音楽コラム 1.no.003 音楽の上での「物差し」の違い 1982年にボリビアへ渡った私が、ラ・パスで、エルネスト・カブールと演奏を始めてすぐの頃、とても大きな音楽的な壁に突き当たりました。私のギターと、カブールやフェルナンド・ヒメネスの音との間に、大きな隔たりがあるのです。それは、『溝』などという生易しいものではなく、明らかに『次元が異なる』というくらいの、大きな違いなのです。「交じりあわない」「溶け合わない」……どんなに単純な事をやっても、音と音が、交錯しないのです。自分が知っている限りのリズムを総動員して、また、自分のできる限りのベース・ラインを駆使しても、素材が違うので話になりません。カブールは、本当によく、私を使い続けてくれたと思います。 今でこそ、その理由も、違いの質も、自分自身でわかっているつもりですが、当時の私には、どうする事もできませんでした。ただひたすら、毎晩の演奏を続ける事が、唯一、私にできる努力でした。私が悩んだ『溝』とは、いったい何だったのでしょうか?フォルクローレを奏でながら、実はフォルクローレではない……私は現在それを、『物差の違い』というように理解しています。 日本で生まれ育った私は、日本の物差を持ってボリビアに渡りました。一方、カブールもフェルナンドも、ボリビアの物差を基準に音楽を作っていたのです。さらに厄介な事に、その物差は、2次元的な、つまり長さを測るだけのものではない、3次元的な、いや、もっと複雑な、多次元空間的なものであるという事です。 リズムだとか、語り口(アーティキュレーション)などという以前に、『音』に対しての認識と言いますか、意識が違うのです。もちろん、すべてのボリビア人が、同じように音を作っているわけではありませんが、もっと根本的なところ……意識や個性を越えた、もっと深い所で、同じ種類の音を思い描いているような気がするのです。 2002.2.24 no.002 「伝統」とは何か? 『伝統』とは、はたしてどんなものなのでしょうか?「伝統を守る」とか「伝統的に」とか、私も何気なく使ってしまう言葉ですが、何を基準に『伝統』とするのか、ことに文化に関していえば、とても重要な問題だと思うのです。フォルクローレは「伝統音楽」だと、もしくは「伝統的な」音楽だと、日本では認識されています。私にはボリビアの事しかわかりませんが、本国においても、多くの演奏家たちが「フォルクローレ=伝統音楽」という公式を、かたくなに信じて疑いません。 私もフォルクローレは、ボリビア伝統文化の中の、大きな部分を占めるものだと思っています。ボリビアを代表する文化のうちのひとつなのです。しかし、その伝統は、今も進化の過程にあるものだと思うのです。「伝統的な」祭礼に演奏される「伝統的な」音楽もあれば、「伝統的な」形式で作られた「革新的な」名曲も生まれているのです。 「フォルクローレ」を考える上で、この『伝統』という問題は、非常に大きなキー・ポイントのひとつであると考えます。 2002.2.5 no.001 「フォルクロリスタ」とは何か? 私がカブールから学んだ事は、とてもたくさんありますが、中でも『フォルクロリスタ』という考え方が、その基本にあるように思います。彼は自分の職業を問われると、必ず『フォルクロリスタ』という言葉を使います。普通に考えれば『フォルクローレを演奏するもの』という意味ですが、カブールは決してそんな単純な意味合いで、この『フォルクロリスタ』という言葉を使っているのではないでしょう。そこには、彼の『フォルクローレ』に対する考え方が、非常に深く反映されているのです。 『フォルクローレ』とは何か・・・? フォルクローレに携わるすべての人達が、今こそ、この問いに応え、積極的に考え、そして実践してゆくべきだと思うのです。それが伝統を守り、また、伝統を進化させてゆく事に繋がるはずだと、私は思っています。 2002.1.29
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