2007.09.09
第12回SSS…りんりん竹ちゃん講演会(昼の部)…その1〜その3[ SSS(仙台セミナースクール) ]
その1
2007年(平成19年)9月8日(土)第12回SSSが行われました。
13時00分、始まる予定でしたが、事情があり、遅れてきた方が数人ほど、いらっしゃったので、13時17分の開催となりました。
まず、“ゆとりをさん”からの挨拶から始まりました。
“りんりん竹ちゃん”は仕事の関係で突然、仙台に来ることになり、8日(土)に第12回SSSは急遽、講演会を開催する、ということになったようです。
丁度、その直前に台風が通り過ぎる、と言うことで、飛行機が飛ばなくなる心配をしていたが、無事に直前になり、飛行機が正常に運航することになり、無事に仙台を訪れることが出来た、と言うことです。
13時18分には“フォレスト2005さん”からも、ご挨拶がありました。
それから、“りんりん竹ちゃん”のお話しが始まりました。
まず、中国のお話しやエネルギーの使い方の間違いについてからです。
どんなに物質的に豊かだとしても、心の中が豊かでない場合がありますが、
目の前の現象は自分の見たいようにしか見えない、と言うことです。
これは、目の前の現象を見ても、幸福を感じる人もいれば、地獄のような苦難を感じる人もいる、と置き換えて考えることも出来る、と言うことです。
第10回のSSSのお話しに重なりますが、雨が降ったとき、服やズボンが濡れるから嫌だなあ、歩きたくないなあ、と思ったが、息子さんは「バンザーイ、バンザーイ」と、喜んでいたので、不思議に思い、聞いてみると、「ある人から長靴を買って貰った。雨が降ると、その長靴が履けるから。」と言うことだったのです。
と言うように、雨が降っていても、一方は、不平不満を一つ一つ並べ立てて、苦痛を感じるし、もう一方は、雨が降る状況の中から幸せを一つ一つ見つけていく、というお話しから、改めて、私の日常生活を振り返ることが出来ました。
この私自身も、目の前に起きている現象に対して、過去、例えば10年ぐらい前の私だったら、深刻に受け止めていたのに、現在では、その中から、幸せを一つ一つ見つけ出し、その雰囲気の中で楽しいことを一つ一つ実行していく、と言うように少しずつ変わってきたような気がします。
毎回、“りんりん竹ちゃん”の講演会を聞いていて、その都度、自分の日常生活をフラッシュバックのように振り返り、気付かされることが多く、それを今後の日常生活にフィードバックしていく、という楽しみも感じるようになりました。
まさに、現在の私の心理状態にピッタリと当てはまっているような気がします。
おそらく、私以外の全員も、そのように感じたのではないでしょうか。
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その2
大谷徹奘さんと行った敦煌(とんこう)のお話しもしました。
今回中国へ行ったときは、先入観を持たずに行った、と言うことです。
以前、インドに行ったときのお話しともダブりましたが、インドはIT国家で、高層ビルが建ち、空港の周りは大都市と言うことを想像していたら、現実は田舎で豚が何匹もいて、物乞いが自分の所にまとわりつき、インドという国は何という国だ、とインド政府に対し、憤りを感じ、暫く、その状況が続くと、今度は物乞いに対して、憤りを感じた、と言うことです。でも、何日か暮らしているうちに、インドの人たちは一見、大変そうで不幸に見えても、心の中は幸せに思っている、と言うことが理解できたようです。
でも、今回は、全く、そう言った先入観を持たずに、巡礼に参加することが出来たようです。
敦煌へ行く飛行機の中から外を見たら、砂漠がズウッと続いていて、飛行機が砂漠の中に不時着するのではないか、と思ったようです。
砂漠は40度以上で、暑く、洞窟の中に入ると涼しかったようですよね。
又、洞窟の中の一つ一つの絵を見たが、初めは、その価値が分からなかったが、少しずつ、意味を理解していったようです。
その中には修行の身の人たちの様子が克明に描かれていたようです。
安らかな顔、苦しみの顔など、様々な状態を描いていたのでしょう。
「死」そのものは終わりではない、と言うことです。
信じるものは救われる、と言いますが、自分を救うことが出来るのは自分しか居ない、と言うことのようです。
信仰心がなければ、周りからの情報や囁きに押し流されて、ガタッと自分の考え方が揺らぐようです。
現在は、仏壇のある場所にテレビが置いてある、よって自分と向き合っていく場所がないし、情報過多になっているので、自分の「軸」がなくなるようです。
現在は様々な情報が氾濫しており、どれが正しいのか分からない状態で、今まで自分の考えが正しいと思っていたのに、様々な考え方の人に振り回されて自分というのを見失っている、と言うことなのでしょう。
自分が今まで思っていたことと別の情報が自分の所に飛び込んでくると、今までの考え、信念が揺らぐ、ということですよね。
それに自分と向き合う場所が自分の家にない、親が子供に生活の知恵などを伝える事が少なくなったようです。
人が幸せになると、自分の事のように喜ぶ機会も減ってきたようですね。
例えば、羨ましく思ったり、ねたましく思ったりする、と言うことです。
私自身も思い当たる節があります。
人の幸せを素直に喜ぶことが出来る人間に成長したいと思いました。
人間、誰でも、一見、自分よりも、優位に立っている人間を見ると、羨ましく思ったり、その人と比較をして、自分が劣っているように感じたりするのです。
これは、無意識のうちにやっているのではないかと考えられます。
人の幸せは自分の幸せ、これは、素朴な喜びですよね。
ところが、素朴な喜びを人間は忘れている、と言うように私なりに解釈することも出来ました。
ちょっと、お話しを聞いていたが、言葉の所々を聞き逃してしまったりして、文章化するのに時間がかかったり、どこか抜け落ちたり、思い違いをしているような箇所があるかもしれませんが、他の参加者の日記も参考にして頂ければ幸いです。
それらの日記を読んでいて、時々思い出したたびに文章にしたいと思います。
レポートがバラバラになるかもしれませんが、宜しくお願いします。
今回の講演会で不思議に思ったことは、まるで、大谷徹奘さんの法話を聞いているようで、現在は、8日の事を振り返ってみて、まるで、大谷徹奘さんの法話を聞いた、という錯覚に陥っている程に悟りに関するお話しを聞いた、と言う満足感があります。
早速、sumie'sさんが「誰でも幸せになりたい。」という題で、要点をしっかりとまとめて下さっております。
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その3
奈良の少年刑務所で、小西先生がお話しされた時の事を取り上げていました。
現在の子供は何故、キレやすいのか。?
こつこつ努力すれば、結果が出る、と言うことを現在の子供たちは忘れているし、親からも、そのような事を教えられていないようです。
種を蒔くと、その時は全然、実らず、ズウッと進展がないと思われ、諦めかけていた瞬間、突然、目が出る、要するに結果が出る、と言うこともあります。
この私も、過去にそのような体験があります。
私にもまだまだ至らない点がありますが、過去のそう言った体験があったからこそ、今まで、どんなにつらいこと、悲しいこと、悔しいこと、気になることがあったとしても、乗り越えてくることが出来たのです。それが私にとって唯一の救いだなあ、と過去の自分自身を振り返りながら、聞いておりました。
小西先生は、少年刑務所の中の人たちを見ていて、こういう事が分かったようです。
勉強をすると、成績が上がり、親から褒められた、要するに努力による成果を褒められた、という体験がないので、万引きやその他の間違った行為に走るようです。
万引きをやり、(悪い意味で)成功をすると、その悪い仲間(悪友)から、賛同されるわけです。褒められる訳です。それが快感で、何度も、そう言ったよからぬ行動を繰り返す、と言うことです。
また、K先生の長女が学校から呼び出しを受けて、娘さんの友達が万引きで捕まった、と言うことです。
それで、長女に「今から謝りにいくぞ。」と良い、父も一緒に謝ったようです。
要するに父親(K先生)が何を教えたかったのかと言うと、そう言った行為をした場合、謝ることが必要だと言うことを娘さんに悟らせた、と言うことです。
ところが、中にはこういった親も存在しているようです。
子供さんが万引きをしても、店に「これ、子供が間違ってとってしまったから、代金払います。」と行ったようですよね。
そう言う問題ではなく、やって良いことと悪いことの区別を子供にしっかりと、教えなければならない、と言うようなことを強調して行っておりました。
ここからは私なりの解釈になりますが、
いかなる理由があっても、誰も見ていなくても、絶対に悪いことはしてはいけない、ということです。
人間は誰でも、悪いことをすると、心のどこかで罪の意識を感じ、それを一生、背負って生きていかなければならない、と言うことです。
それが例えどんな小さな事であろうと、人の道に反すること、反社会的な事は絶対にしてはいけない、ということです。
理由はないのです。駄目なものは駄目、と子供に悟らせる必要がある、と改めて、思いました。
こうして、日記に“りんりん竹ちゃん”の講演会の模様を描いていると、今回のお話しは、まるで、大谷徹奘さんの法話会を聞いた後のような錯覚に陥ります。
“りんりん竹ちゃん”と“大谷徹奘さん”がダブって感じる程です。
さすが、“りんりん竹ちゃん”は大谷徹奘さんの言っていること、小西先生の言っていること、100%マスターしている、と思いました。
人のお話をしっかりと聞き漏らさずに聞いているので、「話し上手は聞き上手」と思ってしまいました。
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前回の日記をまとめると、
子供は自分の居場所を探しているようです。
万引きをすると、共感してくれる人がいる、
仲間から賛同を得ることが出来る、と思い、
実行に移すようですよね。
反社会的な行為をしてでも、人から褒められたい、
それを何度も繰り返しているうちに、最後になり、本当に欲しいものを盗むようになる、ということです。
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ここからが私なりの解釈ですが、
いくら、欲しいものが手にはいるとしても、不正な手段だと、何の価値もないし、手に入れたと言う充実感がない、ということです。又、いつばれるのか、ばれないとしても、罪の意識にさいなまれ、戦々恐々とした毎日を送らなければなりません。
本来の品物を手に入れる目的というと、日常生活を少しでも充実させる事だった筈です。それに伴い心の中も充実させる、と言う事です。
仮にせっぱ詰まったとしても、自分の立場が不利になったとしても、絶対に不正な手段で品物を手に入れたり、お金儲けをしたり、それ以外の人の道に反することをしてはいけない、ということです。
いかなる理由があっても、悪いことをしてはいけない、ということです。
その事を徹底して子供に教え込む必要がある、と言うことですよね。
親は子供の心と正面から向き合うべきだと思いました。
逃げてはいけない、ということです。
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コメントです。
Re:第12回SSS…りんりん竹ちゃん講演会…その4(09/09) まなちゃん1622さん
高野さんの言われる通りです。
「親は子どもの心と正面から向き合う。逃げてはいけない」この言葉の通りです。
色々とあっても…(2007.09.09 19:15:09)
Re[1]:第12回SSS…りんりん竹ちゃん講演会…その4(09/09) タカノエイサクさん
まなちゃん1622さん
>タカノさんの言われる通りです。
>「親は子どもの心と正面から向き合う。逃げてはいけない」この言葉の通りです。
私も、自分と正面から向き合わなければと思い、反省してしまいました。
>色々とあっても…
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そうですよね。
乗り越えなければならないことから逃げてはいけませんよね。
(2007.09.09 19:24:38)
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