顔から火が出るほど恥ずかしかろう!
知恵ノート:日顕上人の法主としての地位を否定できない正信会僧侶 E 元応身寺住職荻原昭謙 - 顔から火が出るほど恥ずかしくはないのか!より
昭和54年8月の第三回全国檀徒大会の場で、
荻原昭謙本人の「諸注意」としての発言として、
「血脈相承の問題、又、おそれ多くも御法主上人猊下に及び奉ることがらを得意になって云々している記事が目につきました。私ども指導教師といたしまして顔から火が出るほど恥ずかしく、又、大変なさけない思いをいたしました。これはもはや檀徒でもなければ信徒でもありません。」
と自分で言ってしまっていますので、
「血脈相承の問題を得意になって語る」ような団体である正信会にいるのは荻原昭謙自身が「顔から火が出るほど恥ずかし」かろう!ということです。
応身寺(静岡県藤枝市瀬戸新屋415-7)は現在も荻原昭謙が不法占拠・居住しています。
荻原昭謙は日蓮正宗の僧侶ではなく、応身寺の住職でもありません。
応身寺の住職は静岡県焼津市の法音院の御主管様が兼務しています。
荻原昭謙の「諸注意」
参考資料:第三回 日蓮正宗全国檀徒総会紀要 於・昭和54年8月25・26日
『諸 注 意』 静岡県 応身寺住職 荻原昭謙
第三回全国檀徒総会まことにおめでとうごぎいます。御法主日顕上人猊下の大きな御慈悲によりまして、かくも盛大に第三回全国檀徒総会が開催できましたことをまずもって厚く厚く御礼合掌申し上げます。
毎年の総会、毎月の登山会、これが無事故で行なわれるにつきましては、檀徒登山センターの諸大徳の方々、本山メンバーの諸大徳の方々、さらに整理班の方々の並々ならぬかげのご苦労があってこそ諸行事が進み、スケジュールどおり無事に運行されているのでごぎいます。
皆さん方も一度その役をやってみなければわからないほど大変なご苦労で、まさに徹夜でこのスケジュールを練りあげ、お弁当のことから何から何まで、いろいろとご心配いただいておるのでございます。
何をおきましても、私どもはご登山させていただき、御戒壇様の宿坊にお泊めいただいて、猊下の御慈悲によりますところのお食事を頂戴し、御戒壇様、大聖人様にお目通りさせていただく、これ全て大慈大悲のたまものであることを忘れてはなりません。まずもって歓喜・報恩謝徳の信心の行体のご登山でなければならないと思うのでございます。
登山会は、決して物見遊山ではごぎいません。勝手な振舞いや言動があってはなりません。阿仏房が九十余の齢(よわい)をもちまして大聖人のおんもとにご登山し、数日間お仕え申し上げた、あの信心・精神なくしては、たとえ形の上では御戒壇様にお目通り申し上げても、御法魂・御命には孝目通りのかなわぬ者であるということを肝に銘じていただきたいのでございます。
これが信心の基本であり、又、全てに通ずることでございます。どうかこの精神より信心の第一歩を始めていただきたいのでございます。
ご指名によりまして諸注意と申しますか、少々お話を述べさせていただきます。
まずはじめに、最近某週刊誌に某檀徒の発言といたしまして、血脈相承の問題、又、おそれ多くも御法主上人猊下に及び奉ることがらを得意になって云々している記事が目につきました。私ども指導教師といたしまして顔から火が出るほど恥ずかしく、又、大変なさけない思いをいたしました。これはもはや檀徒でもなければ信徒でもありません。
さきほどよりの皆々様のお話と重複いたしますが、当宗の信仰は、御戒壇様と血脈相承の御法体に止まるのでございます。御戒壇様、大聖人様の人法一箇の御法体を血脈相承遊ばす御法主、代々の上人を悉く大聖人と拝し奉り、その御内証・御法体を御書写遊ばされたる御本尊に南無し奉るのでございます。
当宗の信心は、本師・手続の師・弟子という「師弟子を正して仏になる法門にて候なり」でございます。これがわからずしては大聖人の仏法を正しく頂戴することは全くできません。どうか詳しく末寺の指導教師より指導を受けていただきたいと思います。何のために正しい信心のあり方、本来の信心のあり方を求めて檀徒となられたか、わかっておらない。
今後もし個人的にこの様な言動をする人は、指導教師の責任におきまして厳しく対処いたしてまいりますのでご了承願いたいと存じます。
皆様方のなかには、ただ学会を抜けて檀徒になった。ただ指導の道が学会から僧侶に替わっただけと簡単にお考えになっている方があるようでごぎいますが、この運動はそんな生やさしいものでは決してございません。
大聖人の正義を厳護し奉り、尽未来際までの一切衆生の成仏の直道を命をかけて守る一人一人が、くしき因縁の上に、大聖人の御命を頂戴いたしました大仏事にお加えいただいておるのでございます。我が身の信心と大果報を、今一度確めて身をひきしめて正信をまっとうして下さい。
時によりて御奉公の道はあり、そこに命を賭してまっとうすることこそ成仏の正信であります。このような信心もわからない、勝手なおチョウシ者が出ますと、この運動が誤解をされ、大きな障害となります。どうか今一度この運動の重大きを肝に銘じていただきたいと思います。
皆様方にお願いいたしたいことは、僧侶は命を賭して僧侶の信心をまっとういたします。信徒はどうか信徒の本分を守ってもらいたいということでございます。そこに僧俗一体となった本然の大聖人の弟子檀那の信心の道がまっとうできると考えるのでございます。なにとぞご賢察をお願いいたします。
次にマスコミ等に関する問題でございますが、個人プレーの出すぎは絶対にやめていただきたいのでございます。
確かにマスコミのカは大でありますが、何と言いましても取材をする記者は、おおむね信者ではないのでございます。世間も正しく理解してくれない場合が多くございます。かえって誤解を招くような問題の発言がございます。自分の智恵でうかつに応対できません。どうか指導教師の指導に従っていただきたいと存じます。
次に、低次元の争いはさけていただきたいということでございます。私達は常に御子王のごとくなる心をもって慈悲を行ずることを忘れてはなりません。したがってお互いにドプネズミやノラネコのようにひっかぎ合うことは、本義にはずれます。
私どもは、学会憎し・学会つぶせの世間の信心なき者とは絶対に異なるのでございます。どこまでも成仏の直道たる正信を守り、その道において全ての人々を救い上げるということが目的でございます。
しかし、創価学会は相変らず悪質なデマ・ゴマカシ・オドカシをもって組織防衛に席心しております。くれぐれも軽卒な言動をつつしみ、必ず何時・何処で・誰が・何を言ったか、しつかりと証拠を取った上でご住職に報告して下さい。
次に講中のこと、檀徒会内のことは、どんなことでも必ずご住職に報告・連絡するようお願いいたします。今は亡き日達上人猊下の御教導と御恩徳によりまして、この正信の大道が開かれ今日の正信覚醒の大潮流となったのでございます。
その日達上人猊下の思召しは、やがて近い将来、これを法華講にして、日蓮正宗の信徒を一つの大法華講衆、大和合僧団として正法の広宣流布に向う、ということにあったと拝しております。その御意によりまして今日まで次々と法華講支部が結成されて参りました。そこでお願いいたしたいことは、できうる限り早急に各檀徒会を法華講支部に結成していただきたいということでございます。
かといって、今すぐに現在の連合会に加入することは種々問題もあり今後の課題も多々ございましょう。先輩である法華講連合会の方々にも大きな信心の上に立ってご配慮を願わなければならない点もございましょう。
そこでまず法華溝支部を結成し、名誉ある法華講衆、伝統ある法華講衆として、名実ともに大聖人の思召しに最もかなった確固たる信心の和合僧団として進んでいただきたいのであります。点を確認していただく、この三者が大きな信心に住して共々に大聖人の御仏意の上に寄り合うならば、必ずや一大和合僧団、日蓮正宗宗団は見事成就し、真実の広宣流布を成就できるものと確信いたします。どうかご賢察の上、小異を捨てて正信の大道に生きていただjたいのでございます。
これぞまさしく大聖人おおせの「日蓮が弟子檀那」の信心の本筋、日蓮正宗信徒の本来の姿でございます。真実の師弟相対の道に今こそ蘇生したのであるということを確信し、その使命の重大さをしっかりと肝に銘じていただきたいのでございます。
さて、宗教法人創価学会は、最早救いがたい体質を示しております。昭和二十六年日蓮正宗とは全く別個の法人を設立し今日まで参りました。
申し上げるまでもなく、日蓮正宗宗団は四衆、即ち在家出家があって始めて成立するのでございます。大聖人の仏法は師弟子の法門に止まるのであります。したがって、信徒が全く別個に法人を構えることは明らかに間違いでございます。これが今日にいたり数々の大謗法を惹起する原因となったことはいなめない事実だと思います。
かつて、創価学会の法人設立に際して戸田先生は「あくまでも日蓮正宗の仏法、本因妙の仏法を広宣流布するために組織が必要であり、諸難を創価学会会長の一身に受けるの覚悟に他ならない」という旨の決意を述べ、また時の御法主上人も三ケ条の条件を付した上で、正法広宣流布の手段としてこれをお許し遊ばされ、今日におよぶのでございます。
その三ケ条の中には、信心の道、師弟子の法門、仏法手続の道、大聖人の仏法を守る道が厳然と示されているのでございます。したがって、あくまでも創価学会という組織は正法広宣流布のためにのみ、その存在が許されるのでございます。かつて戸田先生は「正法広宣流布のためには戸田の命よりも大事な組織」とも申され、御法主上人もこれを守り育てて来られたのでございます。
同時にまた「広宣流布の時にはこの法人は解散する」とも戸田先生は申しておられたとも聞いております。
この法人はあくまでも正法広布の方便であり、現用漸廃的なものであったはずでございます。ところが未だ広宣流布せぎる間に池田氏は増上慢を起し、邪心をほしいままにし今日の大謗法の数々をあえておかし、あまつさえ己れの権力、その邪欲の組織を守らんがために、大聖人の仏法をあえて壊乱するに至ったのでごぎいます。
これは最早本末頼倒であり、この法人は百害あって一利なしでございます。さきほどの御法主上人の御指南のごとく、一度邪信を生じて悔ゆることなき者は百万の功績も一切無に帰することになるのであり、このことは、御書・経文に示きれるところでごぎいます。
今こそ、根本解決をすべきその時であるということを確信いたします。しかしながら、真の広宣流布をいたすべき真実の法華講衆は何処にありや、まだまだこの檀徒法華講衆はまことに質量ともに微弱でごぎいます。
今こそ地涌の本音属出でよ!どうか本日よりいよいよ決意も固く、この運動の使命を確認して「真の大聖人の思召しにかなった信心をいたす人々を法華講衆と申す」との大確信をもって進んでいただきたいと思います。
御法主日顕上人猊下におかせられましては、我々檀徒会に高尚な、立派な信徒に成長していただきたい、真実の法華講衆に成長しなさい、とのありがたい御慈悲をお寄せ下さっております。どうか皆様、いよいよ真実の法華講衆たる信心をめざし、更なる大確信のもとに勇猛精進し、来たるべき第七百御遠忌には御宝前に、「真実の広宣流布をいたすべき法華講衆ここに誕生いたしました」と、立派にご報告申し上げることができるようにお互いにがんばりましょう。それでこそ、御遷化遊ばされた日達上人猊下に対し奉る御報恩謝徳であると確信致します。
以上をもちまして諸注意に代えさせていただきます。
結論
「源濁れば流れ清からず」
日蓮大聖人御書913頁太田入道殿御返事
原点が間違っていれば、途中でどんなに立派なことのような発言や行動をしても、道理には適っていないということです。