ゆとりをさんの感想


2005年(平成17年)9月18日(日)
「リンリン竹ちゃん 仕事を語る」

晴れ渡った青空・・・

日記でもお知らせしていた「第2回 プログ仲間のつどい」開催!

大分からリンリン竹ちゃんを向かえ、

仙台の仲間11人が参加でした。

AM10:00、

それぞれのハンドル名と本名、一言を話しながら、

自己紹介をしていただきました。

リンリン竹ちゃんは私しか会ったことがないですし、

初対面同士の方もいたので・・・

そして、

いよいよリンリン竹ちゃんのお話が始まりました。


かおり先生、

タカノエイサクさん

あおねさん
がさっそく日記に書かれていますので

読まれてください。

12:00まで、セミナー室にてのお話、

みんなで記念写真を撮り、

場所を変えて昼食会を。

その間も、

リンリン竹ちゃんはゆっくり食べる間もなく

質問攻め!!!

4時間近く話しっぱなし、という状態になってしまいました。

きっと何を食べたか、

どこに入ったか記憶にないと思います。 笑。

内容については、

またあらためて書いてみたいと思いますが、

参加者のみんな、

それぞれに得るところあり、

さらに、

「すごい!」という感想で、

参加してよかった、

リンリン竹ちゃんに会えてよかった、

と口を揃えて言ってました。

とっぴな計画だったかも、とも思ったのですが、

遠く大分と仙台を結ぶひとつの足がかりになったかな、

どんな形でか分からないけれど、

今回のことがこれからまた広がりを見せていければいいな、

と思いました。

本業である生命保険の仕事、

倫理法人会、

OSS代表、

EQセミナー、

凛々PARK,

リンリン竹ちゃんのすべての活動を通して

体験してきていることが

具体的な言葉として表現されて、

参加者の「心」に響いたことと思います。

リンリン竹ちゃん、本当にありがとうございました!!!



2005年(平成17年)9月19日

リンリン竹ちゃん 仕事を語る・・・NO.1

141仙台5Fセミナー室での「第2回 プログ仲間のつどい」。

講師はリンリン竹ちゃん。

お話は参加者の自己紹介の後、一時間十五分を予定して始まった。

「いただいたご縁でお話をさせていただきます。

こんなにバラエティーにとんだ方たちの前で話すのは初めてなので

とても緊張してます。」・・・・・・・(私の注:ほんとかな・・・笑)

確かにちょっと緊張気味ではありました!

でも、話始まった瞬間にいつものペースだったように思う! (*^_^*)

「大学卒業後、信託銀行への就職。

親はとても喜んだが、自分としてはただレールに乗っただけ、という感じだった。

一年後にバブル崩壊で、世の中が大きく変わり、

「自分は本当は何をしたいのか」を捜すために退社。

仕事もせず、本を読んだり、貯金を下ろしながらの生活。

いよいよお金がなくなり、残高728円にまでなってしまっていた。

もうすがる思いで食べるにも困らない仕事、と思い、

時給550円でほっかほっか亭で働き始めた。

履歴書に銀行退社、と書いたので、

面接のとき横領でもしたんじゃないかという目で見られて、

涙ぐみながら「違います」と話したりした。

そこでのいろいろな人との出会い、

事情を持ちながら働く人、

だからこそなのか、あたたかさを持っていて、

銀行にいたのでは話すこともなかった思う人達とのかかわりから、

たくさんの気づきをいただき、

それが自分の今に大きく影響していると思う。

銀行時代には、

こんな収入の人はお客さんにはならないよ、

とでもいう人と思っていた人達の中にこそ、

あたたかさ、大事なものがあったんだ、と気づいた。」

この話は、OSS一周年記念講演のときにも聴いてはいたのだが、

この銀行での仕事、そしてほっかほっか亭での仕事、

その「落差」とでもいうものが、

彼の中では大きな「意味」を持ったんだなあ、

とあらためて感じた。

「モータースポーツをしたいがためにガソリン代稼ぎにスタンドでのバイト、

ローリング族になって好きな車を乗り回し、

その車の事故で死にかけて、

「一体なにやってるんだ!」と叱り飛ばされたりした。」

この事故のとき、

周りにいた人が「もうだめだ」、「死んだかもしれない」

などと言っているのが耳に入ったそうだけど、

怪我もせず、こわれたガラスで手を切ったくらいだったので、

なんと次の朝には普通に仕事に行ったそうで、

びっくり!!!

「その後、

車のレーサーを目指して、九州チャンピオンまではなれた。

スタンドで働く人からお客さまへの対し方のヒントを得て、

また、何をするにも経済の基盤が大事、と言われて、

某レンタリースに就職。

そこでの仕事のときに何とか「楽する方法は!?」と考えて、

修理工場とのタイアップができ、

お客さまも喜んでいただける方法を編み出したりした。

「売れるしくみ」とはこういうことかもしれない、と体感したりした。

27歳から5年半、そこで働いた。」

楽をするため、とは言え、

状況の中で工夫し、知恵をしぼっていろいろアイディアを出して、

実際に役立つものにしていったその話を

みんなは「へえー」、「すごい!」と「相づち」を打ちながら聴いていた。

笑ったり、うなずいたりしながら聴くうち、

話はいよいよ現在の仕事へと・・・

続くーー!

仲間から一字一句話のとおりに、

とか言われたけれど、

大分弁で「そんなことできるわけないやん」・・・

いくらなんでも無理!  笑。

リンリン竹ちゃん 仕事を語る NO.2

「いろいろな紆余曲折があり、

現在の仕事へのそのきっかけになったSさんとの出会いは、

かかってきた一本の電話から始まった。

Sさんはオーラとでもいうものがすごい人で、妖術でも使われたような、

頭から吸い込まれるような感じだった。

保険のほの字も言わず、

自分の話に「これはこういうことだったんですかね」、とか聴いてきて、

「いや、僕はこのときはこうで、こういう気持ちだったんですよ」と話していたら、

気が付けば、自分の話ばかりを2時間「させられた」感じだった。

それだけ話をすると、傾聴してもらえるし、相づちは打ってもらえるし、

初めて会ったのに「この人いいひとだなあ」と思ってる自分がいた。 笑。

それまで、営業とはこんなもの、ロープレーや社員研修もしたりしていたので、

自分はNO.1だという自負もあり、

「井の中のカワズ」的な思いもあったのだが、

Sさんという今まで会ったことのないような人に出会って、

見えない力で吸い込まれていって、

自分がファンみたいになっている・・・

ああ、この人みたいになりたい、と思った。

「次会う日は・・・」と話は進んでいき、

「この日とこの日ではどちらがいいですか?、

午前と午後ではどちらがいいですか?」と、

二者択一でこられて、

「あ、あ、じゃあこの日に」と答えている自分がいた。

いわゆるランチェスターの接触回数、ソフトタッチ接触の握手などで、

何だかあれよあれよという感じでSさんのペースで面談がすすみ、

「いつからうちにこれますか?」とか言われて、

「はああー」とか考えてしまっていた。

とにもかくにも、Sさんの「そのスキルを、テクニックを盗みたい!!!」、

と思ったのもあって今の仕事への就職を決めた。

某レンタリースでは係長をやらせてもらっていたので、

「何が不満でやめるんだ!?、はっきり言ってうちは大打撃だよ!」

と言ってもらえたのは嬉しかったが、同時に心苦しかった・・・

それでも最後には、

「お前の人生だから」と言ってもらえた。

ありがたい言葉だった・・・

今の仕事に入ったとたん、

誘ってくれたSさんも人が変わったようにいきなり厳しくなって、

「初月になんぼやるんだ!?」と詰め寄られ、

それで、鬱になりそうだった。

自分としては、お客さまに保険に加入してもらう、ではなくて、

電話で契約をいただける営業というセルフイメージがあって

何とかお客さまから電話のかかってくる営業をしたい、

をめざしたが、なかなか電話は来ない・・・

ニーズのない人を相手にするのが保険なので難しいのだ。

それで、マーケティングの勉強をした。

ニーズのある人をめがけて行くのか、

ニーズを引き上げて差し上げるような営業をするのか、どっちか・・・

車でたとえたなら車検がくる人にどうですか?と言う、

それがニーズのある人をめざすということで、それも一つの方法だと思う。

でも自分では、

30前後の子どもが生まれたばかりのお客さんを対象にしたいな、

と思っていたので、

入れるか入れないかではなく、

ニーズを引き上げるようなものが何かあるんじゃないかなと思ったとき、

それはやっぱりコミュニケーションだなと思った。

社では、

毎週連続でご契約をいただく、いう形のランキングがあった。

自分の地元ではない大分という地で、

誰れに保険の話をしたらいいのか分からない。

それでも、首の皮一枚でつながりながら、

何とか161週連続挙積を成し遂げた。

けれど、成績を上げながら、

こうすればこうなる、 という

作為的な自分に気づいて、嫌になり、

2003年12月に連続挙積は自分からきっぱりやめた。

そして、ちょうどそのころにご縁があった

倫理法人会に参加して、心の在り方に目を向けていった。

去年一年

そのお世話役、あるいはボランティアのようなことを「させていただきながら」、

その背中を見て周りの経営者の方が、

「彼の話をきいてみー」、と言ってもらえるようになって、

紹介の電話が入ってくるようになった。



テクニック、しくみではなくご契約をいただけるようになって、

テクニックを使っていたときよりも、もう一皮むけたフィールドに行き、

全国6位という成績をいただいた。



テクニック優先だった20世紀から、21世紀は心の時代といわれているが、

共感、共有、共鳴した仲間が、

年齢に関係なく、意図せずの紹介・・・


「あいつの話を聴け、あいつの話だったら信頼できる」、


その信頼される自分になるためには何をしてるか、が


問題なんじゃないかなということに大きく気づかされることになった。



倫理法人会で言われる「ハイの実践」も、

内心は我が強いのでこんなこと、と半信半疑だったが、

結果がついてきたので、言われてることはほんとなんだ、と思わされた。



テクニックも大切なときがあるし、伝えるときにはそういうスキルも使うのだが、


やはり根本的にはコミュニケーションが大事なんじゃないのかなあ、


というふうに思っている。」

ご縁のあったお客さまとのコミュニケーションの方法として、

いつも持って歩いている携帯へのメール配信というのを考えた、とのことだ。


週に一度、お昼を食べるころに配信すると、

側にいる同僚や友達が「なに読んでるの?」と興味を示し、

そこから紹介をいただくことにもつながったそうだ。


それは、

誰が何時にメールをみてクリックしたのかが分かるようになっていて、

お客さまの時間帯、興味の持っていることなどが

データとしてまとめられるようになった、と・・・


その次にお会いしたりするときに、

お客さまの興味のあることを話題としてお話できる、と・・・


これもまたすごいアイディアだと思う。




「はああーー、すごいなあ」、と

聴いている方からは感嘆のため息がもれていた。


私の心に残った話があった。


あるセミナーに参加したとき、

「お客さまにはがきを出しましょう」、というのはよく言われることだけれど

ただ出すのでは意味がない、

自分とその人との間でしか分からないことを3行でいいから書いて出す、

これがポイント、という話を聴いたそうだ。


「One To One」・・・


そして、じゃあ自分はと思い、

お客さまに「いつ契約の○○さま」、とひと言を書くことで、

その方とのOne To One のかかわりを作ってみた、と。


一人ひとりのお客さまのそれをまとめて表にしたそうだ。

それもすごいことだな、と思う。



また、

一枚の紙があり、真ん中に鉛筆で穴を開けたとする。

一度開けただけでは小さい穴も

何度も鉛筆を通すことで少しずつその穴が大きくなっていく、

そうすることで、コミュニケーションも深まっていく、という話も聴いたそうだ。

営業マンとしての工夫は、決して仕事上のことだけではなく、

生活の知恵でもあるなあ、と思いながら聴いた。

「こういったご縁でお会いできて不思議だなと思います。

また仙台でお話させてもらえる機会があればお邪魔したいと思います。

今日は本当にありがとうございました。」

締めくくった言葉の最後まで、

力強く、はきはきとしていて、気迫に満ちていたように感じた。

一時間二十分、

リンリン竹ちゃん、いいお話をありがとうございました!

そして、昼食会へーーー!

続くーーー。(*^_^*)


2005年9月21日

リンリン竹ちゃん、ありがとう!!!

『第2回 仙台プログ仲間のつどい』の、


昼食会では、参加者から矢継ぎばやの質問で、

リンリン竹ちゃんは食事をゆっくり食べる暇もなくしゃべりっぱなし!


4時間近くも話続けたことになるなあ・・・

このときを逃してなるか!という、特に女性達の熱意!

仙台の女性は「熱い」のです!!! でへへ。

「リンリン竹ちゃん 仕事を語る」

「リンリン竹ちゃん 仕事を語る NO.2」

「ハイの実践」ねえ・・・というみんなの声への答えは、

リンリン竹ちゃんが日記で書いています。

『捨我』


『脱・執着・・・捨我その2』

『>「倫理」での学びの中に「はいの実践」というものがあります。

とにかく、頼まれたことを断わらずに丸呑みするのです。

とにかく、躊躇なくです。

私もとにかくやってみました!その「はいの実践」。。。

>実は・・・その『ハイの実践』で、今まではなかった仕事、

雑務がドンドン舞い込むようになってきまして、

とても24時間では足りなくなってきました。。。

そして、

>実は「あれは僕じゃなきゃ・・・」「これも僕じゃなきゃ・・・」という、

その、あれ、これに自分がしがみついていたことに気づいたのです。

それで、

>私は自分が一通り出切るようになったことのほとんどをみんな

若い後輩の方に譲りました。。。

自分がまだできないことを押し付けるのではなくて、これなら

やり方を質問されても答えられる!

そう思えることを一つ一つ、適材適所の後輩、仲間に譲りました。

周りの方からすれば、

確かに私が後輩や、仲間に

単に仕事を押し付けているように見えたかもしれません。

でも、

それまでずっと「はいの実践」をやってきた私を見てきてくれていた仲間の方は、

最初は戸惑いながらも私がそうであったように「はいの実践」をしてくれています。』

得てして人は、自分にしかできない、と思い、

その思いを抱え込むものだけど、

後輩に任せることの大切さに思いが行き、

しがみつきたくなる心の辛さをも捨てた・・・と話していました。

倫理法人会での上の方からの依頼を

「はい」と言って受けてきたリンリン竹ちゃんのその背中をみて、

今度は事務局のしげ4さんやきくりんさんたちが、、

「はいの実践」をしてくれている、との話に、

OSS、凛々PARKなどの活動をしながら、

損得抜きでどれだけ必死になれるか、懸命に動けるか・・・を

身をもって伝えて行ってるんだなあ、と心深く感じるものがありました。

そして、しげ4さんきくりんさんたちに

確実に伝わって行ってることを私も時折話を聴きながら感じています。

かおり先生の日記・・・

『竹ちゃんは話をしてくれました。

0.2秒で「はい」って返事できないのは、

損得で考えている。

今 この時から 「はい」を実践してみようと思いました。

我を捨てて』 ・・・ 

お金の考え方の質問に答えての話を、

あおねさんが日記に書かれてます。

『お金を儲けることは大切だけれど、それが目的になってしまうと

大きな間違いになるよ、ということ。

最終的には、自分の夢であり、希望を達成することが大目標なんだよ。

でも、そのためには、お金が必要であり、

そのための勉強はもちろんすることが当然、

というお話に、とても共感しました。』

そして、「認知的不協和」の話へ。

リンリン竹ちゃんの最初のころの日記に書かれているので、是非読んでください。

【認知的不協和理論】と恐るべし『OSS』
 (お詫び…この日記はリンリン竹ちゃんの旧サイトが削除され、しかも、インターネットアーカイブにも掲載されていないので、表示させることが出来ません。申し訳ありません。2007年1月17日…補足)

人間の心理を捉えて、

その手法として

具体的にやっているはがき、メールなどの話もとても興味深かったです。

と、中身の濃い質問への答えに、

仙台の「熱い」面々は食事中もメモメモ!!!

熱気に包まれた昼食会になりました!!!

いやあ、リンリン竹ちゃん、本当にお疲れさまでした!!!

第2回 プログ仲間のつどい に参加いただいた方々・・・

リンリン竹ちゃん   

かおり先生  「大分まで会いに行く!レベルの高い人と話したい!」

あおねさん  「私達だけで聴くのはもったいなかったねえ!!」 

sumie'sさん  「若いのにもう人生の本筋を把握し、実践して居られる様子には感動、感服!」

haibisukasu1946さん  「参加して本当によかった!」

Mr.買取マンさん  「いろいろな本などで知っていたこともあったけど、実践して結果を出しているのがすごい」

タカノエイサクさん  「私も、大谷徹奘さんのような、リンリン竹ちゃんさんのような人間になれれば良いなあ」

フォレスト2004さん  「とても有意義な時間でした。連絡のとれる関係でいるというの、昨夜から早速実践しました。」

Mr.ベースマンさん 「楽しい時間をすごさせていただきました。ありがとうございました。」

○浜さん  「今度はぶうちゃんも連れてきます!」 (注:ぶうちゃんとは、営業部長、だそうです!!!爆!)

参加を熱望していただきながら、

お仕事で来られなかった junpapakazuさん、本当に残念でした!

ゆとりをさん 「計画した甲斐がありました。ほんとにありがとう・・・」

このつながりはこれから少しづつ広がっていきますよ!

すでに話は進んでいます!

グループ名は「SSS」! 

かおり先生曰く、「仙台セミナースクール」だそうな・・・何だか怪しげ・・・だはは。

大きな一歩をリンリン竹ちゃんに手を添えてもらいました。

心から感謝!

PS: リンリン竹ちゃん、仙台、すてきでしょ??? (^_-)-☆

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