離脱僧の行状
知恵ノート①:日蓮正宗 - 平成4年3月30日の非教師指導会
平成4年3月30日・31日の両日、総本山において、修行中の僧侶に対する指導会である「非教師指導会」が、例年のごとく開催され、「お目通り」が、30日の夜7時から大坊対面所で執り行なわれた。
その席上、かねて学会と癒着してきた「日蓮正宗青年僧侶改革同盟」と自称する5名の非教師(菅原雄政、松岡雄茂、植松雄増、山口雄在、大塚雄能)が、突然(といっても、彼等にとっては計画どおりの行動だったが)、、本宗の僧侶とは思えない暴挙に出たのである。下劣不遜な態度をもって、当時の御法主日顕上人の御前に、『離山の書』と称する1通の書面を差し出し、逃走したのである。
その場には、約150名の非教師僧侶がいたが、その中で、わずか5名の彼等の顔は、自分達の「反乱」という異常行動によって、ある者は青ざめ、ある者は真っ赤になり、ある者は震えるなど、その内心の動揺は惨めなほどであった。彼等のありさまは、直後に『聖教新聞』や『創価新報』に報じられたような、格好のよいものではなかったのである。
当日の模様はこうである。対面所にお出ましになられた日顕上人は、全国末寺から登山してきた、元気な弟子達を御覧になり、温かい慈愛に満ちた御顔と御振る舞いで臨まれていた。
お目通りでは、1人1人が「某寺在勤、某です」と御挨拶申し上げるのだが、菅原雄政は御挨拶した後に日顕上人の御前まで進み出たのである。
常日頃より日顕上人は、「意見のある者、質問したい者は、遠慮なく言ってきなさい」と仰せられていた。菅原雄政が前へ進み出た時も、日顕上人の御様子は、慈愛あふれる御顔を変えられることはなかったが、菅原の態度は、およそ「諫言」どころか、お世辞にも立派とは言えないもので、立ったまま、震える声で何事かを言い始めたのである。
ところが『創価新報』の手にかかると、その様子は、「水を打ったように静まり返った場内に凛(りん)とした声が響き渡った」となるから呆れてしまう。
しかして、立ったままで発言し始めた菅原に対し、日顕上人は、「そういう時は、座って言うものだよ」とまで、優しく語りかけられた。菅原が戯言を言いだしても、日顕上人は微動だにもなされず、にこやかに言い分を聴こうとされていた。
この時、異常な様子の菅原に、駒井専道御仲居(当時)が、「雄政止めなさい」との言を発した。すると、菅原の味方の植松雄増が、駒井御仲居に対して、「黙れ駒専!悪いのはお前だ!」との怒鳴り声を上げたため、事態は一変して、その場は騒然となった。
一方、タイミングを逸してしまった松岡雄茂は、この騒ぎの中で、執拗に自分の文書『決別の手紙』を手に進み出ようとしたが、周りから阻止され、動転した松岡は、必死に逃走してしまった。
この間、日顕上人は微動だにされることなく、事態を静観しておられた。ただ一言「暴力は止めなさい」と御注意なされただけである。
まもなく、御仲居の「外へ出しなさい」の言により、菅原とその一派は対面所から外へ退出させられた。
日顕上人は、まったく驚かれた御様子もなく、直ちに優しい御声で、「はい、みんな座りなさい」と、一同に平静に戻るよう諭された。そして、「今出たのは何人かな」と仰せられて人数を確認された後、まったく何事もなかったかのように、御目通りが続けられたのである。
その中で日顕上人は、"今日、このような行動をとった者も含め、宗門から離れていった元僧侶についても、まことに気の毒であり、その哀れな姿に憐愍の情を禁じ得ぬ"との御心情を述べられた。
したがって、この日の模様は、菅原達が後に『創価新報』等の紙上で、嘯いているような、"格好のよいもの"では全くなく、特に日顕上人におかれては、終始一貫して悠然とした御振る舞いであらせられ、師匠として全ての弟子に対し、どこまでも温かく教導なされようとされていたのである。
また、彼等が格好をつけて言う"「日顕、悪いのはお前だ!」と一喝した"などという話は、全くの作り話である。実際には、植松雄増が駒井御仲居に怒鳴り声を上げただけのことであって、こうしたデタラメな作り話を池田大作に報告して、これをまた池田が喜んで吹聴していたのだから哀れなものである。
こうして彼等は、血脈付法の御法主上人の弟子という尊い資格を、自ら放棄したのであった。
ちなみに自称「日蓮正宗青年僧侶改革同盟」のメンバーとは、『離山の書』によれば、「お目通り」に出席していた前述の5名の他に、前に宗門を離脱出奔していた、渡辺雄悦、岡崎雄直、橋本雄正、土井雄育、大塚法樹の5名を合わせた、計10名の所化達である。
なお、『離山の書』という書名は、2祖日興上人の身延離山に擬したものであろうが、日興上人の身延離山は、戒壇の大御本尊を護持し奉るという大義があるからこそ、意義深いのである。その大御本尊まします総本山から離れて、いったい何の「意義」があるのか。
彼等の行動は、本師日蓮大聖人を裏切り、その師弟子の道、僧道を捨てて、ただ池田邪教と化した創価学会の擁護に走る売僧、いわゆる学会僧に成り下がったことを、公表したにすぎないのである。
このような輩による「宗門改革」など、現実にはありえない言葉だけの遊びであり、笑止の極みである。
知恵ノート②:日顕上人を師匠として得度したのに師敵対の脱落僧に「雄」の字を名乗る資格はない。
平成16年(2004年)12月8日聖教新聞での串岡郵便氏の発言
串岡 仏徳寺の入仏式に話を戻すが、私は、あの入仏式で、太鼓を叩く担当だった。
終わってから、日顕(上人)に呼ばれた。日顕(上人)は、どうも私の太鼓の叩き方が気にくわなかったらしい。「お前は太鼓の叩き方が悪い」といって、怒鳴り散らしたんだ。
松尾 本当に、日顕(上人)というのは、いつでもどこでも怒鳴り散らすんだな(笑い)。
串岡 私の太鼓が〝学会調〝だったのでしょう(笑い)。だから、日顕(上人)のやつは気に入らなかったんだ。
長野 まったく心の狭いやつだな!
同じく山根遊夢氏の発言
藤野 どれほど池田先生が、宗門を真心から守ってこられたか。学会が尽くしたか。
宗門は、その真心を踏みにじった。
山根 先生の真心の御供養といえば、私も思い出すことがあります。私は昭和60年当時、日顕(上人)の「奥番」(=法主の身の回りの仕事をする側近)を務めました。私がいた間だけでも、何かにつけて池田先生から、日顕(上人)に真心の贈り物が届けられていました。
平林 そうですか。
山根 ある時、先生から、立派な鯛や鮃などが届けられました。そのままでは食べら
れませんので、私がさばいて「お造り」にしてあげたことがあります。日顕(上人)は、とても美味しそうに食べていましたよ。
長野 さすがの日顕(上人)も喜んだろうね(笑い)。
松原 日顕(上人)みたいな坊主でも、先生は真心と大誠実で対応された。最大の礼儀を尽く されたんだ。そこまでしてもらっておきながら、日顕(上人)のやつは先生の総講頭を罷免 し、学会を切ったんだ。しかも「計画的に」だ。どれほど卑劣な坊主か!
参考:山根遊夢氏について - 住職をしていた蓮秀寺の講員からの証言
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/2000/558.htm
日蓮正宗の太鼓の叩き方
fsfs2784さんより
リズムじゃないんですかね。
お寺で太鼓をたたかせていただくことがありますが、
どうしても、利き腕だけに力が入って、左手の方が弱くなってしまうことがあります。
あとは、
3分なり5分だとしても、慣れないと、途中でつかれて「スピードが変わる」場合があります。
これは「唱題してる」人にとっても「唱題しにくい」と思います。
練習あるのみ、って感じですが、
・長時間、均等の強さ、リズムで叩く
・なるべく無駄な力をつかわず、しかもある程度以上の強さで叩く
のが、大事なのかな、と、御僧侶の叩き方を見ていると感じます。
性根の腐った師敵対謗法の輩には、御法主上人猊下の慈悲の御教導など拝せようはずもありません。
参考:正信会も基本的に同じです。
http://megalodon.jp/2012-0903-2140-51/jagihashaku.main.jp/shoshinkai/07.htm
創価学会の主張
http://megalodon.jp/2012-0903-2142-31/www.houonsha.co.jp/jiyu/21/729.html
平成6年1月22日唱題行の折の御叱責について言えば、その日の唱題行の開始から終了まで、唱題のマイクと御法主上人猊下をはじめとする全員の唱和とが全く一致しておらず、参加者全員が非常に唱えづらかったのである。終始そのようなマイクであったことに対して、「何故もう少し丁寧に題目を唱えないのか、マイクは全員の唱和をリードする役目である。もっと真剣に唱えなさい」と御叱責されたものであり、その時にお持ちの中啓で頭を叩かれたことを、出席していた僧侶も信徒全員も拝見している。
中啓は音の大きさの割にはそれほど痛みもなく、敢えて言えば痛いのは、中啓より伝わってくる御法主上人猊下の「しっかりやれ」との大慈悲のお心を感じた我が心なのである。
その時に叱責された所化はすでに教師になっているが、その僧侶からは「御法主上人猊下の御慈悲に感謝している。あの日以来、丁寧にお題目を唱えることを心がけており、唱和で乱れることがなくなった」と聞いている。
とのことです。
自称正信会や創価学会などの異流儀の者たちには、慈悲をもって弟子を育成してくれる師匠が居ないということなのです。
「雄」の字は誰が師匠なのか?
日蓮大聖人も一宗一派を立ち上げる際に「是生房蓮長」の名前を捨てて「日蓮」と名乗ったのです。
「雄」の字の付く僧侶は日顕上人が師匠で一般得度の方が名乗るべき名前のはずで師匠を否定した以上、自分の出家もエセ出家であるはずで脱落した以上、「雄」の字は捨てるべきかと思うのですが。
所化段階で脱落したので改名せず、俗名を名乗り続けている元日蓮正宗僧侶
① 小山市浄圓寺 渡辺雄範氏
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takabon8160/jouenji-toukibo.html
② 夕張市興隆寺 成田雄伴氏
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024599285
創価学会以外にもいる - 放火容疑で逮捕された「雄」の字の元僧侶
脱落僧訪問
この脱落僧は元和歌山県有田市福生寺住職
ここが放火魔の札幌談所だ!しかしここは公営住宅内!?
https://www.youtube.com/watch?v=61WhAkI7GKo