創価学会と栃木県との関わり


ayapanayapan1810さんの質問

創価学会と栃木県との関わりについて宣伝Qさんが質問したらタカボンさんが答えて取り消されました。
差し支えなければタカボンさんにはもう一度答えていただけないでしょうか?

たかぼん8160からの答え

創価学会と栃木県との関わりですか。
ニセ本尊発祥の地であるというのが創価学会と栃木県の関わりと回答いたしました。
栃木県小山市の古刹浄圓寺は平成4年(1992年)11月12日当時の住職成田宣道戸籍上の本名成田匡とともに日蓮正宗から離脱しました。
そして日蓮正宗から破門され御本尊様を会員に付与できなくなった創価学会は成田匡に浄圓寺の本尊を提供するよう求めました。
そして平成5年(1993年)10月1日から享保5年(1720年)に日蓮正宗第26世法主日寛上人が浄圓寺第16代住職行阿闍梨本證坊日證師のために、一機一縁の御本尊を書写し、授与書きを認められ、日證師に授与した本尊を改変して会員に付与するようになりました。
享保5年とは1720年であり徳川吉宗の時代、この時代に創価学会は存在しておりません。
日寛上人は日蓮正宗大石寺の第26世法主であり創価学会とは全く関係はなく、その日寛上人の御本尊を利用して大量にニセ本尊をつくるのは法盗人であります。
また仏法における仏罰も歴然で平成21年(2009年)3月1日成田匡は頓死しております。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130567786


参考資料:平成5年(1993年)5月16日号大白法

浄圓寺の奪還に強固な団結で精進
浄圓寺支部小林邦三郎講頭
私たちが所属していた本如山浄圓寺は七百年近い歴史を有する由緒ある寺院で開基は日尊上人です。
元住職成田宣道は、今から三十年程前に赴任してきました。当時は新進気鋭の良い住職をいただいたと講員一同も喜んでいましたが、元々学会の青年部出身であった故、学会一辺倒で、法華講は邪魔者扱いでした。葬式法事に来ていただいても横柄な態度でどなり散らすことが多く、親戚中の顰蹙を買うのみでした。過去帳を頼んでも二年も三年も書いてくれず、しまいには位牌をなくして戒名が判らなくなったりして大変困りました。
法華講の認証役員についても、御宗門から度々注意をしていただいたにもかかわらず支部結成以来二十年間、一度も改選認証願いをせず今日に至っております。
五十二年路線といわれる学会の教義逸脱問題の時も学会に誤りはないと指導し、御本尊模刻等の大謗法があったことも全く知りませんでした。
今度の学会問題が起きた時、また学会の味方をするであろうと思っていましたら、御講などの席で今度の問題は上の方で起きた問題で皆さんには関係ありませんからと言っておりました。だんだん学会員の御講への出席が減り、平成三年の四月頃には学会の総代をはじめほとんど来なくなりましたので、今度は法華講員を前にして学会を批判するようになりました。
学会が寺院を護らないならば我々法華講員が護るしかないと思い、それなりに努力してきました。寺院に参詣するのは法華講員のみとなったので、今度こそ法華講の面倒を見てくれるものと期待しておりましたが、寺院で唱題会を行っても、言葉一つ掛けてくれませんでした。年一度の支部総会を開催したく住職に相談したところ、総会など必要ない、信徒は寺院に参詣すればそれで良いのだと全く話になりませんでした。
今度の問題は学会が悪いとの言葉を口にしていましたので、まさか宗門離脱するとは思いもしませんでしたが、ただ住職の弟など身内が次々に離脱したとの話を聞き、大丈夫かなとの懸念はありました。しかし、離脱するような素ぶりは全くなく、離脱したときは、まさかと思う半面、遂に来るべきものが来たかという思いもありました。
浄圓寺離脱のことは直ちに信行寺の福田御尊師から支院長様へ、そして本山や教区の寺院にも連絡されました。その晩は指導会を行うので浄圓寺に集合するようにと住職からの連絡を受けており、その指導会での対応についても福田御尊師の指導を受け待機しておりましたら、門は固く閉ざされ、門扉には都合により本日の指導会はとりやめますと掲示しておりました。おそらく当方の動きを察知してとりやめたものと思われます。支院長様の御指示により、急遽対策会を開くべく先代総代の柏瀬宅に集まりました。
その前に支院長様はじめ御僧侶三名、法華講員数名で浄圓寺に行き住職に面談を求めましたが、佐藤という学会員の総代がインターホンで対応し、住職は不在です。いつ帰ってくるか分かりません。と言うので、一応掲示板を写真に収め引き上げました。
当夜の対策会は支院長様はじめ御僧侶方の温かい激励と、今後のことについて種々御指導をいただき、誠に有り難く思いました。講員それぞれが墓地のことや法事のことなど、不安材料は多々ありましたが適切な御指導に、一同不安な心を幾分和ませて帰路につきました。
更に十四日には、宗務院より二人の御僧侶がわざわざおいで下さり、信行寺の本堂において緊急指導会が開かれました。私たち先祖代々の法華講員はまだ力がないので、寺院が乗っ取られたこの大事な局面で分裂すれば、浄圓寺支部は滅亡するのではないかと心配しましたが福田御尊師の浄圓寺奪還のために異体同心に力を合わせてがんばらなければならない。好き勝手を言ってバラバラになれば学会の思う壷にはまることになるとの御指導に新講員の方々も一緒にがんばる決意をされ、講中を離れる人は一人もいませんでした。もちろん離脱僧側につく者は一人もいません。
何事も唱題が根本という指導教師の御指導のもと、各地区で唱題会を行い、更には週一回は信行寺で御住職の導師により総合唱題会を実施。唱題の後は勉強会として、時局に関することなどいろいろなお話もいただいています。
定例の役員会は信行寺において福田御尊師の御出席のもと翌月の行事予定・地区別の活動状況の報告・浄圓寺奪還に関して・理事会の伝達・今後の活動に関することなどが取り決められ、最後に指導教師の御指導をもって終了します。また座談会には福田御尊師が自ら車を運転して必ず出席され、今までとは全く違った雰囲気の中で、種々御指導をいただいており、今まで成田住職から全く無視されてきたので、水を得た魚のごとく喜々として集ってまいります。
去る平成五年四月二十五日には新生浄圓寺支部第一回支部総会と銘打って、信行寺本堂において総会を開催しました。これには我が支部として初めて指導教師に出席いただき、他支部からの来賓の出席も得て盛大に開催できました。この総会において@一致団結して浄圓寺の奪還A御講等寺院参詣の徹底B僧俗和合して折伏目標の早期達成C支部活動の充実強化D各登山会の積極的参加E大白法等の購読推進、以上六項目の方針が発表され、講頭を中心に新たな決意に燃えてがんばることを誓い合いました。なお我が支部は、先祖からの講員が二地区三十一世帯と退会新講員が二地区二十三世帯います。今後の具体的活動として、地区の交流による信心の向上を図ることにしています。先祖からの講員と新講員が、互いに切磋琢磨して、良いところは取り入れ、悪いところは改めながら、より良い支部構築のため精進する決意です。大難おこれば大善きたるの御金言の通り、我が支部は、この度の離脱問題を一つの難と心得、変毒為薬して難を乗り越え、一人ひとりが信心の向上を図り支部発展に邁進することをお誓いするものであります。