心が壊れてしまわないために

『アレクセイと泉』上映にむけて

 我が村、飯舘村が放射能によって汚染されてしまったと知ったとき、すぐに思い出したのが、10年ほど前に観た『アレクセイと泉』でした。「もう一度あの映画が観たい。」その思いは日々募り、知人を通じてフォーラムの支配人阿部さんに伝えてもらいました。  

 私は7年前に結婚を機に名古屋から飯舘村に移住して、4年前、夫彰夫さんを癌で喪ってからは、友人たちに助けてもらいながら森に囲まれた家で一人で暮らしてきました。

 この場所には彰夫さんと暮らした3年間の宝石のような日々、彼を喪った後に友人たちと過ごした楽しい日々の記憶が充ち満ちています。この4年間、私はここの自然の美しさに癒され、優しさに守られ、厳しさに鍛えられて喪失の悲しみになんとか耐えて生きてきました。彰夫さんは最期の9日間をこの家で過ごし、ここから旅立って逝ったのですが、病院から戻り「ここは天国だ」と何回も呟き、末期癌であったにも関わらず、痛みで苦しむことなく穏やかな日々を送ることができました。たとえ放射能に汚染されていても、ここは私にとって、彰夫さんの魂が宿る「天国」であることに変わりはないのです。

 村が計画的避難地域に指定され、「もう戻れないかもしれない」と思ったら涙が止まらなくなり、このままこの場所を捨ててしまったら心が壊れてしまうだろうと思いました。しばらく泣いた後に「井戸を掘れるようになったら帰ろう(地震で水が充分には出なくなってしまいました)」と心に決めたら落ち着きを取り戻すことができました。  

 確かに、今回降り注いだ放射能によって「ただちに健康に害はない」のかもしれません。けれども、目に見える物は何一つ破壊されていない、この明るく美しい放射能地獄の中で、避難地域だけでなく福島のすべての人たちが、真綿で首を絞められるような苦しみに苛まれ、翻弄されて、心が壊れてしまう危険に曝されています。人は心が壊れてしまったら生きることが困難になってしまうのです。このことこそが、原発事故による放射能汚染の最大の恐ろしさなのではないかと思います。

 心が壊れてしまわないためにはどうすればいいのか・・・?

 『アレクセイと泉』にはその答えの一つが映っているように思います。だから今こそ福島の人たちとこの映画を観たいと切望しています。

 壊れてしまうことのなく生き延びてこそ、『アレクセイと泉』の登場人物たちのように、私たちは、世界に向けて、魂の言葉を発することができるのだから・・・

2011年5月15日 小林麻里

アレクセイと泉HP



いいたて発 森の時間日誌  2011・夏

存在するけど、存在しない

 7月も半ばを過ぎました。福島も連日35℃を超える猛暑が続いています。飯舘は高原地帯で遮るものがないので、晴れれば日中は35℃前後まで上がりますが、どんなに暑くても風はさわやかですし、3時を過ぎれば涼しくなります。避難先は福島市の郊外の阿武隈川沿いの崖の上にあり、福島駅周辺よりは自然豊かで涼しいのですが、暑さが苦手で、7年間ですっかり飯舘の気候に慣れてしまった私にはとても耐えられない暑さです。飯舘生まれの村民のみなさんは、避難先で、私以上に暑さに参っているのではと思うと心が痛みます。今日は涼しい飯舘に避難してこの文章を書いています。

 水が入った田んぼには、おたまじゃくし、ゲンゴロウが泳ぎまわり、小さな蜘蛛たちまでが忙しく水の上を歩き回っています。ターコイズブルーや黄色に赤い模様のある美しい糸トンボ、シオカラトンボ、深紅の赤とんぼたちが飛び回り、我が家の田んぼビオトープは望みどおりの生き物たちの楽園になりました。  
 ほんとうならば、今年も友人たちと米作りをしているはずでした。一人になってしまって途方に暮れている私を励ますために地域通貨の仲間が集まってくれて始まった米作り。不耕起、無農薬、手植え、手刈り、天日干しの自然米に3回目の挑戦をする予定でした。今ごろは汗だくで草取りをした後に、バーベキューをして蛍狩りに、蓮の花見に、花火にと、子どもたちも来てわいわい賑やかに過ごしていたことでしょう。  
 みんなで一生懸命植えた早苗が、日増しに青々と育って風になびく田んぼの景色を、二階の窓から眺めるのが大好きだった私にとって、カラカラに乾いて草だけが生え、誰も来なくなってしまった田んぼを見るのは身を切られるような悲しみでした。  
 けれども、こうして水を入れて生き物たちの楽園にしたことで悲しみが半減しました。毎週末には必ずここに帰って来て、田んぼの中を歩き回り、生き物たちの世界に触れることで、どれほど支えられていることでしょう・・・以下、帰った日に書いた日誌から抜粋します。

7月2日

 取材の方たちと蛍狩り。残念ながら蛍は昨年よりもかなり少なかった。水を溜めるのが遅かったせいか、セシウムのせいなのか、まだ時期が早すぎたのか(昨年の蛍狩りは3日だったけど・・・)理由はわからない。でも、カエルの大合唱はすごくてうれしい!

やっとすべての田んぼに水が溜まる
びっしりと水草の生えた田んぼビオトープの中を歩く
夜の暗闇の中 
朝の光の中
限りない水の快感
このまま、この重たい肉体を脱ぎ捨てて 
この水の中に溶け込んでしまいたい

 そんな思いに囚われて、このまま消えてしまって楽になりたいと思ったけれど、次の瞬間にタビ(愛犬)のつぶらな瞳と猫たちの姿が目に浮かび思い止まる。そして彼らが待つ避難先へ帰る。

7月10日

 今日は久しぶりに一人で飯舘へ。日中は暑かったけど3時過ぎたら涼しい!溜池に鴨の家族が暮らしているようだ。青サギもやってきていた。あーあ、ここは生き物たちのワンダーランド。放射能汚染など関係がない!私はやはりここに帰って来よう。
 避難して無人になった途端にイノシシたちにすべて耕されてしまって、ほとんど蓮が消えてしまった蓮池に、夢のように美しい小さな白い花が浮かんでいた。私は言葉を失った。あーあここはやっぱり天国なんだ・・・これまでは蓮の葉っぱの陰で密かに咲いていて見ることができなったのかもしれない。蓮の花も数年経ったらまた増えて観ることができるようになるだろう。かえって間引かれたことで大きな花が咲くかもしれない。イノシシさんたちありがとう!  
 私の心の中から放射能は消えた。私の目に映る、愛する我が家の風景から放射能は消えてしまった。
 存在しているけど、存在していない。

7月16日

 今回の帰宅の目的の一つは“ひぐらし蜩シャワー”を浴びること。帰りに林道の途中で車を止めて森の中を歩く。あーあ、なんという心地よさ!今年も変わらず蜩たちは生まれて来てくれて、短い命を燃やしている。蛍もおたまじゃくしもトンボも山椒魚も、放射能に汚染されてもちゃんと生まれてきてくれて、私がいない間もこの場所で命の営みを続けている。そのことが悲しみから私を救ってくれている。だから私は彼らに出会うために毎週末必ず我が家に帰って来るのだ。私の身体は避難先にあっても、私のたましいは我が家で暮らす生き物たちと共にある。私の心の中にはいつも田んぼビオトープの水の世界が無限に広がっている。その世界にはもはや放射能は存在しない。あるけどない。  
 汚染されているのはあの場所なのではなくて、こんなことが起こってしまってもなお、経済成長のためには原発は必要と思い込んでいる私たち人間の心なのだと思う。私たちひとり一人の心の中の汚染を消さない限り、放射能汚染はどんどん広がり続けるだろう。私たちひとり一人の決意にすべてが懸かっている。  

・・・・・・

 さて、今年もカシスとブルーベリーが熟しました。今年はさすがに収穫はあきらめようと思っていたのですが、世話もせず、肥料もやらなかったのにいっぱい実をつけてくれたことを思うと申し訳なくて、カシスはウォッカに漬けて、ブルーベリーは生で食べてジャムも作るつもりです。
 「なにもわざわざ今年食べなくても」と思われると思うのですが、今年だからこそ食べたいのです。
 今年だからこそ、蛍にも蜩にも、森の花々にも出会いたいのです。
 彰夫さんが大好きなしだれ桜を観ることなく3月22日に旅立ったときに「今年は今年の花を観ておかないと来年は観られないかもしれない」と強く思いました。今回の放射能汚染によってその思いはいっそう強くなりました。それに私は人間が汚してしまったこの場所で懸命に生きているものたちと共にありたいという気持ちが強いのです。“一蓮托生”が今一番好きな言葉です。
 まあ、数十年後にガンの確率が数パーセント上がるといっても、遅かれ早かれなんらかの病気で必ず死ぬのだから、たいしたことはないかという思いがあります。40歳以上ならそんなに気にしなくてもいいかなとも思っています。先の病気の心配のために、今一番大切なものを手放したくないという思いもあります。
 それくらいの覚悟がないと、ここ福島では暮らせない、ましてや飯舘には帰れないと思います。 子どもや、これから子どもを産み育てる若い人には決して当てはまりませんが。  
 ところで、作ったものにはすべて、原子力マークと「ただちに健康に害はありませんが、極力摂取を控えてください」という、ビミョーなラベルを添付して、一般の方の口には入らないように注意しますので、ご安心ください。

2011年7月18日 小林麻里