BU: 青銅器・中国古銭 |
updated on 04/12/2003 18:37:22
改定版2006.11.27.作品20点掲載(計28点掲載)2023.01.04.作品解説追加
青銅とは“銅と錫の合金”である。 その比率の調整で用途に応じた作品が作られた。 一般の方が間違えやすいのは以下の通りと言える 青銅の名からも分かるように一般的には青銅といえば緑色と 思われており、現存する古代の青銅器を見ると全て青銅色 であるがゆえ、古代人が青銅を重用した理由を “理解し難い面がある” しかし、本来の青銅は製作時では、黄金色や白銀色の 金属光沢を呈すもので、その見た目から金銀に準じる金属として 利用された面が多分にあると考えるのが妥当である。 例えば銅鏡の反射面は白銀色に輝いていたし、 弥生時代の国産鏡には錫の含有量を下げて黄金色に鋳造して、 太陽を模したのではないかと考えられている。(フリー百科事典より) この通り3.000年前の中国青銅器の断面を見ると黄金色である。 1000番台 中国古銭 2015年4月から追加 日本の蔵から出た中国古銭について。 10世紀中ごろに最後の「乾元大宝」発行を停止して以来,17世紀 始めに江戸幕府が「寛永通宝」を大量発行するまで,日本では独自の 貨幣鋳造がほとんど行われなかった。 その間,中国などで鋳造された貨幣を使用していたのである。 これらは「渡来銭」と呼ばれる。 発見された宋時代の古銭は南宋銭を加えると84%。明銭は7%強 で,唐銭は出土数で8%となり明銭を上回るという文献が在る。 四角い穴が開くお金を日本が採用したのは中国の渡来銭を模し たからだと言われている。 中国古銭には、まったく知識の無い私だが唐時代の銅銭を眺めると 綺麗な「緑錆」が観察され美しいのだ! また、中国各時代のお金(古銭が安価に入手可能)なので その時代の古銭を眺めながら・・・心をその時代に移入して タイムスリップする事も可能であり大いに楽しめる。 |
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青銅敦 BU0052 戦国時代 せいどうたい 「たい」は穀物の煮物を盛りつける容器といわれている、 蓋を取り、逆さにすると"盛り皿の役目"を果たす事が可能、 提示の敦は欠損部分が多いが文様は細かく美しい。 本歌の青銅器は2〜3.000年以上前の作品であるのに、 見る者を圧倒する迫力がある、どんな工人達が作ったのか? 神業のような作品で、いつも疑問が残っている。 足は小さく飾り物の様相で、この時代の特徴ともいえる。 径21Cm A地 0190 |
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蟠ち文豆 BU0053 戦国時代 ばんちもんとう 2018.12.07.商談中 この時代特有の精美な地紋様が器体全体に入り美しい。 "ばんち"とは龍の一種であり、龍に進化する一歩手前の "青年龍"と解説する人もいる。 器を回転するように地文様がめぐる配列で表現され呪文の 意味も含まれていると解説する人もいる。 豆(とう)とは豆類を料理して盛り神前に捧げる容器で、 薄作り紋様は微密な作、鋳造技術は目を見張るものがあり 人間業とは思えぬ出来栄え、青銅器を大切に扱う中国人の 気持ちがわかる、したがって値段も高価になる。 H17,5Cm 0291 |
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渡金獣環一対 BU0201 漢時代 じゅうかん 青銅器の壺類の左右に取り付けた、手掛の金具である。 最大巾4.4Cmの小品ながら、繊細なタガネの技術に 手抜きは無く、不思議な事に飾ればアートとなる。 見事な細工と造形で窓辺の小さなスペースでも異彩を放つ。 専用の箱が設えられ、コンパクトに収納されている。 塗箱入り。寸法: 巾4,4Cm 0058 |
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渡金獣環一対 BU0202 漢時代 「とうてつ文」を原型とする架空の動物は、魔除けの 思想であり、壺の中にある液体(水、酒)等の守り神の 意味が含まれているのか? 祭司に使われる道具(飾り)を示唆しているかもしれない。 渡金が美しい。寸法: 巾4.4Cm (No.0052) |
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青銅蕨手文編鍾ペア BU0100 戦国時代 わらびでもんへんしょう 吊り手が逆U字形なので鈕鍾(ちゅうしょう)と呼ばれる ばあいがある、中国古代の楽器である。 紀元前6世紀から前2世紀頃まで流行したと聞くが? 日本の古墳時代に出現する銅鐸の原形と考えられている。 但し日本の銅鐸で楽器の様に良い音の出る作品は稀、 鍾の大きからみてミニュチュア版で緑錆が美しい。 寸法:全高4,1cm口下部の巾4Cm 最大厚2,6p 0025 |
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青銅星座文編鍾「鐸」 ペア BU0101 戦国時代 せいざもん たく この原型である大型の鍾は高さ約50Cmにもおよぶと聞く 大きさから音階により徐々に小さくなり、すべてを合わせると 65箇ワンセットの楽器であるとの報告がある。 祭祀(さいし)の時、5人もの奏者が演奏したと伝えられるが こんな古代にも音階が存在したのはさすが中国文明といえる。 この鍾は錆が茶色の鉄のような錆色を呈し、内側上部には 鐘を鳴らす(舌)が付けられた吊鉤があるので「鐸」が正式 名称となるかもしれない。 寸法:全高6cm 下部巾5.8cm 最大厚3,7p 0046 |
青銅編鍾「鐸」(素紋)ペア BU0102 漢時代 編鍾は撞木(しゅもく)でたたいて音を出すと聞くが 楕円の中央と両端の2カ所で二種類の音が出せる設計である。 しかし提示の右側の作品には内側の中央に棒状の打具(舌)が 吊り下がっていて、本体を揺らすとギヤマン風鈴の様な 古代の音色が聞き取れる。 つまり鈕鍾(ちゅうしょう)のなかの鐸(たく)と呼ばれる 種類の楽器であると私は思う。 ご存知のように日本の銅鐸の祖先と考えられている。 寸法:全高6,5cm口下部巾6,1Cm 最大厚4,1p NO0057 |
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青銅初期型爵 BU0050 コピー品 箱なし しゃく 爵は香炉として使用してもよし、または野の花を生けると 見違えるほどの魅力を発揮する。 小生も庭先に花が咲くと、好んでこれに活けるのだが 放り込むだけで良いバランスが取れ、なんとも便利な花器。 多くのコピー品が出回っている。 ご用心 ご用心。 左右 30cm 高さ 21.8cm 3万円 |
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佐波里酒瓶 BU0001 さはり イラン 5〜7世紀 ササン朝 アフガンで出土この辺りではサハリは紀元前からあります、 この技術はシルクロドードを経て中国・朝鮮半島を経由して 日本にもたらされました。 どのように使われたかは不明ですが、やはりワイン類を 入れたものなのかとも思います。 日本では茶道の床飾りとして良く使われる、花も良く映る。 胴央の圏線が器形を引き締め、時代を超えた品格があります 底に2ヶ所直しがありますが水漏れはしないので花活けと して利用することが出来ます、なおなぜか花持ちが良い。 ササンの図録に出てもおかしくない逸品だと思います。 寸法: 総高15.3cm 口径5.2p 高台径5.6cm 0087 |
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こうやすいびょう 高野水瓶 BU0013 桃山〜江戸初期 紙箱 銅器の水瓶、紀州高野山周辺に伝わる水瓶で密教法具です。 初期伊万里徳利のモデル、威厳のあるフォルムで納得です! 実物の手取りは重く、時代による汚れ、緑錆が所々に 観察されます、特に高台内は錆が多く時代の星霜ですね。 仏教法具だけあって製作に手抜きは一切なく、時代味も付き 魅力があり、薬師様が手に持つと、法力が予感されますね。 見飽きない素晴らしい器形と観るのは私だけか?逸品です。 高さ24p NO0068 |
古銅糸印 BU5021 中国 清時代 桐箱入り |
根付にもなります。時代の経過で銅の色が落ち着いた色に! 変化して味わいが有ります。 印面寸法: 2.2〜2.3cm角 全体:厚み約1p 全高約2.2p |
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古銅印鑑(パスパ) BU002と右003 元時代 中国の元時代に使用されていた「八思巴文」の印鑑の紹介です。 元時代は多くの言語が使われていたらしく、浅学の私では 説明ができませんが西暦で1260〜1363年に相当する時代のもの ですので「古銅の磨耗が」美しい味となっています。(0036) 左右とも同時代の印鑑・・・左右別売りも承ります。 寸法:左2,8×1,4p 右2,4×2cm |
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獣面双耳宜徳香炉 BU5025 中国宜徳年製 杉古箱 希少品 胴部は緑青(ろくしょう)が数か所みられる飾の耳は「獣面」で 胴部を飾るが精美な彫技で制作されこの耳を眺めるだけで異次元 の世界が連想され、宜徳時代の職人技が非凡であることが窺える この香炉の金属には日本の銀が使用されているという。 火屋は銅製で開けられた飾穴の形状は吉祥文です。 No0198 寸法:胴径12.8p 口内径11p 耳部径14.8p 総高11.5p |
1000番台 日本で見つかった中国古銭
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開元通宝 BU1001 唐時代 唐代において武徳4年(621年)に初鋳され、唐代のみならず五代 十国時代まで約300年にわたって流通した貨幣。 裏面は 一に見える記号? 寸法:直径2,48p |
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至道元宝 BU1002 宋時代 二代 太宗は、淳化六年に至道と改元し、至道元年(995年)に 至道元宝銭を改鋳した緑錆が美しい。裏は無紋 寸法:直径2,49p |
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元豊通宝? BU1003 宋時代 元豊元年・1078年 宋・第6代皇帝 神宗(在位1067〜1085年) 裏面文様なし 寸法:直径24,1_ 0301 |
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元祐通宝? BU1004 宋時代 元祐元年・1086年〜北宋 第7代皇帝 哲宗 (在位1085〜1100年)の時代 裏面文様なし 寸法:直径:24,4ミリ? 0301 |
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大観通宝 BU1005 北宋時代 裏面不明大観元年(1107)から鋳造された 裏面文様なし 寸法: 24,8_ NO0301 |
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大観通宝 BU1006 北宋時代 大観元年(1107)から鋳造された 裏面文様なし 寸法:直径 23,2_ NO0301 |
・・・・・ここからは明時代・・・・・
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洪武通宝 BU1007 明時代 明の太祖洪武帝(朱元璋)が即位後の1368年に発行したのが 洪武通宝です。洪武通宝の一部には裏面に鋳造地を示す文字や 一銭の文字がある。裏面:一銭と読める字あり。 寸法:直径2,1〜2,11p NO0301 |
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永楽通宝 BU1008 明時代 1408年の永楽6年〜発行 2013/03/18この永楽通宝がケニア で見つかった話は世界史を変えてしまったほど有名です。 裏面は無紋 寸法:直径2,48p NO1000 |
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宣徳通宝 BU1009 明時代 宣徳8年発行 1433年 裏面は無紋 寸法:直径2,53p NO0504 |
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弘治通宝 BU1010 明時代 1503年〜発行? 使い込まれて磨耗している。 裏面は無紋 寸法:直径2,29p NO0502 |
・・・・・・・・・ここからは清時代・・・・・・・
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康熙通宝 BU1011 清時代
1662年〜鋳造 臣康熙? 裏面に不明の文様2ヶあり 巣が3ヶあり 寸法:直径2,63p NO0501 |
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嘉慶通宝 BU1012清時代 1706年から鋳造。日本は清朝銭の輸入及び流通を禁止しましたが 長崎貿易などの影響で日本への流入は続きました。 湖北寶武局月文? 裏面に不明の文様2ケあり 寸法:直径2,42p NO0503 |
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乾隆通宝 BU1013 清時代 清朝最大の領土と文化が花咲いた時期の通貨 1736年から鋳造 裏面に不明の文様2ケあり 山西宝晋局(太原)? 寸法:直径2,32p NO0401 |
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道光通宝 その1 BU1014 清時代 1821年〜鋳造 8代目にあたる道光帝が発行した貨幣です 乾隆・康熙・道光は良く日本に渡っている貨幣 裏面に不明の文様2ケあり寸法:直径2,39p NO0801 |
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道光通宝 その2 BU1015 清時代 製作時期や場所により、大きさや書体にばらつきがあります 清朝がだんだん落ち目になり銭径から大きさは維持していますが 製作が少し悪くなっているような気がします。 1821年〜鋳造 裏面に不明の文様2ケあり 寸法:直径2,32p NO0802 |
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光緒通宝 BU1016清時代 使用で磨耗している1875年〜鋳造、銭径が大分小さくなっています 政治・経済的に混乱をましている証拠ではないでしょうか? 裏面不明の文様2ケあり 寸法:直径2,40p NO0601 |
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