高野悦子「二十歳の原点」案内 › 序章1967年4-5月 ›
1967年 4月15日(土)
雨 統一地方選挙日
京都:雨・最高10.9℃最低7.2℃。朝から一日中雨だった。
統一地方選挙では焦点の東京都知事選挙で、無所属で社会・共産推薦の美濃部亮吉(63)が初当選した。
日本史専攻の上級回生中心となって開いた茶話会に一時から出席した。場所は有心館近くの何とかいうお寺だった。
有心館は、立命館大学広小路キャンパスを構成する校舎の一つ。1961年3月完成、梨木神社北側の京都市上京区寺町通広小路上ルにあり、主に外国語の講義が行われる教室だった。名称は「詩経」小雅・巧言の「他人有心、予忖度之」に由来する。現在はマンションが建っている。
何とかいうお寺は、清浄華院である。
清浄華院
清浄華院(しょうじょうけいん)は、京都市上京区寺町通広小路上ルにある寺院(上記地図参考)。
浄土宗京都4カ本山の一つで、860年に円仁(慈覚大師)が創建した。名前は「浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所」という意味である。現在地に移ったのは天正年間(1573~92)。
江戸時代にたびたび火災に遭っており、現在の建物は寛政年間(1789~1801)以降のものである。寺町通の総門から入ると、境内には御影堂(大殿)、大方丈、不動堂などが並んでいる。
「ヘソを見せてお互いにつきあおう」とか、
上級回生ともなるとああも貫禄がでてくるものかと思った。
日本史専攻新入生歓迎茶話会
日本史専攻の新入生歓迎茶話会は、清浄華院の境内の南東奥にある小方丈の座敷で開かれた。
小方丈(こほうじょう)は寺の生活空間で、近年まで寺務所もここにあった。木造で式台のある玄関が設けられ、広い座敷がある。
茶話会の様子は撮影されていた。本ホームページではその貴重な写真を入手した。
新入生の高野悦子は座敷の隅でうつむき気味に座っている。周囲には2年生が目立つ。
茶話会の幹事役だった中村大蔵(当時3年生)がスーツ姿で写っている。中村は「ヘソを見せてお互いにつきあおう」と話したのは自分であると証言している。47年目にして日記の記述が写真で裏付けられた形になる。
寺務所によると、茶話会の会場となった小方丈の座敷では立命館大学広小路キャンパスが移転後も立命能の練習が行われたという。
ふすまなどは替えられているが基本的に当時の姿をとどめている。
証言08☞
元・立命大文闘委リーダー・中村大蔵氏「静かにほほえんでいた彼女」
河原町今出川あたりの喫茶店で八時ごろまでいろいろと話をした。
先輩の話だと岩波新書を三日に一冊位ずつ読んでいくべきだといった。
岩波新書(岩波書店)は当時、新刊1冊150円。
これについて、話をした男性(当時日本史学専攻3年生)は「実際には3日に1冊なんて読んでいなかった。先輩面をして新入生の前でいい格好をしたかったんだと思う」と回想している。
三条大橋を渡りながら、雨にぬれて黒く光っている橋のらんかんを、そしてそこを流れる賀茂川の水を見ながら、
河原町三条から京阪・三条駅に向うために三条通を東へ歩き、三条大橋南側を渡った。通学ルートの一部である。
この地点を流れるのは賀茂川ではなく、鴨川である。なお当時は、川の左岸(写真左)の地上を京阪本線が走っていた。
「三条大橋は、天正18年(1590)豊臣秀吉が増田長盛を奉行として造立させたもので、今もなおその旨を刻した擬宝珠が、欄干を飾っている。架橋としては、はやく四条橋・五条橋の方があったが、三条大橋は日本の石柱橋の濫觴であるといわれ、たちまち京の街道の道標ともなったのである」
(林屋辰三郎「京都」岩波新書(岩波書店、1962年))。