高野悦子「二十歳の原点」案内
二十歳の原点(昭和44年)
1969年 1月27日(月)
 今日の午後は春のように暖かい日だった。太陽が光線をさし向けて暑さを感じさせた。久しぶりの青空だった。
 京都:霧・最高17.8℃最低10.5℃。午後から気温が年明け以降最高まで上がり、夕方近くから晴れてきた。

 部屋に入って少したって
 レモンがあるのに気づく
 痛みがあって やがて傷をみつける
 それは恐ろしいことだ
 時間はどの部分もおくれている。
 日記の記述。詩人、北村太郎(1922-1992)の詩である。
 この記述を受けて、「私は弱い…」以下に続く。
 
 クラス討論の場で煙草をすわせない何ものかがある
 クラス討論☞1969年1月25日

 今、エルンスト・フィッシャーの「若い世代」を読んでいる。
「若い世代」
 「若い世代」は、エルンスト・フィッシャー「若い世代の問題」(合同出版、1966年)のことである。当時680円。

1969年 1月30日(木)
 (白い月があらゆるものを射通してしまうような明るい光線を投げかけている冬の不思議な夜)
 京都:最高9.9℃最低2.6℃。夜になって雲がなくなった。

 二十八日 本多勝一「山を考える」を読む。彼のパイオニア精神を力強く感じる。
山を考える 本多勝一「山を考える」(実業之日本社、1966年)である。
 当時の帯は「なぜ多くの人が山に行くのか? なぜこれほど遭難が多いのか? 本当の山登りとは? 現代の登山では「考える」ことが可能なのか?─ヒマラヤからエスキモーへ、そしてニューギニア、アラビア、アルプスと世界をめぐり歩いた著者が、新聞記者として、一登山家として高い思考力でこれらの問いに答を投げつけた好著。いままでタブーとされていた部分に真正面から取り組んだ、現代登山家に贈る必読の本格的山岳書!」としている。
 「原始のままの湖畔で、原始のままの姿による性事を行う感動など、現代では大部分の人が知らないだろう」、「原始林 一、暗い樅の林に…中略… 重い肩の荷物を 旅人がおろす 三、鈍い月の光に 谷の灯も見えず 固い木の根を枕 旅人が眠る」(本多勝一『パイオニア・ワークとは何か』「山を考える」(実業之日本社、1966年))といった文章や歌詞がある。
☞1969年6月22日②「旅に出よう」

 学校は大衆団交で教室はもちろんのこと、校庭まで学生であふれていた。
寮連合と大学側の公開大衆団交 広小路キャンパスの研心館4階で、1月29日「午前11時から、大学側の拡大補導会議(学内理事会と学寮委員会などで構成)の理事、教職員ら20人と、寮連合の学生の初の〝大衆団交〟が開かれた」。
 「大学はこの〝団交〟を「あくまで封鎖解除をめざしたもので、寮連合だけが交渉相手だ」としている。
 しかし、討議の内容が大学の基本的な教育方針に触れ、紛争解決のカギになるとみられるだけに、会場にはノンセクト学生や代々木系学生もつめかけて約3,000人でぎっしり満員。
 この〝団交〟を「立命館の民主的ルールにそむくもの」と反対していた学友会(代々木系)も「〝団交〟の重要性から考えて、ボイコットするのではなく、封鎖解除を要求する立場から積極的に参加する」との方針である」(『3000人集まり団交─立命館大、寮連合と学校側』「朝日新聞(大阪本社)1969年1月29日(夕刊)」(朝日新聞社、1969年))
 この団交は延々と続き、2月1日(土)早朝に中断した。

 もの悲しくて本屋に入ったら太宰治の全集があったので希望をたくして買う。
 太宰治の全集は、「太宰治全集第1巻」(筑摩書房、1967年)である。
☞1969年1月31日「太宰の本」

 四条まで歩く途中、メガネ(名前忘れた)に会う。
 喫茶店─河原町通り─四条河原町。

 愛宕山に雪が降った。
 愛宕山(あたごやま)は、京都市右京区嵯峨愛宕町にある山。山頂部分には愛宕神社があり、標高924m。
渡月橋から見た山頂愛宕山空撮
 京都地方では1月30日未明に降雨があった。
☞二十歳の原点序章1968年10月21日「愛宕山」

 明日、その三角点と龍ヶ岳に行ってこようと思う。

愛宕山三角点

下宿から三角点三角点地図
 三等三角点「愛宕」は、愛宕山山頂の北で京都府京北町細野滝谷(現・京都市右京区京北細野町滝谷)にある三角点。標高889.8m。

 想定したルートは清滝─月輪寺─三角点─竜ヶ岳とみられるが、ここでは便宜上、愛宕神社から三角点までのルートを紹介する。1969年当時は付近の杉林の状況が現在とはかなり異なる点に注意する必要がある。
 愛宕神社では石段下(①)で向かって右の道に入る。ここは愛宕裏参道の到達地点でもある。月輪寺との分岐点をすぎ、約10分で地蔵がある竜ヶ岳・首無地蔵の分岐点(②)に出るので、竜ヶ岳方向に直進する。
愛宕神社石段下竜ヶ岳・首無地蔵分岐点
 ここから三角点まで現在のところ道標等がないので注意しながら、小屋のあるカーブ(③)は右に曲がって、坂を上って行く。
小屋のあるカーブ上り坂の杉木立
 坂を上って行くとすぐ、林道から右に山道が分かれるポイント(④)があるので、山道に入る。そのまま林道を行けば竜ヶ岳へ通じている。山道からは急な坂になるが道なりに進む。積雪があると滑りやすい。
山道が分かれるポイント山道の積雪
 間もなく鉄塔前の広場(⑤)が見える。当時は鉄塔はなかった。三角点はこの広場から鉄塔に向って左の斜面沿いを登った所にある。
鉄塔前の広場斜面の上の三角点
 三角点からは京都の市街地が一望できる。
三角点クローズアップ三角点から見た京都市街
 広沢池や京都御所(京都御苑)などがくっきりと見える。
広沢池の眺め京都御所(京都御苑)の眺め

 竜ヶ岳は、京都府京北町細野滝谷(現・京都市右京区京北細野町滝谷)にある山。標高921m。
 三角点から竜ヶ岳山頂までは約1時間かかる。
高野悦子「二十歳の原点」案内