ある離脱僧の交通事故死


知恵ノート:消滅した佐賀県多久市の元日蓮正宗寺院希有山大恩寺


希有山大恩寺の概要


所在地


佐賀県多久市南多久町長尾泉4138-1


沿革


* 昭和54年(1979年)12月17日 - 建立、開基は日蓮正宗第67世法主日顕上人。

住職に立原貞道氏が就任

*  平成4年(1992年)4月30日 - 立原貞道氏と大恩寺は日蓮正宗を離脱

立原氏は大恩寺を創価学会に明け渡し、現在創価学会はこれを多久婦人会館として使用している。


元住職立原貞道氏のその後


大恩寺を創価学会に明け渡す以外に創価学会に貢献する手だてはなかったようで、「創価新報」等に掲載された、日蓮正宗からの離脱僧による紙上座談会にも、顔を出したことはありませんでした。


 交通死亡事故を起こす


平成13年(2001年)12月、立原氏は自ら軽自動車を運転して人身事故を起こし、小学1年生(6歳)の男の子を死亡させてしまったのである。
平成13年12月19日付の「佐賀新聞」は、「小1はねられ意識不明の重体」との見出しのもと、買い物帰りの小学生が、信号機のある交差点で立原氏の運転する軽自動車にはねられ、頭などを強く打って意識不明の重体だと報じたが、被害者の小学生は、その1週間後に死亡してしまいました。


最後は交通事故死


平成16年(2004年)10月11日の夕刻、立原貞道氏(82歳)が、自ら運転する軽自動車で電柱に激突、腹などを強く打って死亡したのです。

事故現場の佐賀県佐賀郡富士町内の国道323号線は、片側一車線、道幅は約6メートルで、見通しのよい直線道路。現場にスリップ痕などはなかったといいます。

立原氏の死によって希有山大恩寺は名実ともに消滅しました。

立原氏の冥福を祈るとともに、多久市に新たな日蓮正宗寺院が建立されることを祈ります。


離脱僧による葬儀で父は堕地獄の相に - 長崎県五島市法通院支部講員の証言 - 平成26年9月16日付慧妙


母が突然、肝臓がんで余命1か月半と宣告されました。母はその4か月後、皆の唱題の中で息を引き取ったのですが、ガンの痛みも苦しみもほとんどなく、まさに眠るがごとくの静かな臨終でした。

その当時は創価学会も日蓮正宗の信徒団体でしたから、もちろん、葬儀には日蓮正宗の御僧侶が来てくださいました。

母の相は半眼半口で、本当に柔らかく、数珠をかけるために両手をひもで結んでいたのですが、出棺の時にひもを外すと、また両手がほどけてしまうほどでした。葬儀の後、御僧侶が参列者に「これが成仏の相ですよ」とお話くださり、私もただただ感激いたしました。


 破門後学会葬で悪相を現じた父


平成16年、父が92歳で亡くなり、葬儀を創価学会の友人葬でだすことになりました。

とはいえ、父の生前における社会的な立場(父は松浦町議・市議を通算44年も勤めました)から、僧侶抜きの葬儀など考えられません。「学会幹部の導師ではダメ。僧侶を呼んでくれ」と言ったところ、佐賀県から宗門を離脱した僧(学会僧・立原)が来て、戒名も付けました(破門後の創価学会では「僧侶不要、戒名不要」と教えていたはずなのにいい加減なものです)

しかしいかんせん、ニセ本尊の通夜と葬儀、導師は離脱僧です。

父の遺体の相は、まさしく堕地獄の相でした。

日蓮正宗で葬儀を出した母の時との、あまりの死相の違いに、私はショックを覚えずにはいられませんでした。