2007.06.05…第10回SSS(仙台セミナースクール)…昼の部(その5)

りんりん竹ちゃんは「あれがあったからこそ」と思えるようになるまでも、様々な紆余曲折があったようです。

人間は自分にとってプラスになる出来事に関しては感謝できるが、
それとは逆にマイナスになる出来事に関しては感謝をなかなかすることが出来ないようですよね。

「あの出来事さえなければなあ」」
「あの人さえいなければなあ」
「ここに●●さえ置いていなければ。」
「あの人が邪魔さえしなければ。」

「あれがあったらなあ。」

私も、「たら」、「ねば」を言ったり、思ったりしながら生活していたことを思い出しました。

私も、至らない点がありますが、なるべく「あれがあったからこそ、現在の生活が成り立っている。」と思うようにしています。

りんりん竹ちゃんも、営業成績など自分よりも優れたある人と比較をして、自分でまだまだ至らない点がある、と言うことを言っていたが、私はそのお話を聞いていて安心感が漂いました。

時には他人との比較をして、自分よりも、優れた人を目標にしているようですね。

時々他人と比較をして悩んだりすることに関しても、皆、同じだと思いました。

この私自身はもっと至らないところがありますが、自分よりも優れた人を目標にすることは出来るわけです。
要するに他人と比較をするにしても、嫉妬するのではなく、至らない自分を反省する、成長することを目標にすれば良いわけです。

このブログで何回か取り上げたが、
プラス=良い結果に関しては「恩」を感じるが、
マイナス=悪い結果に対しては「囚(とら)われた心を持つ、ということです。

「恩」という字は「因」+「心」から成り立っています。

ところが、「因」から一本線をはずすと」「囚」という字になるわけです。

要するにマイナスの出来事に関しては「囚われた心」と言うことになるわけです。

自分にとってマイナスになるような出来事だとしても、そこから、プラスの部分を見つけ出し、「あれさえなければ」から「あれがあったからこそ」という考えになれば、今までマイナスだと思っていたことでも、プラスに思えてくるから不思議です。
私も、そのような体験が多くなってきました。

過去に囚われることなく、未来に不安を感じるのでもなく、現在に生きた方が良い、ということですよね。

それに未来に向けて生きるとしても、一つ一つの行動に責任を持ち、自分の身の回りにおきる出来事を受け入れていけばよい、と思いました。

私も、過去に関して悲観的に考えていたが、現在の生活があるのは、過去にああ言った体験をしたからこそ、と思う機会が多くなってきたような気がします。

今回の講演会では、そのことを改めて確認をすることが出来ました。

続く−



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