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仏教美術「石仏」

 

(C) サロン 竹森

 updated on 05/03/2003 18:09:29

2003.05.03.作品21点(計11作品掲載)2022.01.14.作品解説追加。



ガンダーラ地方から始まった石仏の造像は

シルクロードの交易と共に広がりを見せ、

やがて中国の北部に達して

有名な敦煌をはじめとする石窟寺院など大仏像群の造像にいたる。

 

その過程では色々な文化(神仙思想など)とブッタの教えが

複雑に絡み合い同化し、

その国・時代・地方などの好みを反映しながら

時を重ねお顔の表情や服装などが変化していく。

 

つまり仏教美術は勉強すればするほど奥が深く、

小生をふくめ芸術愛好家を悩ませる。

 

紀元2世紀頃から始まったガンダーラの石仏群から始まった仏像造りは、

古代より玉文化の発達した中国においては、

石の中に一種の霊力を見出して仏像を刻むことが創造され、

その思想や技術が朝鮮半島に渡り、

そして6世紀に日本に渡来した。

 

それらの仏像から造佛の終着駅

“日本の民衆仏”までをくるめて、

その生まれた背景には、当時の生活や願いが有り、

また民衆の苦難があったと想像できる。

 

釈迦と呼ばれる仏教の開祖(ガウタマ・シッダールタ)

生没年は諸説あるが、約2,500年前に活動した実在の人物

現在のパキスタン北西部周辺に起きた石仏の造像

その巧みな表現方法は高い技術で表現され

仏教美術を形成している。

 

崇める心があれば

万人の願いも受け止めてくれるであろう。

 

そんな人々の願いの本質は

“21世紀の現代でも同様”であり“永遠”なのである。

 

人間は自然界の一員であればこそ生きられて、

じつは、本質は弱いのである。

以下浅学な説明で恐縮ですが、石仏の美術をお楽しみ下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石仏五尊像 BS2505    中国北部系

    ごそんぞう

                     

日本の平安仏を連想させる優美なお顔とお姿。

中央仏の脇に比丘、外側に比丘尼がそれぞれ立つ。

床飾りに用いれば、心休まる事請け合いである。

画像では迫力がないが実物はかなりの存在感ある。

また、お顔を眺めるだけで心に詰まった物が消えさる。

石質も黒色が強く、撫ぜるたびに色が濃くなっていく。

彫り込みも深く、最大5.5pも有り、仏師の石工技術は

確かなもので、目線・衣紋も流麗である。

有名料亭・旅館・寺院の客殿等のメインシンボルとして

また、一般家庭の坪庭に飾っても凛とした空気がただよい

素晴らしい空間が演出できる。

我が家の庭に10年間たたずみ昨夜の雨に石仏が濡れ

神々しさをましたお姿を撮影しました・・・ご覧あれ!

法量:左右59.0cm H36.0cmNo0560

 

 

 

 

 

 

bk2506

 

 

 白大理石如来立像 BS2506 唐時代 中国南方系

 はくだいりせきにょらいりゅうぞう 

 

隋時代の容貌を残したお顔、衣紋の曲線表現が美しい。

見る人の好みもあるが厳しくも凛々しいお顔である。

右手(施無畏印)は安心してお願い事をするように

左手(与願印)はすべての願い事をかなえてやろう

の意味をもつ。台座は日本での後補製。

 

現在お庭に鎮座しているが11時くらいの太陽光線にて対峙

するとお顔や衣紋の陰影が良く現れて素晴らしくなる。

お蔵に仕舞うより、製作され安置した状況にて鑑賞する

状況がもっともふさわしいと思うようになった。

 

この像はお顔の表現より中国の南方系の仏像であろう。

我が家の庭で4年間屋外でたたずみ、発掘の砂も落ち漢白玉が

人の肌のように変身、眺めていると思わず手を合わせたくなる。

やはり石仏は屋外に飾るようにできているのだろう。

 全高63.0cm 台座H15.5cmNO0330

 

 

 

 

 

 

 砂岩菩薩仏頭 BS0041 10〜12世紀

                     小さな蕾掲載品

カンボジア地方、アンコール時代(西暦802年〜1432)

の砂岩仏頭で温和な顔立ちにもかかわらずその醸し出す

雰囲気は一種のオーラを放つようで、訴えかける力は特筆にあたい

するほどで、見る人に語りかけるアンコール前期に相当する仏頭

32相の白毫相(びゃくごうそう)にあたる、眉間に右巻きの白毛が

あり光明を放つ伸びると一丈五尺の長さある、白毫表現が盛り上が

らず、額に円を彫りこむだけの簡素化された彫刻方法に特徴がある

また 頂髻相(ちょうけいそう)といわれる頭の頂の肉が隆起して

(もとどり)の形を成している肉髻(にくけい)表現および額の上に

第三の目のような菱形の彫刻は時代の特徴か?

鼻中央・左頬に当たりキズあるものの希少価値がある。

本体H30 cm 台共37,5cm 耳巾19,5cm  (No0366) 

 

 

 

 

 

 

  砂岩菩薩仏頭 BS0051 1012世紀   F、

カンボジア地方小さな蕾掲載品

若々しいお顔と口元のスマイル表現に特徴がある

アンコール時代前期の仏頭の紹介です。

砂岩製で石質が悪いのか?気象条件で風化が進む場所に

佇んでいたのか?仏頭全体の表面がだいぶ荒れている。

三二相・八十種好によれば、釈迦は耳が肩まで届く程

垂れ下がっていると伝えられ、この菩薩も耳が長く

耳たぶに穴が開いた様子を模し彫刻が施こされている。

 

また、三道といわれる(のどに3本のしわがある)について

も細部表現がなされている。

時代の好みが有るであろうが、口伝により伝えられた

ブッタの特徴は彫刻の中に息づいているから不思議である。

法量:台共H30,3Cm 仏頭H23,5cm 耳巾14,3cm

(NO0501)  

 

 

 

 

 

 ガンダーラレリーフ帝釈天立像 BS5001

パキスタン2〜3世紀 雲母片岩

                       G,

仏伝の中で「帝釈窟説法」という場面があります。

仏陀が山にこもり“悟りは自分の努力で開くもの”

と説法を拒みます。そこへ、梵天が琴弾きを連れてきて

琴を弾かせ、仏陀に説法をしてくれるように頼みます。

 

この残欠はその場面の断片で、欠損の左端が洞窟の左側で

琴弾きは欠損の窟の左側にいたと思われます。

ガンダーラ仏の物語は仏教の基本精神が宿っている。

法量: 石仏の高さ 19.5cm

 

 

 

 

 

 ガンダーラレリーフ馬車を引く馬 BS5003

パキスタン2世紀 雲母片岩

 

これだけの残欠ではなんとも判りませんが推理すると、

馬車の前輪が右下に見えますので恐らく,二頭だての

馬車にのって、太子(釈尊)が母マーヤ夫人に抱かれて

生まれた母の故郷(実家)から父のいる城に帰還する途中

のところの一場面かと思われます。

馬の表現が生き生きしていて魅力がありますので断片と

いえどもブッタ生誕のオーラを感じます。

石彫りの表現が深くて立体感がありますので当時の技術

の確かさがこの残欠から窺えます1800年前の技術です。

9.7cm 左右14.8cm NO0075

 

 

 

 

 

 磚仏菩薩立像 BS3501 高麗時代1011世紀頃

せんぶつ                   

 

粘土をメス型につめ成形、仏像のお姿を浮き出させ

その後、低火度で焼成した物が磚仏と呼ばれる。

日本では唐時代に倣い、白鳳期に多く造られた。

提示の仏様は高麗時代の磚仏で1011世紀頃と私は観ている。

光背・衣紋を見るともう少し時代が遡る可能性があるが像の所々

に当時の彩色跡、銀色を残しているので貴重性はある。

蓮華座下に割直しあるが、光背、衣紋の稜線は厳しく表現され、

立ち姿、お顔には優しさが漂う磚仏では佳品である。

寸法:H 15.6p 台座巾5.2p  NO0182

・・・追伸

「仏教美術入門展、佐野美術館刊」同様の仏が記載されている。

伝三重県上野市伝来室町時代「千体阿弥陀如来立像」とあります

なお、奈良時代のものは「磚仏」と呼ばれていますが中世以降の

仏像は単に泥仏(でいぶつ)と呼び中世以降に泥仏造りが盛んに

なり、以降江戸期まで隆盛しました、この泥仏は中世にまで遡る

貴重な一体です。 ・・・以上佐野美術館の解説書より

 

 

 

 

 

押し出し仏(泥仏6体) BS3502

10世紀前後 インド地方

 

この押出仏はメス形に粘土を押し込んで

一旦取り出した後整形され、天日に干して作成。

(焼成されない為、角が失われ易い)

また、長期間水に晒されると溶けてしまう為に

現代に伝承される完品が少なくなる。

当時の貴族階級は金銅仏を競って奉納したと聞く、

我々庶民の願いを叶える為に、安価なこの土仏

が存在したと考えられている、共感あるのみ。

左右2.5×3.3cm 大3.3×3.7cm 35千円

 

 

 

 

 

紅砂岩菩薩仏頭 BS2603  桐箱入り

 

浅学の私では説明ができない、でも雰囲気は良いので・・。

この仏頭の時代・産地など判る方ご教示お願いします。

9p    0051

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンダーラ仏伝図  BS2557  34世紀

 

 ガンダーラの仏伝図の各場面を構成するレリーフ群は、ス

トゥーパの基壇に付けられていることが多く、信者が右回りに

礼拝することに合わせ場面構成は、ブッタ誕生から涅槃までの

時の流れを左から右に展開するように表現されている。

提示のレリーフの中央に見える柱はローマ建築の形式を色濃く

残しているのでガンダーラ仏の彫師は西洋から招かれたとす

る学説がある、物語りは向かって右側は樹下に坐し禅定印

を結ぶ釈迦菩薩帝釈天が教えを請願する「梵天歓請」を表す

左半分(下画像)は与願印・施無畏印をする釈尊のまわりに

礼拝する梵天・帝釈天のいた場面「帝釈窟禅定」と窺える

ガンダーラ美術で人気が高い場面だとおもいます。

 上写真の中央の柱すぐ右には穴が開いています、この穴は

別々に作られたレリーフを物語の構成に合わせ順番に取り付け

ていく時に必要な穴だと想定しています。

 

ガンダーラ石仏群は勉強をすれどもすれども奥が深く、何で

も取り扱う骨董屋にとっては難問の連続ですが、その魅力は古

美術品で最高峰にランクされ極めたマニアの方にお勧めです。

 このレリーフは真上から見ると、背面がゆるやかな曲線を

えがいていますので、もともとは太い円柱?またはストーパ

基壇の曲線部に飾られていた可能性があります。

 向かって右側のブッタが坐す台座の一部が欠落しています。

   法量: 左右25cm 本体高13cm  0179

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝鮮石製ミニ人形2体 BS1501〜2 李朝時代?

 

珍しい白玉のミニ人形ですが頭部(右画像の左の人形頭部に注目)

小さな孔が開けられているので紐でも通して胸飾りとして

使われていたのでしょうか?

土中にあったのか?だいぶカセています、身の回りのお世話を

する女性の召使いにも見えますし浅学の私ではこれ以上の説明は

出来ませんがとにかく珍品です。         小ガラ

寸法:高さ左5,7p右5,5p 幅55,6_ 厚4,5_

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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