「二十歳の原点」(昭和44年)
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「はたちの原点」か「にじゅっさいの原点」か
本のタイトル「二十歳の原点」の読み方について話題になることがある。
このうち“原点”については「げんてん」以外に読み方がないので議論の余地がない。“二十歳”の方をどう読むかである。
最新の刊行である高野悦子「二十歳の原点」[新装版](カンゼン、2009年)(新装版と呼ぶ)の奥付では、タイトルにふりがなが添えられていない。
奥付でタイトルにふりがなを添えなければいけない決まりはないので、方針次第となる。
新装版は以下で紹介する1971年の単行本を元にしているが、文字組みを横書きに改訂しているため、本文の一節は「これが私の20歳の原点である」とアラビア数字に改められている。
一方、同時に現在も刊行中である高野悦子「二十歳の原点」新潮文庫(新潮社、1979年)(文庫版と呼ぶ)の奥付では、タイトルにふりがな「にじゅっさい」が添えられている。
新潮文庫は奥付でタイトルにふりがなを添えるのが原則となっているが、この「新潮文庫の文字表記については、なるべく原文を尊重するという見地」(『文字づかいについて』高野悦子「二十歳の原点」新潮文庫(新潮社、1979年))に立っている。
文庫版をもってすれば、「にじゅっさい」が正しくて「はたち」は誤りということになる。ここで話が終わる場合が多い。
ではなぜ「にじゅっさい」なのだろうか。どうして「はたち」と読む人が多いのか。「はたちの原点」は誤りなのだろうか。
そもそも日記の出版にあたり、「二十歳の原点」というタイトルが付いたのは、ベストセラーとなった高野悦子「二十歳の原点」(新潮社、1971年)(単行本と呼ぶ)だった。
しかし単行本の奥付にはタイトルにふりがながふられていない。発売当時の書籍広告等にもふりがなはない。
ここで「書名「二十歳の原点」は文中の言葉に拠った」(新潮社編集部『*読者へ』高野悦子「二十歳の原点」(新潮社、1971年))とされている。「文中の言葉」とはもちろん以下を指す。
1969年 1月15日(水)
「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。
この一節だが、単行本が底本としている『高野悦子さんの手記』「那須文学第9号」(那須文学社、1970年)(那須文学社版と呼ぶ) の本文では「これが私の二〇才の原点である」(『高野悦子さんの手記』「那須文学第9号」(那須文学社、1970年))となっている。
単行本になって二○→二十、才→歳に表記が変えられた。
実はこの数字と単位の表記については、どちらかに統一しなければいけないという基準がなく、ケースバイケースになっている。
たとえば本ホームページが準拠している「NHK漢字表記辞典」(NHK放送文化研究所、2011年)によれば、「「年齢」「…歳」に限り、表などでは「年齢」「…才」と書いてもよい」「縦書きの場合
数字は原則として漢数字を用いる」(『ことばの表記について』「NHK漢字表記辞典」(NHK放送文化研究所、2011年)としていて、用いる漢数字の例に「一〇 あるいは 十」「一五一 あるいは 百五十一」と示されている。これらは放送の視聴者がわかりやすいという立場に立ったものである。
これに対して大手出版社では縦書きの漢字仮名交じり文で漢数字を用いて数を書き表す場合、著者の意図や指定がなければ、この年齢は「二〇才」ではなく「二十歳」と書き改めるのが普通である。新潮社もこの例に沿って那須文学版の表記を改めたと言える。
なお那須文学社版は見出し頁では横書きで「それが私の20才の原点である」としている。しかし、これは単行本の「文中の言葉」にはあたらない。
さかのぼって実際の日記はどうか。
横書きで、当該一節の原文は「これが私の20才の原点である」とみられている。ちなみに日記の原文で用いられている数字の大半はアラビア数字である。
一般に横書きのアラビア数字を用いて“20才”と書かれていると「はたち」ではなく「にじゅっさい」と読む方向が強いと言える。ただし「はたち」と読むこともありうる。
では突き詰めて、この“20才”を著者である高野悦子本人は「はたち」として書いたのか「にじゅっさい」として書いたのか。
これを知る人はいない。
あえて読者が日記の記述中に手がかりを見つけるなら、以下の記述だろう。
1969年 4月 6日(土)
コノハタチノ タバコヲスイ オサケヲノム ミエッパリノ アマエンボーノ オンナノコハ
「ハタチ」を使っている。
ただ、ここはカタカナ使用に重点があり、そうすると「ニジュッサイ」とは書きにくいうえ、喫煙・飲酒という成人特有の行動に言葉がかかっている。
カタカナの「ニジュッサイ」や、ひらがなの「にじゅっさい」は日記の原文には登場しない。
一方で読者による“二十歳の原点”の読み方が正確に調べられたことはない。
しかし本ホームページ編集人が取材した高野悦子の当時の関係者に限ると、ほとんどが「はたちのげんてん」と呼んでいる。
関係者のほとんどは単行本の時点で入手して目を通している。単行本の初版は1971年で、高野悦子と同学年の人だと22歳か23歳の時に出ていることになる。その際に奥付にふりがなのない“二十歳”を「はたち」と読んだり聞いたりして、そのままその読み方が続いていると考えられる。
父・高野三郎の読み方をはっきり覚えている人は見つかっていない。
ただ読者には「はたち」「にじゅっさい」のどちらでもかまわない、一方が正しくて他方が誤りということではない、というスタンスを取っていたことははっきりしている。母・高野アイも同じだ。
本の内容をどのように受け止めるかを読者に委ねたいという基本姿勢の表れである。親の読み方がそもそも決め手にならないということもある。
ここまでまとめると現在のところ、“二十歳”の読み方については、出版社では「にじゅっさい」に定め、日記の原文もその方向が強いが、「はたち」を誤りとは言い切れず、実際にそう読む人が多かったということになるだろう。
それでも文庫版において、どのような判断によって「にじゅっさい」とふりがなをふったかという詳細なプロセスについては解明が残っている。ただしそれが解明されても、実質的な結論は変わらない。
この点について「高野悦子『二十歳の原点』の新潮文庫版には「にじゅっさいのげんてん」とルビが振ってある。「はたちのげんてん」だと思っている人もいるだろうが、「にじっさい」が正しい」(小谷野敦『気持ちの悪い日本語』「頭の悪い日本語」新潮新書(新潮社、2014年))という指摘があるが、作品名は読み方を含めて固有のものであって一般論でなぜ正しいと言い切れるのか論拠がはっきりしない。なお「NHK漢字表記辞典」(NHK放送文化研究所、2011年)では「二十歳」を「「はたち」と読むことも、「十」を「じゅっ」と読むことも許容している。