知恵ノート:正信会の僧侶の法話は宗門や創価学会の悪口ばっかり


発足当時からそうだったようですね。


正信会の寺にいけば、猊下と学会の悪口ばかり聞かされる。御書よりも週刊誌の記事を教えられるだけで、もういやになった

http://megalodon.jp/2013-0302-1943-38/nonakashin.web.fc2.com/c324.htm


檀徒に愛想を尽かされた秋田県湯沢市の日蓮正宗寺院徳本寺を不法占拠している大久保法済氏


大久保氏は法話で宗門や創価学会の悪口しか言わないのでウンザリしていたと脱会者が証言しています。


正覚山徳本寺の概要


所在地 秋田県湯沢市字両神111

沿革

昭和53年(1978年)6月22日 - 建立

昭和57年(1982年)8月21日 - 初代住職は第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定したため日蓮正宗から破門されたが、今日に至るまで徳本寺の不法占拠を続けている。

兼務住職は湯沢市内に建立された本要寺の御住職様。


 湯沢市の日蓮正宗寺院本要寺に帰伏したHさん


私は、平成13年(2001年)11月15日の目師会のときに勧誡式を受けさせていただきました。
それまでは正信会に箱を置いておりました。正信会にいたときは、いつも「真実は正信会にあり」と指導されておりましたので、私はこの正信会の本尊に不自惜身命の心で一生涯精進させていただこうと、固く決意しておりました。

ところが、いつの頃からか正信会の寺院に足を運ぶたびに、「何かが違う、おかしい。信仰者がここまで言うのか」と思うほど、法話の席が悪口誹謗の場に変質していったのです。
正信会の住職は、「お寺に垢を置いていきなさい」と言うのですが、お寺を出るときには、どっこいしょと垢を背負って家に帰るようでした。
私の中で少しずつ歯車が狂って噛み合わなくなり、不信、疑感がやがて悩み苦しみに変わり、人間不信に陥りました。夜も眠れなくなり、うつ状態になりました。
私は幸福になるために信心していたはずであり、信心のことでこれほど悩み、苦しみ、地獄の日々を送ったことはありませんでした。
このような状態でも「私たちの信心は日蓮正宗総本山大石寺の本門戒壇の大御本尊様が根本ではないか。間違っているのは御法主上人猊下1人だ」と思い込み、20数年も御目通りしていない本門戒壇の大御本尊様を思い浮かべ、一生懸命に唱題しました。
そして平成13年、「いつまでもこのままではいけない。とにかく自分の目で真実を確かめて、すがすがしい気持ちで新年を迎えよう」と決意し、本要寺へ自ら足を運びました。
遠回りしましたが、晴れて法華講員になれました。

でも、御本尊様は有り難いと感激できるのですが、御法上上人猊下に対しては別なのです。頭のなかでは、御本尊様と御法主上人猊下の御内証は一体であり、私たちの修行は、本門戒壇の大御本尊様を根本に時の御法主上人猊下の御内証によって成仏できると判っていても、心が伴わなかったのです。

平成14年(2002年)の御大会に参加したときのことです。秋田の妙華寺の信者さんと、テレビ放映での法要参加のため大講堂の前で待っていたときのことでした。
遠くの方から、澄んだ鈴の音が聞こえてきたのです。「何ですか、この音は」と尋ね、「これは錫杖の音、これから御法主上人猊下の行列がお通りになられる合図ですよ」との答えを聞くか聞かないうちに、私は音のするほうに走っていました。
そして御法主上人猊下のお姿を間近に拝したとき、体が震え、両手を合わせて、「ああ、御法主上人猊下、申し訳ございません、お許しください。いつまでも、お体に気をつけられて御指南ください。おこがましいのですが、少しはお体を休められてください」と心のなかで叫びながら、御法主上人猊下の後ろ姿をお見送り申し上げ、涙が止まりませんでした。


 湯沢市の日蓮正宗寺院本要寺に帰伏したMさん


私は平成17年(2005年)7月、日蓮正宗本要寺の信徒にさせていただきました。それまでは正信会に20数年、在籍していました。
正信会のお寺の行事に足を運ぶと、いつも学会や宗門の悪口ばかりで、離檀する頃には、「またか」とウンザリして、聞いてもいませんでした。
日蓮大聖人の仏法は、広宣流布・折伏が根本なのですが、正信会の住職の口からはそのような言葉をあまり聞いたことがありませんでした。
仏様の教えを説き、導いていく立場の人が、言葉も荒く、人の心を傷つけてしまう。そのような姿を見て、住職の人間性に失望してしまいました。
このようなことは常日頃の有り様でした。

そのような正信会での信仰に、いつの頃からか疑問が生じてきました。お寺に参詣しても何の歓喜もなく、ただ空しさだけが残り、いつも胸の中はすっきりしませんでした。
「果たしてこの信仰は正しいのだろうか」と、常に自分の中で問い質していました。

本要寺の本堂に初めて上がらせていただいたときに、何と空気の澄んでいることか、僧俗が御題目をたくさん唱えているお寺はこんなにも違うものかと驚きました。
私たち家族全員が一様に、心より感じたことでした。
こうして主人と私、息子夫婦、娘母子が今までの謗法を懺悔し勧誡式を受けることができ、同時に弟夫婦は御授戒を受け、皆で晴れて本要寺の信徒になることができました。

話は変わりますが普段は滅多に行くことのないスーパーマーケットで、正信会の人とお会いしました。この方は、ご家族全員で正信会の信仰をしている家の娘さんです。
私たちが正信会をやめたことについて、大久保法済氏は一切他の信者さんには知らせなかったようで、この方も半年間知らなかったと言っていました。
そして、なぜ正信会をやめたのか本当のことが知りたくて、私に会いたいと思っていたということでした。

それから1週間ぐらいして、その娘さんから電話があり、改めてその方の家を訪ねることになりました。

御報恩御講の帰りに訪問し、正信会をやめた理由など諸々のことを話しました。すると自分たちも同じ気持ちでいると言って、正信会への不信をますます募らせていました。
そこで、詳しいことは本要寺の御住職に聞いてくださいと話して帰ってきました。
そしてその2、3日後、正信会をやめるという電話があり、早々に手続きを済ませて正信会を脱会し、平成17年(2005年)11月25日に晴れて本要寺の信徒になられました。今では、ご家族で御講やいろいろな行事に来られています。


 本要寺の正信会不法占拠寺院徳本寺への折伏攻勢続く


本要寺の小竹正素御尊師(当時)は更なる正信会の撲滅のため文書を徳本寺檀徒に配布し、1日も早い日蓮正宗への帰伏を促していて、
文書には

@ 「正信会の僧侶らは二度と日蓮正宗には戻れない」
A 「今のままでは血脈は断絶しています」
B 「徳本寺を速やかに日蓮正宗に返還すべき」
C 「日蓮正宗の法華講として正しい信仰を貫きましょう」


の4点が記されておりますが至極当然のことであります。


 正信会僧侶の説法はいまだに宗門の悪口に終始していてあきあきしています。(正信会問題の沿革106頁)


世間でも「攻撃は最大の防御」と言います。正信会僧侶は、日蓮正宗を批判し続けることによって、あなたが正信会の活動に疑念を持ったり、正信会からの脱会を阻止しようとしているのです。このような卑劣な手法は、創価学会のそれと全く同じです。

日蓮大聖人は爾前経に執着して法華経を誹謗する人々の態度を「天に向かって唾を吐き云々」(日蓮大聖人御書1284頁・常忍抄)と指弾されていますが、まさに多くの信徒を巻き込み、総本山を攻撃している正信会僧侶こそ、来世には誹謗正法の大罪によって無間大城に堕ちることは必定です。

だからといって、あなたは正信会僧侶に責任をなすりつけている場合ではありません。本門戒

檀の大御本尊と唯授一人の血脈を厳護する日蓮正宗を誹謗する正信会に所属し続ける限り、あなたも謗法与同の業因を積んでいることになるからです。

「宗門の悪口に終始していて、あきあきしています」と言うあなたは、正信会の活動に疑念を持たれたのですから、今こそ勇気を出して日蓮正宗の僧侶の話に耳を傾けるべきではないでしょうか。

日蓮大聖人は「今生の恩愛をばすてて、仏法の実の道に入る、是実に恩をしれる人なり」(日蓮大聖人御書401頁・聖愚問答抄)と仰せです。

これまで約30年にわたり、正信会僧侶や檀徒の方々に世話になったとしても、それは今生一時の恩愛に過ぎません。三世にわたる真実の仏恩を感じ、その恩に報いるためにも、今は元同志への情愛やしがらみを捨てて日蓮正宗に再入信し、正しい仏法修行に精進すべきです。


最後に一言


本来は日蓮正宗の寺院である正覚山徳本寺は現在大久保法済が不法占拠・居住しています。
大久保法済は日蓮正宗の僧侶ではなく、徳本寺の住職でもありません。
住職は
本要寺の御住職様が兼務しています。

なお徳本寺については法人としての登記はなく、将来大久保法済が死亡して寺院が返還されても存続する可能性は全くないことをお知らせさせていただきます。


参考資料1:慧妙355号・平成19年10月16日


地涌倍増を目指して 秋田県湯沢市 本要寺
正信会からの脱会相次ぐ!
折伏の連鎖で活気づく講中

本要寺は、秋田県の南部、豪雪と稲庭うどんで有名な湯沢市に所在する。
本要寺の建立は昭和62年12月、法華講は、平成5年6月に結成され、28世帯からのスタートであった。現在の御住職・小竹正素御尊師が、第四代住職として赴任されたのは、平成15年12月である。
同市内には正信会に占拠された寺院があり、そこから脱会した人達もまた、現在の本要寺法華講の中枢を担う人材として活躍している。


 始まった折伏の連鎖
平成17年に入講した三浦幸子さんもその一人である。
三浦さんは、二十数年にわたって正信会に在籍していたが、宗門の悪口に終始する正信会僧の話にウンザリし、耳をふさぐようになっていた。当時のことを次のように語る。
「正信会の寺の住職の話は、法を説くなどということはなく、荒々しい言葉で誹謗中傷を繰り返すばかり。これが人を導くべき立場の人の話かと、その人間性に失望してしまいました。そして、正信会の信仰そのものにも疑問を抱くようになり、『正しい信仰をさせてください』と、毎日祈り続けました」
と、そのような中の平成16年の暮れ、三浦さんは、本要寺・小竹御住職とHさんの訪問を受けたのである。Hさんは正信会時代の友人だったが、その時はすでに、本要寺に所属する法華講員となっていた。
三浦さんは、折伏されて話は分かったものの、これまで宗門批判をさんざん聞かされてきただけに、拒絶反応の気持ちが強く、どうしても素直な心になれなかったという。
しかし、その頑(かたくな)な心を打ち破ったのは、小竹御住職とHさんの二度三度にわたる訪問であった。
そして三浦さんは、初めて折伏されてから半年後の平成17年6月、御主人はもとより、息子さん・娘さん・弟さんのそれぞれの家族、4世帯9名で本要寺の法華講員となったのである。
初めて本要寺を訪れた時の印象を、三浦さんは、次のように語る。
「本堂に入るなり、なんと空気が澄んでいることか、とビックリしました。それまで通っていた正信会の寺とは、空気からして、まるで違っていたのです。正しい信心でお題目をたくさん唱えていると、こうも違ってくるのか、ということを肌身に感じ、ただただ感激でいっぱいでした。」
法華講員となってからの三浦さんは、総本山にも幾度か参詣してきたが、その中でも、「かつて正信会に毒され、血脈に疑問を抱いてしまっていたことを、御法主上人猊下にお詫び申し上げたい気持ちでいっぱいになりました。そして、今までの自分を悔い、心の中でお詫び申し上げました」と語る。
純粋な信心に立ち返った三浦さんは、平成18年11月に、正信会時代の知人である下山さん一家を正しい信心に導き、さらに、その下山さんは平成19年5月に、やはり正信会員であった石成さん夫婦に対する折伏を成就させた。
このように、正信会からの脱会帰伏の連鎖が続き、また、帰伏した皆さんが喜んで信心に励んでいることから、本要寺法華講は、弥(いや)が上にも活気づいたのである。
今、三浦さんは、「自分自身、正信会で生命に刻んでしまった害毒・罪障を、一日も早く消していかなければならないと思いますし、また、今も汚れの中にいる正信会員を一人でも多く、正しい信心に導いていかなければならない、と思っています」 と、爽やかに語る。

 活動を支える原点
さて、こうした本要寺法華講の活動を支えている原点は、何と言っても、小竹御住職の熱意と、「唱題の実践」の督励にある、といえよう。
法華講としては「1日1時間以上の唱題」を合い言葉にし、寺院では、「広布唱題会」はもとより、毎週火曜日と木曜日の唱題会、そして、毎日午前9時からの唱題会も設けている。
また、広布唱題会・御報恩御講・広布推進会を「月の三大行事」と定め、壮年部・婦人部・青年部ごとにそれぞれの結集目標を設定して、参加を推進している。達成できなかった月は、月末の役員会で、各部長を中心に反省会をする。
小竹御住職は、「この目標数を設定しての取り組みを始めてからは、推進する側に使命感と責任感が芽生え、工夫や改善すべき点などが考えやすくなったように思います。もちろん、数だけに追われることのなきよう、参加の意義等、信心活動の本質を常に確認しあっていくことも大切だ、と考えております」と語る。     

 「衣座室の三軌」を体し
折伏活動として、一昨年は、学会員に対し、『折伏教本』を33種類に小分けしたプリントを作成し、週に一度、学会員宅に配布する活動を続けた。
 当然のごとく、学会の幹部達は、それをやめさせようとして、本要寺や法華講員宅に押し掛けてきたが、誰一人として怯(ひる)むことなく、最後の33枚目まで配布し終えたのである。
このプリント配布の活動について、小竹御住職は、「これによる直接的な折伏成果はありませんでしたが、唱題して祈り、たゆまず活動していれば、思いもよらぬところから折伏の縁が出てくる、ということを学ぶことができました」
と語っているが、冒頭に紹介した、三浦さん一族の帰伏から始まる折伏の連鎖も、その功徳によるものだった、といえよう。
昨年からは、大石寺発行のリーフレットや『正しい宗教と信仰』を携え、手分けしての訪問折伏を敢行してきたが、本年は、8世帯の年間折伏目標に対し、今現在、学会からの帰伏や一般からの入信も合わせて、6世帯の折伏成就を見ており、達成は目前まできている。
       
現在、本要寺法華講は78世帯。小竹御住職は、「昨年の年初、日如上人猊下は、『衣座室の三軌』を心得て折伏に臨むべきことを御指南くださいましたが、常にその御指南を身に体し、僧俗和合・異体同心して、まずは本年の折伏目標を達成したいと思います」と、決意を述べられた。     

参考資料2:大白法平成17年9月1日付


染みついた悪業を御登山で消滅
本要寺支部 原田幸子さん


本日は、記念すべき第一回秋田地方部総会、まことにおめでとうございます。
私は、平成13年11月15日の目師会のときに勧誡式を受けさせていただきました。
それまでは正信会に箱を置いておりました。正信会にいたときは、いつも「真実は正信会にあり」と指導されておりましたので、私はこの正信会の本尊に不自惜身命の心で一生涯精進させていただこうと、固く決意しておりました。


正信会に募る不信


ところが、いつの頃からか正信会の寺院に足を運ぶたびに、「何かが違う、おかしい。信仰者がここまで言うのか」と思うほど、法話の席が悪口誹謗の場に変質していったのです。
正信会の住職は、「お寺に垢を置いていきなさい」と言うのですが、お寺を出るときには、どっこいしょと垢を背負って家に帰るようでした。
私の中で少しずつ歯車が狂って噛み合わなくなり、不信、疑感がやがて悩み苦しみに変わり、人間不信に陥りました。夜も眠れなくなり、うつ状態になりました。
私は幸福になるために信心していたはずであり、信心のことでこれほど悩み、苦しみ、地獄の日々を送ったことはありませんでした。
それでも、長年の御法主上人猊下に対する悪口が身に染みついており、日蓮正宗のお寺を訪ねる勇気もありませんでした。
このような状態でも「私たちの信心は日蓮正宗総本山大石寺の本門戒壇の大御本尊様が根本ではないか。間違っているのは御法主上人猊下1人だ」と思い込み、20数年も御目通りしていない本門戒壇の大御本尊様を思い浮かべ、一生懸命に唱題しました。


勧試受けても消えない 御法主上人猊下への悪口


そして平成13年、「いつまでもこのままではいけない。とにかく自分の目で真実を確かめて、すがすがしい気持ちで新年を迎えよう」と決意し、本要寺へ自ら足を運びました。
遠回りしましたが、晴れて法華講員になれました。 また有り難いことに、1週間後の支部総登山に参加させていただけました。感激で有り難くて、ただただ泣けました。
でも、御本尊様は有り難いと感激できるのですが、御法上上人猊下に対しては別なのです。頭のなかでは、御本尊様と御法主上人猊下の御内証は一体であり、私たちの修行は、本門戒壇の大御本尊様を根本に時の御法主上人猊下の御内証によって成仏できると判っていても、心が伴わないのです。
そのようななかでも、月例登山会や初登山会での法華講総講頭の柳沢委員長さんのお話は素直に聞けました。あの小柄なお体からは想像できないはどの生命力あふれる力強い声、穏やかに話されますが厳しくも判りやすく、心に響くのです。そして優しい目でありますが、精一杯、私たちに訴えてお話してくださることに感動いたしました。  
私は法華講員になる2、3年前から、急にしゃがんだり立ったりしたときに、腹部の中央辺りに激痛が走るようになりました。法華講に入ってからは、へそから血のまじった物が、たびたび出るようになりました。もちろん自分の体に不安がありましたが、私はそのとき、病院に行くことよりも、やらなけれはならないことがありました。
それは、フィリピンに赴任された前御住職・山澄信玉御尊師との約束事でした。お発ちになる最後まで気にかけてくださっていた佐藤昭博さんのことです。
山澄御住職とはたった4カ月ほどの期間でしたが、私にとって正しい信心のレールを敷いてくださった御住職でありました。
最後の御座替わりの日、山澄御尊師が車に乗る直前、「原田さん、佐藤さん御夫婦を必ず30万総登山に連れて行ってあげてくださいね」と言われたのです。
私は、山澄御尊師の御恩に報いたいと思い、「はい、任せてください」と言いたかったところですが、「自信はありませんが、私にできることは精一杯がんばらせていただきます」とお約束したのでした。
その日からが自分との闘いでした。30万総登山まで、私にとってはあまりにも時間が短か過ぎました。でも精一杯がんばらなければ、私も一生悔いを残すことになりますし、佐藤さんにも悔いを残させてしまいます。
途中で「だめかな」と弱気になったときもありましたが、そんなときには山澄御尊師のお顔が浮かぶのです。本当に無我夢中で、時間との闘いでした。講中の皆さんも一生懸命に御祈念してくださいました。
そのお陰で、佐藤さんはご夫婦そろって30万総登山にギリギリ間に合って、この意義深い年に入信され、30万総登山に参加させていただきました。
私は、今日できることは今日のうちに、今できることは今するようにしています。そしてできる限り登山させていただこうと思っております。毎月の登山のときも、横手駅前より1人夜行バスに乗ったときから、1分も無駄なく使わせていただこうと心に決めております。
本門戒壇の大御本尊様のお膝元では、御本尊様はいろいろな人との出合いを作ってくださり、様々な体験をさせていただけます。1人ひとりが様々な思いで登山させていただいていることと思いますが、お会いする人が皆生き生きしております。
私もお山にいるときは、煩わしいことをすべて忘れて優しくなれます。本当に大御本尊様のお膝元は、心豊かにしていただける、罪障消滅のできる有り難い場所です。


「御法主上人猊下様 お許しください」


平成14年の御大会に参加したときのことです。秋田の妙華寺の信者さんと、テレビ放映での法要参加のため大講堂の前で待っていたときのことでした。
遠くの方から、澄んだ鈴の音が聞こえてきたのです。「何ですか、この音は」と尋ね、「これは錫杖の音、これから御法主上人猊下の行列がお通りになられる合図ですよ」との答えを聞くか聞かないうちに、私は音のするほうに走っていました。
そして御法主上人猊下のお姿を間近に拝したとき、体が震え、両手を合わせて、「ああ、御法主上人猊下、申し訳ございません、お許しください。いつまでも、お体に気をつけられて御指南ください。おこがましいのですが、少しはお体を休められてください」と心のなかで叫びながら、御法主上人猊下の後ろ姿をお見送り申し上げ、涙が止まりませんでした。
お山に行くと判りますが、御法主上人猊下のスケジュールは分刻みです。いつも、「御法主上人猊下はいつ休まれるのかな」と思っても、心が濁っていたために、素直に出せなかったのです。
御法主上人猊下がお1人ですべての悪口誹謗をお受けあそばされ、命がけで堂々と怯むことなく御指南くださっていることを思い、涙が止まりませんでした。
法華講に1年近くもおりながら、疑いの心を持ち続けたことを恥じました。本当にひたすら耐え忍ばれている御法主上人猊下に巡り合えたことに感謝いたします。そしてまた、誇らしく思います。
そして全法要を終えて、帰りのバスのなかで妙華寺の信者さんに、御法主上人猊下に対する今までの誹謗の気持ちのことをお話しましたら、「あなたは何という心でお山に登山されているのですか。でもしょうがないよね、学会に10年おれば10年、正信会に10年おれは10年、正しい信心をするのに時間がかかるのよ。あなたは何回も何回も登山させていただいた功徳で、早く取り除いてもらえたのよ。よかったね」と言われました。
その日から、御法主上人猊下の御指南を素直に読み、心で受け止められるようになりました。 その前後だと思いますが、気がつくと腹部の痛みはなくなり、出血も止まっておりました。それから二年ほどになりますが、全く痛みはありません。本当に御本尊様に生かされていると感謝しております。
私が法華講に入って実感しておりますことは、思ってもいなかった様々なことが出てきても、先が見えるような気がして冷静に対応でき、前進できることです。
行き詰まったときに大聖人様の、 「烏と虫とはなけどもなみだおちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし」(日蓮大聖人御書諸法実相抄667頁) との御書を拝することで、いくら辛くとも愚癖など出ません。
御本尊様の前に素直に座れることが有り難いのです。 そしてまた、いつも御本尊様の掌に置いていただいて一生懸命に行じておれは、掌から落ちそうになったとき、御本尊様が必ず掌の上に戻してくださると確信しております。
しかし日蓮正宗の信心は、甘くはありません。親であっても子供であっても、代わってあげることはできません。また心が弱ければ、一生涯の信心ですから、持続はできません。
御法主上人猊下は、 「妙法唱題に徹する処、先ず腹がすわります。命の奥に不思議な力が漲ってきます」(大白法平成16年1月1日号 636号)
これからも唱題を重ねて、御法主上人猊下から戴いた御命題に向けて、御住職・小竹正素御尊師の御指導のもと、本要寺という大家族の強い絆に支えられて、「僧俗前進の年」を折伏行に邁進してまいりたいと思います。


参考資料3:「大白法」平成19年9月1日付


悪口ばかりの正信会にウンザリ
本要寺支部・三浦幸子さん


私は平成17年7月、日蓮正宗本要寺の信徒にさせていただきました。それまでは正信会に20数年、在籍していました。
正信会のお寺の行事に足を運ぶと、いつも学会や宗門の悪口ばかりで、離檀する頃には、「またか」とウンザリして、聞いてもいませんでした。
日蓮大聖人の仏法は、広宣流布・折伏が根本なのですが、正信会の住職の口からはそのような言葉をあまり聞いたことがありませんでした。
仏様の教えを説き、導いていく立場の人が、言葉も荒く、人の心を傷つけてしまう。そのような姿を見て、住職の人間性に失望してしまいました。このようなことは常日頃の有り様でした。
そのような正信会での信仰に、いつの頃からか疑問が生じてきました。お寺に参詣しても何の歓喜もなく、ただ空しさだけが残り、いつも胸の中はすっきりしませんでした。
「果たしてこの信仰は正しいのだろうか」と、常に自分の中で問い質していました。朝晩のお勤めの中で、御本尊様に「正しい信仰をさせてください」とお願いする日々が続きました。


正信会と決別家族で決意


そしてある時、以前に正信会の同志だった方が、本要寺の御住職・小竹正素御尊師と一緒に家にみえました。
しかし、私は突然のことでしたので、あまり良い応対をしなかったのです。正信会で20数年の長い年月にわたり、宗門への批判をたくさん聞かされてきたため拒否反応が強く表れてしまい、素直に話を聞くことができなかったのでした。
それでも2度、3度と足を運んでくださったお陰で、私も少しずつ心を開くことができたようでした。
正信会のお寺には私だけでなく、主人、息子夫婦、娘とその子供で行っていましたが、この頃には不思議と家族全員が「正信会のお寺に行きたくない」という気持ちになっていました。
このような機会は、御本尊様からの正しい信仰へのお導きではないかと思い、家族で話し合い、正信会をやめることを決意しました。
その後、あまり間を置かずに、正信会へ離檀届けを郵便で送りました。すると、突然のことで驚いたのか、住職夫妻が家までやってきました。しかし、こちらの質問に対して納得のいく答えは聞けませんでした。


正信会とは違う澄んだ空気の本堂


本要寺でのいろいろな手続きをするため、初めて本堂に上がらせていただいたときに、何と空気の澄んでいることか、僧俗が御題目をたくさん唱えているお寺はこんなにも違うものかと驚きました。
私たち家族全員が一様に、心より感じたことでした。 こうして主人と私、息子夫婦、娘母子が今までの謗法を懺悔し勧誡式を受けることができ、同時に弟夫婦は御授戒を受け、皆で晴れて本要寺の信徒になることができました。
また、元気な頃は正信会に入っていた母も、私たちが離檀するときに一緒に法華講に入らせていただきました。そして昨年の春、桜の花が満開の時、母は92歳の天寿を全うしました。
日蓮正宗で葬儀をすることができ、臨終の相がとてもすばらしく、親孝行ができたことを有り難く思っています。
本要寺に移ってから1年8カ月になりますが、御住職をはじめ、奥様や法華講の皆さんがとてもいい人たちばかりで、楽しく足を運んでいます。
正信会にはなかった和気あいあいの雰囲気の中での行事と、その後の親しみ増す歓談中のお茶の一杯がとてもおいしく感じます。


謗法懺悔の道 正信会員への折伏


話は変わりますが、去年の秋、普段は滅多に行くことのないスーパーマーケットで、正信会の人とお会いしました。この方は、ご家族全員で正信会の信仰をしている家の娘さんです。
私たちが正信会をやめたことについて、一切他の信者さんには知らせなかったようで、この方も半年間知らなかったと言っていました。
そして、なぜ正信会をやめたのか本当のことが知りたくて、私に会いたいと思っていたということでした。 その時は店の中でもあり、あまり時間もなかったので、おおざっぱに話をして別れました。
それから1週間ぐらいして、その娘さんから電話があり、改めてその方の家を訪ねることになりました。
11月の御報恩御講の帰りに訪問し、正信会をやめた理由など諸々のことを話しました。すると自分たちも同じ気持ちでいると言って、正信会への不信をますます募らせていました。
そこで、詳しいことは本要寺の御住職に聞いてくださいと話して帰ってきました。 そしてその2、3日後、正信会をやめるという電話があり、早々に手続きを済ませて正信会を脱会し、11月25日に晴れて本要寺の信徒になられました。今では、ご家族で御講やいろいろな行事に来られています。
私も本要寺に移ってから、総本山に何回か参詣させていただきましたが、御隠尊日顕上人猊下には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。そして今までのことを悔い、心の中でお詫び申し上げました。
正信会の害毒に冒されていた私は、1日も早くその汚れを落とさなければなりません。そして今もなお汚れの中にいる正信会の人々を、1人でも多く正しい信仰である日蓮正宗に導いていきたいと思っています。  
来たる平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年の大佳節に向けて、御住職の御指導のもと、佐藤講頭さんを中心に、本要寺の皆様に支えられながら、「地涌倍増」と「大結集」のために、自分にできる唱題と折伏をたゆまず実践し、努力していくことをお誓い申し上げ、私の体験発表とさせていただきます。ありがとうございました。