高野悦子「二十歳の原点」案内 › 序章1967年4-5月 ›
1967年 5月16日(火)
十四日 植物園でクラスコンパ、費用は入園料四〇円。
京都府立植物園
京都府立植物園は、京都市左京区下鴨半木町にある植物園である。
「賀茂の中心に位置した府立植物園は、終戦後接収されて、たちまちにアメリカ村を現出していた。それは千年の歴史のなかに、思いもかけぬ大きな変化であった。しかし、昭和36年5月、ながい沈黙を破って、それは新装をととのえて再開せられた。清々しい日光のもと、七色のチューリップがさきみだれるなかに、近代的設備をほこる大温室をもった植物園は、この賀茂というよりも京都に新しい魅力をそなえるものであった」
(林屋辰三郎「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))。
当時の入口は、北大路通の「植物園前」電停・バス停から最寄りの正門だけだった。また温室などは1992年に大規模な改修をされている。
ちなみに京都府立植物園では5月13日(土)から観賞植物展が開かれていた。
日本史クラス1回生「名簿」と自己紹介
立命館大学文学部(一部)日本史学専攻1回生(1967年入学)の同級生を掲載した「名簿」が1967年5月14日付で作られ、クラスコンパで配られた。
編集・作成には6人の名簿作成委員があたった。「名簿」という名称だが、アンケートの形をとってプロフィールを自己紹介するものである。謄写版(いわゆるガリ版)印刷の原紙を切ったのは名簿作成委員で、筆跡はプロフィール本人のものではない。
教授の北山茂夫が序文を寄せている。
○
新入生諸君への期待 北山茂夫
大学の5月、6月は新入生諸君にとっては、解放と虚脱の入り交った奇妙な季節ではなかろうか。
他人事ではない。20才前の私にも、それは忘れえぬ体験である。受験という重圧からともかく解放された。そして、目指した大学に入れなかったというところからくる一種の虚脱がある。
日本史専攻は百名を超えて、教室は膨れ上がって。プロゼミの自己紹介でも確かめられたように、なかなかのつわものがそろっている。能力は高い。専攻への構えにもおいて、すでにかなり進んでいる人も少なくない。また、その話し方もさまざまである。新入生から言えば、第三者である私には、能力もさることながら、個性の多様性にひどく心が引かれる。
私は教師だから、入学早々に勉強せよという。それどころでないと言う諸君がかなりいるだろう。解放と虚脱の季節の中にいるからだ。勉強せよという助言は、休み休み言うことにしよう。
それなら、今は諸君に何を望むか。気のあった、胸を打ち割って何でも話せるグループを作ることである。登校さえしておれば、いくらでもそのチャンスがあるだろう。能力の高いさまざまの個性にあふれている新入生のクラスは、いろんな性格の小グループを作りうると考える。
政治的信条にとらわれてはならない。レッテルを張るには、諸君の個性は余りにナイーヴであろう。可能性に満ちた青春の生活の中で、政治は考えねばならない。政治のほかにも切実な問題はいろいろあるし、また新しく起ってくるだろう。全く個人的な問題もあるはずである。
それらに対して、一人で立ち向かう勇気を持つべきであるが、身近にともに語る幾人かの友がおれば、どんなに力強いだろう。これからの青春は恋だけではなく、友情に彩られる時期でもあると思う。
※若干の表記の手直しを行った。
高野悦子は自己紹介でアンケートの「1.(ニックネーム)」以外に回答している。
高野悦子 部落研
2.(生年月日)昭和24年1月2日
3.(現住所)京都市東山区山科御陵鳥向町 青雲寮
4.(帰省先)栃木県那須郡西那須野町扇町
5.(好きな異性のタイプ)明るい人
6.(京都で一番行きたい所)どこでも歩いてみたいです
7.(好きな食べ物)からいカレーとはるさめとピーマン以外のものはなんでも好きです
8.(将来の希望)特別にありません。これから考えます
9.(大学で何をすべきか)自分の生き方にある方向性をもつためにいろいろなことをしたい
10.(自分自身のこと)明るい性格で少しぬけているところがあります。
「名簿」には出身県別一覧図が付表として掲載されている。それによると出身都道府県で人数が多いのは、大阪18、愛知・京都8、東京・兵庫・広島5、岡山・福岡4の順になっている。
植物園前電停─京都市電北大路線・河原町線─河原町三条電停
喫茶店「ロマン」で浦辺さんがウェイトレスを見て、
ロマン
ロマン三条店は京都市中京区河原町通三条下ル一筋目東入ルにあった喫茶店である。ロマンは京都市内に数店あった喫茶店チェーン。
いち早くカラーテレビを店内に設置するなど先進的な店づくりをしていたという。
建物は現存せず、現在は飲食店になっている。
浦辺さんは立命館大学文学部史学科日本史学専攻の同級生の男子。
新装版初版では、「浦辺さん」が「渡辺さん」になっている(「二十歳の原点序章[新装版]」(カンゼン、2009年)が、誤字である。
葵祭─古代の貧しきものと富めるもの、現代の貧しきものと富めるものが実際に目の前で奇妙に交差していた。
葵祭(あおいまつり)は京都三大祭りの一つとして毎年5月15日に行なわれる、王朝風俗を伝える貴族の祭である。
5月15日(月)、祭列は午前10時、京都御所を出発。烏丸通を南下、御池通を東進。ここから寺町通北上、広小路通から立命館大学広小路キャンパスの正門前を通って河原町通に出て、正午、下鴨神社に着いた後、北大路通を通って、上賀茂神社に到着した
「しかしこれは祭とよんでいても、特徴的な部分は宮廷から賀茂社に発遣される勅使の行列である。それはむかしから車をつらね桟敷をつくって鑑賞されたものであったが、あんがい京都の人々には感激がうすいのである」
(林屋辰三郎「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))。
祭列は当時、植物園前電停の西にある北大路橋を午後3時25分に通過するため、高野悦子はこの時刻前後に北大路通付近で行列を目撃した可能性が高いとみられる。