器)

3.ロクロの出現。

 

5,000年前

(黒陶研磨土器)

4.灰陶の出現。

 

3,500年前

(灰釉陶=原始青磁)

 

等々、世界の技術をリードして発達した。

河姆渡(かもと)文化期・・・新石器〜前5,000年・・・浙江省海岸側

仰韶(ぎょうしょう)文化期・・・前5,0003,000年・・・黄河中流域

馬家窯(ばかよう)文化期・・・前3,1002,700年・・・黄河上流域

良渚(りょうしょう)文化期・・・前2,7001,900年・・・長江デルタ地域

龍山(りゅうざん)文化期・・・前2,4001,900年・・・黄河中・下流域

二里頭(にりとう)文化期・・・前2,1001,500年・・・黄河中流域

 

しかし、技術進歩も青銅器の出現により約2,000年もの期間退潮するが、

漢時代になると、豪族達の厚葬願望による明器の需要が強くなり、

再び陶器の技術革新が創出される。

日本の石器時代から弥生時代に相当する中国の文物です。

弥生式土器には中国南部の影響がみられる土器を散見します。

 

 

 

 

かいゆうたい

灰釉敦  CA0622  戦国〜前漢時代   桐箱入り

 

青銅器を模した陶器で本来は穀物を盛り祭祀に使用した器を

陶磁器の原始青磁で模倣したものです。

蓋を取り逆さに置くとその蓋が盛り付けの器になる、

そして祭祀に使用できる2.000年以上前のすぐれもの。

H18Cm(No0350

 

 

 

c2648

 

 

こくとうげん                        すうたく

黒陶甗  CA2648  西周時代  大汶口文化・ッ沢文化

 

提示の作品「げん」とは、蒸し器である、青銅器を祖形とした器形

で下部に水を入れ上部に蒸す食物を入れて下部で火を焚き水蒸気を

発生させ、調理をした調理器具の一種です。

青銅器時代には金属は貴重品であったことからその使用はごく一部

の人しか利用できず、庶民はもっぱら陶器製で青銅器を模して作成

環元焔焼成により窯で焼成し、窯の蓋をして黒煙を冬季にしみこませ

表面を研磨して黒色を輝かせ、明器として利用したようだ。

この作品は、黒の色がしなやかに出た良品で数も少なく貴重品

博物館に入れてもよいくらいの約4.500年前の作品です。

4,000年前の作品としてはキズも少なく大型で見応えがある。

寸法: H34Cm (No0598

 

 

 

 

 

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B,前漢時代〜三国時代の中国陶磁(前202年〜265年)

日本の弥生時代に相当するこの時代では、

前代の灰陶、黒陶、加彩陶に加え、

明器としてのあらゆる生活用器具の模型が焼かれる。

技術の上では、

1.灰釉陶の技術革新

 

(実用器としての応用が広がる)

2.施釉陶の出現

 

(鉛質の緑釉陶。鉄質の褐釉陶)

3.自然釉陶の出現

 

(器種が飛躍的に増加)

4.青磁釉、黒釉の出現

 

(古越州窯)

 

等々の発明がなされた。

なお、青銅器絶対主義は、この時期頃より崩れた為、

陶器の需要が徐々に向上してきた。

 

 

日本の歴史上で弥生時代に相当する古陶磁を中心にした

中国文物を紹介するコーナーです。

 

お楽しみください。

 

 

 

 

 

 かんりょくゆうきん

漢緑釉囷 CB0149  漢時代   桐箱入り

 

本来のは緑釉のみだが、なぜか褐釉が一滴く垂れて、見所になって

いる、偶然を好む日本の愛陶家が喜ぶ。

囷とは穀物を貯蔵する容器らしい、足は熊が三匹で器を持ち上げる

意匠で「見立て上手な茶人」が花活けで使用する「椿が良く似合う」

から不思議だからだ、茶道の本でこの緑釉の器に「白玉椿」が一輪

活けて掲載されていた・・・「詫びの極致」と私は納得した。

                   H32.Cm(No0187

 

 

 

c1924

 

 

漢加彩壺   CB1924  漢時代  桐箱入り

かんかさいつぼ

 

彩色の良く残った加彩の壺です。首部の鋸歯文(きよしもん)

壺の中身を意味するのか?胴部の文様は私には説明出来ない。

 

高台が上部に比べて小さく見えるがそれでも安定して見える

から陶工の腕は確かだ、加彩の楽しみ方は、器面に霧吹きにて

水をかけると色が濃くなり美しい、鑑定のポイントである土錆

の匂いがして付着した砂が自然に落ちる。

彩色の色落ちはむしろ紫外線の方が害である。

 壺の器壁を色取る文様を見ていると「ピカソの絵画」を鑑賞して

ているようだ! 失礼こちらの方が2000年古い  (笑)

首部に傷有りますがほぼ完品。 H約37Cm(No0510

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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