ayapanayapan1810さん
私は正信会でも大阪池田市源立寺の菅野憲道師は同情できるのですが。
池田大作から吊しあげられる恥ずかしめを受けたのに池田大作や創価学会は許すばかりか協調するなんて 阿部日顕氏から言われたらこんなのは法主とは認めたくないというのは人情だと思うのですが。
たかぼんより
菅野氏は創価学会に対して批判的な僧侶でしたので池田大作が原田稔氏、故野崎勲氏に命じて昭和52年1月20日と27日に創価学会本部において菅野氏を恫喝、吊るしあげたものです。
そのときの吊るしあげは創価学会の元教学部長故原島嵩氏の「絶望の淵より蘇る」(日新報道)に詳しく出ています。
しかし日達上人は昭和54年5月3日に、昭和52年の教義逸脱問題のとき創価学会が総本山に謝罪して二度と謗法は犯さないと誓ったため大慈大悲の上からこれを許されたわけです。そして宗内僧俗に対しては「今後も学会を信徒団体として受け入れ、見守っていくよう」命じられたわけです。
菅野氏は梯子を外されたと思ったかも知れません。
また源立寺の正信会檀徒も菅野氏を突き上げられまたは謗法を責めてどこが悪いと開き直って、もう後戻りできないというところになってしまったのではないでしょうか。
日達上人も日顕上人も「御仏智に任せてしばらく様子を見る」とされ、もし再び学会が大聖人の仏法に背くことになったらその時は法主を先頭に僧俗あげて折伏していくと仰せられておりましたが菅野氏をはじめとする正信会メンバーはこの御仏智が信じられなかったのであります。
そして現にその後学会の謗法が明らかになったことから日蓮正宗は僧俗挙げて学会の邪義を破折しているところであります。
日顕上人が血脈相承されたことは日達上人の御密葬御通夜が行われた昭和54年7月22日に椎名日澄御尊能化が発表された際も異議を唱えた者は皆無でしたし、8月6日の座替式に菅野氏は出席されていたはずです。
それを自分の都合が悪くなったからと言って法主としての地位を否定するのはおかしいと考えます。
日蓮正宗において1番大切なことは信心の筋目です。
唯授一人の御法主上人→御法主上人より任命された住職→住職の指導を伝える講頭→信徒
人は、自分に都合の良いものを味方としていきますが、日蓮正宗の信心の世界は、どこまでも御法主上人の御指南に従って信心をしていくところに成仏の道があることを、心肝に染めなければならないと思います。
結論は菅野氏は当初は「唯授一人の猊下を根本」としていたのですが、「唯授一人の御法主上人」を忘れて、というより捨ててしまったという点で大謗法であるということです。
菅野氏には1日も早く古刹源立寺を返還し帰伏していただきたいものです。
法華講員fs2784さん
最初に「協調する」と言われたのは菅野憲道師の直接の師匠であるはずの第66代の日達上人ですね。
それなのに
日達上人へではなく、
日達上人から日顕上人への相承を否定するのは、
文句を言う矛先が違う、と思います。
まあ、日顕上人の代になったあとも、
正信会も
「日顕上人に信伏随従もうしあげる」と言っていたわけで、
自分たちが処罰される段になってから「認めたくない」というのは、いかがなものでしょう?
一貫していない、という印象です。
どうしても「保身」を感じてしまいます。
「吊し上げ」の原因となった、もともとの事は何なのでしょうね?
もし、わかりましたら教えて下さい。
「吊し上げ」自体は、なんか書物にのってましたけど、なぜ?というのが載ってないので
感情移入も中途半端になってしまいます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1029703240
なお
源立寺の住職は大阪府豊中市の本教寺の御住職様が兼務しています。
参考資料:慧妙平成23年4月16日号
戒壇の大御本尊への信を喪失した正信会
田中由貴子さん(仮名)
正信会の機関誌「継命」(1月15日号)に驚くべき記述がある。
同紙の7面に源立寺(現在正信会菅野憲道が不法占拠中)所属の森という檀徒が「南近畿教区研修会に参加して」と題して感想文を寄稿している。そこには菅野憲道が「伝説と信仰」をテーマに講義した内容が次のように紹介されている。
「戒壇の御本尊の真偽が問題視されますが、もともと本尊とは真蹟か否かを論ずるのではなく、1つの教義として捉え、全て三大秘法の御本尊であると、仏道修行するところに戒壇があります。そう考えれば、我々のお寺や自宅に安置された曼荼羅はすべて大聖人の本物の御本尊で、それを本物にするも偽物にするも皆様の信心ではないか。歴史学的に真蹟であるかないかは別問題で、信仰世界では大した問題ではないとの(菅野の)指摘が印象に残りました」と。
これが、仮にも一時は日蓮正宗に籍を置いた者の言う言葉であろうか?この菅野という正信会僧侶は、戒壇の大御本尊に対する信を完全に喪失している。でなければ、真蹟であるかどうかは大した問題ではないなどと言えるハズがない。
また、そもそも戒壇御本尊の真偽が問題視されますがと言っているが、一体誰が真偽を問題視しているというのか?
戒壇の大御本尊を誹謗していたのは、まずは身延派日蓮宗ではないか。それは、日興上人の離山後は、身延には戒壇の大御本尊も血脈もなく、何ら自らの正当性を証明できない故に、でたらめな疑難を言ってきたに過ぎない。そのことは正信会僧侶とはいえ、一時は日蓮正宗に籍を置いた者なら常識であろう。
むろん、最近では破門された創価学会も「板御本尊には偏狭にこだわらない」とか、「御本尊はどれも同じ、我が胸中にある」等と馬鹿げたことを言うようになった。間違っている自分の立場を何とか正当化しようとするから、このような馬鹿げたことを言うようになるのである。正信会も全く同じではないか。
檀徒の寄稿文とはいえ、そこに記されたのは正信会僧侶の講義録であり、こうして機関誌に堂々と掲載するのであるから、この菅野の主張は正信会の公式な主張とも言えよう。
戒壇の大御本尊を否定し、血脈を否定した正信会は、もはや身延派と同列であり、日蓮正宗とは完全に異なる邪教である。未練がましくいつまでも「日蓮正宗」を名乗るのではなく、最上稲荷教のごとく堂々と身延派に吸収合併してもらえばいいのだ。
最後にもう1つ、正信会は、総本山の正本堂、大客殿の解体に反対してきたが、今回のM9を超える東日本大震災の凄まじさを目の当たりにした時、総本山総合整備事業を推進してこられた先見性が完全に証明されたものである。
正信会が言うごとく大客殿を残していたらと想像するだけでゾッとする。
それでも懲りない正信会は、東日本大震災に触発されて生じた先日の静岡県地震で、大石寺墓園の墓石が若干倒れた状況をご丁寧にも撮影して「大石寺の惨状」等と大げさに騒いでいる。(継命4月1日号)
あの阪神淡路大震災を教訓として推進されてきた大石寺総合整備事業で総本山のほとんど全ての施設が新築ないし耐震補強がなされていたがゆえに富士宮を震源とする震度6の地震だったにもかかわらず、人的被害はもちろん、施設には全くと言っていいほど被害が無かったことにはあえて触れないで、一部の倒れた墓石だけで騒いで檀徒をだましているのだ。じつに情けない連中である。
我々法華講員は、こんな邪悪な正信会僧侶にだまされている檀徒を救出すべく、折伏戦に決起するのでなければならない。