二十歳の原点序章(昭和41年)
高野悦子「二十歳の原点」案内 › 宇都宮で ›
受験②
1967年 3月10日(金)
曇
宇都宮:曇・最低2.8℃最高11.1℃。
十七日 十五時ごろ父がきて下宿を引き払う。
下宿(中島さん宅)☞宇都宮で1966年①
十八日 父と東京へ行く。国学院大の願書を出す。
願書を国学院大学(現・国学院大学渋谷キャンパス)窓口に直接出したのは、2月18日(土)が国学院大学文学部の出願受付最終日だったためである。
試験場(法政)の下検分。
高野悦子は結局、立命館大学、立教大学、国学院大学、明治大学の4つの大学を受験した。
入試での選択はいずれも、国語(現代国語・古典乙Ⅰ、ただし国学院大学のみ古典乙Ⅱが加わる)、社会(日本史)、外国語(英語B)の3教科3科目である。私立大学文系の科目選択としては最も多いパターンだった。
各大学の入試の配点と必要な偏差値(3科目平均)は以下の通り(『旺文社40万人模試による大学合格可能性ガイド─第2志望決定への最新資料』「螢雪時代’67年2月号第3付録」(旺文社、1967年)参考)。
大学・学部・学科 |
配点 |
合格ライン(75%) |
ボーダー(50%) |
立命館大学文学部史学科 |
国100社100外100 |
※61.7 |
※55.0 |
立教大学文学部史学科 |
国100社100外150 |
65.0 |
58.3 |
国学院大学文学部史学科 |
国100社100外100 |
55.0 |
50.0 |
明治大学文学部史学地理学科 |
国100社100外100 |
56.7 |
53.3 |
※立命館大学文学部史学科は専攻別募集であり、高野悦子が受験する日本史学専攻はこの平均値よりも難易度が高い。
立命館大学と立教大学が“本命”受験先であり、明治大学が第2志望、国学院大学は第3志望である。
十九日 立命館大試験 三〇三八二 法政大五階 八五七教室
法政大学 58年館5階 857教室
高野悦子は2月19日(日)、立命館大学文学部史学科日本史学専攻を東京・千代田区富士見町(現・富士見二丁目)の法政大学富士見町本校(現・市ヶ谷キャンパス)で受験した。2月19日の東京:晴・最低-0.9℃最高9.9℃。快晴だった。
10:00-10:15 |
10:15-11:35 |
13:00-14:20 |
14:50-16:10 |
説明・問題配布 |
選択科目(日本史) |
英語
|
国語
|
受験場である58年館5階の857教室は現存している。58年館は1958年完成で、一体となっている55年館とともに法政大学を代表する校舎の一つであり、教室と学部事務室などになっている。
法政大学は2014年春から58年館の建て替え工事を始めることにしており、新校舎完成後には解体される。
二十三日 立教大試験 文Ⅱ 一七二七
2月23日(木)、立教大学文学部(Ⅱ類)史学科を東京・豊島区西池袋の立教大学(現・立教大学池袋キャンパス)で受験した。当時の立教大学文学部ではⅠ類(英米文学科、日本文学科、心理学科)とⅡ類(史学科、教育学科、フランス文学科、ドイツ文学科、キリスト教学科)で試験日が分かれていた。
09:30-10:30 |
11:00-12:30 |
14:00-15:00 |
社会(日本史) |
英語
|
国語
|
二十五日 国学院大試験 国学院高校にて 一六七七
2月25日(土)、国学院大学史学科日本史専攻を東京・渋谷区神宮前の国学院高等学校で受験した。
試験時間は国語60分、社会60分、外国語60分。
二十七日 明治入試 和泉校舎 七七七六
2月27日(月)、明治大学文学部史学地理学科日本史専攻を東京・杉並区和泉町(現・永福一丁目)の明治大学和泉校舎で受験した。
試験時間は国語60分、社会60分、外国語90分。