2008年 (1)


 

「“Yae 種まきライブ”with 木下尊惇」

08/06/22 岩手/久慈市山形村「平庭山荘」

東北地方の森は深い。北上すればするほど、その深さは増してくる。


新幹線で盛岡の次、いわて沼宮内駅から車で約一時間、久慈市山形村に到達する。ここは平庭高原の真っただ中、緯度が高いうえに標高も高いとなれば、夏でもかなり涼しいわけである。

「大地を守る会」が出している「山形べこツアー」の中でのコンサート、yaeさんのお誘いで参加した。「山形べこツアー」は、首都圏に住むの親子に、農村体験をしてもらおうという企画で、もう26年目なのだそうだ。


午後のコンサートのあと、開会セレモニーに続いてのバーベキュー・パーティーである。山形村特産の「短角牛」の食べ放題。霜降り肉の多い和牛の中で、赤身と脂身がしっかりと分離していて、実に肉らしい肉である。炭火で焼いた串焼きは、歯ごたえもしっかりとある。とても美味しい。


地元の方々と笑談する中で、八幡さんというおばあさんの、キツネに化かされた話で盛り上がった。代々八幡神社を守る家柄で、若い頃から農業を生業とされている。冬の厳しいこの地で、逃げも隠れもせず生きてきた八幡さんには、笑顔がたえない。一緒にくっついてきた孫娘の表情も、いつもにこやかである。

「タヌキに化かされたことはありませんか?」私が普通に尋ねると、「タヌキにはねぇなぁ」と普通に笑いながら答えてくれた。

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もう何年か前、ツアー日程の立て込む中、ひどい風邪をひいていた。奥会津の只見の宿で独り一泊した時、どうにも症状がひどくなった。「キツネさんでも、タヌキさんでも、シカさんでもいいです。この熱をとって休ませてください・・・」目を閉じた布団の中から、知らず知らずに念じていた。

翌早朝、高熱は引いて、朝ご飯も美味しくいただいた。寝ている間に、宿の裏手の山から、タヌキがやって来たような気がしていた。

あの時の高熱は、タヌキがとってくれたのだと、私は今でも信じている。それから只見に滞在する時には、必ずその宿に泊まることにしている。

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東北地方の森は深い。鬱蒼と生い茂る木々の間には、人間の知恵では計り知れない不思議が、たくさん息吹いているはずだと私は思う。


それから五日後、当地で大きな地震があった。それほどの被害がなかったと聞くが、車窓から目にした、痛みの進んだ茅葺き屋根の家はどうなっただろう?田んぼの草取りをしていた女性は、難儀をしていないだろうか?



08/08/02


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「“私は私の色のまま”
木下尊惇・橋本 仁フォルクローレ・ライブ」

08/06/22 栃木/足利「なんぷう〜」

降り注ぐ雨が、南国情緒を、さらに増幅させていた。広いスペースは開放的で、無造作に飾り付けられた品々にも、優しさと、愛情が感じられる。


もとは建築会社の社屋だったとのこと。三階の楽屋扉の上には、「設計室」の札が今でも残る。畳を何枚か並べた上にテーブルが置かれ、壁際にソファーベッドも設えた部屋で、雨の音を聞きながら、ゆっくりとくつろがせていただいた。

日曜日だとはいえ、この雨の中、昼・夜公演ともに、会場をいっぱいにしてくださった。優しく熱い聴衆である。もうひとつ驚くこと・・・チャージ3,150円に含まれた食事が、とても充実しているのである。エスニック風料理いく品かが、ワンプレートに乗っているのだが、どれもこれも美味なうえ、食べる前から楽しみな姿をしている。昼・夜合わせて、百人前近くの料理にこれだけの手をかける気持ちに、素直に感動させられた。


足利にはここ何年か縁がある。毎年一度は必ず訪れて、演奏する場を与えていただいている。初めて演奏した「なんぷう〜」のステージで、音楽の「根」が、ゆっくりと土の中で広がっていることを感じた。



08/08/02


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第二回「木下尊惇フォルクローレ教室発表会」

08/06/01 東京「文京区アカデミー・音羽」

一年半ぶりの発表会が終わりました。参加してくださった生徒さんは31名、一部二部合わせて27曲の、充実した演奏会でした。


発表会は、日頃のレッスンの一貫であり、教室外活動のようなものだと思っています。狭いスタジオでは経験できないことを、一対一のレッスンでは体得できないことを、発表会のステージ学んでいただくわけです。


わざわざ時間を取って、都合をつけて、レッスン料を払ってまで、私のところに来てくださる生徒さんの、個々の目的、目標はさまざまです。共通点は、「音楽が好き」「楽器が好き」ということでしょうか?

しかしその「好き」な度合いも人それぞれです。「好き」になり方もいろいろでしょう。もっと普遍的な共通点は何でしょうか?それは「どこかでこの音楽と出会った」という事実です。きっかけも、その後の印象も、その時のシチュエーションもさておいて、「出会った」という事実は、どこまでも真実であり、それは運命としか言いようがありません。そして「今現在もこの音楽との縁が続いている」というのも事実です。

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人はみんな「幸せでいたい」と願っています。幸せの定義も十人十色で、言葉で説明することは困難ですが、幸せでいたいと願うことは紛れもない真実なのです。そして音楽を「音によりて楽を受く」と解釈すれば、「音楽を好きでいられる」ことは、幸せの一助を為すものに違いありません。職業音楽家は、自ら幸せになるためにプロになろうとしたのです。しかし、職業音楽家がみんな、幸せであるとはかぎりません。また、プロになる事だけが、音楽による幸せでもありません。たとえば、楽器がうまく操れる人が、そうでない人より幸せだとはかぎらないのです。


演奏技術の上達を感じることは、やはり楽しいものです。うれしいものです。音楽教師は、それを手助けするのも役割のひとつです。上達のみを目的とするのであれば、無駄を省き、合理的に、ある程度無機質に指導する必要があります。間違いを排除して、正しい要素だけで、曲を充たしてやればよいのです。

しかし世の中のすべての現象は、性質の異なるさまざまなものが共存して、有機的に成り立っています。正誤の価値基準も、立場が変われば逆転するのです。

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間違いやミスをも認めることで、音楽の真の姿が見えてきます。誰しも間違えたくないし、失敗したくはありません。だから努力するのです。しかし表面的にだけ見たときには、努力が形の上で報われるとはかぎりません。しかし努力をしたという事実は、真実として消えません。


近年よく耳にする言葉で、「結果を出す」というのがあります。この場合の「結果」は「勝利」「成功」を意味しています。果たして「努力」は「成功」に直結するでしょうか?「成功」を導かない「努力(働き)」は、無駄な行為なのでしょうか?

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演奏においても、実生活においても、「失敗」はつきものです。そもそも「失敗」などという評価に、絶対性はありえないのです。

演奏することについて、最も大切なことは、「楽しく練習できる」「充実した練習ができる」ことでしょう。その目的が、一般的な「成功」である必要はありません。一般的な「結果」として表に現れる演奏の正誤より、努力の方法における正誤の方が、音楽にとって、人生にとってずっと大切だと、私は思います。


ずっと「結果」が出せないでも、ずっと音楽が好きでいられるような、ますます音楽が好きになるような、そんな指導が、理想的な音楽教育だと、私は信じています。



08/06/28


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「木下尊惇ソロ・ライブ」

08/05/24 千葉/流山「アンティグア」

アンティグアは、ホームコンサートの会場として、理想的な雰囲気をもつお店である。


まずは美しい庭。小さな門をくぐると、美しい木々が出迎えてくれる。雑木林のような、それでいて細心の心配りをもって手を入れられた傑作である。


古民家をそのまま使ったスペースは、一階のカフェと中二階のギャラリーに分けられている。センス良く古い家具が配されたカフェが、今回のコンサートの会場となる。キリムを敷いて椅子を置けばステージが完成。明かりを取るために、古いスタンドを持ってきていただいた。演奏家の背景「ホリゾント」は、ライティングされた庭である。

古民家であるがゆえに、響きはデッドである。しかしリハーサルよりも、本番の方がよく響く。全く不思議な事ではあるが・・・。


古い建物をそのまま使ったお店は、往々にしてその古さを過剰にセールしがちである。よそよそしく特別に扱われると、使い込まれた「もの」たちの生命は、途端にその継続を放棄して、単なる「演出」のための小道具となってしまう。生きた空間は、そこに呼吸する生き物とのみ存在し得るのだ。そこに放たれる音の、気分は悪いはずがない。

二階の八畳間を、楽屋として使わせていただいた。庭を見下ろす窓の縁は、特等席である。立派な屏風を背にしていただいたラザニアが、これまたすこぶる美味であった。



08/06/28


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boy 旅部「中南米特集」

08/05/10 東京/代官山「+ING Attic」

季節外れの冷たい雨の降る夜、boy旅部の中南米特集で、チャランゴを弾いてきた。もう7年通っている・・・といっても年に4回ほどだが・・・ヘアサロン「boy」の美容師さんたちが企画したイベントである。


中南米に詳しい人が、中南米の話をするのではない。最近中南米を旅した人が、その経験を主観的に話すという、ユニークな会である。スライドショーを見ながら、料理を食べながら、ゲストの話を聞く。質問も自由、発言も自由。一人は料理、一人はルアーフィッシング、ゲストの体験内容もいろいろである。ギャラリーも、さまざまな立場の人たちが集まっている。


知らないことに興味を抱き、識ろうとするのは、人間の本能である。それは他人の体験の伝聞により、それを受け継ぐことで擬似体験として記憶され、自らの実体験を通して実証される。それによって生じる感情は人それぞれであり、そこにイメージ(創造)が、その源泉に水を蓄えるのである。

コンピューターの普及で、世の中便利になったようである。キーを叩けば、自室にいながらにして、さまざまな情報を得ることができる。しかしそれは、他人の体験を覗き見たに過ぎない。そこには体験の受け継ぎが存在せず、そこで得られるものは単なる知識の断片でしかないのである。


boyには、いろいろな部活動があるそうだ。美容師が、彼らの仕事には一見何の関係もなさそうな活動を作り、真剣にそれを体験する。全国各地からboyファンが「髪を切りに」やって来るのは、決して「技術がある」からだけではないのだ。



08/06/28


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「“天までとどけ”
木下尊惇・菱本幸二フォルクローレ・コンサート」

08/04/20 神奈川/秦野「蔵」

秦野に引っ越して来て、初めての「地元」コンサート。いつもより、ちょっと緊張気味である。我が家の続きでコンサートをしているような・・・、そんな感触は久し振りだ。秦野に住むようになって変わった事、気付いた事、感じた事。言葉でも伝えたい事が、たくさんあったからかもしれない。


2002年に出した詩画集「天までとどけ」の原画展も、今回のコンサートでやっと実現した。長い間、暗い中で眠っていた作品が、額とマットを纏って、会場の壁に納まっている。6年前のちょうど今ごろ、上松ツアーの旅先から、作った詩(言葉と言った方が正確である)を片っ端から時音桜に送り付け、彼女が1ヶ月で作り上げた作品群50点からの抜粋である。


秦野には、美味しい空気と、美味しい水が、ふんだんにある。健全な文化を育むためには、まずはこの二つがあれば充分である。空も山も川も、みな文化の担い手たちである。雨が降れば土が香り、気温が上がれば草が薫る。寒い日の夜は星が瞬き、暑い日の朝は雲が昇る。

自然の営みと共に呼吸ができる、今この地が自分たちの地元であることを、心より幸せに思う。



08/05/26


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「“大地の歌”木下尊惇・ペペ春の再会」

08/03/28 埼玉/入間市「文化創造アトリエ・アミーゴ」

ペペ・アルメイダと出会って9年になる。彼は、9年前からまるで変わらない。日本での生活が、二十年以上に渡るのに、日本語は非常にヘタである。日本人の友人が、すこぶる多いのに、性格は究めてラテン人である。「もう!ペペは!」という非難の声を耳にするのに、彼のもとには人が集うのである。


この20年で、飯能にはスペイン語を達者に操る人が急激に増えた。彼の始めたチャリティー・コンサートは、既に彼の手を離れながら、もう幾つもの学校を、エクアドールの農村部に建てた。


彼の歌は純粋である。そして寂しい。それでいてきっぱりと力強い。彼の故郷エクアドールをこよなく愛しながら、自らの意志で、故郷を離れて暮らす、ペペそのものである。そしてそこには、人間が大好きな優しさがある。


昨年から、コロラドに移り住んだ。彼の奥さんの故郷である。しかしエクアドールはまだ遠い。

彼の歌の良さは、エクアドールから離れているが故に、なのかもしれない。



08/05/26


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「“私は私の色のまま”発売記念ライブ」

08/03/19 東京/代官山「晴れたら空に豆まいて」

特にこの日付を意識したわけではないが、新しいアルバムを発表して、ちょうど三ヶ月目の「発売記念ライブ」である。レコーディングに参加してくれたアーティストの「全員参加」を決めてから、最短で「全員参加」が可能な日程が、3月19日になったまでである。この、ちょっとだけ不思議な日付の符号に気がついたのは、ライブの一週間ほど前である。


アルバム制作スタッフは、演奏家だけではなく、プロデューサーの遠藤さん、レコーディング・エンジニアの平中さん、マスターリング・エンジニアの石橋さん、ジャケット・デザインの渡辺さん、こちらも「全員参加」である。


楽しい、楽しい、実に楽しいライブであった。「私は私の色のまま」に、みんなが楽しんだライブだった。今回来て下さったお客さんも、また来てくだされなかったお客さんも、まだ会った事のない見ず知らずの人達も、音楽を通じて、音を通じて、「私は私の色のまま」に、みんなが幸せになれたらいい。


「音楽家」というひとりの人として、最高の幸せを享受させさせていただいたのと同時に、私の音楽家としての道筋を、はっきりと見定め、そして決意、覚悟ができた「記念ライブ」となった。みなさん、どうもありがとう!



08/04/08


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「ボリビア音楽/その歴史と地域性」

08/02/22 東京/六本木アークヒルズ「国際交流基金」

「90分でボリビア音楽を、ご講義いただけますか?内容もスタイルもお任せします。」ベネズエラ音楽の石橋さんからお話しをいただいたのが、昨年6月である。「内容」も「スタイル」もお任せいただけると、大変ありがたいのだが、制限時間90分となると「内容」も「スタイル」も、決して自由な選択ではない。総論にしようか、テーマを絞ろうか、まず悩むところである。


もう一つ個人的な問題点。音楽家として、現在のボリビアの商業主義におけるフォルクローレ音楽状況は、とても容認できたものではない。「流行った、売れた」ということが、「大衆に受け入れられた」=「市民権を得た」=「もはや民衆音楽(フォルクローレ)である」という公式は、単純に認めるわけに行かないのである。

今回の講義では、テーマを「ボリビア音楽/その歴史と地域性」として、時の流れを縦軸に、土地の広がりを横軸に、私が判断する「フォルクローレ」を基準に選んだ音源を聴きながら、講義を進める事にした。


制限時間を守る事が、きわめて苦手な私である。案の定、質疑応答にまでは時間がまわらなかった。

「前回の講義では、どの講師の方も、制限時間には終われなかったんですよ。」石橋さんの言葉に、「是非次の機会を!」と、闘志をみなぎらせたのである。



08/04/08


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「ボリビアのカーニバル」

08/02/16 東京/京橋「ブリヂストン美術館ホール」

ブリヂストン美術館のコンサートも三年目となる。毎年、この企画を楽しみにお越しいただける方々も増えたようだ。今年もほぼ満席の中、昼夜公演を迎える事が出来た。


今年のテーマは「カーニバル」と、前回終了時から決めていた。一見扱いやすそうなテーマだが、そう簡単には行かない。

例えば「舞踊」を使って、カーニバルの代表的な演目をプログラムに並べる事も可能である。しかしそれでは、「カーニバルのカタログ」になってしまう。

カーニバルにまつわる知識、その雰囲気、各地方の特色等々、伝えたい事はいろいろあるのだが、本当に伝えたい事は・・・伝えなくてはならないものは、それらの向こうにある「ありのままの姿」である。それは(今回の場合)、カーニバルに繋がる人々の「生活」に他ならない。


ブリヂストン美術館ホールは、美術レクチャーのために作られたホールである。コンサートのための設備は、ほとんどないに等しい。だからこそ、このシリーズをここでやる意義がある。

出演者にも協力してもらって、舞台を創るところから始める。音楽家たちが、音楽をする場所を、自らの手で創るのである。その共同作業がまた楽しい。その時点で、もう音楽は始まっているのだ。そしてコンサートの総仕上げを、聴きに来てくださるお客さんがしてくれる。私たちは、ただ全力を尽くすのみである。


「よく体力が持ちますねぇ」このコンサートのあと、よくそんな言葉を耳にする。まだまだバテるわけには行かない。翌朝には、後かたづけが待っているのだ。



08/04/08


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「フー太郎の森基金コンサート」

08/01/27 木更津「かずさアカデミアホール」

素晴らしく晴れ渡った冬空の下、東京湾アクアラインの海ほたるに立ち寄った。西方向に目をやると、海の向こうに、厚手の雪衣装をまとった富士山が、意外に近くに見える。その手前には、こちらはうっすらと雪化粧をした丹沢の峰々。「我が家はあそこの麓です」と、声に出して言ってみた。


Yaeさんのお誘いで、昨年から参加している「フー太郎の森基金」のコンサートである。アフリカで、フクロウの帰る森を再生するための活動も、設立十周年を迎えるのだそうだ。

世界の至る所で、様々な問題が沸き上がってきている。それらは、はるか昔からその地にあった問題なのかも知れないが、今の時代の浮力である経済力は、それらの問題をより悲惨に、残酷にする力を持っているようだ。今のこの時に、いろいろな境遇の生命が同時に存在することを、もっと実感しなければならない。ほんの近い未来に向けてでも、何かを始めなくてはならないのだ。


皮肉にも、同じ会場の大ホールでは、与党次期総裁候補と目される人物の講演会が催され、私たちは某元衆議院議員の肝煎りで作られた東京湾アクアラインを通過して家路へと向かう。この現実に、どう答えを出したらよいのだろうか?



08/03/03

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