りんりん竹ちゃんの講演会
2006年9月24日作成
ブログ仲間の集い、有り難うございました。
リンリン竹ちゃんさんをお迎えしての「ブログ仲間の集い」が無事、終了しました。
二次会まで話が盛り上がり、私も、最後まで参加させて頂きましたが、時間の都合で途中で、帰った人もおりました。しかし、参加してくれただけで嬉しかったです。
リンリン竹ちゃんはじめ、皆さんとお会いできて凄く良かったです。
また、宜しくお願いします。
「ブログの集い」についての詳しいレポートは後日、日記にアップしようと思います。宜しくお願いします。
なるべく、早く致しますので。
凄く充実していて、家に着いたのが21時40分頃でした。
日記を少しずつ作成しようと思ったが、眠くなってきましたし、汗はかき、これから風呂へ入ることにします。
それでは、皆さん、お休みなさい。
また、25日(日)宜しくお願いします。
取り敢えず、ご挨拶とお礼まで。…
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2006年6月25日作成
6月24日(土)ブログ仲間の集い…その1
2006年6月24日(土)15時00分から、ブログの集いが行われました。
私は忘れないように早めに家を出たのです。
10時30分頃のバスに乗りました。
11時30分頃、某図書館に着きました。
14時00分頃まで、雑誌を読んでいたのです。
いよいよ、15時00分からの「ブログの集い」が迫っております。
緊張感が高まってきました。
久し振りにブログ仲間と会う、知らない人も来る、しかも、リンリン竹ちゃんや、ゆとりをさんもいらっしゃる。
久し振りに会う人とうまくお話し合いが出来るか、正直言って不安でした。
何しろ、仙台の知っている人とは6ヶ月ぶりに合うのですから。
リンリン竹ちゃんとは9ヶ月ぶりですね。
某図書館から「ブログの集い」が行われる仙台市民会館へはケヤキ並木がある某大通りを西側へ向かったところにあるのです。
目と鼻の先ですよね。信号機を2つほど渡るとあったような。
私は14時30分頃に、その会館へ入ったのです。
そしたら、ブログ仲間のAさんがいました。私は安心しました。
2階へ上がって、しばらくしたら、リンリン竹ちゃんが、ゆとりをさんと一緒に来たのです。久し振りに会ったのでやや照れながら、挨拶を交わしました。
部屋を開けたのは始まる15分前の14時45分頃です。
参加者の名前をあげようと思ったが、名前と顔が一致しない人がいるので、分かっている範囲でお伝えします。お許しを。それに、記憶違いがあるかもしれませんが、お許し下さい。参加者の各々の記録よりも、自分の言葉が多くなると思います。
まず、15時00分頃、スタートしました。
司会は「あおね」さん、「フォレスト2005」さんです。
まず、「あおね」さんからの挨拶があり、「ゆとりを」さんから、今までのブログの仲間の集いの紹介がありました。
2005年5月…初のブログの集い。
2005年9月…第2回目のブログの集い…リンリン竹ちゃんをお迎えして。
2005年11月…第3回目のブログの集い…「きいろたんぽぽのほし」さんが講師で人生のプランについてのお話し。夜、五日市剛さんの講演会も行われました。(五日市さんの講演には、参加者の何人かが参加しました。)
2005年12月…第4回目のブログの集い…大谷徹奘さんの法話会に伴ってブログの集いが行われたが、法話会が終わった後、大谷徹奘さんを囲んでのお話し合いがあった。今回は5回目ということです。
「ゆとりを」さんの倒れてから、入院したり、その後の経緯についてのお話しがあったが、準備していたインドへ行けなくなり、その時、泣いたり、悔やんだりし、なかなか自分の置かれている状態を受け入れる事が出来なかったが、大谷徹奘さんのお話しを思い出すことが出来て、「はい」と受け入れる境地になった、ということをお話ししてきました。
その次、私(タカノエイサク)が自己紹介をしました。
やや緊張して何を話したかハッキリとは覚えておりませんが(笑)、過去のつらい体験は、その時、イヤだなあ、と思っていても、その体験があるからこそ、現在の自分がいるなあ、あの時の体験は必要だったのかなあ、ということだったと思います。
そして、一人一人、自分の事を紹介して行ったが、大体、皆さん、同じようなつらい体験、失敗など、経験しているようでした。
何も、失態を演じたのは自分だけではないのだなあ、完璧な人間は一人もいないのだなあ、ということを思いました。
リンリン竹ちゃんのお話しの要点を述べさせて頂きます。
ピンチをチャンスに変えたこと。
9月に仙台の皆さんにお会いしたときの事。
過去に人見知りで、現在も、多少人見知りの所があること。
何でもいいから、お話しして、と言われても、何を言ったら良いのか分からなかった。ということ。
前回(2005年9月18日)は、参加者の人たちから、時間が短かったし、講演会よりも、その後のお話しの方が長かった、という感想もあったそうです。
テーマを何にするか、迷ったが、「決めていたのは自分」と思い付いたようです。
過去、両親の期待にいかに応えるか、働くときは給料の事を考えて某銀行に勤めたが、バブルの崩壊のあおりをうけたり、銀行を辞めた後の体験。
わずかな退職金と貯金で生活したり、3ヶ月でお金が無くなり、食べ物を食べるために、「ほっかほっか亭」と言う弁当屋さんに勤めたりしたが、給料を貰えるのは翌月なので、その時まで、どのように食べていくか悩んだ話など、改めて傾聴に値するお話しを聞くことが出来ました。
頭の中を整理することが出来ました。
確か、去年にもお話しを聞いたが、今回はより一層、詳しく、話を飲み込むことが出来たのです。理解することが出来たのです。
黄金伝説=どこまで生きていけるか、という話に発展しました。
ラーメン屋、本屋、ガソリンスタンド、レースの世界など、様々な職業を体験したのです。
やっぱり、様々な業種を体験すると、あらゆる職業についても、多方面から見ることが出来、それが真の意味での成功に繋がる、ということを教えられたような印象でした。
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2006年6月25日作成
6月24日(土)…ブログ仲間の集い…その2
一方的なものの見方をしていては、商品は売れない、売り手の視点でお客さんを動かすことは出来ない、自分にとって良いものが他人にとって良いとは限らない、ということですが、物を売るときは、買い手の視点で考えていかなければ、成り立たない、ということですね。
リンリン竹ちゃんはラーメンをあるところで、出したとき、ある人に「こんなもの食えるか。」と言われ、実地に体験した、ということですね。
リンリン竹ちゃんの言っている事は、単なる机上の空論ではなく、体験に基づいた事、ということを改めて思いました。
人間は、自分にとって都合の良い事に関しては、なぜ、成功したのか、と目を向けますが、それとは逆に自分にとって都合の悪い事に関しては、目を向けずに原因追及を怠る、のですよね。
知らない間に逃げているのかもしれない、ということです。
大谷徹奘さんの言っている、良いときは自分のお陰、悪ければ人のせい、ということになります。
私も、振り返ってみると、それを無意識のうちにやっていた、というのですから、ギョッとなった程ですね。
それと同時に原因が分かり、今までモヤモヤしていた気分がスッキリした、という印象も受けました。
私はこれから、自分の約束として、良い時は、皆さんのおかげ、悪いときは、自分の不手際、責任ということをしっかりと認識していこうかと思います。それを認識するところから、全てがスタートする、と思います。
たったそれだけでも、人の事を憎めなくなるし、建設的な発想をすることが出来るようになるし、真の意味での成功に繋がるでしょう。
今回のお話しの印象も、暫くすると、薄れる、ということがあるかもしれませんが、出来るだけ、そのような事がないように、常に思い出して行こうと思います。また、リンリン竹ちゃんがインドに行って体験した後の話だったので、更にグレードアップしたお話しを聞くことが出来たので、ズウッと忘れないと思います。この世に生きている限り、いつでも、事細かに意義深いお話しを思い出すことが出来るでしょう。
結果が悪いときは、自分を振り返ることが必要だと思いました。
ところが、人間、結果が良いときは、自分を振り返るが、悪いときは、振り返らずに、そこから逃げるのですよね。
自分にとって一見、都合の悪いことに関しては目をそらしてしまうものです。
どんなときでも、自分と正面から向き合うことが大事だなあ、と思いました。
リンリン竹ちゃんも、入院してリハビリに励んでいる、ゆとりをさんも、大谷徹奘さんの「はい」という実践が出来ている、と思いました。
その他の参加者も、日常生活でしっかりと自分と向き合っているなあ、と思いました。
この私だけが、まだまだ○○かなあ、と考えてしまった程です。(笑)
何事も人のせいにしない、自分から逃げずに正面から向き合う、これは、私が今、一番、自分に約束しなければならないことだと思いました。
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2006年6月25日作成
6月24日(土)…ブログ仲間の集い…その3
半分、要点から外れた文章になりますが、おゆるし下さい。
ブログの集いについては、「きいろたんぽぽのほし」さん、「ゆとりを」さんがしっかりと要点を書いて下さっておりますので、そちらを参照下さい。
リンリン竹ちゃんが、本屋に勤めたいと思った理由は、仕事中、好きな本をちゃっかりと読むことが出来る、ということだったようです。
ところが、アテが外れてしまい、実際は、マーケティングの理論が必要ですし、売れる本と売れない本を選別し、入れ替え、足りなくなれば、仕入れなければならないので、実際にやってみると、思ったよりも、簡単ではない、ということを理解できたようですよね。流通業の事も理解しなければならない、ということかな。
しかも、自分の好きな本を発注して、売れなくなり、在庫が多くなったようです。店舗の営業成績にも響く訳です。
自分が思い描いていた仕事とのギャップがあり大変、苦労が多かったようですね。様々な紆余曲折を繰り返してきた訳です。
本屋では、お客さんが求めている本を常に把握する、ということが大事ということです。
そこから、マーケティングの話に発展していきました。
お客さんが商品を買う理由を知りたいが、売り手側でそれが分かった瞬間、お客様に対して購買意欲を促すことになるわけです。
20世紀型=購入前のマーケティング
いかにチラシを蒔くか。いかに訪問をやってマーケティングをやっていくか。
21世紀型=購入後のマーケティング
お客さんが商品を購入した後、具体的に何をするか。
ということです。
お客さんは商品を買った後、必ず後悔するわけです。
この私も、電化製品など、高い買い物をした後、後悔することがあるのです。
もしかしたら、本当に、これはお金を出したほど、自分にとって必要なものなのか、など、と。
数ヶ月前だったと思いますが、何年か前に私が商品を買って後悔した事を、どこかに書き込んだような気がします。
ただし、自分のサイトの日記に書いたのか、それとも、リンリン竹ちゃんの日記のコメント欄に書いたのかハッキリとは覚えておりませんがね。もう、何ヶ月も前になりますから。(笑)
お客さんに買ったことを納得させる、ということも、大事、ということですよね。
以前、この日記にも、異業種セミナーのDVDの感想として同じような事を書いた覚えはあるので、詳しいことは割愛させて戴きますが。…
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2006.06.25
一旦、ブログ仲間の集いに関するレポートを中断し、休憩します。お許しを。(^^)V [ 本の感想など。 ]
まだまだ、時間がかかりそうです。一旦、レポートを中断します。(^^)V
リンリン竹ちゃんをお迎えしての「ブログ仲間の集い」の模様を幾つかに分けて、書いたが、まだまだ、書き足りないかもしれません。
インドに行った影響なのか、すごく、奥の深い話なので、要点だけをメモしたが、それでもノート何ページ分にもなったのです。
以前だったら、一つの日記で済んだのに、内容が濃く、まるで大谷徹奘さんの法話会を聞いているようでした。
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ブログで長い文章を書けないときは、小刻みに幾つかに分けて書けばよいのかなぁ、と思いました。
例えば「○○○…その1」、「○○○…その2」というように。
ファイルを分けた方が、万が一、1つのファイルを消したときのリスクが少ないと思います。
出来るだけ、正確に記述したいと思います。私の感想も述べさせて頂きます。宜しくお願いします。
一つの日記で終わらないほど、それだけ、素晴らしかった、ということですよね。
「思い付いたら、即、実行」を実践できそうです。
人生における刺激が与えられました。
本当にわざわざ、大分という遠いところから来て下さってありがとうございました。
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2006年6月26日作成
6月24日…ブログ仲間の集い…思い付いたら即、実行。
リンリン竹ちゃんは、思い付いたら即、実行という話を言っていたが、改めて、その必要性を自覚することが出来ました。
ところが、人間は、思い付いても、無意識のうちにそれを先送りしたり、他の事に気をとられて、簡単な問題から先に片付けようとするものです。
実行しなければならない、と思い付いて、それが難しいことであっても、それを即、実行する、ということですよね。案外、難しいと思い込んでいるだけで、本当は執るに足らないことかもしれません。
もしも、その難しいことをやり遂げることが出来ただけで、次、何をやれば良いのか、次第に見えてくるはずです。
他のことに気をとられずに、やっていること、現在、すぐにやらなければならないことに熱中すべきだ、ということです。
私の過去、あるいは現在の行動について振り返ってみたら、これがまた、現在、やらなければならないこと、思い付いたことを無意識のうちに、放棄してしまったり、先送りしてしまったりしていたことが多かったような気がします。自分との約束を守っていなかったのではないかと思いました。
ブログ仲間の集いの時、その後の二次会の時、リンリン竹ちゃんのお話しを聞いていて、すごく過去の自分、あるいは現在の自分について恥ずかしくなってきました。と言うか、客観的に振り返ることが出来たような気がします。
しかし、リンリン竹ちゃん自身も、現在、やらなければならないこと、例えば葉書を出したり、色々な用事があるのに、それをどうしても、先送りしてきた経験がありますが、その後、物事の流れが悪くなって、改めて、思い付いたら、即、実行をしたら、物事がスムーズに進むようになった。と言うようなことを言っていたような気がします。
必要な時に必要な人から連絡が来たり、必要な仕事のお付き合いをすることが出来たりしたようですね。
先送りせずに即、実行すると、物事の流れが、スムーズになり、あらゆることが、うまくいく訳です。
この私は今まで、やらなければならないことは分かっていたが、わざわざ、優先順位を決めすぎて、どれからやればよいのか迷い、面倒になって、結局は放棄する、後回しにすることが多かったような気がします。
あることを始めたとしても、どうしても、他の事も気になりだし、気が散るのですよね。一つのことに熱中できなくなるわけです。
例えば、部屋の中の掃除をしようとして、実際に始めたとしても、本の整理、メールの返信等、その他のやらなければならないことに気をとられて、集中できなくなる、ということもあるでしょう。
私は、そこで、今日から、思い付いたら、即、実行をして、その事だけに集中する、それが終わったら、又、別の事を始める、というように、少しずつこなしていこうと思いました。
思い付いたことを即、実行し、やり終えると、又、次に何をやればよいのか、見えてくるはずです。
リンリン竹ちゃんには、色々と刺激を与えて頂きました。
有り難いことです。
自堕落な自分から解放されそうな、と言ったら、大げさかな。…
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2006.06.26
6月24日(土)…ブログ仲間の集い…使ってはいけない言葉。 [ 本の感想など。 ]
6月24日(土)…ブログ仲間の集い…使ってはいけない言葉。
人間は誰でも、疲れていたり、虫の居所が悪いとき、どうしても、否定的な言葉を言ってしまいます。
例えば、愚痴、人の悪口など。
リンリン竹ちゃんは、使ってはいけない言葉として。
「でも…」、「どうせ…」、「しょせん(所詮)…」、「もしも(こうす)れば(よかったのになあ)…」、「(こうなっ)たら(よいのになあ。)」。
知らない間にこのような言葉を口に出しているものです。
()の部分は、省略したと思われる言葉を私なりに推測して付け加えさせて頂きました。
この私も、過去を振り返ったら、無意識に、このような言葉を今まで使っていました。
現在でも、使っていることがあります。
もしかしたら、これらの否定的な言葉を使わないようにするだけで、幸せが向こうから近づいてくるかもしれません。
企業経営者にとっては成功に結びつくでしょう。
セールスマンにとってはお客さんとの関係が良好になり、品物を買って貰ったあとも、良好な関係を気付くことが出来、次も、そのまた次も、品物を買って貰えて、会社の繁栄にも繋がるでしょう。
要するに人間が陥りやすい落とし穴、と言ったら良いのかな、良い結果に対しては原因を探すが、悪い結果に対しては心が向かなくなる、ということです。
これは、セールスマンをするとしても、良好な人間関係を築くとしても、最も基本的な事だと思います。
恩を感じなければ、何に対しても感謝の気持ちがなければ、何をやっても、うまくいかなくなるでしょう。
仮に一時的にうまくいったとしても、長続きはしないと思います。
原「因」に「心」が向かったとき、恩を感じる。
と言うことですが、大谷徹奘さんも、漢字って面白いですね。と同じ事を言っておりました。
「因」と「心」で「恩」ということになりますよね。
漢字が中国から伝わってきたものですし、例えば、中国語では日本語で「困る」というのを「困惑」と表記するようですし、「悩む」ことを「煩悩」と表記するようですね。もしかして、中国語って仏教に通じる言語なのかなあ、ともチラッと考えたこともあります。
リンリン竹ちゃんのお話しを聞いていて、大谷徹奘さんが今まで言ったことを復習させて戴くことが出来ました。
使ってはいけない言葉を使うときは、様々な事にとらわれているので、「囚われている心」と言うことになります。
あらゆる事を受け入れることが出来た瞬間、「囚」われている「心」が「恩」に変わる、ということです。「恩」とは「感謝」のことですよね。
お客さんに対する感謝、回りの人たちに対する感謝。
要するに「□」(国構え)」の中の「人」の部分に漢数字の「一」が加わったときが、「心」で「因」を受け入れた瞬間と言うことになり、「因」になるということかな。
そのように自分なりに考えてしまいました。
私は、今日一日、実験的に否定的な言葉を一切使わないようにしました。
しかし、今後、時には間違って使うこともあるでしょう。
それでも、今月の21日(水)の大谷徹奘さんのお話し、24日(土)のリンリン竹ちゃんを迎えての「ブログ仲間の集い」の感動は永久に薄れないような気がします。
よって、今後、今まで以上に勇気を持って行動できそうな気がします。
紆余曲折はあるかと思いますが、もしかしたら、今までとはやや対処の仕方が違ってくるかもしれません。
ほんの僅かな進歩だけでも、対処が相当違ってくるのではないか、という期待は自分なりに抱いております。
ただし、これだけは絶対に忘れてはいけません。
「見返りを期待しない」ということ。
「ブログ仲間の集い」の二次会の時、リンリン竹ちゃんは、「見返りを期待せずに、無我夢中で物事を進行させていると、気が付いたときに見返りというのは自然に与えられている」というような事を言っていたような気がします。
「ブログ仲間の集い」に参加した人の中に、二次会に参加した人が何人かいたが、更にその中の何人かが、ビールを飲み始めました。
竹ちゃんもビールを飲んでいたし、私は、サイダーと水しか飲んでいないのに、ビールを飲んだつもりになっていたのです。(笑)
それで、普段、ネット上でお話ししている人と直に某居酒屋でお話しできたので、あまり嬉しくて、ハッキリとしたセリフは覚えていないですけど、大まかな事は以上のとおりです。
ビールを飲んでいなくても、飲んでいるつもりになることは出来るのですよね。(笑)
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2006.06.26
6月24日…ブログ仲間の集い…二次会の時に私が言ったこと。 [ 本の感想など。 ]
嫉妬とは他人と自分の比較から生まれます。
私はズウッと前、嫉妬をしたりしましたが、その一方で、もしかしたら、私が嫉妬している人というのは、裏側で、私の目に見えないところで、私にはない苦労をしているのではないかと考えたりもしていたのです。
中学校の時、私はあまり学校の成績が良い方とは言えなかったが、それでも、勉強の出来る人、100点満点の人、お金持ちの人を見ても全然、羨ましいと思ったことはありません。
それが今までの私にとっての救いです。
ブログ仲間の集いの二次会の時、私はリンリン竹ちゃんに直接、私が小学校の頃に思い付いたことをお話しさせて頂きました。
大体、大まかに以下のような内容だったと記憶しています。
地球上にはあらゆる生物がいます。
唯一地球上で高等な生物である人間、その他の蟻(あり)、魚、猿、犬、猫、羊、豚、様々な微生物など。
あらゆる生物が生まれてくる中で、私は人間として生まれてきた、ということにだけは、小学校から感謝しておりました。
カブトムシにはカブトムシの苦労があるわけです。
ところが、人間のように「我」はなく、ただ、自然の摂理にのっとって生きているのかもしれません。
「猿」であろうと、「蛍」であろうと、「蛾」(「捨我」の「我」ではありません。(笑))であろうと、「蚊」であろうと。
「一寸の虫にも五分の魂」という諺を聞いたことがありますが、小学校の頃、なぜ、私は人間に生まれてくることが出来たのか、人間以外の動物に生まれずに済んだのか、それだけでも、感謝しなければならない、嬉しいと思わなければならない、と思ったわけです。
人間ばかりではなく、人間以外の様々な動物にも、魂は宿っている訳です。その中で、人間に生まれてきたのは何と、素晴らしいことでしょう。
そのような気持ちは現在でも変わりません。
たしか、幼稚園、小学校、中学校、高校…と紆余曲折を繰り返してきましたが、時には一時的に嫉妬したり、焼き餅を焼いたり、悩んだり、将来の事に不安を抱いたりしましたが、それでも、何とか乗り越えてくることが出来たのは、以上のように「人間」として生きている事に対して感謝していたからなのです。
人間は「言葉を話せる」、「文明の利器を使うことが出来る」、「考えることが出来る」、「考えたことを理論化することが出来る」、他の動物にはない様々な特徴があるわけです。
あと、好きにどこへでも旅行に行くことも出来ます。
なんと、貴重な機会を与えられたのでしょう。
とここまで詳しくは二次会の時、言いませんでしたが、それでも、私が言ったことに対して、リンリン竹ちゃん初め、その他のメンバーも、共感してくれたので、これほど、嬉しかったことはありません。
以上、自分の述べたことを述べさせて頂きました。
恐らく、読者の皆さんの中にも、私と同じように感じた人がいるのではないかと思います。
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2006.06.26
日記の件数。 [ 思い出したこと ]
ここで又、違う話題にします。「ブログ仲間の集い」に関する話題は一旦、終了したいと思います。数日して、数週間して、数ヶ月して、思い付いたら、又、書くかもしれません。
現在、このブログの日記の件数が「715件(これを含めて716件)」になっております。
去年の2005年9月3日以来、ズウッと日記を書き続けておりますが、気が付いたら、700件を超えていて、しかも、リンリン竹ちゃんの「725件」という数に近づいてきているのですから。
もしかしたら、そのうち、追い抜いてしまう可能性があります。
さて、どちらが先に「777件」に達するのか。お互いにラッキーセブンを迎えることが出来れば良いなあ、と密かに抱いております。と言うのは冗談半分だったりして。(笑)
と言っても、私の日記は、まだまだ、試行錯誤の繰り返しの状態で、内容の充実には至っておりませんが。…
これから、少しずつ地道に日記の内容を充実させて頂きます。
まあ、方向性は定まっておりませんが、出来るだけ、読者の皆さんが楽しめるような内容にしたいと思います。←私は今まで同じ事、何度言ったのか分かりませんけどね。(笑)
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そうです。
リンリン竹ちゃんは「【“たら・れば ”が恩に変わる時】」(竹ちゃん的人生)という日記を6月26日23時27分にアップして下さいましたが、まさに、仙台で行われた「ブログ仲間の集い」でお話ししたことです。
より詳しく思い出すことが出来ました。それに復習することも出来ました。
さすが、竹ちゃん、自分でお話ししたことをしっかりと、正確に記憶しております。
要するに右脳と左脳のバランスがとれているのでしょうね。
「ブログ仲間の集い」に参加しなかった人たちにとっても、リンリン竹ちゃんのこのレポートは充分に役立つと思います。
もしも、ネットが普及していないとしたら、このように実生活で、ネット上で皆さんと交流することはなかったことでしょう。
益々人との出会いの不思議さを感じます。
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2006.06.27
6月24日(土)…ブログ仲間の集いで更に思い出したこと。 [ SSS(仙台セミナースクール) ]
ブログ仲間の集いで、納得した理由についておはなしします。
リンリン竹ちゃんの言っているセールスマンとお客さんの関係は、私と回りの人の人間関係に全て当てはまっております。
今まで、OSSで言われてきたような事は、私は自分の身の回りの出来事に置き換えて考えているのです。
過去を振り返ってみても、現在の生活を見つめ直してみても、全て当てはまっているような気がします。
セールスマンの精神は、普段の人間関係においてこそ、役立つかもしれません。
それが、広い意味で、心が豊かで、仕事もうまくいき、お金も必要な時に必要なだけ入ってくる、ということに繋がると言うことかもしれません。
仕事・お金・心=3つの歯車が正常に回るバランスがとれた生活をするには、その真ん中にもう一つの歯車(あり方)というのが必要になってくるわけです。
もしも、3つがバランス良く回らなければ、どこかで、ひずみが出てくるわけです。
仕事の面でも、お金の面でも、心の面でも、それが家庭生活まで影響を及ぼすことは確かです。
バランスが崩れると、お金持ちの場合、事件を起こして人生の裏街道を歩んだり、人間関係のトラブルなどで仕事がうまくいかなくなったり、心もすさんでしまう訳です。
自分のコントロールを出来ない人は、家族の人々のコントロールも出来ないし、お客さんのコントロールも出来ないわけです。
大谷徹奘さんが、家庭内が壊れると国が壊れる、と言っているが、全くそのとおりだと思います。
当然、各会社にも影響を及ぼすわけですよね。
自分がコントロールできると、初めて、お客さんの事をコントロールできるわけです。
更にリンリン竹ちゃんは、コップに入っている紅茶に例えておりましたが、そのコップの中に紅茶が4分の1しか入っていないとする。
ただ、単純に4分の1入っている、と思うか。
4分の1しか入っていない、と思いガッカリするか。
4分の1も入っている、と喜ぶか。
と言うように、同じような条件でも、様々な受け止め方があるわけです。
例えば限られた時間内に何かをしなければならないとき、10分間しか時間がないとしよう。
もう10分もある、と思い安心して残りの時間をその事に没頭するのか。
あと10分しかない、と思いガッカリして、やる気を失うのか。
同じような状況に置かれても、全く、受け止め方が違ってくるわけです。
当然、結果も全然、違ってくるでしょう。
仕事においても、趣味においても。
更にリンリン竹ちゃんは、コップに入っている紅茶に例えておりましたが、そのコップの中に紅茶が4分の1しか入っていないとする。
ただ、単純に4分の1入っている、と思うか。←「これは不平不満を持っている訳でもないが、感謝の気持ちをわすれている。」
4分の1しか入っていない、と思いガッカリするか。←「どういう状況でも不平不満を言っている。」
4分の1も入っている、と喜ぶか。←「どういう状況に置かれても、感謝の気持ちを持つことが出来る。」
と言うように、同じような条件でも、様々な受け止め方があるわけです。
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2006年6月27日作成
更に思い出したことがあります。ブログ仲間の集いの事です。
自分の事を人と比較することで、嫉妬に繋がる。
多い少ない、幸福、不幸は全部、自分が決めている。
悪い方向に考えると、どんどん悪い方に傾いていく。
それとは逆に良い方向に考えると、物事がどんどん良い方向に向いてくる、良い考えも閃いてくる、身の回りの良い物が見えてくる、そうすると、心の中の幸福に繋がっていく、当然、人間関係も良好になってくる、ということです。
リンリン竹ちゃんは、インドに行ったとき、ゆとりをさんの事が気になって、ご家族の人に亡くなられ不幸がかさなっているのをみて、自分がもしも、そういう立場になったら、「はい」と言う実践をする、その状況を受け入れる事が出来るか、考えた、ということです。
なるほど、と思いました。
この私も、ゆとりをさんの日記を毎日、読んでいて、そのように考えたからです。
リンリン竹ちゃんも、時には迷い、時には悩むことがあるのかと思い、私自身ばかりではない、ということに気付いて安心しました。
ところが、ゆとりをさんが、病院内で、あるいは家庭内で色々と試行錯誤を繰り返し、最近になり、やっと自分の置かれている状況を「はい」と受け止めることが出来た、というのが日記からも伝わってきますし、やっぱり、事前に大谷徹奘さん、リンリン竹ちゃんのお話しを聞いていたのが功を奏したのではないかと思います。両者は一人の人間を救ったと言っても、言い過ぎではありません。
人間、誰でもそうだと思いますが、感動的なお話しを聞いたその時は、納得しますが、いざ、自分が、そのような立場に置かれたときは、受け入れるのに時間がかかるかもしれません。
色々とお話しを聞いているうちに私は時間がかかっても良いと思いました。
少しずつ分かれば良いと思います。皆さんにおいても言えることかもしれません。
大谷徹奘さんも21日(水)の法話会でおっしゃっていましたが、一回、法話会のお話しを聞いただけで、すぐ納得したとすると誰も苦労はしません。それを繰り返して少しずつ分かってくることが重要だと思いました。
悟りは一回開いただけで終わりではないですし、何回も開いているうちに、少しずつお釈迦様の境地に近づいてくるのではないかと思います。
リンリン竹ちゃんがインドに行くように誘われたとき、ある行事と重なって、迷ったとき、色々と断る理由を探していた、自分では「はいの実践」と言ってきたので、今更、断るわけにもいかないし、葛藤があったわけです。
仕事の事も気になるし、もしも、断ったとしたら、自分が嘘を付いたことになるので、色々と迷ったのでしょう。
それでも、行く、と決意をしたのは、凄く勇気がいることだと思いました。
私がもしも、リンリン竹ちゃんの立場に置かれていたとしたら、どのような行動をしていたのだろう、と考えてしまった程です。
人間、誰でも、心の迷いがあるものですね。
私ばかりではない、ということがわかり凄く勇気づけられました。
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2006年6月27日作成
グレードアップしたお話しでした。(^^)V [ このサイトについて。 ]
改めて思います。
ブログ仲間の集いをお休みして、別の話題をしようと思ったら、更に良い話を思い出してしまい、思わず、日記にアップさせて頂きました。
それだけ、2005年9月18日(日)のブログ仲間の集いと比べて、奥の深い話だったような気がします。
こんなにグレードアップしたお話しが聞けるとは夢にも思いませんでした。
今でも余韻が残っており、今回6月24日(土)に聞いたお話の印象は一生、薄れる事はないと思います。
ズウッと心の中に刻まれたままでしょう。
同様に6月21日(水)の大谷徹奘さんのお話しもグレードアップしていたような感じです。
これほど、日記に書き込むことになるとは思ってもみなかった程です。
読み切れないほどの量になってしまったかもしれないが、皆さんのお役に立てれば幸いです。
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2006年6月28日
自覚しなければならないこと。←特に私が。(^^)V
自分にはまだまだ、至らない点がある。
未熟な部分がある。
未開拓の部分がある。
現在、置かれている環境、状況、全て自分で選んできたもの。
と言うことが分かると、人のせいに出来なくなるでしょうね。
私も、虫の居所が悪いとき、一時的に自分にとって都合が悪いことがあったりすると、人のせいにすることが未だにあります。
しかし、過去から現在までの自分を振り返ると、これって私の責任なんだなあ、人のせいにしても、問題が解決するわけではなく、そのような生き方をしても価値はないなあ、と思うことも多くなりました。
それだけでも、心の中が充実してきますよね。
人間、誰でも、「良いときは自分のお陰、悪くなれば人のせい」ですけど、この私も、同じです。
それでも、以上のことを自覚すれば、そのようなことは少なくなると思います。かりに、そのような状態になったとしても、すぐに気づいて、軌道修正できるようになるでしょう。
間違った方向に行きそうになったとしても、元に戻すことは可能だと思います。
人間は、素直になると、正しい情報をキャッチする能力が少しずつ備わってくると思います。
何かを決断するとき、即、答えが閃いたり。内側から答えが導き出されたり。思いがけないところから、ヒントになる答えが得られたり。
「ブログ仲間の集い」のお話しで、またまた、思い出したことがありますが、あることをやろうとするとき、この人に聞けば良いのかな、と一瞬、ある人の顔が浮かんできたとしたときに、素直にそれに従えば、有益な情報を手に入れることが出来るわけです。仕事の上でも、その他、重大な事をやろうとしているときでも。
ところが、主観的な考えで、その人の事を嫌っていたりした場合、その直観に従わず、別の人の意見を求めようとしても、うまくいかなくなるのではないか、と言うお話しも聞きました。
仙台市内の某居酒屋で。
私はなるほど、と思いました。
例えば、私も、ある人の顔が浮かんできたとき、その直観に従って行動するようにしたいと思います。その人に積極的に会うようにすれば良い、ということですよね。←と言っても、なかなか浮かんでこないのですよね。特に勘が鈍っているときは。(笑)
案外、自分が嫌っているような人間でも、単なる自分の主観で判断している場合が多く、本当は仲良くできる人なのかもしれません。
そのことが分かれば、真の意味での成功に結びつくのではないかと思います。
と言っても、なかなかこれが、私にとって、実行が難しいが、挑戦してみる価値はあると思います。
先週の大谷徹奘さんの法話会、ブログ仲間の集いは、ズウッと脳内に刻み込まれていると思います。何年経過しても、絶対に薄れないと思います。←これ昨日も言ったことですよね。(笑)
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