ルス・デル・アンデインデックスに戻る第二部
5月16日(火)CONCIERTO EN LA PAZ 朝、ルーチョを除くメンバーが急遽マルセロ宅に集まった。CANAL 7の取材要請が入ったためだ。結局話は三転、インタビューはキャンセルになったが、結果的にプログラムをさらうことが出来た。昼食にCHORIZO(ソーセージ)とPURE DE PAPA(マッシュポテト)を食べて、劇場へと向かう。 TEATRO MUNINCIPAL DE LA PAZ(ラ・パス市立劇場)は、1845年にオープンした由緒ある歌劇場である。決して規模は大きくないが、ここでのコンサートは、ボリビアの音楽家たちのステータスでもある。私が初めてこの劇場で弾いたのは、1982年12月ルイス・リコとのコンサートであった。それ以後、幾度となくこのステージに立ったが、ルス・デル・アンデとの市立劇場コンサートは1995年以来、実に11年ぶり。今回は大幅に改装したばかり、とても綺麗になっている。
12時に劇場に着く。ホールの前には、大きな看板が掲げられている。ステージではスタッフが舞台を作ってくれている。平台(ひらだい)で「島」をつくり、その上に緋毛氈のような敷物を敷きつめる。サウンド・エンジニアはマウリシオ。数名のアシスタントとともに、テキパキと準備を進めている。今回はTVカメラが入るため、そのためのコンソールが上手に設置された。
ボリビアでのコンサートは、未だかつてタイムスケジュール通りに運んだ例しがない。特にリハーサルに関しては、いつも開始が遅れ(それも何時間単位で)、不十分な状態で本番に突入することが常であった。それが、今回はほぼ時間通り。サウンドチェックも、全くストレスなく進む。8年の月日を感じさせる、嬉しい驚きである。
リハーサルの後、一度マルセロ宅へと戻り、ゆっくりとお茶を飲む。町の大きくないラ・パスのコンサートでは、ごく普通のことである。それでも、早めに会場に戻って、楽屋の扉を閉めて指慣らしを始めた。が・・・次から次へと音楽仲間が尋ねてくる。練習どころではない。とても嬉しいこと・・・だが、本番が気になって仕方がない。
ラ・パスでのコンサートにおける大敵のひとつは、寒さである。夜のラ・パスはかなり冷え込む。日頃から陽の入らない劇場の中は、特に冷えるのだ。楽屋には、壁に電気ストーブがはめ込まれているが、これでは空気が暖まらない。手を擦り合わせるしかないのである。
19:00開場する。「劇場前には長蛇」という情報が入る。前売り制度が一般的でないボリビアでは、コンサート当日までチケットの売れ行きがわからないのである。とりあえず胸をなで下ろす。 開演10分前、緞帳の裏にスタンバイ。充実した緊張感である。舞台袖は、いつの間にか、音楽仲間でいっぱいである。 突然ラジオの生電話インタビューが入る。携帯を差し出す旧友ジャーナリストJOSE RAMOS。何をしゃべったのか、全く覚えていない。
舞台にはスモークが充満して、本番照明になる。右手を挙げて、演奏開始の合図をする。マルセロの奏でる「ALWA」が始まると、緞帳が上がった。暗闇の中に、超満員の客席がうっすらと現れる。「JALLALLA TIHUANAKU」が終わると、うねりのような拍手と歓声が鳴り響いた。 拍手のトーンが、歓声の響きが、会場の空気が日本とは違うのだ。どちらが良いというのではなく、すべてがボリビア的なのである。どうしてもテンションが上がるのだ。 「CHOLITA PACEN~A」で第一部が終わる頃には、右肩にしびれを感じていた。高山病のためであろうか?
第二部は、RAMILO PLATAのメンバー紹介に続いて「BICHITO DE FLOR」から始まる。曲の後半でAYARACHIを合奏する。酸欠で頭がフラフラした。第一部にくらべて、比較的リラックスしている。途中、観客への挨拶をウィルソンが振ってくれた。が・・・感激と興奮で、言葉がスムーズに出ない。別に感極まって・・・というわけでもないのに、観客はそう理解してくれたようだ。予期せぬほど長い拍手をもらった。 「MANAN~ACHU」「LAMENTO DEL MINERO」のヒット曲で、プログラム終了である。アンコールの「DESDE TRINIDAD」が終わっても、拍手が鳴りやまない。客席からのリクエストで、今回一度も練習していない「SED DE AMOR」を8年ぶりに演奏した。そしてふたたび「MANAN~ACHU」、今度は客席からも大合唱が聞こえる。・・・会場じゅうが、スタンディングオベーションで祝福してくれた。
舞台袖で、仲間から、友達からたくさんの祝福を受ける。CESAR JUNARO、ROLANDO ENCINAS、AJAYU、GERMAN RIVAS、RENE ALINAS、JORGE ROMERO、CARLOS ARUQUIPA、WEIMAR VALDIVIESO、YOLANDA Y EDUARDO MAZUELOS・・・みんな懐かしい顔ばかりである。ラジオ放送でコンサートを知ったCARLOS ROMEROは、息子のAMARUと、コチャバンバから駆けつけてくれた。
サインや写真を求める人たちで、袖は見る見るいっぱいになった。DISCOLANDIAのLIC.ESPINOZAが、家族揃ってきてくれた。組曲を録ってくれたRAMILO TARIFA。杉山くんとも十年ぶり。菱本夫人CLAUDIAのご両親、そして、メンバーたちの子供たち。みんな本当に大きくなった。ルーチョの息子、闘病中のFERNANDOは、僕の顔を見るなり大粒の涙を流してくれた。
サインを求める人たちの多くが、20年近くも前のLPを手にしている。ビデオやCDを差し出す人たちもいる。ノートを破った紙片もある。 組曲を賞賛する声がとても多かった。8年前には、ほんの少年だったはずの若者たちが、組曲を好んでくれることは本当に嬉しいことだ。「来年は全曲演奏するから。」またまた約束してしまった。みんな、なかなか帰らない。一時間以上かけて、全員にサインを終えたのである。
小さな打ち上げを、トーニョの家でやった。コンサートの余韻にしたりながらグラスを傾け、笑談する。WILOSNとWIMARが、ギターを抱えて二重唱を聴かせてくれる。SIN FLONTERAのレパートリーである。トーニョのバンドネオンが加わる。みんな、どこまでも音楽が好きなのである。
午前二時過ぎ、冷たい空気の中、マルセロ宅へと戻った。
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