最新情報
- 2016年01月09日
- URLをhttp://www.takanoetsuko.com/に移行しました。この機会にリンクなどの設定や変更をいただければ幸いです。
- 2015年12月28日
- 二十歳の原点序章1967年5月16日に「日本史クラス1回生「名簿」と自己紹介」を追記しました。
- 2015年12月26日
- 1969年3月16日「京都国際ホテル」に写真を追加しました。
- 2015年11月14日
- 宇都宮で1965年に「生徒会誌」を追記しました。
- 2015年11月03日
- 1969年4月17日に「従業員食堂」「地下1階平面図」を追記しました。
- 2015年10月12日
- 1968年1月2日「小紋を着た写真」を掲載しました。
- 2015年09月08日
- 京都駅スナップ写真を序章1967年6月4日に、ギターの写真を宇都宮で受験Bにそれぞれ追加しました。
- 2015年08月26日
- 1969年5月8日に高野悦子のスキー道具(実物)を追加しました。関係者が保管していた貴重な遺品です。謹んで紹介します。
- 2015年08月11日
- 1967年12月3日「十二・八不戦の集い」を掲載しました。
- 2015年08月04日
- 西那須野で1964年に「マシンブックス」を加筆しました。
- 2015年07月20日
- 1962年「中学2年生の時の作品」を掲載しました。ノート以前、今まで知られていなかった詩、読書感想文、俳句です。
はしがき
本ホームページは、高野悦子著「二十歳の原点」についての研究です。
同書は1970年代を代表するベストセラーの一つであるとともに、わかりやすく親しみやすい女子学生の文章から、現在もかなりの読者が存在しています。玉石混交ではありますが扱うサイトやブログもすでにあり、それらをご覧になっている方もいらっしゃると思います。
しかし本ホームページは、それらサイトやブログの大半とは趣きを大きく異にしています。最大の違いは、本ホームページでは「二十歳の原点」の記述や登場する事実、背後関係について可能な限りの確認を行った点です。
そして自分で書くのもおこがましいですが、確認はかなり高いレベルで行いました。歳月の経過はあまりに大きく、その作業は結果的に困難かつ膨大でした。
このため従来の一部サイトやブログの内容の説明と食い違う部分があるのはもとより、同書の記述自体と事実関係との相違を指摘したところもあります。
多くの方にとって、これまで同書を読んでいてわからなかった点や、あるいは知りたかった点を理解する参考になると信じています。
なお非営利目的とはいえ、著作権尊重の観点から文章や写真等の引用等は最小限にとどめました。引用元は明記してありますので、本ホームページをご覧になった方がご自身で原文等にあたられることを希望します。タイトルに「案内」と名付けたのもそのためです。
もし本ホームページによって、「二十歳の原点」に残した高野悦子さんの軌跡と、それを公表した故・高野三郎氏の思いが末永く伝わる一助になれば、編集人の望外の幸せです。
おしまいに本ホームページにはたくさんの方のご協力をいただきました。とくに取材を重ねた京都の方々には、貴重な時間を使って親切に対応していただきました。改めてここに感謝いたします。
2012年10月 東京・中目黒で 編集人 N. Kitamoto
一年にあたって
高野悦子「二十歳の原点」案内の開始から一年がたちました。
この間、予想を超える多数の皆さまにご覧いただくことができました。励ましのメールや鋭いご指摘のメールもたくさん届きました。誠にありがとうございます。
また全国各地の取材・調査で多数の方々に惜しみないご協力をいただきました。高野悦子さんの生前のご人徳によるものと思いますが、ご協力がなければ本ホームページは成り立ちませんでした。ここに改めて感謝いたします。
私事になりますが、ことし2月に母が、8月に父が他界しました。編集人はホームページご覧の方の想像より年齢が低く、まさかこの歳で両親とも失うとは思いもしませんでした。命の大切さ、尊さを身にしみて感じました。
大変恐縮ですが、これに伴って─もともと会社勤めのかたわらという制約はありましたが─執筆作業が遅れております。尽力しておりますが、取材した内容の一部は掲載までかなりのお時間をいただいていることをお許しください。
その一方で取材をさらに急いで進めることにしています。
関係者が高齢化しています。たとえば、これまでの取材で、高野悦子さんと同じく1967年春に立命館大学文学部史学科日本史学専攻に入学した105人のうち10人以上がすでに亡くなっていることがわかりました。その中には、日記の記述に登場する人物が複数含まれているほか、最近亡くなったばかりの方も目立ちます。
今、少し思い上がりかもしれませんが、二十歳の原点の現在の読者はもちろん、将来の読者から「どうしてあの時にできるかぎり取材をした人はいなかったんだ」と言われることのないようにしたいと考えています。
今後もあたたかいご支援をいただければ幸いです。
2013年10月 東京・中目黒で 編集人 N. Kitamoto