2009年
10月30日(金) 倉敷・夢空間はしまや
木下尊惇 24年シリーズコンサート 第九回
「十三夜」ゲスト:高橋悠治
大晦日の夕暮れどき、辺りが暗くなりかけたころ、山の端あたりに上った美しい月を見た。透き通るようにまるく、はっきりと淡い色の月だった。
その夜は、シアターイワト(神楽坂)の企画する、高橋悠治&斎藤晴彦の「冬の旅」を聞きに行った。終演後は、そのまま年忘れの酒宴である。
「十三夜コンサート」への出演をお願いしたのも、同じ場所の酒宴だった。あれは一昨年高橋さんの古希祝い。それを境にプレッシャーの日々が始まった。
高橋悠治さんは、本当に優しい人である。何人に対しても、何事に対しても。
高橋さんの音は、月の光のようである。作品の生いたちに対しても、作曲家の生命に対しても、その音を聞く者に対しても。
コンサート当日、少し形の欠けた十三夜の月は、雲間に出つつ隠れつつ、はしまやの中庭を照らしていた。 蓋が小さく開けられたピアノから生じた、月輝のような音の光が、蔵の壁板の隙間へとまぎれこんで行く。
昨秋は、美しい月に恵まれた季節だった。たくさんの月の姿に手を合わせることができた幸せ。
月の光は、闇の隅々までを照らしだす。静かに、明るく、平等に、その光は降りそそぐ。
大晦日のシアターイワトを出て、護国寺の本堂へ向かう時分、夕刻の月は満天まで上っていた。
かくして2010年は、きっぱりとした月の光が照らす中、未来の扉を開けたのである。
10/01/15
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8月1日(土) 水道橋・スペースY文化センター
第6回チャリティトーク&コンサート
「ペルーの働く子どもたちへ」
ADIOS PUEBLO DE AYACUCHO「さらばアヤクーチョの町」。ペルーのアヤクーチョ地方では、「故郷の歌」として愛され、歌われている伝承曲である。
この曲には、何種類もの歌詞が存在するのだそうだ。今回イルマが用意してくれた歌詞は、一番と三番がスペイン語、二番がケチュア語で歌われる。
(一)
さらばアヤクーチョの町 私が生まれたところ
したたかな悪意によって 私は町を去ることになった
(二)
明日の朝にはここを出る 陽が昇る前に
生きていたなら戻れよう
死んでしまえばそれもない
(三)
ワマンガの鐘よ 出立の合図を打っておくれ
アヤクーチョの鐘よ 出立の合図を打っておくれ
ひとつは別れを告げるために
もうひとつは直(じき)に戻ってこられるために
悲しい歌である。・・・一番、三番のスペイン語と、それに挟まれたケチュア語では、作った人も、作られた年代も異なるのではなかろうか?
二番の歌詞(ケチュア語)は、チリとの間で起こった太平洋戦争に赴く人の歌だと聞いた。それに比べてスペイン語の歌詞、特に一番からは、とても個人的なニュアンスを感じるのである。本来ならば、小さな声で耳打ちされるような言い回し・・・誰に聞かせるためでもない、内から自然にあふれ出た言葉と旋律に、この曲の姿を見るのである。
音楽の動機は、きわめて個人的なものに他ならない。他人の見聞を気にすることなく、そっとつぶやくように生まれた音楽は、本当に正直な音がする。少しの偽りもないその音が、空気の振動を通して、別の人の個人的な動機と結びつく。個人から個人へと引き継がれる、伝承曲の正当な一つの形である。
09/09/03
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7月25日(土)五霞町・利根川河川敷
第26回 夕焼けコンサート
夕焼けコンサートのあと、東出さんのお店ラ・ケーナで、「ひっつきむし」を見た。毎年夕焼けコンサートにも出演する、藤原浩司さんが作っているという。
木の穴に潜むイモムシを、棒で「ひっつける」玩具である。磁石の付いたイモムシを、磁石の付いた棒で引き寄せるだけの、簡単なおもちゃだが、やってみると非常におもしろい。
田んぼに発生した藻を観察するために、たらいに入れてみた。藻の広がる水中を見ると、極小の生き物たちが、何やら忙しそうに動いている。人間には解らない、彼らの事情で動いているのだろう。
「ひっつきむし」には、理由のないおもしろさがある。虫の事情と同じである。「ひっつきむし」は人間の作り得た正しい虫の姿なのかもしれない。子どもたちにも、大人気だそうである。
26年も続く「夕焼けコンサート」。ご案内をいただく前から、「今年も行かねば・・・」となぜか思う。これも理由のない面白さからだろうか?
東出五国さんは、誰に対して平等に接してくれる。プロ・アマ、有名・無名に関係なく、誰にでも明るく、親切である。そして、どこまでもマイペースを貫く人である。
もともと河原の草を刈ったその上で、ビールのケースなどを舞台にしてやっていた。夕焼けも過ぎれば、そのまま「暗闇コンサート」となった。数年前に開場を堤防上の公園に移し、近年は音響機材も充実して、出演者も増える一方。
草むらに潜む虫たちの声と一緒に、ギターを弾き歌ったその頃が、ちょっぴり懐かしく感じられた。
09/08/24
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7月15日(水)近江楽堂
木下尊惇ソロ・コンサート
「谿声山色(けいせいさんしょく)」
音を奏でるとはどういう事なのか?
歌を歌うとはどういう事なのか?
曲を作るとはどういう事なのか?
音楽家として自問せざるを得ない
音とは何か? 音楽とは何か?
必ずそこへとたどり着く
何のための音楽であるか?
何のための演奏であるか?
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自分の発した音が 音となった瞬間に
自分のものでなくなるのが理想である
音は大気に放たれて飛んでゆく
音と静寂の境なしに やがて空気にとけてゆく
風のように
波のように
鳥のように
虫のように
自分のものか 他人のものか
二つに一つの選択を強いられる
ああ この窮屈さ
自分のものでもなく 他人のものでもない
誰のものでもない存在で
この世の中はできている
自分のものでも 他人のものでもない
誰のものでもない音は
自ら自然にとけてゆく
音があった事実を残し
音があった痕跡を残さず
とけて 消えてなくなるのである
09/08/24
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7月8日(水)秦野・デイサービス あさひ
昼寝の後のプチ演奏会
バスにはいろいろな人が乗ってくる。停留所に止まるごとに、さまざまな人が乗車する。色々な顔、様々な年齢、それぞれの姿。それぞれに生(せい)を背負って、性(さが)を引きずっている。生まれも生い立ちも様々であれば、好嫌も得手不得手もそれぞれである。
私は私と違う大勢を見て、安心する。これで色々な仕事が成り立つのだと。これで社会が成立するのだと。
足りないところを補い合うことが、助け合うという事である。自然の力は、様々な能力を分散することによって、相互扶助による共栄共存という方法を確立した。これが最良の方法であるということだ。自然の割り振る能力に、力学的な大小はあれど、役割における大小はない。能力に正誤はないはずだが、こと人間においては、能力の目的に正誤が生じてしまう。
より良い共栄世界を実現するために、個々の違いの助け合いが必要なのだ。相互扶助のためには、個々の違いの自覚が必要だ。
それにしても、楽しいプチ演奏会であった。
09/08/10
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7月5日(日)アカデミー音羽 多目的ホール
第三回 木下尊惇フォルクローレ教室 発表会
今回は各自の演目終了後、司会のリカオさんにお願いして、全員にマイクを向けてもらった。みなさんの、晴れやかな表情と、個性的なお話が心地よい。
緊張で思うようにできなかったかもしれない。思わぬところでミスをしたかもしれない。もしかしたら、今回が一番うまく行ったかもしれない。
しかし、どの顔も、どの声も、ある種の共通した充実感に充たされていた。演奏された24曲、それぞれが独自の性格を持ちながら、どれもこれも素晴らしかった。演奏者の人となりが、はっきりと表出した演奏である。
音楽を通じて、音楽を教えるということを通じて、私が実践したいと考えてきたことが、確実に浸透しつつあることに、大きな喜びを感じた一日であった。
みなさん、どうもありがとう!
09/08/10
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4月28日(火)恵比寿 Clef hair & work
nyota sweets night vol.2 BOLIVIA
・・・ SURIBACHI ・・・
二十年以上も前のこと、アンデスの村エスコマで、圧倒的な星空を見た。山の端から山の端にかかる天蓋に、端から端までびっしりと、大小の星たちが煌めいていた。耀きつつ、瞬きつつ、光のぶつかり合う音が、耳に聞こえてくるほどであった。
太古から、人は星に秘め事を託し、願いを祈る。その密やかな光りがゆえに、穏やかな耀きゆえに、なにものにも代え難き美しさゆえに。
仏教教典では、数え切れないものの数を「百千万劫」と表す。
宇宙には、百千万劫の星が存在する。百千万劫の中のひとつに過ぎない地球には、百千万劫の命が生きている。そのうちの、たったひとつの命でさえ、百千万劫の過去と、百千万劫の未来とに繋がっている。百千万劫の連鎖の中途にありながら、過去と未来との狭間に、しっかりと根を下ろして呼吸をしているのだ。
小さな地球に根を下ろした百千万劫の存在は、宇宙に瞬く星たちと同様に、密やかに、美しく輝いている。そしてその光は、なにものにも代え難く美しい。
世界の人々と繋がるのは、個々の光を確かめ合うという事だ。その媒体が「食べ物」であれば、美味しく、楽しく、その輪は広がる。
nyota・・・スワヒリ語の「星」。一度耳にしたら忘れない。
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09/05/10
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4月12日(日)秦野 ギャラリー「楓」
木下尊惇・菱本幸二 フォルクローレ・コンサート
「ティオの住む山」
このところ「立ち位置」というのが気になる。舞台の上の立ち位置ではなく、「立場」に近いニュアンスである。しかし「立場」という言葉には、保身的な風合いを感じてしまうので、あえて「立ち位置」としておきたい。
例えば「悲しみ」を歌った曲であれば、それを作った人の「立ち位置」が気になる。本人が悲しみの主人公なのか、何か(誰か)の悲しみに感情移入したものなのか、客観的に悲しみを題材としたものなのか、悲しみを手段とした創作であったのか・・・?それぞれに「立ち位置」が異なるのだ。
それは演奏する側にもいえることである。悲しみの本質を知った上での演奏か否か。悲しみの曲から悲しみを感じ、その悲しみを演奏しているのか?曲と共に悲しむための演奏なのか?
ボリビア音楽において、「鉱山」と「鉱夫(坑夫)」は、常に創作のモチーフとされてきた。これをテーマにコンサートをつくれば、いくつもの異なるプログラムができそうである。
しかし私は、鉱夫の立ち位置で歌われた、鉱夫の歌を知らない。闇の支配する坑道の中から、土と鉱石と火薬と汗にまみれて聞こえてくる音を、私は「作品」として聞いたことがない。
坑道の闇は、すでに清らかな音楽である。闇の奥のそのまた奥に座するティオの沈黙こそが、坑道の闇に響き渡る音楽である。
「鉱山」という歴史、「鉱夫」という職業、「ティオ」という象徴のみを、坑道の闇から引っ張りだせば、すべては「伝説」という空物語と化して、「ティオの住む山」の真実は、固い殻の中で口を噤んでしまうだろう。
09/04/20
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2月20日(金)東京家政学院高校 視聴覚室
ミタイ基金チャリティー・コンサート
4月7日(火)静岡 ギャラリー「やまぼうし」
MARTA MONTCADA & 成田 尚 二人展
オープニング・コンサート
ミタイ基金チャリティー・イベントで、マルタ・モンカーダと再会した。昨年11月に美山で別れてから、三ヶ月も経っていない。陽気なハイテンションは、相変らずである。
マルタと出会って八年になる。西宮で個展を終えたばかりの彼女を、友人の画家流郷由紀子さんが紹介してくれた。以来、特別に意識することなく、しかしお互いの活動の縁が、不思議にたびたび重なることで、次第に親しくなっていった。
2005年「十二月の肖像」のジャケット画を、マルタに依頼すると、驚くほどの早さで15点もの作品を送ってきてくれた。私の過去の作品を聞きながら、一気に創ってくれたとのこと。
今回の来日では、静岡の山里、藤枝市朝比奈に窯を開く成田尚さんの隣家に住み込み、絵付けによるコラボレーションを続けていたという。
マルタ作品の魅力を一言でいえば「無住」である。一所に留まらない、風のような、波のような・・・「過ぎ去った」という古さをともなわず、常に変化が生まれてくる魅力である。
それは即興でもなければ、思い付きでもない。緻密な作業の線・面・色・形が画面や空間に解き放たれた「自由」の痕跡なのである。
マルタとの共演を、いつかカタルーニャでやってみたいものだ。
09/04/20
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1月27日(火)中目黒「楽屋」
木下尊惇・森川浩恵 コンサート
「妙絃の音」〜静寂ゆえに響きあう
「無名」ということに、ますますひかれている。
老子には「無名は天地のはじめ、有名は万物の母」とある。「無名」の作品も、形として残っている限り、かつては「作者」の手によって生み出されたはずだ。そこには「作者」の感情や意思があったに違いない。
やがて「作者」の存在が風化し、消滅して、それらの作品は「無名」になる。自由になった「作品」は、姿形を微妙に変えながら、大気を浮遊し、土地に根ざし、また人々の心の中に浸透する。
「無名」から生まれた「有名」の創作物は、やがて「無名」に帰するのが自然であろう。
老子はまた、天地のはじめが「玄」であり、その「玄」から出てくるのが「妙」だという(「玄之又玄衆妙之門」)。
光も色もないところから、モヤモヤと出てくる音。「妙絃の音」とは、そんな音のイメージである。ただし、イメージしているようでは「妙絃」に擦りもしない。「無名」になること・・・「無我」であることが、「妙絃の音」の絶対条件である。
「妙絃の音」に耳を澄ませたい。そのための「演奏」であることを切に願う。「妙絃の音」を求める「道」の相棒として、森川さんの箏音は、大きな魅力を秘めている。
09/03/05
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1月10日(土)江古田「BYDDY」
第七回「ピカイア祭り」
新春早々、元気な祭りであった。
ピカイア創成期のお二人渡辺さん、小澤さんとは、秋の青森・函館で知り合った。もう9年になる。
青森・函館とも、同経営のライブハウスで、八戸からのバンドを含めた、三つ巴のプログラム。唖然とするほどガラガラであった。しかしそれぞれに演奏は熱く、私も弾きたい曲を、弾きたいように弾かせていただいた。その時には、こんなに長い付き合いになろうとは、想像だにしなかった。
今回のピカイア祭りも大盛況。ピカイア祭りは、確実に、着実に、その影響範囲を広げている。
09/03/05
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